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27 銀色の死

【2026年7月22日08時52分 コンスタンティノープル、国民代表府】

「——ローマに、国民の上に落とすわけにはいかない。アドリア海だ。もうエクレールを飛ばした。大丈夫だ……落とせる……」

 ズィは大丈夫という顔じゃない。


 F35エクレール。ローマの主力戦闘機。もちろんフランク製だけど、もう10年以上前から実戦配備されてて、イェニ・ハチュル(新・十字軍)にも投入されたステルス戦闘機。現状、実戦に使える戦闘機としては最新、最強と言えた。だけどオローは……そのエクレールを相手にしない、世代の違う兵器だ。

 速度も運動性能もエクレールの方が優れてるし、ドッグファイトになれば圧倒的にエクレールに分がある。

 でも、見つけられない。オローのステルス性能は、エクレールの探知性能を凌駕している。見つけられなければ、どんなに優れた戦闘機でも、撃墜することは不可能だった。


 僕たちは今、ギュネルの遺体が証拠保全のため残されたままのズィの執務室を出て、地下の危機管理センター室にいる。たくさんのディスプレイが壁一面を埋め、1番デカいディスプレイにはダークモードのローマ全土の地図の上を飛ぶオローの位置が、2つの点滅する赤い三角マークで表示されている。

 

 今そのマークはマルマラ海沿岸を真っ直ぐ一直線に、コンスタンティノープルに向かって来ていた。僕たち(バビュルス)が解析したデータを元にしたプログラムのルート。その隣のディスプレイには、僕が作った動画も連動して流してる。

 オローが飛行プラン通り飛んでくれば、待ち伏せはできる。


赤外線探知(IRST)、捕捉」

 ローマ軍団の防空オペレーターが別のモニターを指差す。

 オローはインシリクを離陸した直後から通信を遮断して、完全ステルス・モードで飛行していた。レーダーも電波探知(EMS)も捉えられない。たまにこうやってIRSTが排気熱を検知するだけだ。これは途切れ途切れにしか検知できないけど、今のところはオローがプログラム通りに飛んでいることは確認できた。このままなら、アドリア海でエクレールで迎撃できる。だけど——


 ふっと、一瞬身体が軽くなったような、変な感覚があった。それから急に空気が重たくなった気がした。雰囲気とかの比喩じゃなく、物理的に重さを感じた。そのあと。


 IRSTが強く反応した。

 ヴーンンン…………。

 空気が振動する音が聞こえた気がした。危機管理センター室の中のあらゆる物がカタカタと震え……それから、低くて重い地響き。 


「来た……」

「……大丈夫だ。必ず落とす」

 大丈夫だ。

 ズィがそう言うのは、この1時間で何度目か。



【同時刻 フランク大使館別館】

 その大音響が大使館を震わせたとき、マドレーヌは最後の準備をしていた。

 テラリウムの中で、キジャーナとインファナは砂が泡立つような振動に驚き、より深く砂に潜った。

「大丈夫よ、キジャーナ、インファナ。なにも心配ない!」

 

 そう、何も心配することはない。全て予定通り。人間の兵器については、グリゴリとして特に興味深く観察していた。この計画にオローを選んだのは、キジャーナとインファナを使い魔に選んだのと同じ理由だ。天から見ていた時はこの音や振動はわからなかったが。

 

「さあ出てきて?おでかけよ」

 

 テラリウムの中に両腕を降ろす。2匹のナムクアドワーフアダーが、砂の表面に眼だけを覗かせる。


(怯えるな。私のところへ来い。お前たちが1番好きなところへ)


 まずキジャーナがマドレーヌの右手に這い上る。すぐにインファナも左手に。2匹はマドレーヌの体温が大好きだった。そのまま、さらに温かい場所を目指して登っていく。

「ふふっ。いい子。いい子たち!」


 蛇たちはマドレーヌの二の腕から脇へ、そして胸へ這い、襟と肩の折り返しの深いドレープの中に潜んだ。僅か十数グラム。重さは感じない。

 ステルスか。この子たちの方がよっぽど優れている。


 テラリウムのガラス蓋はそのままに、マドレーヌは部屋を出た。もうここに戻ることはない。振り返りもせず、前庭に出る。空を見上げていたSPやメイドが追ってくるが、マドレーヌは構わない。

