↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
特殊公安執行局  作者: the 春


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/49

#18 レッドライン

 八神紅音が再び距離を詰めた時、黒いコートの男は迎撃しようとはせず、

 通路の片側へ身体を寄せながら左腕の砲口を持ち上げた。


 これまでの攻防で胸部の人工皮膚は大きく裂け、その下にある金属製の骨格にも損傷が生じていたが、男はそれらを気にする様子もなく、八神の動きに合わせて照準を修正している。八神は砲口へ光が集まり始めるのを確認すると、あえて速度を落とさず前進し、発射の直前に壁際へ身体を滑り込ませた。


 青白い光弾が肩先を掠め、背後の防火扉へ直撃する。

 衝撃で外れた金属板が床へ落下する中、八神は壁を蹴って向きを変え、男の左側へ回り込んだ。

 砲撃直後の腕を押さえ、そのまま肘関節を外側へ折ろうとするが、相手は拘束された腕をあっさりと諦め、関節の可動域を人間では考えられない角度まで広げて八神の背後を取ろうとする。


 八神は掴んでいた腕を離し、回転する相手の背中へ蹴りを入れた。

 だが、十分な手応えがあったにもかかわらず、男は倒れなかった。

 床に片手をついて衝撃を逃がし、その姿勢から手首の射出装置を作動させる。

 八神が飛来する金属片を避けると、今度はその進路を塞ぐように抑制ガスが撒かれ、

 後退した先へ男の砲口が向けられた。


 八神は砲撃を避けながら、ようやく相手の狙いを理解した。

 こちらを一撃で仕留めるつもりはないらしい。

 再生能力を見せてからというもの、男は致命傷を狙うよりも、傷を負わせることを優先し始めている。

 飛翔体による裂傷、薬剤による反応速度の低下、接近を阻むための砲撃といった具合に攻撃手段を使い分け、八神が損傷を修復するたび、その消耗を確認するように間合いを調整していた。


