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第18話:星図時計の四つ目のパーツ


 白く塩の粉が舞う朝の港に、波をかき分ける汽笛の音が爽やかに響き渡っていた。


 古港ポルト・サリナの第三造船ドック。

 出港の準備を整えた小型帆船『サリナ号』の脇で、シエラが清々しい笑顔を浮かべてアリアたちを見送っていた。


「アリア技師、ケリーさん、シルクさん! 本当にありがとうございました! 父さんのクロノメーター、今朝も一秒の狂いもなく正確に動き続けてるわ!」


 胸元に抱えられたマホガニー材の箱。その中からは、チクタクとみずみずしく命を吹き返した規則正しい機械音が漏れ出している。

 少女の表情からは、一昨日のような焦燥感や孤独の陰りは消え去り、未来の航海を見据える力強い眼差しが宿っていた。


「……私の仕事をしたまでだ。定期的なオイルの注油と、潮風の湿気管理だけは怠るなよ」


 アリアは革鞄を肩に掛け直し、相変わらず無愛想な声で短く返した。


「分かってるわ! 絶対に大事にする! ……あ、それとこれ、受け取ってほしいの」


 シエラはそう言って、自分の革鞄から使い込まれた重厚な真鍮製の小箱を取り出し、両手でアリアへと差し出した。


「……何だこれは。修理代なら、昨日バルトロ船長経由で正規の料金を受け取っているが」

「修理代じゃないわ。私からの……ううん、うちの航海事務所に伝わる感謝のしるしよ。父さんが生前、『いつか本当に信頼できる航海士か職人に出会ったら渡せ』って言っていた古い羅針盤なの」


 アリアの手のひらに載せられたのは、手のひらサイズの重厚な八角形の真鍮ケースだった。

 表面には長年の使用による細かい傷と、塩害に耐えてきた微かな古色が刻まれているが、丁寧に磨き上げられていて大切に扱われてきたことが一目で分かる。


「ほう、見事な造りの羅針盤じゃな。ただの磁針ではなさそうじゃが」


 アリアの肩の上で、シルクが金の瞳を細めて真鍮ケースを見下ろした。


「父さんも『この羅針盤は特別な仕掛けがあるみたいだが、自分には開け方が分からなかった』って首を傾げてたの。でも……大時計台を直して、父さんの時計の真実を見抜いてくれたアリア技師なら、この羅針盤の価値が分かってくれると思って」

「……見せてみろ」


 アリアは右目にルーペ(キズミ)を嵌め込むと、躊躇なく真鍮ケースの側面と底面を観察し始めた。

 周囲の景色やお別れの情緒すら置き去りにして、一瞬で職人の集中領域へと落ち込んでいく彼女の姿に、ケリーは苦笑いを浮かべた。


「ははっ、すまん受け取るよシエラ。こいつ、機械を見ると周りの声が聞こえなくなっちゃうんだ」

「ふふ、いいの。職人さんらしくて格好いいわ」


 シエラが微笑んだ次の瞬間、アリアの指先がピタリと止まった。


「……ふむ。磁針を保持するベアリングの軸受け部分……通常のルビー軸受け(ジュエル)ではないな。強磁性体を含んだ超硬合金だ」


 アリアはピンセットを取り出し、羅針盤の側面に配置された、肉眼ではほとんど見えない微小な三つのビス(ネジ)の頭を突いた。


「ただの羅針盤ではない。内部に二重の底(底板)が存在する。……シエラの父親が開けられなかったのも当然だ。これは手で開ける物理錠ではない。特定の磁場と、トルクの付加によってのみ解放される『磁気メカニカルロック』だ」

「じ、磁気メカニカルロック……!?」


 シエラが驚きの声を上げる。


「ケリー、革鞄から『合体させた三つの星図パーツ』を出せ」

「あ、ああ! 了解だ!」


 ケリーが手早く革鞄から、これまでの旅で手に入れた三つのパーツ——王都に届いた第一のパーツ、水没屋敷で得た第二のパーツ、大嵐の船鐘から現れた第三のパーツが合体した、青鍮色の扇形計器を取り出した。


 アリアは合体した星図パーツを、シエラから譲り受けた古い羅針盤の底部へと近づけた。


 その瞬間——。


 カチリッ……!


 何かが吸い付けられるような微かな磁気反応と共に、羅針盤の内部から軽快な歯車の噛み合い音が響いた。

 合体パーツが持つ特殊な強磁性体金属の磁場がトリガーとなり、羅針盤内部の隠されたロッキングピンが一斉に解除されたのだ。


 パカッ。


 八角形の真鍮ケースの底部が、まるでからくり箱のようにスライドして開き、内部の隠しスペースが露わになった。


「開いた……! 本当に開いたわ!」


 シエラが目を丸くして歓声を上げる。

 しかし、アリアとケリー、そしてシルクの視線は、底から現れた『中身』に釘付けになっていた。


 そこに収められていたのは——。


 深緑色の保護布に包まれた、扇形をした青鍮せいちゅう色の精密な金属パーツであった。


「……ッ!」


 アリアの息が呑み込まれた。

 表面に刻まれた微細な目盛り、天体運行軌道を示す精緻な格子線、そして塩害にビクともしない特殊耐食合金の質感。


「四つ目……! 最後のパーツだ……!」


 ケリーが声を震わせた。


「嘘でしょ……そんな貴重なものが、うちの羅針盤の中に隠されてたなんて……!」


 シエラも信じられないといった様子で、小さな青鍮色のパーツを見つめている。


「……偶然ではない。百年前のあの『伝説の時計師』は、この南の海域を旅した際、シエラのご先祖である航海士にこの羅針盤を託したんだ。いつか、すべてのパーツを集めし者が現れるその時まで、安全に保管するために」


