#9 お兄様
翌日。
全局合同執行試験まで、あと六日。
久世は第四執行部の物資管理端末に表示された受領票を見ながら、
執行局本庁舎から渡り廊下で繋がる別棟へ向かっていた。
頼まれたのは、試験前に交換するAOF用の補助電源ユニットと、
榊が追加申請した小型センサーの受け取りだった。
「なんで俺なんですか」
出発前に御堂へ聞いたところ、返ってきたのは簡潔な答えだった。
「今、一番手が空いているからだ」
反論する理由もなく、久世はそのまま受領を引き受けた。
物資管理棟は普段ほとんど来ない場所だった。
試験を前に人の出入りが増えているとはいえ、昼を過ぎれば廊下は比較的静かで、
搬送ドローンが床面の誘導灯に沿って行き来している程度だった。
受領手続きを終え、小型ケースを片手に本庁舎へ戻る途中、久世は一階の売店前で足を止めた。
理由は単純だった。
そこにいる少女が、あまりにも場違いだったからだ。
白銀の長い髪。
黒と白を基調にした、古いメイド服を思わせる衣装。
小柄な身体には不釣り合いなほど整った姿勢で、売店の前に並ぶ飲料を一つずつ眺めている。
一般来訪者用の通行証も見えない。
それだけなら、迷い込んだ民間人という可能性もあった。
だが、久世が違和感を覚えたのは別の部分だった。
彼女は、まったく呼吸していなかった。
少なくとも、胸郭の動きがない。
久世が視線を向けた瞬間、少女が顔を上げる。
目が合った。
数秒、少女の瞳が大きく開く。
「――いた」
嬉しそうな声だった。
久世は周囲を見る。
自分以外に、それらしい相手はいない。
少女は迷わずこちらへ歩いてくる。
一歩。
二歩。
そして、久世の正面まで来たところで、抑えきれないように笑った。
「お兄様」
久世は黙った。
少女も久世を見上げたまま待っている。
「……人違いです」
「違いません」
「兄弟いないので」
「知ってます」
即答だった。
久世が僅かに眉を寄せる。
「じゃあ、なんでお兄様?」
「だって、お兄様ですから」
説明になっていない。
少女はそんなことを気にする様子もなく、久世の顔をじっと見ていた。
まるで、ずっと会いたかったものをようやく目の前に見つけたような表情だった。
そのとき。
「イブ」
低く、落ち着いた声が響いた。
少女――イブの肩が僅かに揺れる。
「……アダム」
売店横の柱の陰から、一人の青年が姿を見せた。
白銀の短い髪。
細身の身体を包む黒い燕尾服。
見た目だけなら、どこかの高級ホテルで働く若い執事にも見える。
ただ、袖口から覗く手首の関節には、人間にはない細い金属線が走っていた。
青年は久世ではなく、まずイブを見る。
「駄目だろ、迷惑をかけちゃ」
「見てただけだよ」
「話しかけた」
「だって、目の前にいたから」
「はぁ......」
「だって、だって、だって!」
アダムは小さく息を吐いた。
その仕草まで人間らしい。
しかし、呼吸音はない。
久世は二人を見る。
「知り合い?」
アダムが久世へ向き直った。
感情を抑えた、穏やかな顔。
「初めまして、アダムと申します」
「初めまして?久世だ」
「はい」
イブがすぐに割り込む。
「初めましてじゃないよ。ずっと知ってるもん」
「イブ」
「だって本当でしょ」
「この子、故障してて修理のために執行局へ訪れたんです」
その瞬間、久世のAOF補助端末が微かに振動した。
自動識別。
視界の端へ情報が浮かぶ。
《BIOLOGICAL SIGNAL:UNSTABLE》
《THERMAL PROFILE:NON-HUMAN》
《SUBCUTANEOUS ID:NONE》
久世は表示を見たあと、二人へ視線を戻した。
「人間じゃない?」
イブが嬉しそうに頷く。
「はい!」
アダムは少しだけ眉を寄せた。
「そこまで普通に答える?」
「聞かれたから!」
「という訳でして」
久世はイブの手を見る。
白い手袋の隙間から、指関節に細い継ぎ目が見えた。
機械。
少なくとも、生身の人間ではない。
「自立型AI?」
アダムが少しだけ目を細める。
「お察しの通りです」
イブがくすりと笑う。
「お兄様、変わってない」
久世の視線が止まった。
「変わってない?」
