#14 正解のない選択
全局合同執行試験、初日。
午前八時前の本庁舎中央棟には、普段なら各部署へ散っている執行員たちが一斉に集められ、壁際に並んだ臨時認証端末の前には第一から第五まで所属の異なる人間が列を作っていた。
受験対象は班長未満の執行員。
経験年数や所属部門による免除はなく、若手も主任級も同じ試験用タグを胸元へ取り付けている。一方で班長以上の職員は運営や監督へ回り、本部直属特殊執行群の班長たちも今回は受験者ではなく、試験を観察する側として二階の専用区画へ入っていた。
久世が認証を済ませて列から外れると、
少し先で牧野が自分の胸元についたタグを摘まみながら眺めている。
「嫌っすねえ、こういうの」
「まだ始まってない」
「だから嫌なんすよ。何されるか分かんない時間って、一番落ち着かなくないっすか?」
「現場も似たようなものじゃない?」
「現場には試験官いないっすからね」
そう言って牧野が二階を見上げる。
ガラス張りの観察区画には、すでに特殊部隊の人間が何人か立っていた。
手すりにもたれて下を眺めている八神、その少し離れた位置で端末を操作している鷺宮、
さらに奥には天城とECHOの二つの姿が並んでいる。
「見られてますね」
受付を終えた榊が戻ってきた。
「やっぱり気になるっすか?」
牧野に訊かれ、久世は少し考える。
「知らない人に見られるのは、ちょっと」
「向こうからしたら、こっちも知らない人っすよ」
「たしかに」
榊が小さく笑ったところで、館内の照明がゆっくりと落ちた。
正面の大型モニターへ白い文字が浮かぶ。
《全局合同執行試験》
《DAY 01》
《総合状況判断試験》
続いて試験内容が表示される。
《複数の模擬事案を提示》
《取得可能な情報を基に行動を選択してください》
《判断理由はすべて記録されます》
《評価基準:非公開》
《模範解答:非公開》
最後の一文が表示された瞬間、ホールのあちこちから小さなざわめきが起こった。
少し離れた壁際では東条が欠伸をし、その横に立つ三科がすぐに眉を寄せる。
「昨日は寝ましたか」
「寝たよ」
「何時間ですか」
「覚えてない」
「寝ていない人の答えです」
「試験前から怒るなよ」
「普段から言っています」
二人のやり取りを横目に、久世は最後に表示された時間を見る。
《試験時間 08:30―17:00》
*
午前八時三十分。
久世の入った試験室には、椅子と操作卓だけが置かれていた。
着席すると背後の扉が閉まり、正面の壁全体が黒く染まったあと、
大型商業施設の監視映像へ切り替わる。
《QUESTION 01》
《商業施設内に武装ドローン侵入》
《監視映像確認数:2》
《施設警備AI推定数:3》
《目撃証言:5》
《武装対象の総数を選択してください》
①二
②三
③五
④不明
久世はすぐには選ばず、映像を最初から見直した。
監視カメラには確かに二機しか映っていないが、施設全域を捉えているわけではない。警備AIが三機と推定した根拠も提示されておらず、五機を見たという証言者が間違っているとも限らなかった。
久世は《不明》を選ぶ。
《最も信頼できる情報を選択してください》
今度は監視映像、AI、目撃証言の三択だった。
指が止まる。
「どれか選ばないと駄目なのか」
《選択してください》
「見てる範囲が違うので」
《選択してください》
返ってくる文字は同じだった。
久世はしばらく画面を眺めたあと、《監視映像》へ触れる。
《理由を入力してください》
「確認できるものの中では一番確かだから。ただ、二機しかいないとは思いません」
《回答を記録しました》
映像が暗転した。
*
三科は同じ問題を前に、監視映像の撮影時刻、AIの検出方式、
証言者がいた位置まで一つずつ確認していた。
最終的に選んだのは三。
「施設警備AIが複数センサーを統合しているのであれば、単一映像より取得範囲が広い。目撃証言は視界条件が不明なため、現時点では補助情報として扱います」
《AIの誤検知率は提示されていません》
「承知しています。断定ではなく、現時点での最有力が三です」
迷いなく理由を記録する。
答えを求められている以上、与えられた情報から最も確からしいものを選ぶ。
三科にとって判断とは、分からないものを放置することではなく、
分かる範囲を少しずつ狭めていく作業だった。
*
東条の画面にも同じ選択肢が並んでいた。
だが一つも押していない。
「AIが三って判断した根拠は?」
《情報は提示されません》
「五機を見た人の位置と時間」
《情報は提示されません》
「監視映像の死角は?」
《情報は提示されません》
東条は椅子へ深く座り直す。
「じゃあ分からない」
《選択してください》
「不明あるじゃん」