 

 オローのデモンストレーション飛行は10時と告知されていたので、前庭にはまだ人はまばらだった。

「……お嬢様!お待ち下さい!」

 追いついてきたSP達に振り返り、片っ端から虹彩を捉える。

「……はい。承知しました」

 SP達は無表情になり、無線に何かを喋りながらマドレーヌを先導し始めた。行く先は車回し。

「お嬢様。お待ちしておりました」

 運転手がアルパイン・ブルーのルノー・ラファールのリアドアを開ける。


「では、参ります——」

 この運転手はディルシズだが、既に昨日のうちにロクツィオ済みだった。

 

「——コンスタンティノープル国際空港へ」



【08時54分 バシャクシェヒル、チャムさくら病院】

 アリーは昨夜から、ジェイの病室の窓から離れなかった。ヴィが寝ていた間も、目覚めてアリーにおはようと言った時も、ジェイとおはようの挨拶をしたあとも、"ぴんくおんな"が来たと思ったらすぐ出て行った時も、ずっと。狩りにも遊びにも行かず、ごはんも食べていなかった。ただ、ジェイを見守っていた。

 今日これからジェイが何をしようとしているかは、ジェイが教えてくれた。大丈夫、とジェイは言った。アリーは大丈夫だとは思わなかった。


 人間は嘘をつく。

 騙すため。身を守るため。争いに勝つため。得をするため。損をしないため。他の人間に好かれるため。嫌われるため。

 好きな相手を守るため。

 

 ジェイは人間じゃないけど人間と同じだ。飛行機で私を檻に閉じ込めるため、嘘をついた。私が羽根を2本だけヘビ怪獣に喰われた時も、私を入院させるため、嘘をついた。その時は頭にきたけど、少しの間だけ嫌いになったけど、今は全部わかってる。

 私のため。私を守るため、ジェイは嘘をつく。


 今日これからジェイがしようとしてること。大丈夫じゃない。ジェイは嘘をついた。失敗したらジェイはいなくなる。私が一緒に行きたくても、どうしても行けないところに行ってしまう。

 絶対に嫌。でもジェイはそうする。ジェイも嫌なのにそうする。ジェイは、ジェイにも嘘をつく。


 しかたない。ジェイが決めたこと。私には止められないこと。大切なことだから。ジェイのためでも、私のためでもない。

 ヴィのため。

 ヴィを守るため。それが、ジェイの使命だから。


 私の使命は、ジェイを守ること。だから、今はジェイから離れない。ガラスが邪魔だけど。


 アリーは少しでもジェイに近づきたくて、ガラス窓に顔をくっつけた。そして、感じた。


 ガラスが震えてる。

 ガラスだけじゃない。壁が、病院が震えてる。

 何か恐ろしいものが来る。空を飛んでくる。

 遠くの空だ。ここに来るんじゃなく、遠くの空を通り過ぎていく。大きな、ものすごく大きな……機械。飛行機。2匹。

 この振動と音は知ってる。遠くまで、すごく速く飛ぶ飛行機。


 アリーは南の空を見た。アリーの視力でも、6.4キロ離れた高度3000メートル上空を時速650キロで通過していく2機のオローの機影は、小さな点にしか見えなかった。それはすごいスピードで遠ざかり、すぐに見えなくなった。音も振動も一緒に。


(ジェイ。

 いったよ

 ひこうき)


(そうか。ありがとうアリー。大丈夫だ)


 あの飛行機が来るというのは、ジェイから聞いていた。通り過ぎるだけだから大丈夫だ。そう言って、私を安心させてくれた。


 ジェイは嘘をつく。



【09時49分 危機管理センター室】

「そのまま……そのまま行け」

「うん。そのまま行ってくれ……」

 ズィと僕は、もはや祈りにも似た呟きを漏らしていた。 

 

