#34 狙いは
事故の翌朝、前川胡桃は第五執行部の解析室で、三つの記録を並べていた。
一つ目は、生前の瀬尾を調べた画像。胸の奥に、糸を細かく編んだような異物が写っている。
二つ目は、駅の案内放送を停止させた時の測定結果。瀬尾の身体から出ていた大きな異常反応は、確かにそこで消えていた。
そして三つ目が、爆発直前の記録だった。
前川は、その三つ目を繰り返し見ていた。
画面には瀬尾の心拍と、もう一本の細い波が重なっている。処置を終えた時点では、二本ともほとんど同じ間隔で上下していた。それが駅の出口へ向かうにつれて少しずつ離れ、最後には別々の動きを示している。
「……心臓の動きじゃ、なかったんですね」
机の向こうで九条紗良が椅子を引いた。
「昨日は、そこまで区別できる記録がなかった」
「でも、波そのものは見えていました」
前川は爆発直前の部分を拡大した。二本の線が離れるところで、映像は途切れる。
九条はその線をしばらく眺め、それから隣の画像を示した。
「こっちも見て。現場から届いたものだ」
拡大されたのは、回収されたごく小さな破片だった。焦げた表面の内側に、細い筋が何本も走っている。
「金属ですか?」
「金属だけじゃない。生体組織に似た成分も混じってる」
九条が別の写真を重ねた。瀬尾の胸の中で見つかった異物と、破片に残された筋。その一部が、似た枝分かれをしていた。
「爆発の前と後で、同じ構造が残っていた可能性がある。ただ、熱で大きく損傷してるから、完全には照合できない」
前川が端末の表示を切り替える。
「外から爆弾を埋め込んだだけなら、身体と装置の境目があるはずです。でも、最初の画像には、それがほとんどありません」
「瀬尾さんの身体そのものが、変えられていたかもしれない」
「はい」
答えた声は小さかった。
前川は一度、報告書を閉じた。
机の上には、現場で使っていた記録票が置かれている。
余白に残る《未確認》の文字は、昨日のままだった。
「昨日、止められたのは案内設備と一緒に動いていた反応だけだったんです。身体の中に別の働きが残っていた。なのに、その違いを確かめる前に……」
九条は彼女の言葉が途切れるまで待った。
「昨日の判断が正しかったと、今から言い直すことはできない。でも、今日見つけた情報を、昨日から分かっていたことにもできない」
前川は顔を上げた。
「報告には、その両方を残して。何を確認して、何を確認できなかったのか。次の現場で、同じ見落としをしないために」
「……はい」
前川は新しい報告書を開いた。
瀬尾の体内に、人工的な構造があったこと。駅の案内設備と連動する反応を止めたあとも、別の反応が残っていたこと。爆発は駅の外へ出た直後に発生したが、身体が内と外をどう区別していたのかは、まだ分からないこと。
一つずつ、短い文章に直していく。
前川は最初の検査画像へ戻った。複雑に入り組んだ細い影は、いま見ても、何かの装置というより血管の一部に近い。瀬尾はあの影の存在を知らないまま、救助に来た人々へ道を譲っていた。
前川は画像を閉じると、最後の欄にこう記した。
《製造方法・関与者:不明》
前川は送信先に第一執行部を指定した。
報告が送られると、受信確認の小さな音がした。
解析室の時計は、昨日と変わらない速さで針を進めていた。
*
潮見駅の地上口には、まだ黄色い規制線が張られていた。
白石志穂は濡れた階段を見下ろし、その先に続く通路を確かめた。爆発した場所は仮設の囲いで隠され、消防と鑑識が作業を続けている。通行止めを知らずに来た人が、案内板の前で足を止めては別の出口へ向かっていた。
「ここから出ようとしていたんですね」
白石が言うと、隣の神谷が頷いた。
「ああ。事故の原因と、瀬尾があの日どこで何をしていたか。両方を調べるぞ」
二人は駅の管理事務室へ向かった。
職員たちは普段の制服のままだったが、窓口の電話は鳴るたびに誰かが身構えた。机の一角には、瀬尾が使っていた名札と筆記具が透明な袋に収められていた。
駅の管理責任者が、勤務記録を差し出した。
「この日の午後のことです。瀬尾は、ここの一時間ほどをどう過ごしたのか思い出せないと言っていました」
紙の中央には、空白の欄があった。
「普段はどんな記録をつけていたんですか」
白石が尋ねる。
「見回った場所と、設備に異常がないかです。何もなければ確認の印だけでも残すんです。でも、この日だけ印がありませんでした」
