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第2話 召喚者

 コミックマーケットが終わった。


 一般参加者が帰り、サークルが撤収し、会場から人が少しずつ消えていく。


 だが、スタッフにはまだ仕事が残っている。


「更衣室、最終確認お願いします」


「了解」


 てかりは返事をして、更衣室へ向かった。


 中を一通り確認する。


 忘れ物。


 ゴミ。


 設備。


 問題なし。


「こっちは大丈夫です」


「了解。じゃあ、撤収始めましょう」


「お疲れさまでした」


「お疲れさん」


 長い一日だった。


 てかりは腕時計を見る。


 もう夜も遅い。


 それでも、まだ完全には終わっていない。


 スタッフ証も、まだ首から下げている。


 帽子も被ったまま。


 腕章も外していない。


 これらはスタッフとしての仕事を終えたからといって、その場ですぐ外すものではない。


 返却場所へ行き、所定の手続きを終える。


 そこまでがスタッフの仕事だ。


 てかりは帽子の位置を少し直した。


「……さて、あとちょっと」


 スタッフ証。


 帽子。


 腕章。


 コミックマーケットのスタッフであることを示す三つの印。


 何年も使ってきた。


 古参スタッフ。


 そう呼ばれるようになってからも、ずいぶん経つ。


 だが、てかり自身は「古参だから偉い」とは思っていない。


 むしろ今でも現場にいる。


 参加者の案内をする。


 列を見る。


 更衣室を見る。


 トラブルがあれば対応する。


 必要なら走る。


 現場で人が足りなければ、自分が入る。


 それが性に合っている。


 長く続けているからこそ、現場で動ける。


 それが、てかりが今も最前線にいる理由だった。


「じゃあ、返却行きますか」


 同僚に声をかける。


「はい」


 てかりはスタッフ証を下げたまま歩き出した。


 あと少しで返却。


 今日も無事に終わった。


 そう思っていた。


 ――そのときだった。


「……?」


 廊下の照明が、一瞬だけ暗くなった。


 てかりは足を止める。


「停電?」


 違う。


 空調の音が消えている。


 遠くの話し声も聞こえない。


 会場全体が、突然切り離されたような静けさだった。


「……何だ?」


 てかりは周囲を見る。


 同僚の姿がない。


「おい?」


 返事がない。


 スマートフォンを取り出そうとした。


 その瞬間。


 足元に光が走った。


「……!」


 床に円形の光が広がる。


 てかりは反射的に一歩下がった。


 しかし――


 光が一気に強くなった。


「ちょっ――」


 視界が白く染まる。


 そして。


「召喚術式、安定!」


「魔力供給、問題なし!」


「対象を確認!」


「成功です!」


「異世界のスタッフ召喚に成功しました!」


「よっしゃあああ!」


「やった!」


「これで間に合う!」


 ――騒がしい。


 目を開けた瞬間、てかりが最初に思ったのはそれだった。


「…………」


 周囲を見る。


 知らない部屋。


 何人もの人間。


 床には光る円。


 壁には見慣れない装置。


 そして――


「成功した!」


「本物だ!」


「スタッフだ!」


「ちゃんとスタッフの証を着けてる!」


「帽子もある!」


「腕章もあるぞ!」


 歓声が上がっている。


 てかりは黙って、自分の格好を見た。


 スタッフ証。


 帽子。


 腕章。


 全部そのままだ。


「…………」


 てかりは顔を上げた。


「……何だ、ここ」


 目の前にいた女性が、興奮した様子で答える。


「成功しました!」


「何が?」


「召喚です!」


「……召喚?」


「はい!」


 女性は満面の笑みだった。


「異世界から、コミックマーケットスタッフを召喚することに成功しました!」


「…………」


 てかりは黙った。


 何を言っているのかは分かる。


 だが、意味が分からない。


「……ちょっと待って」


「はい!」


「俺、さっきまでコミケにいたんだけど」


「はい!」


「……コミケ?」


「はい!」


「……東京ビッグサイト」


「はい!」


「今日のコミケ」


「はい!」


「……」


 てかりは目を細めた。


「じゃあ、ここどこ?」


「日本です!」


「東京?」


「はい!」


「……スマホは?」


「あります!」