 オローはプログラム通り、マッハ0.8、時速850キロ、高度11000メートルで巡航していた。コンスタンティノープルから離れて行った後はバルカン半島に点在するIRSTが順次オローを検知し続けてリレー式にデータがきた。たった今も、マケドニア地方のコラブ山頂のIRSTが検知したところだ。アドリア海直前、最後のIRST。そのままプログラム通りに行けば、エクレールが待ち構えている。

 

「よし……」 

 IRSTが輝きを増したかと思うと、フッと消えた。

「ズィ……」

「……大丈夫だ。海上に向けて加速したのかも知れんが、またすぐ捕捉する。エクレールがな」

 2分が経過した。

 IRSTは光らない。

 プログラムのルートでは、もうアドリア海に入ってるはずだが……時間だけが過ぎていく。


 光った。

「来ました。これは……エクレールからじゃありません……ブリンディジ?」

「ブリンディジだと?オローを検知できるはずがない。南過ぎるだろ」

『こちらアポロ・ワン(エクレール)。接敵想定時刻経過……ネガティヴ・コンタクト。繰り返す。ネガティヴ』

 

「……ブリンディジから、またIRST受信。イタリア半島上空」

『こちらアドリアセンター。アポロ・ワン、確認しろ』

『こちらアポロ・ワン……すまない、取り逃したようだ』

 

 ガン!と鈍い音がした。ズィがデスクに拳を叩きつけた音。

「……野郎……回避しやがった……エクレールを先に見つけて、南に迂回したのか……」

「……回避?!ズィ!追わなきゃ!追っかけて——」

「無理だ。追いつけん……ホットラインを繋いでくれ」

「ズィ?!」

「イタリア半島を越えられたら……もうローマだけの問題じゃない。フランク王と話す」


 AIだ。第6世代。エクレールを上回るのはステルス性能だけじゃない。探知能力、自律判断力。強力なパッシブセンサーで先にエクレールを見つけ、AIが自己判断で回避した。

 最悪。これでプログラムからも外れたから飛行ルートの予測もできない。つまり待ち伏せができないばかりか……もう見つけられない。

 ベジエに近づくまで。

 

 危機管理センター室のディスプレイのひとつに、ベジエの街並みが分割画面で映し出されている。ひとつはシャンゼリゼを模したというポール・リケ広場監視カメラ。並木道を歩くカップルや家族連れ。カトリックは衰退したが、聖マグダラのマリア記念日のパレードが行われていて賑わっている。 


「——|Je vous remercie《感謝いたします》、国王陛下」

 ズィが赤い受話器を置いた。

「フランクと協力するぞ。敵の敵は味方だ。王は即断してくれた……くそ、まだ諦めるものか。ティレニア海だ」

「ズィ。聞いて——」

「オペレーター!エクレールを4機、ティレニア海に飛ばせ。デカい網を張ってやる。フランクからも4機。隙間なく——」

「ズィ!」

 

 ズィの眼が少し柔らかくなった。ほんの少し。今日はカラコンをしていないらしい。

「パヴル。戦争のことは俺に任せろ。大丈——」

「大丈夫じゃない!まともにいったら勝てないよ!AIが相手だ。今までの戦争とは——」

「まともにいったら、だと?パヴル……まともな戦争なんてない」

「そうじゃなくて……」


 サマたん。

 サマたんなら、きっと。


 

【同時刻 南仏、ベジエ・カップ・ダグド空港】

『F-GSPR、ランウェイ09、離陸を許可する』

「離陸許可、ランウェイ09、F-GSPR」

 サマエルはダッソーを滑走路のセンターラインに合わせて前輪を真っ直ぐにすると、ランディングライトを点けた。

 

