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特殊公安執行局  作者: the 春


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24/49

#24 スーツの男

 救護車両の窓越しに、閉鎖された研究棟が見えていた。

 白石志穂は山口の証言を記録しながら、最後に聞いた言葉を整理していた。

 四日前に死亡したはずの水原直紀が、昨日、彼を実験室に閉じ込めたという。

 事実であれば、死亡記録か山口の認識のどちらかに重大な誤りがある。


「水原さんとは、直接会話をされたんですね?」


「はい。顔も声も間違いありません。昔の研究についても話しました」


「その時、ほかに誰かいましたか?」


「スーツを着た男が一人。外部の協力者だと紹介されました」


 山口は慎重に記憶を辿り、研究施設を訪れた経緯を説明した。

 前日、かつて使用していた業務用アドレスに、水原の名義で連絡が届いた。

 廃棄処理された試験装置について、安全上の問題を確認したいという内容だった。

 差出人が死者であることを不審に思いながらも、添付されていた設計資料には、研究室の関係者しか知らない修正履歴が含まれていたという。


「水原さんは、以前から装置の実用化を急いでいました。ほかの研究員は安全性に問題があると言って、試験の中断を求めていたんです」


「山口さんも、その一人だった?」


「ええ。だから嫌われていたと思います。昨日も、俺が研究を止めたせいで全部駄目になったと言われました」


 実験室へ案内された山口は、駆動装置の安全性を確認するよう求められた。

 ところが内部へ入った直後、水原が防護扉を閉め、外側から隔離操作を実行したという。


「慌てて止めるよう頼んだんですが、返事はありませんでした。そのあと、あの装置が動き始めて……」


「水原さんが装置を起動させたんですか?」


「分かりません。ただ、隣にいた男が水原さんに何か言っていたのは覚えています」


「何と?」


「『これで、あなたが正しかったと証明できますね』と。……笑いながらですよ」


 白石はその言葉を記録した。

 研究者同士の対立に、外部の人間が介入している。しかも、その人物は危険な実験を前にしても、山口の安全を気に掛ける様子がなかった。

「その男の名前は?」


「蓮見……だったと思います。研究の出資者だと聞いていました」


 白石が端末に名前を入力した時、神谷から通信が入った。


『白石、病院の記録について確認が取れた』


「水原さんの死亡記録ですね」


『ああ。四日前に発行された電子死亡診断書がある。ただ、発行元の病院へ改めて照会したところ、妙なことが分かった』


 神谷は言葉を区切った。


『その日の死亡患者一覧に、水原の名前がない』


「……どういうことでしょうか」


『最初の照会では、医療情報の共有システムに登録された死亡記録を確認していた。ところが、病院側の診療原簿や遺体の引き渡し記録には、対応する患者が存在しない』


「電子記録そのものが偽造された可能性があるんですね」


『その通りだ。死亡診断書に使われた医師の電子署名も、有効な証明書で作成されているが、本人は発行を否定している。今、署名権限の不正使用について調べさせている』


 白石は研究棟を見た。

 死亡したという情報は、複数の公的な照会で確認されていた。

 しかし、それらの参照先が同じ偽造記録であれば、確認を重ねても誤りは見抜けない。


「では、水原さんは生存している可能性が高いと」


『山口の証言とも一致する。ただし、本人を確保するまでは断定できない』


「承知しました。こちらでも捜索を続けます」


 通信を終えた白石は、山口に蓮見の特徴を確認してから管理室へ戻った。

 榊美月は回収した設備記録を解析しており、久世と牧野は施設外周の警戒を続けている。


「榊さん、何か分かりましたか?」


「はい。廃棄済みとされていたHA-07なんですけど、搬出記録がない理由が分かりました」


 榊は画面に二つの設備番号を表示した。


「装置は解体されていません。駆動部と制御部を分離して、別々の区画に移されていたみたいです。さっき停止させたのは駆動部の主電源だけで、別棟の地下には独立した制御設備が残っています」


