#8 ネームドホルダー
全局合同執行試験の事前説明会を三日後に控えた昼、執行局の食堂はいつも以上に混雑していた。
普段なら所属部ごとに昼休憩の時間が多少ずれているため、ここまで人が集まることは少ない。
だが試験準備に入ってからは各部の訓練や会議の時間が重なり、
第一から第五まで、普段は別々の階で働いている局員たちが同じ場所へ流れ込んでいる。
久世はトレーを持ったまま空席を探し、数秒立ち止まった。
「ないですね」
隣で榊が言う。
「ある」
「どこです?」
「牧野さんの前」
「そこ、相席ですよ」
食堂の奥、四人掛けのテーブルに牧野が一人で座っていた。正確には、一人だったのは数秒前までで、久世たちが向かう途中、赤い髪の女が向かいの椅子を引いて座った。
「まだ第四にいたのか、筋肉」
「三日ぶりに会って第一声それ?」
「じゃあ、久しぶり」
「全然気持ちこもってないな」
女は気にした様子もなく、箸で唐揚げを一つ取った。
赤いボブヘア、細身ながら肩の線はしっかりしており、第二執行部の制服も袖を少しまくっている。座り方にも遠慮がなく、牧野とは以前から面識があるらしい。
久世と榊が近づくと、女の視線がすぐに久世へ移った。
「こいつ?」
「何が?」
「床壊した新人」
牧野が笑う。
「もうそれで通ってんの?」
「最近それで覚えられてます」
久世が答えると、女は少しだけ目を細めた。
「思ってたより細いな」
「よく言われます」
「強いの?」
「分かりません」
「自分のことだろ」
「測ったことないので」
女は数秒黙ったあと、吹き出すように笑った。
「変なやつ」
「第二の新井香」
牧野が横から紹介する。
「組織犯罪とか広域案件の捜査。口悪いけど仕事はちゃんとしてる」
「余計な一言いらない」
新井は牧野の脛を机の下で軽く蹴り、それから久世へ向き直った。
「新井。第二執行部。試験にも出るから、たぶんまた会う」
「久世です」
「知ってる」
その返答に、久世は少しだけ首を傾げた。
最近、自分の知らない相手から名前を知られていることが増えた気がする。
*
空いていた二席へ久世と榊が座った直後、さらに人影が近づいてきた。
「ここ、いいですか?」
声を掛けたのは神谷直人だった。
片手にカレー、もう片方にコーヒーという妙な組み合わせを持ち、その後ろには第三執行部の三科、少し遅れて前川と九条までいる。
「なんでこんな集まるんですか」
榊が言う。
「席がないから」
神谷が当然のように答えた。
結局、隣のテーブルまで寄せることになり、普段なら同じ食卓を囲むことのない第一、第二、第三、第四、第五の人間が一か所へ集まった。
前川は久世の斜め向かいに座ったものの、最初の数分は食事に集中しているふりをしてほとんど顔を上げなかった。
「試験、久世君は初めてなんでしょ?」
神谷が聞く。
「はい」
「じゃあ結構面白いと思うよ」
「面白いという基準で参加してる人、少ないと思いますけど」
三科が淡々と返す。
「三科さんは何目当て?」
「評価資料の更新です」
「ほら面白くない」
「必要だから受けるんです」
東条がいないだけで、第三執行部は随分まともに見えた。
その時、新井が箸を置いた。
「私はコードネーム狙い」
久世が顔を上げる。
神谷はコーヒーを一口飲み、いつもの軽い調子のまま続けた。
「知らない人もいるかもしれないから簡単に説明しておくと、単に強い人間に格好いい名前をつける制度じゃない。局が正式に個人へ《NAME》を与えて、通常の局員より広い裁量を認める認定制度」
「裁量?」
「情報、装備、現場判断。色々だよ」
神谷は指を一本立てた。
「まずアクセス権。所属部を跨ぐ資料でも、通常より上の機密レベルまで直接参照できる範囲が増える」
久世の視線がわずかに止まった。
「他部の記録も?」
「全部じゃない。ただ、普通なら上長経由で申請するような資料に、自分の判断で触れられることがある」
