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特殊公安執行局  作者: the 春


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23/49

#23 声の主

 通信が途絶えたあとも、研究棟二階から発せられる警告音は鳴り続けていた。

 白石志穂は管理室の操作卓を見つめながら、最後に聞こえた男の言葉を反芻していた。


 ――私のことを、信じないでください。


 助けを求めていた人間が、救助を約束された直後に口にするには不可解な警告だった。

 自分が何者かを偽っているという告白なのか、それとも別の危険を知らせようとしていたのか。

 いずれにせよ、言葉の意味を確かめる必要がある。


「矢野さん、先ほどの通話は保存されていますか?」


「はい。非常通報は自動的に記録される仕組みです」


「ありがとうございます。記録はそのまま残しておいてください。それと、今後あの実験室から設備の操作を求められても、すぐには実行しないようお願いします」


 矢野は困惑した様子で眉を寄せた。


「でも、あの人は助けを求めているんでしょう?」


「救助が必要なのは確かだと思います。ただ、相手の身元も装置の状態も確認できていません。操作によって危険が広がる可能性もありますから」


 白石は監視画面へ目を戻した。

 廊下では黒い金属製の腕が防護扉を掴み、固定具に繰り返し負荷を加えている。

 蝶番の周囲には亀裂が生じており、長く持ちこたえられる状態には見えなかった。

 その時、操作卓から着信音が響いた。


 《EMERGENCY CALL》

 《SOURCE:LABORATORY 02》


「……また二階からです」


 白石は表示を確認してから頷いた。


「接続してください」


 短い電子音のあと、スピーカーから男の声が聞こえた。


『……すみません。先ほどは通信が切れてしまって』


「白石です。ご無事ですか?」


『はい。それより、お願いがあります。管理室から二階の防護扉を開放してください』


 白石は監視映像へ視線を移した。


「防護扉ですか? 廊下には危険な装置が動いています。今開けると、あなたのいる部屋へ入ってしまうかもしれません」


『装置は、もう止まっています』


 男の説明とは裏腹に、画面の中では金属製の腕が扉の固定具を引き剥がそうとしていた。


「止まっているところを、直接確認されたんですか?」


『管理室から、防護扉を開放してください』


「装置が停止したと判断した理由を教えていただけますか?」


『緊急解放機能があるはずです。それを使えば、ここから出られます』


 質問に対する答えは返ってこなかった。

 恐怖や混乱によって説明が難しくなっている可能性もある。

 しかし、先ほどの男は切迫しながらも白石の問いに応じていた。

 今は声の調子まで不自然なほど一定している。

 白石は少し間を置いて尋ねた。


「もう一つだけ。先ほど通信が切れる直前、あなたは私に何とおっしゃいましたか?」


 数秒の沈黙。


『……早く、開けてください』


 白石は通話を維持したまま、先ほどの録音を呼び出した。


 最初の通信には、男の荒い呼吸に混じって、金属を二度叩くような音が含まれていた。

 そして現在の通話にも、よく似た音が記録されている。

 不自然だったのは、その間隔だ。

 男が同じ要求を繰り返すたび、背後の金属音までほとんど同じ位置で聞こえていた。

 白石は音声の再生を止めた。


「矢野さん、この通報設備には録音音声を流す機能がありますか?」


「定型の避難案内ならありますが、こういう会話を再生する機能はないはずです」


「外部から音声データを送ることは?」


「そこまでは分かりません。古い設備ですから……」