「電車は?」


「走っています!」


「コミケは?」


「もちろんあります!」


 てかりは、しばらく黙った。


「……異世界?」


「はい!」


「日本?」


「はい!」


「コミケあり?」


「はい!」


「…………」


 てかりは深く息を吐いた。


「なるほど」


 まったく、なるほどではない。


 だが、とりあえず整理する。


 自分はコミックマーケット終了直後。


 スタッフ証を返却する直前。


 そのまま異世界へ召喚された。


 しかも召喚した側は、自分を見て大喜びしている。


「……で?」


 てかりは聞いた。


「俺を何に使うの?」


 召喚側の責任者らしい男が、一歩前へ出た。


「コミックマーケットのスタッフです」


「…………」


「スタッフが足りないのです」


「…………」


 てかりは瞬きをした。


「もう一回」


「スタッフが足りません」


「それで?」


「あなたを召喚しました」


「…………」


 てかりは天井を見た。


 異世界召喚。


 人生で一度あるかないかの大事件。


 それなのに。


 召喚理由は――


スタッフ不足。


「……勇者とかじゃないの?」


「違います」


「魔王退治は?」


「ありません」


「世界を救うとか?」


「ありません」


「じゃあ、何?」


「コミックマーケットを開催するためです」


「…………」


 てかりは帽子のつばを指で押さえた。


「……すげえ理由で呼ばれたな、俺」


 周囲の人間は真剣だった。


「今回の開催まで、あと一週間しかありません」


「一週間?」


「はい」


「……スタッフの募集は?」


「しています」


「集まらなかった?」


「足りません」


「経験者は?」


「ほとんどいません」


「なるほど」


 てかりは腕章を見た。


 今日まで使っていたものだ。


 自分の世界のコミックマーケットで。


「だから、異世界から召喚した?」


「はい!」


 即答だった。


 しかも、なぜか誇らしげだ。


「……そうか」


 てかりは苦笑した。


「俺、スタッフ歴長いけどさ」


「はい!」


「一週間前に来て、いきなりそっちのスタッフになれると思ってる?」


「通常なら無理です」


「だよね」


「ですが――」


 責任者が書類を差し出す。


「特別措置を用意しました」


「……特別措置?」


「異世界から召喚されたスタッフ経験者について、本人の希望がある場合に限り、臨時スタッフとして登録できます」


「本人の希望が条件?」


「はい」


「……じゃあ、俺が嫌だって言ったら?」


「諦めます」


 てかりは少し考えた。


 元の世界に戻れる保証はない。


 この世界について何も知らない。


 そして、一週間後にはコミックマーケットが開催される。


 しかも――


 スタッフが足りない。


「……やります」


 てかりは言った。


「本当に?」


「うん」


「ありがとうございます!」


 周囲から歓声が上がる。


 てかりは少し笑った。


「ただし」


 歓声が止まる。


「この世界のコミケのこと、俺は何も知らないからな」


「承知しています」


「ルールも違うかもしれない」


「はい」


「会場の勝手も分からない」


「はい」


「一週間で覚えろっていうなら、かなり大変だぞ」


「それでもお願いします」


「……分かった」


 てかりは頷いた。


「じゃあ、教えてもらおうか」


 責任者が資料を山ほど持ってくる。


 てかりは一番上の冊子を手に取った。


 表紙には、


『コミックマーケット運営マニュアル』


とある。


「……タイトルは一緒か」


 ページを開く。


 一般参加者。


 サークル。


 コスプレ。


 更衣室。


 入場。


 列整理。


 スタッフ配置。


 見覚えのある言葉が並んでいる。


 だが、細かい部分が違う。


「……へえ」


 てかりは少し身を乗り出した。


 不安よりも先に、興味が湧いてきた。


 同じようで違う。


 違うようで、やっぱり似ている。


「これは……面白いな」


 異世界に召喚された男。


 その理由は、勇者でも救世主でもない。


 コミックマーケットのスタッフが足りなかったから。


 そして。


 開催まで、あと七日。


 てかりの、異世界コミケスタッフ生活が始まった。

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