悪役転生第35話 罪禍
「お母さん。話って何? 槍のお稽古のこと?」
少女の声はいつもと変わらない。
けれど、母親の表情は違った。
これは、蛇石京が転生する五年前の話。
少女の名はノエラ・スミス。
そう聞かされていた。
「そうじゃないの。」
「じゃあ魔法の―」
「実はね、ノエラ。
お母さん、あなたに嘘をついていたの。」
「え?」
最初はそれしか声が出なかった。
「・・・あ、あれでしょ?」
「お母さんが昔軍医で、戦場で兵隊さんを治しながら
自分も戦ってたっていう話。
あれが嘘、なんでしょ?」
途中言い淀みながらも、なんとか言葉を吐き出す。
何を言っているのか自分でもよく分からないまま、
思いついた言葉だけを並べている。
「いいえ、それは本当よ。でも、そうよね。
いきなりこんな事言われても、
混乱するだけよね。」
「順を追って話すから、よく聞いて。」
そこから少女の母親―エラ・スミスこと
イリーナ・カルディアは、
自身に起きた、特異な昔話を娘に伝えた。
時は、さらに十五年を遡る。
医師として仲間を救い、また兵士として敵を倒す。
そんな日々を送っていた。
魔法持ちでこそなかったものの、
槍を手に数多の敵を屠り、
気付けば女傑と評されていた。
その噂は戦場にとどまらず、
中央の国英や王族にも名は届いていた。
それが彼女の転機だった。
功績を讃えられ、王宮に侍ることが決まった。
ただの医官、ではない。
ニュート王子への槍の指南役、も兼ねた医官。
殿下への指南。
怪我でもさせたら二つの意味で首が飛ぶと、
最初は戦場以上に緊張した。
だが杞憂だった。
殿下は極めて物静か。
怒りとは無縁の方だった。
それどころか、戦場にいた私に興味を示していた。
「私はね、市井の実態が知りたいんだ。」
十歳とは思えない話し方。
「私がいたのは“戦場”ですよ。」
「それも市井のうちだよ。」
十歳とは思えない考え方。
望み通り話をすると、無表情のまま空を見上げた。
そして―
「知った。私は一つ、世界を知った。」
「・・・ありがとう。」
うわ言のように呟いて彼は帰った。
聞けば、そのまま眠りについたらしい。
役に立てたのかは分からない。
殿下は変わった子供、
ということしか分からなかった。
それはいい。問題はその上だった。
数週間後、私は国王に呼び出された。
玉座の周囲に人影はなく、私と王の二人きり。
護衛すらいないその不審。
気付いた時にはもう遅かった。
「イリーナ・・・イリーナよ!
麗しきイリーナ!」
「医者としての従事、並びに我が息子への指南。
王として心より感謝する。」
高揚した気分そのままに喋っている。
息子に比べれば人間的だが、まともとも言い難い。
呼吸は荒く、玉座の上で身をよじっている。
まさかとは思うが・・・
「ありがとうございます。お褒めにあずかり光栄―」
「ハァ、ハァ、駄目だ、もう堪えられん。」
「イリーナ! 今すぐ私の側室になってくれ!
子供をつくってくれ!」
悪い予感が的中した。
玉座にいたのは王ではない。
ただの男の欲だった。
反射的に扉へ逃げる。
だが開かず、扉に触れることすらできない。
扉も窓も、部屋の全てが紫の壁に包まれていた。
「結界だよ。」
振り返ると両腕を掴まれ、
そのまま床に押し倒された。
異様な力。
丸腰とは言え、兵士でもある私が抑え込まれている。
「驚いたかい?」
眼はぎらつき、また血走っている。
「王族の魔力は濃いんだ。」
「だから魔法も、魔力による身体強化も、
常人より遥かに強力になる。」
「愛の力も重なれば尚更な!」
口元を隠す長い白髭。
それを伝った涎が顔に落ちる。
男が浮かべた下品な笑みは、全身に悪寒を走らせた。
こいつは人じゃない。
ニュート王子のような存在とも違う。
タガの外れた獣だった。
およそ十か月後、私は子を産んだ。
もちろん他人は真実を知らない。
王直属の近衛兵との子供、そう思っている。
側室という話は、いつの間にか立ち消えていた。
事後冷静になったのだろう。
“無理矢理つくった側室”など、周りが許す筈もない。
だから逃げた。
子を抱えて、王宮から脱走した。
もちろんこれは罪だ。
だがあのまま王宮にいれば、
子供諸共いずれ消される。
弱った体を引きずって動いた。
遠くへ。地方へ。
国英の目が届かない場所へ―
「そうしてこのグレインに流れ着いて、
今の生活があるのよ。」
ノエラは母親から目を離せず、
また言葉も出なかった。
父親の正体。
悍ましい自身の出生。
何より、自身が王族だという事実。
言い表せない感情が、
濁流の如く溢れ出て心を沈める。
王族という言葉に呼吸を邪魔される。
平静を取り戻すまで、一時間では足りなかった。
「・・・何でこの街にしたの?」
少しでも心を和らげるため、事実確認から始めた。
「この街で倒れたところを、
街の皆さんに助けてもらったからよ。」
「幸いここは身元確認も緩かった。
医者としての仕事もあるし、
そこは運が良かったわ。」
「みんなは、このことを知ってるの?」
「いいえ。何も聞かずに私たちを受け入れてくれた。
本当にいい人たちよ。」
「じゃあ、何で私には話したの?」
「・・・あなただけは、逃げられないからよ。」
穏やかだった母の顔が、一転して険しくなる。
ただ、僅かに声は震えていた。
「今は名前も変えているけど、
いつまでも隠れていられる保証はない。」
「“ノエラ・スペリア”が生きていると知られれば、
恐らくどこまでも追われる。」
「あなたは嫌でも周りはそう見る。
だから、あなただけは真実を知る必要があるの。」
「自分の身を守るために。」
話の意味は理解できた。
だが、今胸を押さえつけている言い表せない感情や、
漠然とした不安を取り除く方法は、
この時の彼女には分からなかった。
最も、今日この話をしたことが功を奏すとは、
ノエラも、イリーナでさえ知る由もなかった。
沈む夕陽が、街に迫る二つの影を
照らすことはなかった。
■ グレイン郊外。二人の英雄が待ち合わせていた。
遅れて来た女を、灰色の髪をした男が嗜めている。
「いい度胸だな。白騎士を待たせるとは。」
「フッ、アンタそんな冗談言えたんだ。」
軽口は叩くが、どちらも既に臨戦態勢にある。
「標的は脱走した女医。槍の手練なんですってね?」
「子供もだ。生きていればな。」
「後、一応言っておくが油断はするなよ。
仮にも王の命令だ。」
「分かってるわよ。でもできれば、
その女は私に殺らせて。」
「・・・約束はできん。先に行くぞ。」
そう言い残し、
男は脳が揺れるような音と共に空へ跳んだ。
「ちょっと! 私の獲物よ!」
憤慨しつつ、女も向かった。
どこからか集めた瓦礫を引き連れ、
街を壊しながら歩みを進める。
そこが誰かの帰る場所であることなど、
二人は気にも留めなかった。