 白石は頷いた。

 録音された音声が使用されている可能性はある。

 ただし、現在の情報だけでは断定できない。

 技術的な検証は専門部署に委ねるとして、今は誤った操作を防ぐことが先決だった。


『管理室から、防護扉を開放してください』


「申し訳ありませんが、安全を確認できるまでは開放できません。救助部隊が向かっていますので、そのままお待ちください」


 相手は白石の言葉に応じず、同じ要求を繰り返した。

 白石は神谷へ追加報告を送りながら、最後の警告を思い返した。


 ――私のことを、信じないでください。


 もし、あの男が恐れていたのが、自分の声を利用されることだったとしたら。

 現在聞こえている言葉も、本人の意思によるものとは限らない。

 白石はその可能性を記録し、監視画面へ視線を戻した。

 防護扉の変形はさらに進んでいる。内部に本当に人がいるなら、一刻も早く保護しなければならない。


「矢野さん、二階の図面を見せてください。非常搬出口の構造も確認したいんです」


「扉は開けないんですか?」


「今は開けません。別の経路から救助できるか調べます」


 矢野が図面を呼び出す間も、スピーカーからは同じ声が繰り返されていた。


『……早く、開けてください』


 白石はその声に耳を傾けながら、救助部隊へ引き継ぐ情報を整理し始めた。

 声が同じであることは、話している人物が同じである証明にはならない。

 そして、たとえ同じ人物だったとしても、その言葉が本人の意思によるものとは限らなかった。


 *


 第四執行部への出動要請が正式に受理されたのは、

 白石が二度目の通話を記録してから間もなくのことだった。

 神谷直人から状況説明を受けた御堂彰子は、対象者の救出を最優先とし、

 久世湊、榊美月、牧野征士郎の三名を現場へ向かわせた。

 施設内部では高出力の特殊装備が稼働している可能性があり、

 第五執行部にも技術的な支援が要請されている。

 現場に到着した久世たちを、白石は研究棟の管理室で迎えた。


「第一執行部の白石志穂です。神谷班長からお話は伺っています。皆さん、ありがとうございます」


「第四執行部の久世です。よろしくお願いします」


「牧野征士郎っす。救助対象は、まだ中にいるんすか?」


「はい。ただし、本人の姿を直接確認できたわけではありません。現在も実験室から通報が届いていますが、音声の信頼性に疑問があります」


 白石は三人を操作卓へ案内し、これまでに確認した事実を手短に説明した。

 死亡した技術者の認証情報によって送られた保護要請、廃棄記録の不明瞭な試験装置、実験室から聞こえた男の声。そして、その声が途中から不自然に同じ要求を繰り返すようになったこと。

 榊は保存された通話記録を聞き終えると、波形表示を拡大した。


「……白石さん、よく気づきましたね。背景の音まで似ています」


「偶然の可能性もあります。ただ、最初の通話ではこちらの質問に答えていたんです。それが途中から、扉を開けてほしいという要求ばかりになってしまって」


「音声が加工されている可能性はあります。でも、これだけで録音や合成だとは言い切れませんね。装置の作動音が一定の周期で入っているだけかもしれませんし」


「私もそう考えています。ですから、声だけを頼りに扉を開けるのは避けたいんです」


 榊は頷き、現在の監視映像へ視線を移した。

 防護扉の前にある機械式の腕は、関節を折り畳んだ状態で静止していた。しかし、装置の状態を示す表示は依然として異常を示しており、安全に停止したと判断できる材料はない。


「この装置、動き方に特徴がありますね」


「どういうことですか?」


「映像を見る限り、扉全体を力任せに押しているわけではないみたいです。固定具の位置を変えながら負荷を掛けているので、ある程度は対象物の構造を認識できるのかもしれません」