 《HEMOLINK:SELF》

 《EXTERNAL BLOOD RESERVE:57%》


 八神は視界の端に表示された数値を見て、少しだけ眉を上げた。


「……何が目的?」


 男は答えないまま、今度は八神の右腕へ照準を向けた。

 その先にあるのは、装備へ接続された輸血パックだった。


「なるほどね。そういうこと」


 呟いた直後、男は足元の破片を蹴り上げ、宙に散った金属片を盾にするように前進してきた。

 八神は視界を遮られたまま左へ動いたが、その進路を読んでいた男は、砲撃ではなく短い刃を選んだ。

 金属片の隙間から伸びた刃が八神の肩口を狙い、かわそうとした彼女の腕を追うように角度を変える。

 八神は相手の手首を払って軌道を逸らしたものの、その瞬間、男の逆の手が腕部装備へ触れた。

 細い射出音が鳴る。

 八神が異変に気づいて身体を離した時には、輸血パックの側面へ小さな金属片が突き刺さっていた。


「……あ」


 赤い液体が漏れ始める。


 《EXTERNAL BLOOD SUPPLY》

 《LEAK DETECTED》

 《EMERGENCY VALVE:CLOSED》


 自動遮断によって血液供給は維持されたが、破損した容器から失われた量は少なくなかった。

 八神が残量を確認すると、そこには先ほどより大幅に低い数字が表示されている。


 《EXTERNAL BLOOD RESERVE:32%》


「うわ、最悪。これ高いのに」


 八神は思わず顔をしかめたが、男は追撃しようとせず、再び通路の奥へ視線を向けた。

 彼女はその様子を見ながら、別の違和感にも気づいていた。

 この男は、八神を倒すことそのものにはあまり興味がない。

 実際、負傷して動きを鈍らせた場面でも、男は深追いせずに通路の先へ進もうとしていた。

 転移を使う際にも、単純に有利な位置を取るだけでなく、

 少しずつ第三試験の待機区画へ近づいている。

 そこに何があるのかは分からない。

 ただ、男にとって八神が邪魔な存在であることは確かだった。


 八神は腕部装備に接続された破損パックを見つめ、

 残された血液量を確認してから、通路の中央へ歩み出た。

 先ほどまでと同じ戦い方を続ければ、いずれ血液が尽きる。

 もちろん自分の血液も利用できるが、外部供給を失った状態で大量の損傷を繰り返せば、

 修復に使える資源そのものが不足してしまう。

 深く息を吐き、右手を持ち上げた。


「仕方ないか」


 指先が腕部装備の認証領域へ触れる。

 通常の《HEMOLINK:SELF》には、肉体への過剰な負荷を防ぐための制限が設けられている。

 筋出力の上限や血液循環の増幅率、組織修復に伴うエネルギー消費まで厳しく管理されており、

 使用者が任意に解除することはできない。

 ただし、彼女は例外である。


 《RESTRICTED SYSTEM ACCESS》

 《NAMED HOLDER AUTHENTICATION》


 装備が生体署名を照合し、登録された認定情報を呼び出す。


 《IDENTITY:YAGAMI AKANE》

 《CODENAME:VAMPIRE》

 《AUTHORIZATION:GRANTED》


 特殊公安執行局において、特定の高危険度システムの解放を許される者は限られている。

 ネームドホルダー。

 それぞれの専用装備に秘められた上位機能を扱うための特別権限であり、

 その使用はすべて記録され、事後監査の対象となる。

 八神は目の前の男を見た。

 相手は左腕の砲口を開き、再び攻撃の準備に入っている。


「これ、あんまり使いたくないんだけどね」


 八神の声にはまだ普段の軽さが残っていたが、

 次に認証領域へ触れた時、その表情から笑みが消えた。


「レガリア、起動」


 《REGALIA PROTOCOL》

 《VAMPIRE:REDLINE》

 《SAFETY LIMITER:RELEASED》

 《EXTERNAL BLOOD CONTROL:UNLOCKED》


 最初に変化したのは、八神の足元に落ちていた血液だった。

 床へ広がっていた赤い液体が、何かに引き寄せられるように細い筋となって浮かび上がり、靴先から脚へ沿うように上昇していく。それに呼応して腕部装備の微細な放出孔が開き、内部の血液が空中へ送り出されると、幾筋もの赤い帯が八神の身体を取り巻き始めた。


