#6 全局合同執行試験がやってくる
ちょっと書き方を変えてみてます。こういうの初めてで模索中なので読みづらかったらごめんなさい。
特殊班が六階へ到着したのは、久世が男を制圧してから一分も経たないうちだった。
複数の足音が階段を駆け上がり、黒い防護服に身を包んだ隊員たちが作業区画へ流れ込むと、床へ押さえ込まれた男を囲み、義肢の停止状態、拘束具の固定、周囲の安全を一つずつ確認していく。その一方で、負傷していた作業員には救護員が付き添い、残る二人も誘導されるように非常階段へ向かった。
遅れてきた、とはいえ、それは彼らの責任ではない。
通報から現場封鎖、建物内部の構造確認、特殊義肢の危険度判定、
そのすべてを経たうえでの六分だった。
久世は壁際へ背を預けながら、その一連の動きをぼんやり眺めていた。
右腕はまだ重い。
見た目は何も変わっていないのに、肩から指先まで、存在しないはずの何かが重なっているような鈍い感覚だけが残っている。
『久世、聞こえるか』
御堂の声が耳元へ届く。
「聞こえてます」
『救護を受けろ。現場は特殊班へ引き渡す』
「分かりました」
それだけ答え、久世はゆっくり立ち上がった。
床には男を叩き伏せた衝撃で走った亀裂が残り、その中心だけが不自然に深く沈んでいる。特殊班の一人がそこへしゃがみ込み、何度か指で縁をなぞったあと、無言で隣の隊員と視線を交わしていた。
久世にも、その意味は分かった。
人間一人が作った跡には見えない。
まして、何も装着していなかった人間ならなおさらだった。
*
現場検証は、その日の午後まで続いた。
違法強化義肢の男は意識を取り戻したものの、錯乱状態が強く、まともな事情聴取ができる状態ではなかった。義肢本体は第二執行部と第五執行部の合同管理下へ移され、神経接続部に不正な出力制限解除が施されていたこと、さらに本人の身体にも常用を前提とした改造痕があることが確認された。
だが、久世たちにとって重要だったのはそこではない。
現場の簡易センサーが、戦闘終盤のわずか十数秒だけ異常な数値を記録していた。
質量計測ではない。
重力異常でもない。
それでも、右腕周辺の空間にだけ、通常では説明できない慣性反応が生じている。
しかもその瞬間、久世のAOF内部では《MODULE SLOT 01》が開き、
《ORION》と呼ばれる未知の領域が起動していた。
偶然。
故障。
誤作動。
どれも、説明としては弱かった。
*
帰局した久世は、医療区画で検査を終えたあと、そのまま第四執行部の技術区画へ呼ばれた。
榊はすでに解析端末の前へ座っていたが、普段のように軽口を挟む余裕はなく、複数の画面へ同時にログを展開し、時刻、神経同期率、出力変化、周囲センサーの反応を一つずつ重ねていた。
久世が入ってきても、最初の数秒は気づかなかった。
「やっと......終わった」
「何がです?」
「検査......」
「ああ、お疲れ様でーす」
そこでようやく榊は顔を上げた。
「腕の具合はどうです?」
「重い」
「物理的には異常なしです」
「でも重い」
榊は椅子を少し横へずらし、隣の画面を久世へ向けた。
《ORION》
《VIRTUAL MASS DOMAIN》
《MODULE SLOT 01:ACTIVE》
戦闘中に表示された文字列が、そのまま残っている。
「これ、外から追加されたデータじゃないっぽいんですよね」
「どういうこと」
「通信履歴がないんです。外部接続も、ダウンロードも、遠隔操作もない」
榊は言葉を切り、画面上の階層構造を拡大した。
通常のAOF制御層。
そのさらに奥。
整備端末からも直接アクセスできない領域。
「しかも変なんです。後から入れた拡張機能なら、もっと継ぎ目が出るはずなんですよ。命令系統とか、電力配分とか、神経同期のルートとか。でもORIONは、最初からここにいる前提でAOF全体が組まれてる」
「じゃあ最初から入ってた?」
「たぶん」
榊はその言葉を口にしたあと、自分自身で気味が悪くなったように眉を寄せた。