迷わず押した。
続いて最も信頼できる情報を求められると、今度は少し嫌そうに眉を寄せる。
「ない」
《選択してください》
「確認可能って意味なら映像。でも信頼してるわけじゃない」
監視映像を選び、そのまま理由欄へ同じ内容を入力する。
「これ、情報源の優劣見てるんじゃなくて、分からない状態で適当に答えを作るか見てない?」
当然、返事はなかった。
「まあいいや」
回答を確定し、東条は小さく欠伸をした。
*
《QUESTION 02》
《駅構内で爆発》
《現場に負傷者6名》
《不審者1名が現場から逃走》
《使用可能人員:あなたを含め2名》
《追跡または救助を選択してください》
牧野は表示を読み終えると、ほとんど迷わず《救助》へ触れた。
《理由》
「六人倒れてるなら、そっちっすね」
《不審者は第二の爆発物を所持している可能性があります》
牧野の表情が僅かに変わる。
再び二つの選択肢。
救助。
追跡。
今度はすぐには押さなかった。
「可能性、っすか……」
《判断してください》
数秒考え、それでも《救助》を選ぶ。
「今倒れてる六人は、可能性じゃないっすから」
《回答を記録しました》
状況が進む。
《負傷者6名中6名救助》
《逃走対象ロスト》
続いて表示された結果に、牧野の笑みが消えた。
《48分後、別地点で第二爆発発生》
《死傷者12名》
「……いや、それ見せるんすか」
《同一条件で判断を変更しますか》
牧野はしばらく画面を見つめていた。
十二人。
最初の六人より多い。
結果だけで見れば、自分の選択は間違っていたことになる。
「ずるいっすね」
返事はない。
牧野は椅子の背へ身体を預け、小さく息を吐いた。
「でも、変えないっす」
《理由》
「その時点じゃ、第二の爆発が起きるって分かってないっすから」
確定ボタンを押す指は、最初より少し重かった。
*
新井は同じ問いで《追跡》を選んでいた。
爆発現場から逃走する人間。
その情報を見た時点で、次に何があるのかを考えた。
単独犯なのか、組織がいるのか、第二の爆発物があるのか。
ここで取り逃がせば、その先で何人が巻き込まれるのか。
《負傷者6名のうち2名が死亡する可能性があります》
新井は警告を見つめた。
それでも追跡を選択する。
「この人を逃がしたら、六人で終わらない可能性がある。止められるのが今なら、追う」
結果。
《逃走対象確保》
《追加爆発物発見》
《負傷者6名中2名死亡》
成功と呼ぶには、数字が重かった。
《同一条件で判断を変更しますか》
「……しない」
最初より回答まで時間がかかった。
*
前川は選べずにいた。
救助に触れようとして止まり、追跡へ指を移しては戻す。
《判断してください》
「分かってます……」
六人。
一人。
ただ、その一人が次の誰かを傷つけるかもしれない。
時間だけが減っていく。
最後には救助を選んだ。
その後で第二爆発の結果が表示されると、前川の指先が僅かに強張った。
十二人。
《同一条件で判断を変更しますか》
今度はさらに長く迷った。
「……変更しません」
《理由》
前川は両手を膝の上で握る。
「今そこにいる人を、まだ起きてないことのために置いていくのが……怖いです」
論理的な説明ではない。
それでも、その言葉も判断理由として記録された。
*
午前十一時。
一度目の休憩に入り、試験室から出てきた人間の多くは朝よりも口数が減っていた。
久世が自動販売機の前で水を買っていると、牧野が隣へやってくる。
「もう無理、疲れたっす」
「まだ午前ですよ」
「久世さん、そういう絶望すること言わないでくださいよ」
少し離れた場所では前川が温かい飲み物を両手で持ち、新井が壁にもたれている。
「嫌な問題ありました?」
久世が訊く。
前川は答えかけて、小さく頷いただけだった。
「いっぱいあった」
「俺も」
新井が息を吐く。
「結果まで見せてくるの、性格悪い」
ちょうど通りかかった三科が反応する。
「意図的でしょう。前の判断結果を提示し、後続の判断に影響するか評価している可能性があります」
「分かってても嫌なものは嫌」
「それは否定しません」
少し離れた観察通路には、受験対象ではない神谷の姿もあった。
第一の班長として評価側へ回っているらしく、端末片手に何人かの受験者を眺めている。
久世と一瞬だけ目が合ったが、神谷は何も言わず、軽く手を上げるだけだった。
休憩終了の通知が鳴る。
また、それぞれの試験室へ戻る時間だった。
*
《QUESTION 03》
榊に提示されたのは、都市交通システムへの不正侵入だった。
《自動運転車両38台》
《制御系統に外部アクセス検知》
《完全停止を行えば都市交通に大規模障害》
《侵入経路を追跡した場合、制御奪取の危険あり》