 ベジエ・カップ・ダグド空港は田舎の小さな空港だ。滑走路09と言っても9本も滑走路があるわけじゃなく、一本だけの2000メートルある滑走路を東西どちらに向かって離陸するかで呼び分けている。09は東向き。スロットルを開けると、ダッソーは滑らかに加速を開始した。

 

「V1」

 コ・パイロットはいないが、サマエルはマニュアル通りにコールアウトする。

「VR」

 操縦桿を引くとダッソーは何事もなく離陸した。

「ギアアップ」

『——サマたん?誰かと一緒なの?』

 片耳のBağlatus(Bluetooth)イヤホンから、パヴル・エルギュンが聞いた。離陸前からiPorta(スマートフォン)で通話している。

「ああ。相棒と一緒だ、パブちゃん」

 

 ダッソーはスムーズに離陸し、そのまま真っ直ぐ東へ、そして高度11000メートルの高高度へ向かって急上昇する。

『F-GSPR、マルセイユ・コントロール125.105にコンタクト。03分離陸。グッデイ』

「125.105、F-GSPR。グッデイ」

 イヤホンからパヴル・エルギュンではない男の声がする。

『——ギリギリ間に合ったようだな。民間機はフランク軍が——』

 ズィヤ・シムシェキか。一度、その虹彩を見てみたかった。



【10時04分 危機管理センター室】

「——フランク軍が、飛行制限するはずだ」

「うん」

「フランクの編隊はリグリア海、うちは南側のティレニア海をカバーする。どちらに来るにせよ、今度こそ絶対に逃がさん」

 逃げられないはずだ。エクレールが8機。フランクのIRSTはローマのそれより高性能。ニースやモンジューの大規模レーダー基地、トゥーロン海軍の防空フリゲート艦隊。

 フランクが誇る鉄壁の対空防衛網。マンバだったか、高高度ステルスターゲットを想定した長距離対空ミサイルシステム。オロー購入の際にも自慢げに説明された。

 

 フランク防衛網はローマに向いている。だが背に腹はかえられん。

 フランクだって必死だ。自国の都市の危機なのだ。王は冷静だったが、国民の命がかかっている。必ず見つけて、迎撃する。


「ル=テュベとの連携は取れたか」

「はい、ただいま……」

 オペレーターはヘッドセットに集中して生返事した。懸命に仕事をしてくれている。

 ル=テュベはフランク最大の空軍基地だ。軍事大国フランクの要。この作戦の、フランク側の指揮所。

 

「ズィ……フランクはどうかな……それよりサマたん、サマエルが話したがってるけど」

「サマエル……モローか。やつは本当に敵じゃないんだな?やつには散々——」

「敵の敵は味方。でしょ?フランクだって」

「ふん。だとしても民間機でなにができるんだ。またウルティマ・ラティオで狙撃する気か?」

「……とにかく話してみてよ。モローを信じなくてもいい。僕を信じて!」

「"Trust me"か?わかってる。パヴル……おまえを疑ったことはないよ。カアンのことは——」

 

 パヴルが俺の耳にiPortaを押し付けてきた。

『——Allô?ズィヤ・シムシェキ?』

 短く息を吐いて、応じる。

「シルヴァン・ド・モロー。足は治ったのか?」

『Oui!おかげさまでね。あなたのお国の病院はいい病院だった。窓は……弁償しようか?』

「悪いが忙しいんだ。おまえの国に、どえらい賠償をしなきゃならなくなりそうでね」

Tu parles(言うね)!どうやら嫌われてるらしいな。まあ仕方ないか、好き放題やらせてもらったし』

「モロー。真面目に答えろ。何をする気だ」

『言っても信じない。それより、こっちも聞きたいことがある……奇跡を起こしたことはあるか?』

「なんだと?奇跡?俺がか?なんだそれは」

『いや、友だちからちょっとね。どうだ?奇跡を起こしたことはあるか?』

「意味がわからん。俺は奇跡など信じない」

『つまり……ないということだな?わかった。話せてよかった』

「おい、きさま——」

「すいません、代表……」

 