「そちらも動いているんですか?」


「待機電力が流れています。それに、今朝七時十六分、その設備と水原さんの個人端末との間で通信があった記録も見つかりました」


 白石は時刻を確かめた。

 保護要請が送信された時刻と一致している。


「本人が送信したのでしょうか」


「認証記録だけでは証明できません。でも、その時刻に端末が施設内で使用されたことは確かです」


 榊が別の画面を開いた。

 そこには、先ほど停止した装置とは異なる設備の稼働履歴が表示されていた。


 《HA-07 CONTROL MODULE》

 《LOCATION:ANNEX B2》

 《STATUS:ACTIVE》


 研究施設の地下二階。

 水原直紀が生きているのなら、その場所にいる可能性があった。


 *


「あなたは、自分が被害者だと思っていますか?」


 蓮見は、椅子に固定された水原へ穏やかに問い掛けた。

 地下二階の実験区画には、移送用の機材ケースと大型の制御装置が並んでいた。

 天井の照明は半分ほどしか点いておらず、壁面には解体途中の義肢駆動ユニットが固定されている。

 水原は痩せた頬を強張らせ、蓮見を睨んだ。


「山口を殺すつもりだったのか」


「随分な言い方ですね。彼は無事に救助されたそうですよ」


「装置が安全に動くことを証明すると言っただろう!」


「ええ。ですから、試験を行いました。残念ながら、結果は芳しくありませんでしたが」


 蓮見は端末の表示を切り替えた。

 そこには、研究棟二階で収集された駆動装置の挙動と、通報設備の音声記録が並んでいた。


「もっとも、収穫はありました。危険を認識した人間が、どの程度まで機械の指示に従うのか。なかなか興味深い結果です」


「そんなことのために……」


「そんなこと?」


 蓮見は笑みを消さず、水原へ歩み寄った。


「あなたの研究は、研究室の方々に随分と嫌われていたそうですね。危険だ、実用的ではない、倫理的な問題がある。皆さん、立派な言葉を並べていた」


 水原は答えなかった。


「私だけは評価したんですよ。人間の神経信号を解読して、高出力の駆動機構へ反映させる技術。その可能性を、あなた自身よりも正確に理解していたつもりです」


「……だから、私の死亡記録まで作ったのか」


「研究に専念できる環境を用意しただけです。社会的な義務も、煩わしい同僚も、あなたを軽んじる組織も、すべて取り除いて差し上げた」


 四日前、蓮見の協力者によって、水原の死亡情報が医療情報システムへ不正登録された。

 医師の電子署名権限が悪用され、実在しない死亡診断書が発行されたことで、水原は記録上、死亡した人物となった。

 蓮見は身元を隠したまま研究を続けられると説明していたが、実際には水原を社会から切り離し、研究成果を独占するための工作だった。


「昨日の試験だって、あなたが了承したことでしょう?」


「山口には危険がないと言った!」


「そう説明しましたね。あなたが何を信じるかまでは、私の管轄外ですが」


 水原の顔が怒りで歪んだ。

 蓮見は、その反応を楽しむように端末へ視線を落とす。


「ところで、保護要請を送ったそうですね」


 水原は顔を上げた。


「今朝、研究棟の管理端末から。ご自分の認証情報を使って、執行局へ助けを求めた。私が気づかないと思いましたか?」


「……山口を助けるためだ」


「ご自身の保護も求めていますよね。研究のために死者になった方が、今度は生きていると認めてほしいらしい」


 蓮見は小さく肩を竦めた。


「都合のいい話です。あなたは山口さんを閉じ込めた時点で、もう以前の生活には戻れない。それでも、研究だけは続けたいのでしょう?」


 水原は歯を食いしばった。


「私は……人を傷つけるために研究したんじゃない」


「もちろんです。誰だって最初はそう言いますよ」


 その時、室内の端末に警告が表示された。


 《UNAUTHORIZED ACCESS DETECTED》

 《ANNEX B2》


 蓮見は画面を確認し、初めて僅かに眉を動かした。


「……思ったより早いですね」


 *


 別棟の搬入口には、久世、牧野、白石の三人が到着していた。

 榊は管理室から設備図面と監視情報を共有しており、神谷は地下施設に武装した実行役がいる可能性を踏まえて、追加の戦力を要請していた。