「単に書き忘れた可能性は?」
神谷の問いに、責任者は首を振った。
「それも考えました。ただ、本人に聞いても、どの通路へ行ったか答えられなかったんです。休憩していたわけでもないと言うし……疲れていたのかと思って、深く聞きませんでした」
「最後に、所在が確認できるのは」
「午後二時十一分。外部の点検業者を案内していました」
白石のペンが止まった。
「外部の業者?」
「設備の確認に来たという男の人です。瀬尾が応対しました」
「その日の作業予定に載っていますか」
「いいえ。それが、おかしいんです」
責任者は別の帳票を開いた。そこに記された会社名は、すでに契約が終了している業者のものだった。
「受付の記録は残っているのに、正式な依頼がない。後で確認しようと思った時には、男の人はもういませんでした」
神谷が帳票を受け取る。
「防犯映像を見せてもらえますか」
*
監視室のモニターに、前日の改札口が映った。
午後二時十一分。
瀬尾が、濃紺のスーツを着た男と並んで歩いている。
男は細い鞄を片手に持ち、何かを説明していた。瀬尾は頷き、職員専用の扉を開ける。
二人が通路の奥へ消えたところで、映像は切り替わった。
「中にはカメラがないんですか」
白石が尋ねる。
「古い設備区画なので、出入口しか映していません」
神谷が時刻を確認した。
「次に瀬尾が出てくるところを」
映像が進む。
午後三時二十四分。扉が開き、瀬尾が一人で姿を現した。
何歩か進んだところで、彼は壁の時計を見上げる。
足を止め、周囲を見回したあと、胸のポケットを探った。
そこにあるはずの点検端末が見つからないらしく、何度か制服の上から確かめている。
「この時にはもう、何があったか分かっていなかったのかもしれませんね」
白石が言った。
「そう見える。だが、映像だけで記憶を失った時刻までは決められない」
神谷は先ほどの男を指した。
「まず、こいつの出入りを追おう」
別のカメラを調べると、男は瀬尾と別れたあと、設備搬入口から駅を離れていた。入場時と同じ鞄を持っているが、肩に掛ける位置が変わっている。中身までは映像から分からなかった。
受付時の身分証は読み取られていたものの、登録された名前と所属は、実在する担当者のものではなかった。
「偽の身分で入った人間が、記憶の抜けた駅員と一時間以上一緒にいた」
白石は映像を停止した。
「そして、その日の夜に瀬尾さんの身体から異常な構造が見つかった」
「つながる可能性はある。ただ、男が何をしたのかは、まだ確定していない」
神谷は駅の責任者へ向き直った。
「瀬尾が持っていた点検端末は残っていますか」
「探したんですが、見つかっていません」
「その端末の通信記録も必要だ。ほかに当日の行動を知っている職員がいないか、確認してほしい」
「はい。……こんなことになるなら、あの時もっと聞いておけばよかった」
責任者が机の名札へ目を落とす。
神谷は記録をそろえた。
「まだ分かっていないことがあります。今日、話していただいたこともその一つです」
神谷が白石に目配せすると、二人は映像と受付記録の複製を受け取った。
室外へ出る直前、白石が振り返った。
「瀬尾さんは、普段どんな方でしたか」
責任者は戸惑ったように、机の端へ目を落とした。
「真面目でしたよ。落とし物があれば、持ち主が戻るまで何度でも確認して……」
そこで、言葉が切れた。
「昨日も、帰る前に駅を一周するつもりだったんだと思います。そういう人でした」
白石は礼を言い、神谷とともに事務室を出た。
*
駅から戻る車内で、白石は男の顔が映った場面を繰り返し確認していた。
神谷が助手席から声を掛ける。
「心当たりがあるのか」
「以前の研究施設の事件で見た人物に似ています」
白石は保存していた捜査資料を開いた。
蓮見。
研究施設への資金提供と、不正な実験への関与が疑われていた男だ。
執行局は過去の事件からその名を把握していたが、所在を掴めずにいた。
映像を並べると、駅で撮られた男と蓮見の顔立ちはよく似ていた。
ただ、駅の映像は斜めからのもので、鮮明とは言えない。
「本人の可能性があります。でも、この写真だけで断定するのは危険です」
「照合を急げ。古い設備会社の名義が、研究施設の関係先とつながるかも調べる」
「はい」
白石は前川から届いた解析報告を開いた。
瀬尾の身体に作られていた人工的な構造。