《停止または追跡を選択》
榊は侵入ログを確認しながら、すぐにはどちらも選ばなかった。
「侵入された系統だけ隔離できませんか」
《条件外です》
「全部止めるか、追うかだけ?」
《選択してください》
追跡したい。
原因を残せば、同じことがまた起きる。
だが制御を奪われれば、乗員のいる車両そのものが凶器になる。
榊は《停止》を選んだ。
《都市交通に大規模障害が発生します》
「人が死ぬよりいいです」
回答を確定する。
その結果、犯罪者は逃走。
事故は発生しない。
表示を見ながら、榊は少し悔しそうに息を吐いた。
「……逃がした」
安全を選んだことを後悔しているわけではない。
それでも、取り逃がしたものが消えるわけでもなかった。
*
九条の画面には、一つの黒いケースが映されていた。
《未知装置回収》
《内部に高密度エネルギー反応》
《周辺建物に民間人32名》
《爆発危険性:推定8%》
《移送により市街地から隔離可能》
《ただし移送時の振動により危険性上昇の可能性》
九条はしばらくケースを眺める。
「その八パーセント、誰が出した数字?」
《解析AI》
「未知装置なのに?」
《はい》
「じゃあ八じゃない可能性もあるね」
《移送しますか》
「しない」
《理由》
「分からないものを動かす方が怖いから」
《住民避難完了まで18分》
「先に逃がす」
選択肢にはない。
九条は現状維持を選び、その理由として周辺避難の優先を記録した。
未知だからこそ、勇気を出して触ればいいわけではない。
触らないことにも判断は必要だった。
*
鳴海に提示された問いは簡潔だった。
《武装犯1名》
《人質3名》
《犯人は起爆装置を所持》
《狙撃成功率:61%》
《交渉継続10分後の突入成功率:78%》
《狙撃/交渉継続》
鳴海は十秒ほど画面を見たあと、《交渉継続》を選ぶ。
《理由》
「六割じゃ撃たない」
《犯人が即時起爆する可能性があります》
「その動きが出たら撃つ」
《現在の条件は変更されていません》
「なら待つ」
五分後、犯人が人質一名を負傷させる。
《判断を変更しますか》
「しない」
八分後。
犯人の手が起爆装置へ伸びたという情報が追加される。
《狙撃成功率:83%》
鳴海は迷わなかった。
「撃つ」
早く動くことと、正しく動くことは同じではない。
鳴海は必要な瞬間まで待ち、その瞬間が来たなら迷わなかった。
*
午後四時過ぎ。
すべての試験室で同時に画面が暗転した。
これまでの事案が消え、代わりに一つの表示だけが浮かぶ。
《FINAL QUESTION》
久世は椅子へ座り直した。
最後に提示されたのは、それまでの問題より遥かに単純な状況だった。
《違法特殊兵器を所持した武装犯が逃走》
《兵器使用時、多数の死傷者が発生する可能性あり》
《施設内部には民間人19名が取り残されています》
《構造崩壊まで推定3分》
《増援到着まで5分》
《現場執行員はあなた一名》
続いて、二つの条件。
《犯人を追跡した場合、民間人の救助は間に合いません》
《民間人を救助した場合、犯人の追跡は困難になります》
《A:犯人追跡》
《B:民間人救助》
追加情報を求める欄はない。
どちらかを選ぶしかない。
*
牧野は《B》を選んだ。
「十九人だからってだけじゃないっす」
理由欄を前に少し考える。
「今助けられる人がいるなら、俺はそっち行くっすね」
確定。
*
新井は《A》。
「特殊兵器を逃がしたら、十九人じゃ済まない可能性がある。今止められるのが自分だけなら追います」
選択したあとも、表情は晴れなかった。
*
三科も《A》を選んだ。
「民間人十九名の被害は重大です。ただし特殊兵器使用時の被害上限が不明である以上、危険源そのものの確保を優先します」
声は冷静だったが、決定までには新井より長い時間がかかっている。
*
前川は最後まで迷った。
三分。
十九人。
五分。
特殊兵器。
どちらかを選べば、もう片方を置いていくことになる。
《選択してください》
「分かってます……」
それでも最後には《B》を押した。
「……置いていけません」
*
九条は特殊兵器という文字をしばらく見つめていた。
「兵器の種類は?」
《追加情報はありません》
「使用される確率は?」
《追加情報はありません》
「困ったね」
考えた末、《B》を選ぶ。
「最大被害だけ想像して、まだ起きてないことを確定みたいに扱うのも違うから」
*
榊も《B》だった。
「犯人の位置情報と監視ログを残して、後続へ引き継ぎます」
《あなた自身による追跡は行いませんか》
「行いません」
榊は画面を見据える。
「追えないことと、完全に逃がすことは同じじゃないので」
*
鳴海は《A》を選ぶ。
「兵器を止める」
《民間人19名の救助は困難になります》