「次に現場裁量。緊急性が高い場合、正式な命令を待たず介入できる。限定的だけど、単独任務や武力介入の判断も認められる」
「独断で?」
「完全な好き勝手じゃない。事後監査は必ず入るし、やらかせば普通より厳しく追及される」
三科が補足する。
「権限が広い分、責任範囲も広いということです」
「その通り」
神谷が三本目の指を立てる。
「それから装備。試作装備や特殊装備の優先使用、訓練施設、医療区画、解析設備、局の移動網なんかも優先枠がある。任務に必要な範囲なら費用も基本的に局持ち」
牧野が口を挟む。
「食堂タダになったりする?」
「そこ気にする?」
「大事でしょ!」
「一部は補助対象」
「いいなあ」
新井が呆れたように牧野を見る。
「お前はまず試験を真面目に受けろ」
「受けてるって」
久世は神谷へ視線を戻した。
「試験で成績が良ければ貰えるんですか」
「いや、そこが普通の表彰と違う。総合一位でも認定されないことはあるし、逆に順位が高くなくても、特定分野で突出した適性を見せれば候補になる」
「戦闘以外でも?」
「もちろん」
神谷は前川の方をちらりと見る。
「情報解析、交渉、潜入、危険物処理、回収判断、救助、何でもあり。局がその人間に通常以上の裁量を渡す価値があると判断するかどうか」
前川が少しだけ顔を上げた。
「第五でも……ですか」
「第五から出た例もあるよ」
「そうなんですね」
「ただし、毎年必ず出るわけじゃない。去年はゼロ」
牧野が口笛を吹く。
「相変わらず狭き門」
「だから価値がある」
新井が言った。
その声だけは、それまでより少し真剣だった。
久世が見る。
「新井さんは、それが欲しい?」
「欲しい」
迷いはなかった。
「第二は組織を追う。けど、追っていけば必ずどこかで壁に当たる。管轄、機密、他部の捜査、上の許可。証拠が目の前にあるのに、権限がないから待てって言われることもある」
新井は箸を持ち直した。
「だったら権限を取ればいい」
「単純ですね」
「褒めてる?」
「分かりません」
「お前、神谷と同じ返しするな」
神谷が笑う。
「久世君は興味ない?」
「今のところは」
「情報権限も?」
久世はそこで少し黙った。
MANUAL LAYER。
EXTERNAL MODULE INTERFACE。
ORION。
自分のAOFにだけ存在しているかもしれない、説明されていない領域。
「……それは少し」
「だろうね」
神谷は意味ありげに笑ったが、それ以上は何も言わなかった。
*
昼休憩が終わる頃、人の流れが少しずつ食堂から廊下へ戻り始めた。
久世も立ち上がろうとしたが、斜め向かいの前川が資料端末を見たまま小さく息を吐いたのが目に入った。
「どうしたの?」
「え?」
「ため息」
「見てたんですか」
「見えた」
前川は少し困ったように端末を伏せた。
「私、こういう試験あまり得意じゃなくて。回収班って、現場が終わってから入ることが多いじゃないですか。戦闘もできないし、他の部の人と組んだら足を引っ張るかなって」
久世は少し考える。
「でも回収する人がいないと、事件終わらないでしょ」
「……え」
「俺たちが止めても、危険物そのままなら終わってないから」
前川は数秒、何も言わなかった。
「そういう意味じゃない?」
「いえ」
前川は小さく首を振り、視線を落としたまま笑った。
「合ってます」
「なら大丈夫じゃない?」
「……はい」
その声は、先ほどより少しだけ明るかった。
*
三日後。
全局合同執行試験の事前説明会は、執行局本庁舎の中央講堂で行われた。
久世が会場へ入ると、そこにはすでに数百人近い局員が集まっていた。第一から第五まで、それぞれ制服や携行端末に多少の違いはあるものの、同じ執行局にこれほど多くの人間が所属していることを、久世は初めて視覚として理解した。
前方には第一。
中央には第二と第四。