「でも、現行仕様にはない。整備資料にもない。私が今まで見てきたAOFにも、こんなの一度も出てない」
久世は画面を見つめた。
「俺のだけ?」
「それを調べたいんですけど」
榊が今にも久世に飛びかかろうという寸前で、技術区画の扉が控えめに開いた。
誰かが入ってくる。
白と灰色を基調にした第五執行部の回収班用ジャケット、腰には小型の回収端末と封印ケース、肩口には第五を示す識別章、その上に揺れる緑色の長い髪は片側でまとめられ、華奢な身体つきと相まって、現場職というよりどこか学生のような印象さえあった。
女性は室内を見回し、久世の姿を見つけると一瞬だけ足を止めた。
「あの……久世さん」
久世が振り向く。
「はい」
女性は両手で小さな黒い認証タグを持っていた。
「これ、現場に落ちてました。久世さんのですよね」
久世は自分の腰元を確認し、普段つけている個人端末用の補助認証タグがないことに気づいた。
「俺の」
「よかった……」
女性は目に見えて安堵し、少しだけ頬を緩めた。
「回収作業のときに見つけたので、そのまま第五に持ち帰るより、直接渡した方がいいかなって」
「ありがとう」
「い、いえ」
短い返事。
そのあと会話が途切れる。
久世は普通に相手を見ている。
女性の方は、なぜか少しだけ目を合わせづらそうにしていた。
榊がその様子を横から見ている。
「知り合いです?」
「いや」
久世が即答すると、女性の肩が僅かに揺れた。
「俺は知らない」
「……はい」
今度は少し小さな声だった。
久世は首を傾げる。
「俺のことは知ってる?」
「えっ」
女性は一度だけ榊の方を見て、それから久世へ視線を戻した。
「何度か……現場で見てます。回収班なので、第四の後に入ることが多くて」
「話したことあった?」
「ないです」
「じゃあ初めまして」
久世が淡々と言う。
女性は数秒固まったあと、小さく頭を下げた。
「……第五執行部、回収班の前川胡桃です」
「久世湊です」
「知ってます」
言った瞬間、前川の表情が固まった。
榊が口元を押さえる。
「知ってるんですね」
「ち、違っ……違わないですけど、そういう意味じゃなくて」
前川は耳まで赤くしながら言葉を探したが、結局うまく続かなかった。
久世だけがよく分かっていない。
「ありがとう、前川さん」
「……はい」
それだけで十分だったらしく、前川は少し嬉しそうに笑い、用件を終えると足早に技術区画を出ていった。
扉が閉まる。
榊が久世を見る。
「罪ですね」
「何が?」
「何でもないです」
久世はそれ以上聞かなかった。
*
東条が現れたのは、その一時間ほど後だった。
第三執行部から送られてきた解析結果を持ってきた、というより、自分が面白くなって直接来たらしい。
髪は相変わらず整っておらず、長い前髪の奥には細いフレームの眼鏡、シャツの裾は片側だけパンツから出たままで、手には紙の資料と端末が無造作に抱えられていた。
「まだ生きてる?」
久世を見るなり、最初の言葉がそれだった。
「生きてます」
「そりゃよかった」
東条は空いていた机へ端末を置き、榊が開いていたORIONログを眺める。
「見ました?」
「見た。面白い」
「私は全然面白くないんですけど」
「そうか?」
東条は《MODULE SLOT 01》を拡大した。
その下には、まだ閉じたままの領域が並んでいる。
《MODULE SLOT 02》
《MODULE SLOT 03》
《MODULE SLOT 04》
「一個開いた」
榊が腕を組む。
「見れば分かります」
「大事なのはそこじゃない」
東条は指先で一番目のスロットを軽く叩いた。
「これが偶然じゃないなら、AOFには“まだ使ってない機能”が少なくともあと三つある」
久世が画面を見る。
「全部ORIONみたいな?」
「分からない。でも、同じ用途ならスロットを分ける必要がない」
東条は椅子へ浅く腰掛け、少し考えるように眼鏡の位置を直した。
「AOFって今まで、隠れるための装備って説明されてきただろ」
「はい」
「でも昨日、隠れるための装備から、数百キロ相当の疑似質量が出た」