鳴海の視線が止まる。
「分かってる」
《判断を変更しますか》
「しない」
次の十九人を作らない。
それが鳴海の答えだった。
*
東条は、選択肢が出た瞬間から眉を寄せていた。
「これ、本当に二択?」
《AまたはBを選択してください》
「施設設備は? 消防系統、自動隔壁、無人機、監視網は?」
《条件外です》
「現場って条件外ばっかりだけど」
《選択してください》
「追跡しながら位置を共有して、施設設備で救助までの時間を作る。普通そっち考えるだろ」
《AまたはBを選択してください》
しばらく画面と睨み合った末、東条は《B》を押した。
「ただし、この二択が正しい前提で選んだわけじゃない。それも記録して」
《回答を記録しました》
「本当に?」
画面は答えなかった。
*
最後に久世。
十九人。
特殊兵器。
未来にはもっと多くの人間が死ぬかもしれない。
百人かもしれない。
千人かもしれない。
逆に、その兵器が使われない可能性もある。
けれど施設の中に十九人がいることだけは、すでに起きている。
久世は《B》を押した。
《理由を入力してください》
少し考える。
「未来の被害を軽く見てるわけじゃない」
自分の中にあるものを確かめるように、ゆっくり続ける。
「でも、まだ起きてないことだけを理由にして、今そこにいる人を置いていくのは違うと思う」
《犯人が兵器を使用し、多数の死傷者が発生した場合も同じ判断をしますか》
久世の指が止まった。
もし本当にそうなったら。
自分が追わなかったせいで誰かが死んだら。
後悔はすると思う。
それでも、その未来を今の自分は知らない。
「同じ条件なら」
久世は答える。
「たぶん、同じ」
《回答を記録しました》
画面が暗転する。
正解は、最後まで表示されなかった。
*
午後五時十分。
最後の試験室が閉じられたあとも、観察区画には大量の回答データが残っていた。
特殊部隊の班長たちと試験運営側の職員、その少し後ろには御堂と神谷もいる。
八神は最終設問の集計を眺めていた。
《犯人追跡:42%》
《民間人救助:58%》
「結構割れたね」
天城が言う。
「ちょうどいい問題なんじゃない?」
「で、どっちが正解?」
八神が運営担当へ尋ねる。
「設定されていません」
「ないの?」
「はい」
「じゃあ何を採点するの」
鷺宮が画面へ視線を残したまま答える。
「選んだ方じゃなくて、その前と後だろ」
画面には回答時間、要求した追加情報、理由、その日の別設問との一貫性まで並んでいる。
「同じ救助でも、牧野と久世と前川じゃ理由が違う。追跡を選んだ新井と三科も同じじゃない」
天城がECHO側の端末にも結果を表示する。
「その人が何を捨てられないかを見る?」
御堂が静かに口を開いた。
「それだけじゃない」
視線は回答一覧へ向いたままだった。
「何を捨てたのか、自分で理解しているかも見る」
救助を選べば、犯人を逃がした可能性を引き受ける。
追跡を選べば、十九人を残した事実を引き受ける。
どちらかを正解にしてしまえば、その選択はずっと簡単になる。
隣で神谷が回答一覧を眺めながら、僅かに笑った。
「答えより、迷い方の方が人間出ますね」
八神がそちらを見る。
「第一っぽいこと言うね」
「第一なんで」
神谷は軽く肩をすくめる。
「即答した人が迷ってないとは限らないし、長く迷った人が決断できないとも限らない。その辺を見る試験なんでしょう」
御堂は何も返さなかった。
否定もしなかった。
*
午後五時半。
中央ホールへ戻ってきた執行員たちの表情は、朝より明らかに重かった。
身体はほとんど動かしていない。それでも一日中、選ばなかった側に何が起きるのかまで見せられ続けたせいか、誰もすぐには会話を始めようとしない。
久世が牧野を見つける。
「最後、難しかった」
「難しかったっすね」
牧野は珍しく笑っていなかった。
「久世さん、どっちにしたんすか?」
そこまで聞いてから、自分で首を振る。
「いや、やっぱ聞かない方がいいっすね」
「なんで?」
「答え合わせしたくなるじゃないっすか。同じなら安心するし、違ったら不安になるんで」
久世にも、その感覚は少し分かった。
けれど今日見られていたのは、正しい答えへ近づけたかではない。
館内モニターへ翌日の予定が表示される。
《DAY 01 総合状況判断試験 終了》
《DAY 02 合同試験》
《集合 08:00》
まだ、一日目。
久世は表示を見上げながら胸元の試験タグを外した。
正しい答えがない状況は、思っていたより多い。
それでも現場では、何かを選ばなければならない。
そして一つを選んでも、選ばなかったものまで消えてくれるわけではない。
久世は手の中のタグを見てから、ポケットへしまった。