通路側には端末を広げた第三。
後方には第五の回収・解析担当者たち。
普段は別々の階層で動いている人間が、一つの空間へ集められている。
牧野が隣の席へ座る。
「こう見ると多いな」
「人多いの苦手です」
榊が反対側で言う。
「美月ちゃん、意外とそういうタイプ?」
「俺も苦手」
やがて照明が少し落ち、正面の大型スクリーンが起動した。
《全局合同執行試験》
《事前説明》
壇上へ上がった運用管理部の職員が、参加人数と試験目的を読み上げていく。
本年度参加者は前年より二割増。
第一から第五まで全執行部が参加。
評価対象は戦闘能力だけではなく、状況判断、部門連携、情報処理、救助、交渉、回収、技術対応を含む総合技能。
試験は複数段階で実施される。
《第一段階:総合状況判断試験》
《第二段階:部門混成実地試験》
《第三段階:当日開示》
会場に小さなざわめきが広がる。
第三段階だけ詳細がない。
さらに画面が切り替わった。
《特別適性評価》
久世は資料を思い出した。
壇上の職員が続ける。
「本年度試験では、全段階を通じ、特別適性評価を実施します。評価内容および判定基準は非公開です」
ざわめきが少し大きくなる。
そして次の表示。
《NAMED HOLDER CERTIFICATION》
久世の視線が止まった。
「本試験は、コードネーム。通称ネームドホルダー認定審査を兼ねます」
会場の空気が明らかに変わった。
さっきまで退屈そうにしていた局員まで顔を上げる。
「ネームドホルダーは、局より固有の《NAME》を付与された特別認定コード保持者です。認定者には、規定に基づき情報アクセス権、緊急執行権、特別装備使用権、独立任務権その他の拡張権限が付与されます」
スクリーンへ複数の項目が並ぶ。
《EXPANDED CLEARANCE》
《EMERGENCY EXECUTION AUTHORITY》
《INDEPENDENT OPERATION LICENSE》
《SPECIAL EQUIPMENT PRIORITY》
《CROSS-DIVISION ACCESS》
「ただし、認定は順位によって自動的に決定されるものではありません。総合順位、特定分野における突出した適性、判断能力、倫理性、任務遂行時の裁量能力を含め、複数の審査を経て決定します」
久世は前方を見る。
新井は腕を組んだまま、スクリーンを真っ直ぐ見ていた。
その少し向こうで神谷と目が合う。
神谷は小さく肩をすくめた。
壇上の職員が最後に付け加える。
「なお、ネームドホルダーは権限拡張と同時に、通常局員より高い監査義務、緊急招集義務を負います。認定は特権ではなく、責任を伴う特殊資格であることを理解してください」
画面が暗転する。
数秒後、最後の一文が表示された。
《試験開始まで、あと七日》
*
説明会終了後。
人の流れが講堂から出ていく中、久世は入口付近で壁へ寄り、資料端末を確認していた。
「やっぱり欲しくなった?」
隣から神谷の声。
「まだ」
「即答じゃなくなった」
「情報は気になります」
「正直だね」
神谷が笑ったところで、廊下の先から新井が近づいてきた。
「私は取る」
突然会話へ入ってくる。
「聞いてないけど」
神谷が返す。
「久世に言ってる」
新井は久世を見る。
「試験で当たったら遠慮しないから」
「俺も」
「そういうとこ、嫌いじゃないよ」
新井は笑い、先に歩いていった。
神谷はその背中を見送りながら小さく息を吐いた。
「去年もあんな感じだったよ」
「落ちたって言ってました」
「二次でね」
「それでもまた出る」
「理由がある人間は強いよ」
神谷はそう言ってから、講堂を後にした。
榊が講堂の入り口で手招きをしている。
「久世さ~ん、作戦会議!」
残り七日、未だに実感は沸かないが、試験はやってくる。
榊に呼ばれるまま、久世は講堂脇の小会議室へ入った。