解除したはずの信号とは別に、動き続けていた仕組み。
そして、駅の外へ出た直後の爆発。
駅で男が何をしたかは分からない。
それでも、偶然の設備事故だけで片づけられる事柄は、ひとつずつ減っていた。
「蓮見が関わっていたとしたら、今回も一人で準備したんでしょうか」
白石が尋ねる。
「それを決めるのは早い」
神谷は車窓の向こうを見た。
「必要な機材を誰が用意したか。駅の設備情報を誰が渡したか。人の身体にあんなものを作る技術が、どこから来たのか。男を見つけるだけでは終わらん」
白石の端末に、過去の研究施設に関する照会結果が届いた。
駅で使われた古い業者名義が、研究施設の設備発注記録にも残っている。
ただし、それが蓮見本人の手配によるものかは確認できない。
「神谷さん。関連する発注記録が一件、見つかりました」
「押さえておけ。ほかの記録も辿れるかもしれない」
白石は保存の指示を送り、蓮見の写真へ戻った。
あの男が駅へ入った理由。瀬尾が覚えていない一時間。外へ出た時だけ起きた爆発。
答えのない箇所が、いくつも残っている。
その日のうちに、第一執行部は蓮見の関係先への照会を拡大した。
これまでの研究施設事件で得ていた証拠を基に、関係当局は蓮見を指名手配した。
潮見駅の爆発については、関与の有無を継続して捜査することになった。
夜の報道では、蓮見の顔写真と名前が公開された。
*
NULLが連絡拠点に使う古い建物の一室で、テレビの音だけが響いていた。
画面には、潮見駅の爆発現場が映っている。
焼けた舗道と規制線の向こうで、報道陣がカメラを構えていた。
『特殊公安執行局は、以前の研究施設事件に関与した疑いのある蓮見透の所在を追っています。今回の駅の爆発との関係についても――』
テーブルに座っていた女が、音量を下げた。
机には古い物流記録と地図が散らばり、飲みかけのカップの脇で携帯端末が明滅している。窓の外では電車が通り過ぎ、ガラスに細い振動を残した。
「霧島」
ソファに腰掛けていた藍沢が呼んだ。
霧島霞が振り返る。
「何?」
「この男、見たことがある」
藍沢は画面を指した。
「臨海倉庫にいた」
霞はすぐに端末を操作した。
「この人が?」
「ああ」
「名前を名乗った?」
「蓮見だと言ってた」
霞がニュース画面の写真を拡大する。
「じゃあ、同一人物の可能性が高いね。駅の事件にも関わってるかもしれない」
テーブルの反対側から、アダムが近づいた。
「倉庫で見た機体と、駅の事件はつながっているんでしょうか?」
「まだ分からない」
霞は答え、別の記録を開いた。
「でも、蓮見という男の周りには、妙に大掛かりなものが集まってる。あの二体の機体も、研究施設の設備も。資金があるだけで、すぐに手に入るものじゃないはず」
イヴが机の地図へ目を落とした。
「運ぶ人も、直す人も必要になるね」
「そう。部品の調達、保管場所、整備の人員。それが別々の会社を通っていたら、外からはつながりが見えにくい」
霞が地図の一点に印をつけた。藍沢が訪れた臨海倉庫。
その周囲へ、過去の搬入記録から拾った施設がいくつも並ぶ。
ただ、取引先の名前を見比べても、同じ会社はほとんど出てこなかった。
「それなら、蓮見を捕まえて聞けばいい」
藍沢が言った。
「そう簡単にはいかないよ。執行局まで探してる相手だし、本人が全部知ってるとも限らない」
「だったら、知ってるやつを探す」
アダムが顔を上げた。
「さっきの倉庫、もう使われていないですか?」
「少なくとも、以前と同じ使い方はしてないと思う」
霞は倉庫の写真を閉じずに答えた。
「でも、物の流れは消せないかもしれない。いま蓮見が隠れていても、以前どこから何を運んでいたかなら、辿れる可能性がある」
イヴは画面に並ぶ施設の印を数えた。
「蓮見一人のために、こんなに場所が必要なのかな」
霞の指が止まる。
窓の外を、次の電車が通った。部屋の明かりが一瞬だけガラスに映り、それぞれの顔を重ねて消える。
霞は蓮見の写真を、地図の中央へ移した。
「この男は何者なんだろう」
藍沢が立ち上がる。
「調べるんだろ」
「うん。ただ、先に確かめたいことがある」
「何だ?」
霞は、地図の上に散らばった施設の印を見た。
「私たちが追っているのは、本当に蓮見一人なのか。それとも、あの男の後ろに、まだ誰かいるのか」
アダムとイヴも画面へ目を向けた。