『久世さん、地下二階に複数の熱源があります。設備の排熱と人間を完全には区別できませんが、少なくとも装置は動いています』


「分かった。榊さんは監視を続けて」


『はい。気をつけてください』


 牧野が搬入口の奥を覗き込んだ。


「嫌な感じっすね。通路が狭い上に、あの腕みたいなのが残ってたら、避ける場所がないっす」


「無理には進みません。水原さんの位置を確認してから判断しましょう」


 白石が答えた時、背後から軽い声が掛かった。


「お待たせ。間に合ったみたいだね」


 振り返った久世の前に、一人の女性が立っていた。

 天城双葉。

 特殊対応群第五隊の隊長であり、ネームド保持者《ORTHRUS》の名を持つ執行官だった。


「……天城さん」


「久しぶり、久世くん。相変わらず難しい顔してる」


 双葉は笑いながら通信端末を掲げた。


「別件の任務を終えて帰投する途中だったんだけど、ちょうど近くを通っててね。統括監から支援命令が出たから、予定を変更して来たの」


「助かります」


「そういうのは、全部終わってから言ってよ」


 双葉は地下施設の図面を一瞥した。


「救助対象は一人。敵の人数は不明で、高出力の特殊装備がある、と。了解」


 彼女が一歩進むと、その隣にもう一人、同じ顔をした女性が現れた。

 髪型も服装も、立ち方さえ同じ。

 久世は一瞬だけ視線を往復させた。


「……どっちが本物ですか」


「久世って、そういうところは素直だよね」


 二人の双葉が同時に笑った。


 《ECHO》


 同一人物の姿と動作を複製する、彼女のネームド能力だった。


「じゃあ、片方は先に様子を見てくるね」


 片方の双葉が地下へ続く通路へ向かい、もう片方は久世たちと共に残った。

 その直後、地下から銃声が響いた。

 続いて、金属製の何かが壁へ激突する轟音。

 双葉の表情が変わった。


「……挨拶にしては、ちょっと乱暴かな」


 久世は装備を確認し、牧野と視線を交わした。

 救出任務は、戦闘へ移行した。


 *


 地下二階の搬送区画は、中央を走る貨物レールによって左右に分けられていた。

 右側には大型の機材ケースが積まれ、左側には点検用の作業床が延びている。

 その奥の制御室に、水原が拘束されていた。

 久世たちが到着した時、通路では黒い外骨格装備を身につけた男が、双葉の一人と対峙していた。

 男の右腕には、肩から手首にかけて複数の補助駆動装置が取り付けられている。肘の外側から伸びる支持材は背面の動力装置へ接続され、通常の筋力では扱えない重量を支えられる構造だった。

 その男が、腕を横へ振り抜いた。

 作業床に固定されていた金属製の手摺が折れ曲がり、破片が通路へ飛び散る。

 双葉は射程の外へ身を引きながら、敵の動作を観察していた。


「へえ。腕だけじゃなく、腰まで補助してるんだ」


「天城さん!」


 久世が呼び掛けると、双葉は振り返らずに答えた。


「私は大丈夫

」

 その言葉とほぼ同時に、久世たちの背後から別の双葉が現れた。

 牧野が一瞬目を見開く。


「……分かってても驚くっすね」


「慣れてね。片方だけ見てると危ないよ?」


 二人の双葉が別々の方向へ動く。

 外骨格の男は先ほどまで対峙していた双葉へ腕を伸ばしたが、その横からもう一人が低い姿勢で接近し、支持脚の接続部へ蹴りを入れた。

 男の身体が僅かに傾く。

 しかし、装備は姿勢の変化を検知したらしく、背部の駆動機構が即座に補正を開始した。

 男は勢いを失わず、近づいた双葉へ肘を叩きつけようとする。

 その腕を、横から飛び込んだ牧野が遮った。


「……っと、危ないっすね!」


 牧野は真正面から力を受けず、装備の内側へ身体を寄せることで腕の振り幅を殺した。相手の重心が前へ移った瞬間、肘の方向を逸らしながら作業床の支柱へ押しつける。

 補助装置が強引に動こうとしたため、支柱の固定部が悲鳴を上げた。


「久世さん! 奥、頼むっす!」


「了解」


 久世は作業床の端を通り、制御室へ向かった。

 AOFを起動すると、周囲の光学情報に溶け込むように姿が薄れていく。ただし、床を踏む音や機材との接触まで完全に消せるわけではない。足元に散乱した金属片を避け、動作を抑えて進んだ。