 アリアは手袋を嵌めた指先で、四つ目のパーツを恭しく取り出した。

 アンド、作業机代わりに置かれた木箱の上で、すでに手元にあった三つのパーツの集合体と、新しく現れた四つ目のパーツをゆっくりと近づけた。


 カチリ、カチリ、カチリ……ッ!


 完璧な精度で削り出された四つの青鍮製パーツが、吸い付くように互いの溝と歯車を噛み合わせていく。

 最後のパーツが収まった瞬間、隙間は完全に埋まり、手のひらよりも一回り大きい——完璧な円形の古代天文計算機『星図時計アストロラーベ』が完成した。


 ウオン……!


 四つのパーツが一体化した瞬間、内部に組み込まれていた微小な水晶レンズと永久磁場回路が共鳴を起こし、青鍮の表面に刻まれた無数の星の目盛りが、美しく澄んだ青い光を放ち始めた。


「うわあ……綺麗……ッ!」


 シエラが感嘆の声を漏らす。


 光の目盛りは、単に点灯しただけではなかった。

 完成されたアストロラーベの中央に設置された立体針が、チチチチ……と高速で回転を始め、やがて南の空の特定の天体座標——そして、アルト・マリーナ沖合の海底を指してピタリと静止した。


「……繋がったな」


 アリアの低く冷徹な、しかし確かな熱を帯びた声が響く。


 右目に嵌めたルーペ越しに、アリアは完成した星図時計が示す天体運行データと、各パーツの「ズレ」の数値を一瞬で計算・統合した。


「やはりだ。この四つのパーツが合体したことで、隠されていた『最終データ』が解読できた。……この星図時計に刻まれている星の軌道と、現在の夜空の星の動き……その差は正確に『コンマ三七度』。そして、時間が経過するごとに、そのズレは一定の比率で増大している」

「コンマ三七度……? やっぱり、世界全体の時間がずれてるってことか、アリア?」


 ケリーが真剣な表情で尋ねる。


「ああ。間違いない。……時計が狂っているのではない。この星の自転軸(地軸)そのものが微かに傾き、一日の長さが昔より伸びてしまっているんだ。そして、その『星の自転のズレ』を計測し、世界に正しき時間を知らせるための心臓部……」


 アリアの指先が、星図時計の針が指し示す南の海の海底座標を叩いた。


「アルト・マリーナの沖合に沈む……『古代の水門大時計』だ」

「水門大時計……! バルトロ船長が言っていた、海底のからくり遺跡のことか!」

「そうだ、ケリー。あの大時計は、単なる港の排水装置ではない。星の巡りと海の潮汐力を同期させ、世界の時間を調律するための……巨大なプラネタリウムなんだ」


 シルクがアリアの肩の上で優雅に尾を揺らし、フッと満足げに鼻を鳴らした。


「くくく、ついに全ての鍵が揃ったわけじゃな。王都から始まった出張修理の旅も、いよいよクライマックスというわけだ」

「……ああ。海底の水門大時計へ戻るぞ。あの巨大な狂いを直さなければ、この世界のすべての時計が永遠に狂い続ける」


 アリアは完成した『星図アストロラーベ』を慎重に布で包み、革鞄の最深部へと収めた。

 その背中に向かって、シエラが力強く叫んだ。


「アリア技師! 気をつけて行ってきてね! 私、応援してるから! いつか最果ての海へ出たら、一番に王都のあなたの店に報告に行くわ!」

「……フン。無駄な長話をしに来るなよ。作業の邪魔だ」


 口ではつっんどんどんに突き放しながらも、アリアは背を向けたまま、軽く手を片方だけ上げて応えた。

 その小さな背中には、職人としての絶対的な覚悟と、仲間たちへの信頼が満ち溢れていた。


「よし! そうと決まればアルト・マリーナへトンボ返りだな! アリア、道中の飯は俺に任せとけ!」

「無駄に油を使うなよ、ケリー。消化に時間がかかる」

「へいへい! お腹に優しい野菜たっぷりのスープにしてやるよ!」


 白く輝く塩の港町を背に、三人(二人と一匹)は次なる決戦の地——南の海に眠る古代の水門大時計へと向け、力強い一歩を踏み出した。


 チク、タク、チク、タク。


 ポケットの中で時を刻む懐中時計のリズムが、迫り来る「星の修理」の刻限に向けて、静かにテンポを速めていくのだった。

 

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