第1話:届いた星図と、南への風
お久しぶりです!!
2部スタートです!!
よろしくお願いします
チク、タク、チク、タク。
金属と宝石が触れ合い、静けさを切り刻む規則正しい音。
王都の裏通りにひっそりと佇む『アリアのアンティーク時計修理店』の作業場には、今日もいつもと変わらない穏やかな時が流れていた。
「……ふむ。歯車の軸受け(ジュエル)に微少な摩耗。オイルの酸化による粘性増加か」
眼球にぴったりと嵌めたルーペ(キズミ)越しに、アリアは精密なピンセットを滑らせる。
銀色の髪が、窓から差し込む午後の柔らかな光を受けて輝いていた。前世はしがない中年時計職人だった彼女——いや、今の彼女は、小さく可憐な少女の姿をしている。だが、その指先に宿る技術と知識は、この世界のどんな大魔法使いよりも精密で、確かだった。
「おい、アリア。根を詰めるのもいいが、そろそろ昼飯にしろ。今日は街の市場で仕入れた新鮮な野菜のポタージュと、焼きたてのライ麦パンだ」
厨房から顔を出したのは、王立騎士団の制服を崩した姿の青年、ケリーだ。
かつてこの店の時計を直しに来たことをきっかけに、今ではすっかりこの店の「自称・お世話係兼エプロン騎士」として居座っている。体格の良い大型犬のような男だが、料理の腕前と手際の良さは主婦顔負けだった。
「……後にしろ。今、脱進機の微調整をしている。コンマ一ミリのズレが致命傷になる」
「だーめーだ。昨日も夜遅くまで作業してただろ。冷めたスープほど悲しいものはないんだぞ。ほら、ルーペを外せ」
ケリーは大きな手でアリアの肩を軽く叩き、強引に作業台から引き離そうとする。
アリアは「む……」と不満げに眉をひそめたが、お腹が「キュウ」と小さな音を立てて鳴ってしまい、一瞬で耳の先を赤く染めて作業の手を止めた。
「ほら見ろ、腹の時計は正直じゃないか。冷めないうちに食え」
「……不愉快だ。腹時計の精度など信頼に値しない」
毒づきながらもアリアが椅子を立つと、作業台の隅で丸くなっていた一匹の黒猫が、あくびを噛み殺しながら毛並みを整えた。
「やれやれ。相変わらず世話の焼ける娘じゃな。ケリーや、ワシの分のアサリのミルク煮は入っておるか?」
「ああ、ちゃんと塩抜きして準備してあるよ、シルク」
人の言葉を普通に話し、毛をなでられながら目を細める使い魔の黒猫・シルク。
三人(二人と一匹)の変わらない日常がそこにあった。
ケリーが差し出した温かいスープを匙ですくい、口へと運ぶ。野菜の甘みとバターのコクが口いっぱいに広がり、身体の芯から緊張がほぐれていく。悔しいが、ケリーの作る飯はいつだって美味しかった。
「そういえばアリア。数日前に届いた『例の荷物』……あれから何か分かったのか?」
ポタージュをパンにつけながら、ケリーが作業台の端に置かれた小さな木箱を指差した。
木箱の中には、先日の大時計台の修理騒動の直後、差出人不明で店に送られてきた一品の金属パーツが収められている。
アリアはスープを飲む手を止め、木箱からそのパーツを取り出した。
手のひらに収まる程度の、扇形をした青鍮色の金属板。表面には繊細な目盛りと、夜空の星々を模したような幾何学模様が刻まれている。
「……『アストロラーベ(星図時計)』の一角だ」
アリアは金属片を光に透かしながら、無愛想で淡々とした声で言った。
「太陽や星の運行、緯度や時間を計測するための古代のアナログ計算機のようなものだ。だが、ただのアンティークじゃない。この金属組成……通常の青銅や真鍮とは明らかに違う」
「ホウ? 王城の魔導技師どもが使う魔法金属の類か?」
「いいや、シルク。魔法の波長は一切検出されない。代わりに……強磁性体と、高度な耐食性合金の特性を持っている。潮風や海水に何十年晒されても、一切錆びることがない特殊な金属だ」
アリアの指先が、目盛りの端に刻まれた小さな刻印をなぞる。
「そして、この目盛りの刻み方だ。王都の緯度ではなく、もっとはるか南……海に面した地域の天体運行基準で計算されている」
「南の海……?」
ケリーが首を傾げた。
「南の港町『アルト・マリーナ』のことか? 王都から馬車で一週間ほどの場所にある、風光明媚な港町だが……」
「おそらく、そこだ。この金属の表面に付着していた微量の塩分結晶と、独特の鉱物成分。アルト・マリーナの近海でしか採れない特殊な鉄鉱石が使われている」
アリアはパーツを作業台の上にそっと置いた。
チクタクと響く店内の時計たちの中で、そのパーツだけが異質な存在感を放っている。
「なぜ、誰が、何のためにこんな貴重な精密パーツを私に送ってきたのか……。そして、なぜこの星図時計の目盛りは、現在の星の動きと『僅かにズレて』刻まれているのか」
「ズレている……? 刻印が間違っているのか?」
「いいや。加工精度は極めて高い。誤差は0.01ミリ以下だ。つまり『間違えて刻んだ』のではなく『刻んだ当時は、これが正しかった』……あるいは『星の動きの方が変わった』としか考えられない」
前世で天文学や精密機器の歴史にも精通していたアリアにとって、その「ズレ」は決して見過ごすことのできない不協和音だった。
「くくく、面白いではないか」
シルクが尾を優雅に振るい、アリアの膝の上に跳び乗ってきた。
「王都の時計台を直し、退屈しておったところじゃ。そのパーツの故郷……南の海とやらに、出張修理と決め込もうではないか」
「出張修理……だと?」
「そうじゃ。職人ならば、引き受けた謎は最後まで解き明かすのが筋というもの。それに、海の街には珍しい魚や珍味も多いと聞くからのう」
「最後のは本音だな、シルク……」
ケリーは苦笑しながらも、どこか楽しそうに腕を組んだ。
「まあ、俺も賛成だ。最近の王都は、アリアの噂を聞きつけた貴族どもがうるさくて敵わないからな。ちょっと離れて頭を冷やすには格好の機会だ。それに……南の海のバカンスなら、たまには羽根を伸ばすのも悪くない」
「バカンス目的ではない。私はただ、この時計の仕掛けと真相を確かめたいだけだ」
アリアはそっけなく言い放ったが、その瞳には職人としての強い好奇心の火が灯っていた。
「決まりだな! よし、そうと決まれば旅の準備だ! 移動中の作り置きの食料と、現地での着替え、それから……」
「ケリー、荷物は最小限にしろ。工具箱が一番重いんだからな」
「分かってますって! だがアリア、お前は油断すると作業道具しか持っていかないだろ!」
賑やかに旅の仕度を始めるケリーと、呆れ顔で工具の選別を始めるアリア。
路地裏の小さな時計店から、青い海と潮風が待つ南の港町へ。
止まっていた歴史の歯車が、静かに、けれど確実に動き出そうとしていた。




