#26 善意の代償
第五執行部の技術検証室には、研究施設から押収された機材が並べられていた。
その中央に置かれているのは、大型の駆動装置《HA-07》。
複数の金属製の腕を備えたその機械は、電源を切られた状態で検査台へ固定されている。
前川胡桃は取り外された外装の内側を覗き込みながら、設計資料と実物を見比べていた。
「……九条さん、少しいいですか?」
「んー? どうしたの、胡桃ちゃん」
隣の端末で調査記録を読んでいた九条紗良が、椅子を滑らせて近づいてきた。
「この部分なんですけど、元の設計にはないものが取り付けられてます」
前川が指差したのは、装置の内部にある小さな基板だった。
本来のHA-07は、人間の身体を補助するために開発された機械である。
人が腕を動かそうとした時、その意思を読み取って金属製の腕を動かす。
重いものを持ち上げたり、身体の不自由な人の動作を助けたりすることが、研究の目的だった。
当然、危険な動きをしないよう、安全装置も備えられている。
しかし、押収されたHA-07には、その安全装置を通さずに機械を動かせる仕組みが追加されていた。
「……なるほど。別の場所から、好きなように動かせるようにしたんだね」
九条が呟いた。
「はい。しかも、元の安全装置が停止させようとしても、この部分からの命令は受け付けるようになっています」
「それじゃ、安全装置の意味がなくなっちゃうね」
前川は頷いた。
事件現場でHA-07が危険な動きを繰り返していた理由は、これで説明がつく。
誰かが意図的に機械を改造し、本来なら許されない動作まで実行できるようにしていたのだ。
「……でも、どうしてこんなことを?」
九条は検査台に置かれた金属製の腕を見つめた。
「人を襲うためだけなら、もっと簡単な方法があるはずなんだけど」
そう言いながら、彼女は別の端末を開いた。
「地下から回収された記録も見てみよっか。何か分かるかもしれないし」
*
HA-07の制御装置は、研究施設の地下二階から回収されていた。
実験室にあった機械とは別の場所に設置され、遠隔操作で動きを制御できるようになっていたものだ。
前川は保存されていた記録を呼び出し、事件当日にHA-07へ送られた命令を調べ始めた。
その中には、駆動装置とは直接関係のないものも含まれていた。
「……あれ?」
前川が手を止めた。
「どうしたの?」
「これ、音声の記録ですね」
画面に表示されていたのは、実験室で流されていた救助要請の音声だった。
山口の声を模倣して作られたものであり、実際には本人が発した言葉ではない。
九条が再生操作を行うと、室内のスピーカーから切迫した男性の声が流れた。
『誰か! 助けてください! 中に閉じ込められているんです!』
前川は思わず顔を上げた。
「……本当に山口さんが喋ってるみたいですね」
「うん。よくできてるね」
九条は音声を停止し、再生された時刻を確認した。
「でも、変だなあ」
「何がですか?」
「ずっと同じ声を流してたわけじゃないみたいなんだよね」
九条は別の記録を開き、前川にも見えるように画面を動かした。
そこには、実験室の扉へ人が近づいた時だけ、救助を求める声が流れるよう設定されていたことが示されている。
しかも、誰も扉を開けなければ、次第に声の内容が変わっていく。
最初は助けを求めるだけだったものが、やがて悲鳴に近いものへ変わり、最後には、今すぐ扉を開けなければ死んでしまうと訴えるようになっていた。
「……怖がらせるため、ですか?」
前川が尋ねた。
「そうだね。それも、かなり意地の悪いやり方で」
九条は記録を読み進めた。
救助要請が切迫したものへ変わるにつれて、HA-07の動きも激しくなるよう設定されている。
外にいる人間は、扉の向こうで誰かが危険な目に遭っていると感じるだろう。
それでも隔離扉を開けなければ、助けを求める声は続く。
「……これじゃ、開けない方が悪いことをしてるみたいに感じますよね」
前川が呟いた。
「うん。まさに、そこを狙ってたんじゃないかな」
九条は静かに答えた。
安全のために閉じられた扉。
その向こうから聞こえてくる、必死に助けを求める声。
危険だから開けてはいけないと理解していても、
本当に人が死にそうだと思えば、迷うのが普通だろう。
蓮見は、その迷いを利用しようとしていた。
だが、二人が調べていた装置には、さらに恐ろしい仕組みが隠されていた。
*
「……九条さん、こっちも見てもらえますか?」
前川が示したのは、隔離扉が開いた場合に実行される命令だった。
九条は画面を覗き込み、眉を寄せた。
「……え?」
そこに記録されていた内容を確認すると、彼女はすぐに別の資料を開いた。
「胡桃ちゃん、ちょっと待ってね。これ、もう一回確かめたい」
「はい」
九条はHA-07の動きを画面上で再現できるようにした。
実際の機械は動かさず、保存されていた命令を使って、
事件が予定どおり進んでいた場合の動作を確認する。
画面に、実験室の簡単な見取り図が現れた。
部屋の中には山口を示す人影があり、その近くにHA-07が配置されている。
「まず、山口さんが閉じ込められている状態」
九条が操作すると、画面上の金属製の腕が山口へ向かって動き始めた。
「その間に、外では山口さんの声を使って助けを呼ぶ」
隔離扉の外側に、もう一つの人影が表示された。
声を聞いて駆けつけた救助者だ。
「それで、この人が扉を開けると……」