 榊の説明に、牧野が腕を組んだ。


「それって、あの扉が壊れたら次は人間を掴む可能性もあるってことっすよね」


「そう。だから不用意に近づくのは危ないと思う」


 久世は映像を見つめた。

 装置は特殊義肢の研究に使われていた可能性があるという。

 しかし、その形状は人体へ装着することを前提としたものには見えなかった。

 長い前腕に複数の関節が連なり、床面へ伸びる支持機構によって、

 大きな負荷を受け止められるようになっている。


「……人を探しているのかな」


 久世の言葉に、榊が顔を向けた。


「どうしてそう思ったんですか?」


「扉を壊そうとしているから。中へ入りたい理由があるのかと思って」


「なるほど……。でも、単に障害物を取り除くよう命令されているだけかもしれません。何を目標に動いているのかは、まだ分からないです」


 久世は頷いた。

 侵入者との戦闘で感じた不可解さとは異なり、今回はそもそも装置の制御方式が分かっていない。

 人間の意思によって動いているのか、自律制御なのかさえ不明だった。


「それで、別の出入口はありますか?」


 久世が尋ねると、白石は施設の図面を開いた。


「実験室の奥に、機材搬入用の非常搬出口があります。外側からは研究棟裏手の整備通路を経由して接近できます」


「正面の廊下を通らずに行けるんすね」


「はい。ただ、閉鎖時の資料では搬出口も施錠されています。現在の状態を確認する必要があります」


 牧野は図面を眺め、正面の廊下と搬出口の位置関係を確かめた。


「正面からあの腕を抑えるより、裏から避難経路を作る方がよさそうっすね。ただ、搬出口まで行けたとしても、内側がどうなってるか分からないのが問題っす」


「そうですね。まずは外側の状況を確認したいです」


 白石は監視端末の映像を切り替え、研究棟裏手の外周カメラを表示した。

 搬出口の周辺には目立った障害物がなく、扉自体にも大きな損傷は見当たらなかった。

 ただし、映像から確認できるのは外観だけだった。


「僕が先に見てきます」


 久世が言った。

 牧野も立ち上がる。


「自分も行きます。扉が変形してたり、何かで塞がれてたりしたら、一人じゃ確認しづらいでしょうし」


 榊は二人の端末へ施設図面を送信した。


「私はここで監視を続けます。二人とも、搬出口には勝手に触らないでくださいね。正面の装置と制御が繋がっている可能性もありますから」


「分かった」


「了解っす」


 白石は久世たちへ目を向けた。


「私も同行します。施設管理者への確認や所轄との連絡は、こちらで対応しますので」


 榊は頷いた。


「お願いします。何かあったらすぐ連絡してください」


 *


 研究棟の裏手は、正門側よりも日当たりが悪かった。

 隣接する実験設備棟との間には幅の狭い整備通路が通り、建物の外壁に沿って古い配管や空調設備が並んでいる。搬出口はその突き当たりにあり、灰色の鋼製扉には、機材運搬時の衝突によって生じたと思われる細かな傷が残っていた。