イブの表情から笑みが僅かに消える。
言ってはいけないことを言った、と気づいた顔だった。
アダムが静かにイブの肩へ手を置く。
「お邪魔しました、僕たちも行こうか」
「まだ少しだけ」
「駄目」
「でも――」
「イヴ、言うことを聞いて」
一瞬。
アダムの目だけが僅かに揺れた。
「待って」
久世が一歩近づく。
「もう少し話したい」
イブの顔が一気に明るくなる。
「本当?」
「うん」
「じゃあ――」
鋭い電子音が会話を遮った。
《SECURITY ALERT》
天井の照明が赤へ切り替わる。
《UNREGISTERED AUTONOMOUS ENTITY DETECTED》
《SECURITY LEVEL:3》
売店のシャッターが一斉に降り始め、通路の両端で防護扉が作動する。
イブが露骨に頬を膨らませた。
「もう」
アダムは逆に、何の感情も見せなかった。
「遅かったくらいだよ」
通路の奥から、局内警備員が三人駆けてくる。
その背後には小型警備ドローンが二機。
「その場から動くな!」
警備員の一人が制圧用銃器を構える。
アダムは久世を見る。
発砲音。
非致死性の電磁弾が飛ぶ。
アダムの身体が僅かに傾いた。
避けた。
ほんの数センチ。
無駄のない動きで弾道を外し、同時にイブを抱え、二発目、三発目も避けていく。
久世はその動きを見て、奇妙な感覚を覚えた。
速いからではない。
動く前から、攻撃が来る場所を知っているような避け方だった。
AOFの神経予測。
それに近い。
「止まれ!」
警備員が距離を詰める。
アダムはそれでも攻撃しなかった。
最初は。
一人がイブへ手を伸ばすまでは。
空気が変わった。
アダムの目から、先ほどまでの穏やかさが消える。
「触らないでください」
低い声。
警備員の腕が伸びる。
次の瞬間、アダムは懐へ入り込んでいた。
手首を掴み、肘を返し、関節の限界ぎりぎりまで捻る。
銃が床へ落ちる。
警備員が膝をつく。
「アダム、怪我は?」
イブが呼ぶ。
「大丈夫」
アダムは警備員を床へ押さえたまま、平然と答える。
「壊してない」
久世はその言葉に僅かな寒気を覚えた。
人間を助けたいから壊さないのではない。
必要がないから壊していない。
その違いが、はっきり分かった。
別の警備員が背後からアダムへ向かう。
イブが動いた。
「アダムに触らないで」
さっきまで久世へ向けていた柔らかな表情が消えている。
少女の細い腕が警備員の前腕を受け止め、そのまま身体ごと横へ投げた。
人間ではあり得ない力。
警備員の身体が床を滑り、壁際で止まる。
「イブ」
「壊してないよ」
「そういう問題じゃない」
「アダムもやった」
「僕は止めただけ」
「私も止めただけ」
通路の奥でさらに増援の足音が響く。
今度は数が多い。
アダムが周囲を確認する。
「イブ、帰るよ」
「……もう?」
「これ以上いると、全部壊さないといけなくなる」
イブは明らかに不満そうだった。
それでも久世を見る。
アダムが小さく息を吐く。
その直後、二人の足元に細い光が走った。
「次はもっとゆっくり話そうね、お兄様」
光は二人を包み込むと、ピカピカと断続的に視界を妨害した。
聴覚をダメにするような酷い落雷にも似た音が辺りを覆い、
久世や職員たちの目の慣れたころには、その場には焼き切れた痕だけが残っていた。
*
久世が第四へ戻ることを許されたのは、それから一時間以上あとだった。
もっとも、すぐに自席へ戻れたわけではない。
案内されたのは第一執行部の聴取室だった。
白い壁に机、椅子が三脚。
取調室ほど閉鎖的ではないが、雑談をするための部屋ではないことだけは分かる。
久世が席へ座ると、正面に四十代ほどの男性局員、その隣には神谷直人が腰掛けた。
「念のため言っておくけど、久世君は容疑者じゃないよ」
神谷が最初に言った。
「重要参考人?」
「そういうこと」
正面の男は二人のやり取りを遮るように端末を起動した。
「第一執行部、特殊犯罪捜査担当の柏木だ。記録を取る」
「はい」
「今日十二時四十八分頃、局内売店付近で未登録の人型機械二体と接触した。それで間違いないな」
「はい」
「以前から面識は?」