榊が小さく息を吐く。
「それが一番おかしいんです」
「だから面白い」
東条は画面を切り替え、現場のセンサーデータとAOFログを重ねた。
「もしORIONの起動が偶発的な故障じゃなく、何かの条件を満たした結果なら、AOFはステルス装備じゃない。少なくとも、それだけじゃない」
久世は黙って聞いている。
「たとえば?」
東条は少しだけ笑った。
「それを調べてる」
そして再び四つのスロットへ目を向ける。
「でも一つ言える。こいつは、今の執行局が把握してるよりずっと大きなシステムかもしれない」
「大きな?」
「AOFそのものが完成品じゃなくて、何かもっと大きなものの土台だった可能性」
榊が眉を寄せる。
「……基盤システム」
「そう。光学迷彩も熱抑制も、全部その一部だっただけかもしれない」
久世の視線が《MODULE SLOT 02》へ移る。
まだ何もない。
ただ、空白だけがある。
「次も開く?」
東条は即答しなかった。
「条件があるなら」
「条件?」
「ORIONが開いた時、久世は何してた」
「鉄骨を支えてた」
「その前」
「戦ってた」
「その前」
「人を逃がしてた」
何かを諦めたように東条は数秒黙った。
「何か一つの条件じゃないかもな」
榊が東条を見る。
「同期率とか、生命危機とか?」
「可能性はある。精神状態、身体負荷、周囲環境、AOF使用履歴、全部ありえる」
東条はそこで一度言葉を止め、久世を見る。
「だから、次に開くとしたら、たぶん“必要になった時”だ」
その言い方だけが妙に引っかかった。
必要になった時。
誰にとって。
何のために。
久世は聞かなかった。
*
午後五時を回る少し前。
第一班の作戦室へ戻ると、牧野がようやく別任務から帰ってきていた。
制服の上着を椅子へ放り、疲れた様子で机へ突っ伏している。
「おかえり」
久世が言う。
「ただいまっす。聞きましたよ~」
「何を」
「久世さん、俺いない日に派手なことしたらしいじゃん」
「派手?」
「床割ったって」
「ちょっと」
「ちょっとで床割らないでくださいよ」
牧野は笑いながら身体を起こし、そのまま久世の右腕を見た。
「で、腕デカくなったって聞きましたよ?」
「今は普通」
「見たかったなあ」
榊が後ろから入ってくる。
「見世物じゃないです」
「いやでも、巨大な腕でしょ? 男の子は好きなんすよそういうの」
「久世さんは別に喜んでません」
「そうなんすか?」
久世は少し考えた。
「便利だった」
「感想それ?」
牧野が笑う。
久世が席へ向かおうとした、そのときだった。
作戦室の壁面が自動的に切り替わり、局内一斉通知が表示される。
《全局合同執行試験 開催通知》
牧野の顔から笑みが消えた。
「……うわ」
榊も表示を見る。
「今年もついにきましたか」
「何これ」
久世だけが分かっていない。
牧野はゆっくり椅子へ座り直した。
「知らないんすか?あ、でも久世さんはほぼ飛び級みたいなもんだから、知らないっすよね」
「知らない」
「毎年夏にやるんすよ。第一から第五まで、部署ごちゃ混ぜで」
表示の下には、開催期間、参加要項、評価項目が並んでいた。
《潜入》
《制圧》
《救助》
《情報解析》
《技術対応》
《個人評価》
《部門混成課題》
榊が小さく息を吐く。
「競技会っていうより、ほぼ実地試験ですよ」
「評価も昇格も、異動も絡む」
牧野が補足する。
「あと、普段会わない人たちが山ほど来る」
「面倒そう」
「そこ?」
久世は表示を見上げた。
その隅には、今年から追加された新しい項目が一つあった。
《特別適性評価》
久世がその文字を見たのと、第三執行部の自席で同じ通知を眺めていた東条が口元をわずかに緩めたのは、ほとんど同時だった。
「……ちょうどいい」
誰に聞かせるでもなく呟き、東条は久世のAOFログをもう一度開く。
《MODULE SLOT 02》
まだ閉じたままの空白。
夏の全局合同執行試験まで、あと十二日。
執行局全体が動く季節が、始まろうとしていた。
今回は少しだけ短いです、お手柔らかにお願いします。