 久世は扉から数歩離れた位置で立ち止まり、周辺を確認した。

 外壁に破損はない。地面にも目立った異常は見当たらなかった。

 一方、牧野は扉の上部に取り付けられた非常用の表示灯を見上げていた。


「……通電はしてるみたいっすね」


 白石が端末を確認する。


「管理室では、搬出口の施錠状態を取得できないそうです。施設の古い機械式解錠手順を調べてもらっています」


「内側に人がいれば、声は届くかな」


 久世が尋ねた。


「試してみる価値はあります。ただし、装置にこちらの位置を知らせる可能性もありますね」


 白石の返答に、久世は扉を見た。

 救助対象が本当に実験室へいるなら、正面の廊下よりもこちらへ誘導する方が安全だろう。

 しかし、男がどこに身を隠しているのか分からない以上、搬出口へ移動できる状態なのかも確認する必要があった。


 その時、白石の端末が振動した。


『白石さん、榊です。少しいいですか?』


「はい。何か分かりましたか?」


『さっきの通話なんですけど、気になることがあって。録音を聞き直したら、同じ要求が繰り返されるたびに、背景の金属音もほとんど同じ間隔で入っているんです』


「やはり、音声の再生でしょうか」


『その可能性はあります。でも、まだ断定できません。ただ……』


 榊は一瞬、言葉を選んだ。


『もし誰かが意図的に同じ音声を流しているなら、私たちが扉を開けるまで要求を続けるつもりなのかもしれません』


 白石は搬出口へ視線を向けた。

 扉を開けるよう繰り返す声。

 しかし、最初の男は自分を信じるなと警告していた。

 その二つが偶然でないとすれば、実験室の中では、少なくとも白石たちの知らない何かが起きている。


「榊さん、現在の通話は続いていますか?」


『はい。ただ、今は声が聞こえなくなっています。回線そのものは繋がったままです』


「分かりました。引き続き監視をお願いします」


 通信を終えた白石が状況を伝えると、牧野は搬出口の脇へ移動し、

 壁面に設置された小さな点検窓を確認した。


「これ、内側に続く整備スペースが見えそうっすね」


 久世も近づいた。

 防護用の厚い透明板がはめ込まれた窓の向こうには、照明の落ちた細い通路が続いている。

 奥までは見えないが、少なくとも目の前に障害物はなさそうだった。

 久世が窓越しに内部を観察していた時、通路の奥で何かが動いた。

 人影だった。

 壁に手をつきながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。


「……誰かいる」


 久世の言葉に、白石と牧野が窓へ視線を向けた。

 男は作業服のような衣服を身につけていた。

 足取りは不安定で、片方の手を壁へ添えなければ立っていられないらしい。

 しかし、その人物が水原直紀なのか、あるいは別人なのかは分からなかった。

 白石は扉へ近づき、相手に届くよう声を掛けた。


「特殊公安執行局です! 聞こえますか?」


 男が顔を上げた。

 その口が、何かを伝えようとするように動く。

 だが、厚い防護板に遮られ、声は聞こえなかった。

 久世は男の様子を見ていた。

 その表情は、安堵しているようには見えない。

 こちらを見つけたことに喜ぶどころか、何かを恐れているようだった。

 男は震える手を持ち上げ、窓へ掌を押し当てた。

 そこには、黒い油のような汚れが付着していた。

 そして、男は口を大きく開き、繰り返し同じ言葉を形作った。

 久世には、その意味を正確に読み取ることができなかった。

 しかし、白石の表情が変わった。


「……まさか」


 彼女は男の唇の動きを見つめた。

 その言葉は、助けを求めるものではなかった。

 扉を開けろという要求でもない。

 男は、何度も同じ警告を繰り返していた。

 白石は端末を握り直し、久世と牧野へ告げた。


「二人とも、少し離れてください」


「どうした?」


 久世の問いに、白石は扉の向こうにいる男から目を逸らさず答えた。


「……あの人、開けるなって言っているように見えます」


 久世は再び窓へ視線を向けた。

 男はまだ、必死に何かを伝えようとしている。

 そして、その背後。

 薄暗い整備通路の奥で、金属同士が擦れ合うような音が響き始めた。


 *


 整備通路の奥から聞こえてくる駆動音は、次第に大きくなっていた。

 久世は点検窓から一歩離れ、奥の暗がりへ目を凝らした。男の背後では何かが移動しているらしく、天井の照明が小刻みに震え、そのたびに壁面へ不規則な影が映り込んでいる。


「……榊さん、聞こえる?」


『はい。どうしました?』


「搬出口の奥でも、機械が動いてる」


『こちらの映像では正面の装置しか確認できません。そっちにも別の装置があるんでしょうか?』


「分からない。でも、同じような音がする」


 牧野は扉の脇へ身を寄せ、点検窓から内部を確認した。


「正面に一基、こっちにも一基ってなると、下手に扉を開けるのは危険っすね。あの人が止めようとしてるのも、それが理由かもしれないっす」


 白石は窓の向こうにいる男を見た。

 男はまだ何かを訴えようとしているが、厚い防護板に遮られ、その声は届かない。

 白石が身振りで落ち着くよう伝えると、男は一度だけ頷き、背後の通路を指差した。


 その直後、奥の暗がりから細長い金属製の部材が姿を現した。

 複数の関節を持つ、黒い腕だった。

 先ほど監視映像で確認した装置と外装がよく似ている。


「……同じ装置の一部なのかな」


 久世が呟く。


『待ってください。今、施設の古い設備図面を確認しています』


 榊の声に、三人は端末へ意識を向けた。


『あの試験設備、複数の作業腕を一つの制御装置で動かせる構造だったみたいです。全部が接続されたままかは分かりませんけど、正面と裏側で同時に動いていてもおかしくないです』


「止める方法は?」


『外壁側に保守用の非常停止盤があります。通常の遠隔操作とは別の回路なので、駆動装置への給電を遮断できるはずです。ただ、内部電源が残っている可能性もあるので、完全に停止したかは確認が必要です』