 血液はただ漂っているわけではなかった。

 心臓の鼓動に合わせて形を変え、手首から肩へ、

 肩から背中へと流れながら、一定の軌道を保って循環している。

 細い糸だったものは次第に幅を増し、重なり合うことで濃い赤黒色の膜となり、

 やがて一枚の外套を思わせる形へ広がった。


 八神が腕を持ち上げると、その動きに呼応した血液の一部が細く伸び、傍らの壁へ触れた。

 硬いコンクリートの表面に、鋭い傷が刻まれる。


 《BLOOD VEIL》

 《EXTERNAL CIRCULATION:ACTIVE》


 装備の誘導場によって体外へ拡張された循環系は、

 血液に含まれる制御機構を利用し、その密度と形状を絶えず変化させていた。

 薄く広げれば衝撃を分散する膜となり、局所的に圧縮すれば硬質な刃や棘にもなる。

 血液を失うほど維持できる領域は狭まり、制御可能な量にも限界がある。

 それでも肉体のすぐ外側を巡るこの赤い外套は、相手の攻撃を受け止めると同時に、

 触れたものを傷つける攻防一体の装備だった。


 八神の髪が、足元から吹き上がった熱を含む気流に揺れる。

 外套の裾がゆっくりと持ち上がり、背中の左右へ大きく広がった。

 血液で形作られたそれは、まるで一対の翼のようにも見える。

 男は八神の変化を見つめていたが、やがて左腕の砲口へ青白い光を集め始めた。

 八神はその動きを目で追いながら、静かに構える。


「来なよ」


 光弾が放たれた。

 しかし八神は、それまでのように射線から逃げようとはしなかった。

 持ち上げた右腕の前で血液が渦を巻き、幾重にも重なった膜が一瞬で厚みを増すと、

 正面から迫る光弾を斜めへ受け流した。

 赤黒い表面が高熱によって削り取られ、蒸発した血液が細かな霧となって舞い上がるものの、

 残された膜は形を保ったまま八神の身体を守り切る。


 男が次の砲撃へ移ろうとした時には、八神はすでにその射線の内側へ入っていた。

 強化された脚力で床を蹴り、右側へ回り込むように相手の懐へ潜ると、

 砲口を押さえながら肩から体重を預ける。

 男は八神を引き剥がそうと右腕を伸ばしたが、その指が彼女の肩へ届いた瞬間、

 外套の表面から無数の細い棘が現れ、人工皮膚と装甲の隙間へ食い込んだ。


 駆動部から火花が散り、男の腕が僅かに強張る。

 八神はその反応を利用して相手の身体を引き寄せ、

 開いた胸部の隙間へ掌底を押し込むと、接触部分の血液を一斉に圧縮した。

 血の膜が内側へ突き刺さる。

 男の胸部に露出していた複数の部品が砕け、

 その衝撃で身体が大きく傾いたところへ、八神は足を掛けて重心を崩した。

 相手は床へ落ちる直前に腕をついて受け身を取ったものの、

 八神の周囲を巡っていた血液がその手首へ絡みつき、体勢を整えようとする動きを封じた。

 赤黒い帯が腕から肩へ巻きつくと、細い棘が関節の隙間へ入り込み、

 締めつける力に合わせて内部構造を傷つけていく。

 男は拘束を振りほどこうとしたが、

 力を込めるほど血液が装甲の凹凸へ食い込み、可動部を塞いでしまう。

 八神はその姿を見下ろしながら、右腕をゆっくりと引いた。


「硬いなら、内側から壊せばいいだけだよね」


 右拳の周囲へ血液が集まり、幾重もの帯が前腕を包み込む。

 密度を増した赤黒い塊は拳の前方へ短く突き出し、やがて鋭い杭のような形へ変わった。

 八神は拘束した男の胸部へ狙いを定め、足元から伝えた力を一点へ集中させて右腕を押し込んだ。

 拳の延長に形成されていた血の杭が、人工装甲の表面へ深くめり込む。

 衝撃を広い範囲へ逃がすことなく狭い一点へ押し込まれたことで、

 胸部フレームの一部が内側へ陥没し、内部の駆動機構が砕け散った。

 床に亀裂が広がる。


 男は胸部を損傷したまま、なおも右腕を動かそうとした。

 しかし、八神はすでに次の動作へ移っていた。

 杭を形成していた血液を解き、

 腕に絡みつく帯として再展開しながら相手を拘束したまま立ち上がると、

 男の身体を壁際へ引き寄せ、そのまま肩から叩きつけるように押し込んだ。

 壁面が大きく窪む。

 だが、男の輪郭が不自然にぼやけ始めた。

 転移の冷却が終わっている。


 八神はすぐに血液の拘束を強めたものの、男の姿は次の瞬間には消え、

 引き寄せられていた赤黒い帯だけが宙に残された。

 八神は振り返らず、背中を覆う外套を大きく広げた。

 その判断は正しかった。

 背後に現れた男は、八神の首筋へ刃を伸ばしていたが、

 接触するより先に回転する血液の外縁へ腕を巻き込まれ、

 人工皮膚が裂けると同時に刃の軌道を逸らされた。


 彼女が身体を回すと、血液はその動きに合わせて円環状に広がり、男が離れようとした進路を塞ぐ。

 赤黒い円環が高速で回転し、壁面へ幾筋もの傷を刻む中、八神はその内側から男へ接近した。

 相手の視線が血液の動きを追った瞬間、

 八神は回転する外套の一部を左側へ広げ、反対の方向から脚を払った。


 男の体勢が崩れたところへ円環の外縁が接触し、肩口の装甲を深く削る。

 さらに八神は相手の身体が倒れる勢いを利用して腕を取り、壁へ叩きつけるように投げた。

 だが、男は激突する直前に左腕の砲口を起動させ、至近距離で発砲した。

 八神は咄嗟に血液を胸元へ集中させて直撃を防いだものの、

 光弾の熱によって外套の一部が蒸発し、制御できる血液量が目に見えて減少した。


 《EXTERNAL BLOOD RESERVE:21%》

 《REGALIA SYSTEM LOAD:83%》


 八神は僅かに息を荒くしながら、男の動きを確認した。

 その胸部は大きく損傷しており、右肩の可動域にも不自然な制限が生じている。

 ここまで破壊すれば通常の機械なら動作を停止していてもおかしくないが、

 相手はなおも立ち上がり、再び左腕の砲口を展開していた。

 ただ、八神が気になったのは、男が自分へ照準を向けていないことだった。

 砲口は彼女の背後にある構造柱へ向けられている。

 その先には、第三試験の待機区画へ続く防火扉があった。


「……まさか」


 八神が動こうとした瞬間、男は砲撃した。

 青白い光弾が八神のすぐ横を通り過ぎ、すでに損傷していた構造柱へ直撃する。

 激しい衝撃音とともに柱の表面が砕け、天井を支えていた金属製の梁が大きく傾いた。

 固定具が次々と外れ、崩落した部材が防火扉の向こう側へ落ちていく。


 八神は血液の外套を広げて飛散する破片を防ぎながら、男の姿を見た。

 侵入者はすでに彼女から距離を取っており、

 転移装置の冷却が終わるのを待つように、その場から動こうとしない。

 彼女は相手の狙いを悟った。

 自分が崩落へ対応する間に、先へ進むつもりなのだ。


「……いかせるか」


 八神は歯を食いしばり、通路の奥へ駆け出した。

 その背後で、男の輪郭が再び空間へ溶けるように消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。