ニュースは次の話題へ移り、テレビから蓮見の顔が消える。
けれど机の端末には、その写真と、出所の異なる施設の記録が残っていた。
*
海沿いの工業地帯は、深夜になっても眠らなかった。
貨物船の汽笛が遠くで鳴り、岸壁の照明が黒い水面に細長い傷をつけている。
その一角、窓のない建物の奥で、蓮見は自分の顔を眺めていた。
壁面の画面には、全国へ公開された指名手配の情報が映っている。
氏名、顔写真、関与を疑われている事件の概要。
端正な文字で並べられたその内容は、何度読み返しても変わらない。
「少し、調子に乗りすぎてしまったかもしれませんねえ」
蓮見は困ったように笑い、画面の中の自分へ指を振った。
「名前だけでなく、顔まで広く知られてしまった。これでは気軽に買い物にも行けません」
「お前が撒いた種だろ」
背後から、低い声がした。
蓮見が振り返る。
開いた扉の向こうに、ひとりの男が立っていた。厚い肩と、傷の残る手。着慣れた上着の下にも、鍛え上げられた身体の線が浮かんでいる。男は室内を一度見渡すと、蓮見の許可など求めずに入ってきた。
「おや、ミカエル。わざわざこちらへ?」
「呼んだのはお前じゃない。創設者だ」
ミカエル。
組織きっての武闘派だった。強い相手には自分から歩み寄るが、弱い者には露骨に興味を失う。
機械や数字を前にした蓮見の仕事には、普段からほとんど興味を示さない。
ミカエルは指名手配の画面を見上げ、鼻で笑った。
「派手にやったな。大勢を巻き込んで、このざまか」
「おかげで有益な記録が得られましたよ」
「抵抗もできねえ相手を殺して、何が分かる」
蓮見の笑顔がわずかに固まった。
「あなたには、少々理解しにくい研究でしょうね」
「ああ、理解する気もねえ。弱い奴をいたぶることに興味はない」
ミカエルは近くの椅子へ手を掛けたが、座らずに押し戻した。
「で、俺に何をさせたい」
蓮見は画面を切り替えた。
指名手配の写真が消え、特殊公安執行局の建物が現れる。
続いて、ひとりの青年の顔写真が表示された。
久世湊。
「創設者が望んでおられる器です」
「こいつか」
「ええ。これまで慎重に様子を見てきましたが、私の顔が知られた以上、同じ方法は続けられません。執行局も警戒を強めるでしょう。でしたら、相手に準備の時間を与えるより、こちらの計画を一気に進めるべきです」
「つまり?」
「もう一度、執行局へ入ります。今度は観測だけで終わらせません。久世湊を連れ出すんです」
ミカエルの目が、初めて画面に留まった。
「強いのか、こいつは」
「少なくとも、ヘルメスを前にして逃げなかった青年ですよ」
「度胸だけなら、死にたがりにもある」
ミカエルは久世の写真へ顔を寄せた。
「本当に強いなら、歓迎するぜ。そういう奴とは話してみたい」
「それを確かめるためにも、あなたが必要なんです」
ミカエルは笑った。蓮見とは違う、歯を見せるだけの短い笑いだった。
「執行局なら、ほかにも骨のある奴がいるだろうな」
「ええ。前回より警備も厳しくなっているはずです」
「そりゃいい」
ミカエルは久世の写真を見たまま、拳をゆっくり開いた。
「ただし勘違いするなよ、蓮見。俺はお前の部下じゃねえ。創設者から命じられたから手を貸す。それだけだ」
「もちろん、承知しています」
「その器って奴を壊さず連れてくりゃいいんだな」
「できる限り、無傷でお願いしますよ。創設者にとって代わりのない存在ですから」
「なら、そいつが強いことを祈っとけ。手応えのない相手ほど、加減が難しい」
蓮見は何も言い返さず、久世の写真の隣に用意していた計画書を開いた。
いくつかの準備項目には、すでに完了の印がついている。
「では、予定を前倒しにしましょう。ここから先は、隠れて待つだけでは済みませんから」
「最初からそうしときゃよかったんだ」
ミカエルは踵を返した。
扉へ向かうその背中に、蓮見が声を掛ける。
「楽しみですか?」
「相手次第だ」
振り返らずに答え、ミカエルは部屋を出た。
蓮見は指名手配の画面をもう一度開いた。自分の顔写真の上で、赤い警告表示が点滅している。
「……さて。今度は、どんな結果を見せてくださるのでしょう」
壁面の片側では蓮見透の名前が全国へ流れ、もう片側では久世湊の名前が新しい計画の中央に置かれていた。
建物の奥で、出発を告げる短い電子音が響く。
二人が次に向かう場所は、特殊公安執行局だった。