 オペレーターがヘッドセットを外し、こっちを見ている。

『あとは任せろ。パブちゃんにかわってくれ』

 なんだというのか。

「代表!あの——」

 オペレーターが血相を変えて叫んだ。iPortaをパヴルに返す。

「よくわからんやつだ。オペレーター!どうした?ル=テュベは?」

「それが……」

「報告しろ。手短に」

「は、はい……知らん、と言ってます」

「なに?なにがだ?」

 オペレーターは蒼白だった。

「ル=テュベは……緊急事態など知らないと」



「F-GSPR、マルセイユ通過。高度11000メートル」

 オペレーターが報告した。時刻は10:17。

「ホットラインだ!もう一度王を呼びつけろ!」

 ズィが吠える。

「IRST、ネガティヴ」

 

 オローはどこだ、どこから来る?!

「……サマたん……オローが見つからない……もうプログラム通りに飛んでない」

『パブちゃん。情けない声を出すな。ここの空はすごいぞ!|C'est magique《魔法のようだ》!太陽が……あんなに輝いて……これが群青。群青の空だ……』

「ホットライン、不通」

「マルス・チーム、目標到達まで3分」

 

「フランクめ……リグリア海がガラ空きだ……」

 ズィがうめく。

「……いや、だめだ。マルス・チームはそのままだ!やつは……オローは……」

 ズィの考えてることがわかる。アドリア海での回避行動。オローのAIは学習する。プログラム通りのルートに戻ればまた待ち伏せされると判断し、そのまま南へ、ティレニア海へ。ズィはそう読んだ。

 読み合い。裏のかきあいだ。ズィと、AIとの。

 

「サマたん……聞こえた?そっちには行かないかも」

『いや、来る。俺にはわかる。超能力とかじゃないぞ?やつがどうするかなんて知らん。だがわかる』

「マルス・チーム、到着まで90秒」

「F-GSPR、サン=トロペ上空で旋回」


「IRST検知!カヴァッロ山です!」

 その叫びとともにIRSTのランプがフラッシュのように光り、プログラムルートを表示していたディスプレイにも三角マークが点灯した。

「サマたん!オローが戻った!カヴァッロ山、プログラムルートだ!」

『Excellent!だから言ったろ?来るって』

「うん!これで行くと……9分後にリグリア海に出る!」

『パブちゃん。頼みがある』

「え?」

『ベジエの北に、エスカンドルグ高地という高台がある。全部終わったら、そこに行ってくれないか。なるべくなら、夏が終わる前に』

「……エスカンドルグ高地?調べればわかると思うけど……なんで?なんかあるの?」

『行けばわかる。頼まれてくれるか?』

「もしかして忘れ物?自分で行けよ!」

『とても大事なことなんだ。おまえにしか頼めない』

「……よくわかんないけど、わかった。エスカンドルグ高地ね?行けばわかるんだね?」

『……ありがとう。感謝する。それとな』

「まだあるのかよ!」

『これを終わらせろ。何があっても、絶対に。最後までやり遂げろ』

「サマたん?」

『それだけだ。じゃあな!おまえは人間!サフィは天使だ!!』

「……は?サマたん?……サマたん?!」

 それきり、通話は切れた。時刻は10:26。



「マルス・チーム、目標到達」

 ティレニア海には来なかった。ガラ空きのリグリア海。フランクが……王がなんのつもりかはもうどうでもいい。

 AI。機械がどう考えるのかなんてわからん。だがひとつ確かなのは……機械は、きっかけがない限り何もしないということだ。だから、きっかけを与えてやれば……。

 アドリア海で、オローはアポロ・チームを探知した。だから回避した。そのままならたぶん、南から旋回してきただろう。その方が合理的だ。だがそこで、マルス・チームがティレニア海に向かっているのを見つけた。

 

「——サマたん?……サマたん?!」

 パヴルが叫んでいる。

 パヴル。

 この一年、何度もおまえに助けられた。

 "Trust me"。

 そうだ。俺はおまえを信じる。

 AIはマルス・チームを感知してまた回避し、ルートに戻った。充分だ。このままもうルートから逃がさないためには……。

 