 制御室の前に辿り着いた時、扉が内側から開いた。

 現れたのは、濃紺のスーツを着た男だった。


「おや」


 謎の男は、目の前に誰もいないことを確かめると、愉快そうに目を細めた。


「隠れるのがお上手なんですね」


 久世は返答せず、相手の手元を見た。

 スーツの男は小型の制御端末を握っている。

 その親指が画面に触れた瞬間、久世の背後で貨物レールが作動した。

 重い機材ケースが台車ごと移動し、作業床の通路を塞ごうとする。

 久世は一度進路を変更し、ケースが通過する直前に手摺を越えて隣の足場へ移った。

 その動きを目で追いながら、男は満足そうに微笑んだ。


「反応も悪くない。執行局には、面白い人材が揃っているようだ」


「……端末を置け」


 久世がAOFを解除すると、蓮見は驚いたように両眉を上げた。


「遅れました、私は蓮見と申します。以後お見知りおきを」


「水原さんを解放しろ」


「彼は私の協力者です。多少、意見の食い違いはありますが」


「拘束している」


「言葉の選び方というのは大切ですよ。本人が冷静になるまで、行動を制限しているだけです」


 久世は答えなかった。

 制御室の奥には、水原が椅子に固定されている。

 意識はあるようだが、口元には傷があり、明らかに正常な状況ではなかった。


「何が目的だ」


「研究成果の正当な評価ですよ。世の中には、有用な技術を理解できない人間が多すぎる」


 蓮見は端末を操作した。

 今度は天井から吊られていた搬送用の補助アームが作動し、久世の立つ位置へ先端を向けた。


「あなたも、その一人でしょうか」


 アームが動くより早く、久世は近くの支柱を蹴って身体を移動させた。

 金属製の先端が床へ突き刺さり、固定ボルトが跳ね上がる。久世は空いた側面から接近したが、蓮見は端末を片手で保持したまま後退し、作業用の台車を二人の間へ割り込ませた。


 視界を遮るだけでなく、進路まで限定してくる。

 久世は台車を越えず、その下へ身体を滑り込ませた。

視線が上方へ向いた一瞬を利用し、低い位置から脚を払う。

 しかし、蓮見は予想していたかのように台車から手を離し、転倒を避けながら制御室の奥へ下がった。


「……危ないですね」


 その声には、恐怖よりも楽しさが滲んでいた。


「執行官というのは、もう少し話の通じる人たちだと思っていました」


 久世が立ち上がるより先に、天井の補助アームが再び動いた。

 先端が久世へ向かって下降する。

 しかし、途中で動きが止まった。

 制御室の入口に、双葉が立っていた。


「それ、さっきから同じ端末で動かしてるよね」


 蓮見が顔を向ける。

 もう一人の双葉が、反対側の作業床に姿を現した。


「ずいぶん便利なおもちゃだけど、操作する手は一つしかないんだ」


 二人は同時に動いた。

 片方が蓮見の正面へ接近すると、彼は咄嗟に補助アームを向けた。

 しかし、その操作によって貨物レールの移動が止まり、もう片方が制御室へ進入する余地が生まれる。

 双葉は水原の拘束具を確認し、久世へ声を掛けた。


「こっちは任せて。久世、端末を!」


 久世は制御卓の縁へ手を掛け、蓮見の懐へ入った。

 蓮見が端末を振り上げる。

 久世はその手首を掴むのではなく、肘の動きを外側へ誘導し、操作画面を本人の身体から遠ざけた。反射的に力を込めた蓮見の肩が開き、久世は体勢を崩さないまま端末を弾き落とす。

 金属製の端末が床を滑った。


「……なるほど」


 蓮見の声から、初めて笑みが消えた。

 久世は彼を確保しようとしたが、その瞬間、制御室の非常扉が開いた。

 蓮見はためらうことなく後方へ身体を投げ、扉の向こうへ転がり込んだ。

 久世が追おうとすると、床下から大型の隔壁がせり上がり、二人の間を遮った。

 補助電源による機械式の遮断装置だった。


「……逃げられた」


 久世が通信を開く。


「榊さん、制御室の奥に非常通路があります。逃走者一名」


『確認します。……ただ、そこから先は施設の外へ繋がっています。すでに監視設備が切られていて、映像がありません』


「分かった。外周警戒へ連絡を」


 久世は追跡を続けようとしたが、制御室の奥から水原の苦しげな声が聞こえ、足を止めた。

 双葉が拘束具を外している。

 彼女は久世へ視線を向け、小さく頷いた。


「追うのは後。今は、この人が先だよ」


 久世は迷わず制御室へ戻った。


 *


 水原直紀が保護されたことで、事件の全容は徐々に明らかになった。

 四日前の死亡記録は偽造されたものであり、水原本人は生存していた。病院の電子署名権限を不正に使用した人物は、外部の医療システム保守業者を通じてアクセスしていたことが判明し、神谷の指示で関係者への捜査が開始された。