九条は再生を進めた。
隔離扉が開いた瞬間、HA-07の動作が変化した。
山口を危険に晒していた金属製の腕は停止することなく、
装置が外へ進出し、扉の前にいる救助者へ襲い掛かる。
その動作には、相手を傷つけないための制限が掛けられていなかった。
「……待ってください」
前川が声を上げた。
「これじゃ、助けに来た人まで……」
「うん。襲われるね」
九条は再現映像を停止した。
「しかも、山口さんを安全な場所へ移すような命令は入ってない。助けに来た人が襲われてる間も、あの人は危険な実験室に取り残される」
前川は画面を見つめたまま、言葉を失った。
救助者が扉を開けなければ、山口は危険に晒され続ける。
しかし、助けようとして扉を開ければ、今度は救助者までHA-07に襲われる。
どちらを選んでも、誰かが酷い目に遭うように仕組まれていた。
「助けようとしただけなのに……」
「そうだね」
九条の声からも、普段の明るさが消えていた。
前川は画面に映る二つの人影を見つめた。
「じゃあ、蓮見は……最初から二人とも傷つけるつもりだったんですか?」
「少なくとも、助けに来た人まで襲うように設定してる。山口さんがどうなろうと構わないし、助けようとした人が傷つくことも承知の上だったんだろうね」
九条はしばらく考え、それから静かに続けた。
「……もっと嫌なのは、ここまで全部、誰かの善意を利用してるってことかな」
「善意……ですか?」
「うん。普通、人が助けを求めていたら何とかしたいと思うでしょ。蓮見は、そういう気持ちを利用したんだよ」
九条は隔離扉の表示を指差した。
「誰かを助けたいと思って扉を開けたら、その人まで傷つけられる。それを最初から分かっていて、わざと助けを呼ぶ声を流していた」
前川は俯いた。
もし自分が、あの実験室の前に立っていたら。
扉の向こうから、今にも死にそうな声が聞こえてきたら。
危険だと分かっていても、何とか助けようとしたかもしれない。
それは特別なことではない。
むしろ、人として自然な行動のはずだった。
蓮見は、その当たり前の感情さえ利用しようとしていたのだ。
「……最低ですね」
前川が小さく言った。
九条は否定しなかった。
「うん。本当にね」
*
調査が終盤に差し掛かった頃、二人は地下の制御装置に残されていた最後の記録を確認していた。
HA-07の動きが停止した後も、地下の装置だけは稼働を続けていた。
その理由は単純だった。
実験で起きたことを記録し、外部へ送るためだったのである。
「……送信先、分かりますか?」
前川が尋ねた。
「ちょっと待ってね」
九条は研究施設から回収された別の端末の記録を開いた。
久世が蓮見との交戦中に弾き落とし、現場へ残された操作端末だった。
その端末は、研究施設の設備を動かすために使われていたものであり、地下の制御装置とも接続されていた形跡がある。
二つの記録を照合すると、送信先として登録されていた端末が一致した。
「……あった」
九条が呟いた。
「蓮見の端末だね」
前川が顔を上げた。
「じゃあ、蓮見はずっと実験の様子を見てたんでしょうか」
「少なくとも、結果を受け取れるようにはしてたみたい。最後の送信は途中で止まってるけど、それまでの情報は見てた可能性があるね」
九条は改めて記録を確認した。
山口がどのような危険に晒されていたのか。
救助を求める声が、いつ、何度流されたのか。
そして、救助者が扉を開けようとしたのか。
そうした情報が保存されている。
もし隔離扉が開かれていれば、その後に発生する被害まで記録される予定だった。
前川は呆然とした様子で画面を見ていた。
「……こんなことをして、何が楽しかったんでしょう」
九条はすぐに答えなかった。
「さあね......」
前川は何も言わず、検査台の上に横たわるHA-07へ視線を向けた。
水原直紀が開発した装置は、本来なら人間を助けるための技術だった。
それを蓮見は、人を危険に晒し、さらに助けようとする人間まで傷つけるための道具に変えていた。
誰かを助けたいと思う気持ちが、次の犠牲者を生み出す。
そんな結末を、最初から用意していたのである。
*
九条は報告書を第一執行部と第三執行部へ送信し、椅子の背もたれへ身体を預けた。
「……これで一通り分かったね」
「はい」
前川は答えたものの、表情は晴れなかった。
「……九条さん」
「ん?」
「山口さんが助かったのって、本当によかったですね」
九条は前川を見た。
「そうだね」
「もし救助が遅れていたら、もっと酷いことになってたかもしれないですし……」
「うん。それに、助けに行った人たちもね」
九条は検査台の上にあるHA-07へ視線を向けた。
この事件で何が行われていたのかは、ようやく明らかになった。
だが、これほど残酷な計画を立てた男は、今もどこかで自由に行動している。
九条は報告書の送信完了を確認すると、端末の画面を閉じた。
「……次は、こんなことをさせないようにしないとね」
前川は頷き、検査器具を片付け始めた。
作業台の照明が順に消され、HA-07の金属製の腕が薄暗い室内に沈んでいく。
もう、その機械が動き出すことはない。
しかし、他人の善意を利用し、救おうとした者まで傷つけることに何の躊躇もない人間がいる。
その事実だけは、装置を解体しても消えることがなかった。
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