 久世が壁面を見渡すと、少し離れた場所に赤い保護カバー付きの操作盤が見つかった。

 白石は管理室の矢野へ連絡し、装置の用途と操作権限を確認した。


「非常停止盤は使用可能だそうです。ただし、どの範囲まで停止するか、詳細な記録が残っていません」


「なら、止まる前提で近づくのは危険ですね」


 牧野の言葉に、久世は頷いた。


「操作して、反応を見る。それまでは扉を開けない」


 白石が保護カバーを上げ、停止操作を実行した。

 壁面の内部から低い作動音が伝わり、整備通路の照明が一瞬だけ暗くなる。

 その直後、男の背後で動いていた金属製の腕が停止した。

 関節の一部が緩み、先端が床へ向かって数センチ沈む。


『こちらでも確認できました。正面の装置も止まっています。ただ、まだ近づかないでください。少し様子を見ましょう』


 榊の指示を受け、久世は窓越しに装置を監視し続けた。

 男は停止した機械を振り返り、しばらく動かなかったが、やがて扉へ近づいてくる。

 白石は再び大きく身振りを使い、扉の解放について尋ねた。

 男は頷いた。


 *


 搬出口の施錠が解除されると、牧野は扉を慎重に開いた。

 久世は内部へ踏み込まず、装置の位置と避難経路を確認する。

 白石が男へ手を差し伸べると、相手は壁を支えにしながら、ゆっくりと外へ出てきた。

 年齢は三十代半ばほどだろうか。

 作業服には黒い油汚れが付着し、額には冷や汗が滲んでいる。目立った出血こそ見られなかったが、顔色は悪く、立っているだけでも相当な負担が掛かっているようだった。


「特殊公安執行局の白石です。もう大丈夫ですよ。まずは安全な場所へ移動しましょう」


 男は何度も頷き、白石に支えられながら整備通路を抜けた。

 研究棟から十分に離れたところで、牧野が周囲の安全を確認し、久世は救護班へ連絡を入れた。


「……ありがとうございます」


 男は掠れた声で言った。


「本当に、助かりました」


 白石は男の呼吸が落ち着くのを待ち、静かに問いかけた。


「一つだけ、確認させてください。先ほど、管理室へ救助を求める通話をされましたか?」


「……はい」


「途中で、私のことを信じないでほしいとおっしゃいましたね。あれは、どういう意味だったのでしょうか」


 男は顔を伏せた。

 しばらく沈黙したあと、震える指先で自分の喉元に触れた。


「……私の声が、使われていたんです」


「声が?」


「最初に通話した時、室内の操作端末に表示が出たんです。音声の取得が完了した、と。その直後、通報設備から私と同じ声が聞こえてきました」


 白石は息を潜めた。


「それは、あなたが発した言葉ではなかったんですね」


「はい。私が喋っていないのに、管理室へ向けて扉を開けるよう指示していたんです」


「音声を再現する機能が、この施設にあったということですか?」


「以前、音声操作に関する試験をしていたとは聞いています。でも、あんなふうに使えるなんて……」


 男は力なく首を振った。


「通信が切れる前に伝えたかったんです。私の声が聞こえても、信用しないでほしいって」


 白石はようやく、最後の警告が持つ意味を理解した。

 男は自分自身を疑ってほしかったわけではない。

 自分と同じ声を持つ、別の何かを信用してほしくなかったのだ。

 だが、まだ説明できないことが残っている。


「では、誰がその音声を送信していたのでしょうか」


「……分かりません」


 男は目を伏せた。


「ただ、操作端末には指示が表示されていました。管理室から防護扉が解放されれば、隔離状態が解除されると」


「隔離状態?」


「実験設備と外部の通路を分けている安全区画です。扉が開けば、装置の移動できる範囲が広がってしまう。だから、絶対に開けてほしくなかったんです」


 白石は管理室の映像を思い返した。

 機械式の腕が扉の固定具を破壊しようとしている一方で、

 通信では同じ声が繰り返し解放を要求していた。

 物理的に扉を破壊することと、外部の人間に扉を開けさせること。

 異なる二つの手段が、同じ結果へ向けられていた可能性がある。


「……つまり、あの音声は扉を開けさせるためのものだった」


 久世が言った。

 白石は頷いた。


「その可能性が高いと思います。ただ、誰が何のために仕組んだのかは、まだ分かりません」


 男は不安そうに研究棟を振り返った。

 

「詳しいお話は、身体の状態が落ち着いてから伺います。最後に、お名前を教えていただけますか?」


 男は僅かに躊躇った。


「……私は、山口と申します。水原ではありません」


 白石の視線が止まる。


「水原直紀さんをご存じなんですか?」


「はい。以前、一緒に働いていました」


「では、あなたは……」


 男は答えようとして、口を閉じた。

 その視線が研究棟の方へ向けられる。何かを確かめるように建物の窓を見つめていたが、やがて意を決した様子で白石へ向き直った。


「……水原さんが四日前に亡くなったと聞いた時、何かの間違いだと思ったんです」


「どうしてですか?」


 白石の問いに、男は唇を震わせた。


「だって、あの人は……昨日、僕をあの実験室に閉じ込めた本人なんです」

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