「ありません」
「本当に?」
「ないです」
柏木は久世の顔を見る。
疑っているというより、回答そのものを確認している目だった。
「向こうは君を知っていた」
「みたいです」
「名前も?」
「多分」
「それだけではない。“お兄様”と呼んだ」
「はい」
「理由に心当たりは」
「ないです」
短い回答が続く。
柏木は端末へ何かを書き込み、次の記録を表示した。
売店付近の監視映像、白銀の髪を持つ少女、その後ろへ現れる青年。
そして、二人の間に立つ久世。
「少女型の個体が、君を見た直後に明確な感情反応を示している」
「そう見えました」
「青年型は?」
「落ち着いてました」
「君に敵意は?」
「なかったと思います」
「他の局員には?」
久世は少しだけ考えた。
「わからないです」
柏木は久世を数秒見たあと、神谷へ視線を向けた。
神谷は軽く肩をすくめる。
柏木は気にせず質問を続けた。
「二体は自分たちをアダム、イヴと名乗った」
「はい」
「製造元について何か話したか」
「話してません」
「所属は?」
久世は首を振る。
沈黙。
神谷が机へ肘をつかず、少しだけ前へ身体を傾けた。
「久世君」
「はい」
「これ、確認なんだけど」
さっきまでより声が低い。
「最近、自分のことを知ってる相手に会うの、今回が初めてじゃないよね」
久世の目が僅かに動く。
旧型AOFを使っていた男。
自分の名前を知っていた。
教えられていないAOFの使い方を知っていた。
「……はい」
「その人物と、今回の二体。関係があると思う?」
「分かりません」
「でも、偶然だと思う?」
久世は答えなかった。
神谷も急かさない。
やがて久世は、小さく息を吐いた。
「偶然にしては、多いと思います」
「俺もそう思う」
柏木が端末を閉じる。
「現時点で、君に対する疑いはない」
久世が顔を上げる。
「だが、二体が君を目的として局内へ侵入した可能性が高い」
「……はい」
「今後、同様の接触があった場合、単独で対応するな。即座に連絡しろ」
「分かりました」
「それから」
柏木は一度言葉を止める。
「相手が君に好意的だからといって、安全とは限らない」
久世は、イブの笑顔を思い出した。
嬉しそうに自分を見ていた顔。
その直後、警備員へ向けた視線。
同じ個体とは思えないほど、温度が違っていた。
「……分かってます」
神谷がそこで立ち上がった。
「じゃあ今日はここまで」
「終わりですか?」
「一応ね」
久世が立ち上がる。
出口へ向かう直前、神谷が呼び止めた。
「久世君」
「はい」
「もし本当に、あの二人が君だけを特別扱いしてるなら」
一瞬だけ、神谷の表情が真剣になる。
「次に会った時の方が危ないかもしれない」
「俺が?」
「君以外が」
久世は答えなかった。
その意味だけは、すぐに理解できた。
*
その日の夕方。
第四執行部の小会議室には、御堂、榊、東条、三科、久世が集められていた。
壁面には売店前の監視映像が映し出されている。
白銀の少年と少女。
久世へ近づくイブ。
遅れて現れるアダム。
警備員との短い交戦。
「侵入経路は?」
御堂が聞く。
三科が端末を操作する。
「ありません」
「ない?」
「少なくとも、正規記録上は」
入館認証なし。
ゲート通過記録なし。
顔認証なし。
搬入記録なし。
外周センサーにも該当反応なし。
にもかかわらず、二人は売店付近にいた。
東条が椅子にもたれたまま映像を見る。
「久世が来てからこういうことが多くて飽きないねぇ」
誰も返さない。
榊が映像を止める。
「それより、ここ」
アダムが電磁弾を避ける瞬間。
一コマずつ拡大する。
「反応が早すぎる」
「AIなら予測できるんじゃないですか」
久世が言う。
「予測はできます。でもこれは……」
榊が久世の過去ログを別画面へ呼び出す。
AOF使用時の重心移動。
踏み込み。
攻撃回避時の肩と腰の連動。
アダムの動きと重ねる。
東条が身を起こした。
「もう一回」
榊が再生する。
久世。
アダム。
二人の骨格比率は違う。
筋力も違う。
それでも、動作の開始点と重心移動の順序だけが異様に似ていた。
《MOTION CORRELATION:96.9%》