 七時十六分に送られた保護要請は、水原自身が研究棟二階の管理端末から送信したものだった。

 蓮見の監視を逃れた短い時間に、自分の登録端末と生体認証を使用していたため、署名も照合結果も真正なものとして記録されていた。


 その後、水原は蓮見に発見され、別棟の地下施設へ移されていた。

 また、山口を閉じ込めた装置は、廃棄されたことになっていたHA-07の試験設備だった。蓮見は水原の研究成果を利用し、音声の収集と再構成によって、本人の声を模倣する仕組みを構築していた。

 山口の声で繰り返された扉の解放要求は、蓮見が設定した自動音声だった。

 実験室の隔離を解除させれば、装置を外部の通路へ進出させることができる。その操作を施設管理者に実行させるため、救助を求める声を利用したのである。

 廃棄記録の欠落も、単なる管理ミスではなかった。

 蓮見の関係する業者が装置の搬出処理だけを完了扱いにし、実物を施設内へ残していたことが、設備管理記録から確認された。


 水原は事情聴取の中で、自分が山口を実験室へ入れ、隔離操作を行ったことを認めた。ただし、装置を危険な状態で稼働させることや、山口を殺害する意図については否定していた。

 その責任は、今後の捜査によって判断されることになる。

 夕方、研究施設から最後の証拠品が運び出された頃、久世は敷地の外で双葉と顔を合わせた。


「天城さん、ありがとうございました」


「さっきも言ったけど、お礼は全部終わってからでいいって」


 双葉は肩を竦めた。


「でも、救助対象は助かったし、装置も止められた。そこは良かったね」


「……はい」


「逃げた男のこと、気にしてる?」


 久世は少し考えてから答えた。


「捕まえられたと思います」


「そうかもね。でも、あのまま追ってたら、水原さんの救助は遅れてた。どっちも全部うまくいくなんて、そう簡単じゃないよ」


 双葉は軽く笑った。


「次に会ったら、今度は逃がさなきゃいい」


 久世は頷いた。


 双葉は帰投用の車両へ向かい、途中で振り返った。


「そうだ、久世くん」


「はい」


「今度会う時までに、私が二人いても驚かない練習しといてね」


 双葉が笑いながら手を振ると、その隣にもう一人の双葉が現れ、まったく同じ仕草で手を振った。


「……善処します」


 久世の返答に、二人は声を揃えて笑った。


 *


 同じ日の夜。

 郊外の道路を走る車両の後部座席で、蓮見は端末の通知を確認していた。

 研究施設の装置は押収され、保管されていた制御データも執行局の管理下に置かれた。

 水原本人まで保護された以上、今回の計画は失敗と判断されるだろう。


「……惜しかったですね」


 蓮見は小さく呟いた。

 運転席の男が、バックミラー越しに視線を向ける。


「報告は、どのように?」


「ありのままで構いませんよ。研究成果の回収には失敗。協力者は執行局に確保された。現場の設備も失いました」


「責任を問われる可能性があります」


「もちろんでしょうね」


 蓮見は窓の外へ目を向けた。


「ですが、失敗というのは便利なものです。成功した時よりも、改善すべき点がはっきりする」


 彼は端末に保存された一枚の画像を開いた。

 地下施設の監視映像から切り出された、久世湊の姿だった。


「救世主《メシア》にも会えましたしね」


「……嬉しそうですね」


「それはもちろん。表情を顔に出さないよう必死に耐えていましたよ」


 蓮見は画像を閉じた。


「ですが少々欲張りすぎました。人間を動かすには、まだ言葉だけでは足りないようです」


 車両は高速道路へ合流し、街の灯りが遠ざかっていく。

 蓮見は通信端末を開き、暗号化された報告書を送信した。


 《LIMEN》

 《PROJECT STATUS:SUSPENDED》

 《RECOVERY RESULT:FAILED》


 送信を終えると、彼は満足そうに微笑んだ。

書き貯めしてた分がやっと投稿できたので満足しています。そのせいもあってか休日は更新頻度高めになってます。

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