中にはすでに牧野と御堂がいて、机の上には先ほど配布された試験概要が広げられている。
「作戦会議って、まだ班分けも出てないだろ」
久世が言うと、牧野が椅子の背もたれへ腕を乗せたまま笑った。
「だから作戦を立てるんじゃなくて、作戦を立てるための作戦会議」
「ややこしい」
「俺も言ってて分かんなくなった」
榊は牧野を無視し、端末の画面を机上へ投影する。
表示されたのは、試験の大まかな評価項目だった。
《判断》
《連携》
《専門技能》
《状況適応》
《任務達成率》
《規定順守》
そして、そのさらに下。
《特別適性》
久世の視線がそこへ止まる。
「結局、これ何なんですか」
「現時点では不明」
御堂が答えた。
「説明会でも詳細は伏せられた。例年にはなかった項目だ」
「ネームドホルダーと関係あるんですかね」
榊が呟く。
「可能性はある。ただし認定基準そのものが公開されていない以上、狙って取るものではない」
「新井さん、狙ってましたよ」
「香は昔からそういう性格だ」
牧野が口を挟む。
久世がそちらを見る。
「知り合いなんですか」
「第二と合同で動いたことある。三回くらい」
「仲いいんですか?」
「向こうは悪いって言うと思う」
「俺もそう思います」
榊は何事もなかったように画面を切り替えた。
「それより、試験の組み合わせです。今回は課題ごとに部門混成。つまり、私たち第一班がそのまま一緒になる可能性は低いです」
「むしろ意図的に崩されるだろうな」
御堂が続ける。
「同じ班だけで固めれば、普段通り動けて当然だ。見たいのは、知らない人間と組んだ時にどう判断するかだろう」
牧野が久世を見る。
「大丈夫っすか?」
「何が」
「知らない人と喋れます?」
「必要なら」
「必要じゃなかったら?」
「喋らない」
「終わったな」
「何が?」
榊が小さく笑う。
「久世さんの場合、そこも評価項目になりそうですね」
「会話能力?」
「連携です」
「同じでは」
「全然違います」
御堂が資料を閉じる。
「試験だからといって、普段と違うことをしようとするな。久世は久世のやり方でいい。ただし、周囲を見ろ。単独で完結しようとするな」
「はい」
「榊も、端末越しに全部処理しようとしないこと」
「……はい」
「牧野」
「俺なんかあります?」
「ありすぎる」
「ですよねー」
短い沈黙のあと、部屋に小さな笑いが落ちた。
*
会議が終わったあと、久世と榊は廊下を並んで歩いていた。
「ネームドホルダー、興味ないんですか」
榊が聞く。
「ないってほどじゃない」
「情報アクセス?」
「それは少し」
「自分のこと調べたいんですか」
久世はすぐには答えなかった。
「調べたいっていうより」
久世は少し考える。
「知らないままなのが気持ち悪い」
榊はその横顔を見た。
「それなら、取れるなら取った方がいいかもしれませんね」
「簡単に取れる?」
「簡単ならネームドホルダーなんて呼ばれないと思います」
「たしかに」
「でも久世さんの場合――」
そこまで言って、榊は言葉を止めた。
「何」
「何でもないです」
「気になる」
「言いません」
「なんで」
「たまには気にしてください」
久世が僅かに眉を寄せる。
榊は満足そうに笑った。
*
同じ頃、第二執行部。
新井香は自分の机へ戻るなり、先ほど受け取った試験概要を乱暴に放り投げた。
「また出るんですか」
隣の席から声が飛ぶ。
「出るよ」
「去年、二次で落ちたのに」
「知ってる」
「今年もネームド狙い?」
「他に出る意味ある?」
新井は椅子へ深く座り、机の端に置かれた古い事件ファイルへ視線を落とした。
表紙には、すでに捜査終了を示す灰色の帯が掛かっている。
だが、新井はそれを捨てていなかった。
「権限があれば、まだ追える」
誰に聞かせるでもなく呟く。
隣の局員は、それ以上何も言わなかった。
「私はどうしても、諦めるわけにはいかないんだ」