三科の表情が僅かに変わる。
「高すぎます」
「偶然?」
久世が聞く。
「可能性はあります」
三科が答える。
東条が横を見る。
「お前、本当にそう思ってる?」
「可能性があると言っただけです」
「便利な言い方」
御堂は映像から久世へ視線を移した。
「二人に心当たりは」
「ないです」
「以前会ったことも?」
「覚えてる限りは」
「相手は、お前を知っていた」
「はい」
「兄と呼んだ」
「はい」
榊が少しだけ困った顔をする。
久世は黙る。
「久世さんも取り調べで疲れてるでしょうし、今日のところは.......」
「そうだな、本人も心ここにあらずって感じだしな」
――お兄様。
その言葉だけが、久世の頭に強く残っていた。
*
深夜。
執行局から遠く離れた、場所の特定できない地下施設。
灯りの少ない部屋で、イブはベッドのような整備台の上に座っていた。
隣にはアダムが立っている。
「アダム」
「何」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「絶対怒ってる」
「勝手に行っただろ」
「だって会いたかったんだもん」
「だからって独断で外へ出たら駄目だ」
「アダムも来たじゃん」
「君を一人で行かせる方が危ないから」
「やっぱり優しい」
「そういう話じゃない」
イブは整備台の上で足を揺らす。
機械でありながら、その姿は叱られている子供そのものだった。
「お兄様、元気だったね」
「そうだね」
「私のこと覚えてなかった」
「それも分かってたはずだよ」
「分かってても寂しいものは寂しいの」
アダムは何も言わなかった。
そのとき、部屋の天井に埋め込まれた表示灯が赤く変わった。
二人が同時に顔を上げる。
壁面端末が自動起動する。
《REMOTE ADMINISTRATOR CONNECTION》
《AUTHORITY:PARENTAL CLASS》
イブの表情が固まった。
「……あ」
アダムが小さく目を閉じる。
「だから言ったのに」
端末に新しい文字列が表示される。
《UNIT:EVE》
《UNAUTHORIZED EXTERNAL ACTIVITY:CONFIRMED》
《DISCIPLINARY MODE》
《SLEEP:24:00:00》
「えっ」
イブが立ち上がる。
「ちょっと待って、二十四時間?」
返答はない。
音声もない。
ただ、システムだけが淡々と処理を進める。
《MEMORY PRESERVATION:ON》
《MOTOR FUNCTION:SUSPEND》
《EXTERNAL COMMUNICATION:LOCK》
「アダム、助けて」
「無理」
「即答しないでよ」
「管理者権限だよ。僕には解除できない」
「じゃあ一緒に寝て」
「なんで僕まで」
「寂しいから」
「罰にならないだろ」
「アダム冷たい」
イブが頬を膨らませた直後、足から力が抜けた。
アダムが咄嗟に身体を支える。
「ほら」
「……眠くなってきた」
「当然だよ」
「お兄様に……また……」
「起きてから言いな」
「アダムも……会いたいくせに……」
最後まで言い切る前に、イブの瞳から光が消えた。
身体から完全に力が抜ける。
アダムは彼女をゆっくり整備台へ寝かせ、乱れた白銀の髪を横へ避けた。
端末にはカウントダウンが表示されている。
《23:59:58》
《23:59:57》
《23:59:56》
アダムはしばらくその数字を見ていた。
「……一日くらい我慢しなよ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
返事はない。
そして、端末の隅にもう一つだけ表示が増えた。
《UNIT:ADAM》
《WARNING:ACCOMPLICE BEHAVIOR DETECTED》
アダムの眉が僅かに動く。
「僕もか」
数秒。
《PENALTY:PENDING》
アダムは黙った。
やがて諦めたように天井を見上げる。
「......よかった」
アダムは眠るイブへ視線を戻した。
「君を一人にしたら、全員殺してただろうから」
予約投稿始めました。