「マルス・チームを帰還させろ」

「……。Sağol(イエス、サー)

「彼らは重要な任務を果たした。コルシカ島西に航空救難部隊(SAR)を配備。ただし、指示があるまで対空レーダーは使用禁止」

 

 パヴル。俺はおまえを信じる。

 おまえが信じているなら、モローも。

 モロー。サマエル。悪魔。

 

 悪魔だって信じる。

 

「F-GSPR、リグリア海侵入。衝突コース」



【10時26分 イタリア半島上空】

 北緯43.0度、東経12.35度、高度11000メートル。

 方位角315度、時速850キロで巡航飛行していたB21オロー1番機のFCC(飛行制御コンピュータ)が、方位角270度への左45度転進を発令した。

 左翼外縁でドラッグラダーが3.2度開口し、エレボンが左1.5度上昇、右1.2度下降、機体は毎秒5度で滑らかに左ロールを開始した。

 スリップを検知した慣性センサー(IMU)がエンジン推力を調整。オローはバンク角18.5度で半径17キロの標準旋回をし、機首を方位角270度、真西へと向けた。

 

 B21オローのAIは、プログラムにはない2度の回避行動、3度の転進を自律的に、困惑も驚きも恐怖も何も感じることなく、整然と実行した。今飛行している目的は目標に搭載物を投下することであり、そこに至る経過は、センサーが検知した事象への単なる適応に過ぎなかった。イレギュラーへの対応が完了したら、元の合理的なプログラムに戻る。目的を最速で実行するために。搭載物が何であるか、それを投下したことによって引き起こされる死と破壊にも、興味も関心もなかった。


 1番機から25秒遅れて2番機も完全に同じ転進を完了し、2機のオローは真西へ、最高巡航速度マッハ0.8を維持して直進した。以後目標空域到達まで、AIが能動的にしなければならないことはなにもなかった。半径300キロ圏内の索敵以外は。



【同時刻 リグリア海西端上空】

 サマエルはダッソー・ファルコン2000LXS、機体コードF-GSPRのコクピットで、キャプテンシートにゆったりと身を沈め、目を閉じ、意識を集中した。

 F-GSPRもオローと同じ高度を、同じ、いや僅かにオローを上回る速度で、真逆の方位角で群青の空を突き進んでいたが、サマエルがそれを視聴覚以外で感じることはなかった。ラグジュアリー・ビジネス・ジェットは、この高度と速度でも最高に快適な乗り物だった。


 サマエルの閉じた瞼の裏に、青と紫のトー湖が見えた。記憶ではない。トー湖上空を飛んでいる、ヘビクイワシの視覚。


(ベリたん。その辺はあまり低く飛ぶなよ)


 ヘビクイワシはトー湖上空で旋回し、エスカンドルグ高地へ戻っていく。1人では絶対に海上には出ない。

 180000メートル離れていても、精神リンクは繋がっていた。

 

 ヘビクイワシは本来は地上のハンターだ。その視力は地球上の全生物中最高の猛禽類の中でも最上位級だったが、空のハンターであるイヌワシやタカ達と比べると望遠視力ではやや劣り、20キロ先までが限界だった。

 

 今、F-GSPRとオローはまだ約400キロ離れているが、相対時速1700キロでは14分しかかからない。20キロだと40秒ちょっと。ヘビクイワシの優れた視力も大して役には立たない。オローはバードストライク対策もされており、このミッションではヘビクイワシは役立たずだ。

 だから、連れてこなかった。


(ベリたん。この顔を覚えておけ)


 パヴル・エルギュンの顔のイメージを送る。脳内で紫の豹柄にした、パヴル・エルギュンの顔。

 ヘビクイワシには紫外線が見える。昨日、ベリたんが俺の顔を見ている時、映像で確認した。パヴル・エルギュンの顔も、こう見えるはずだ。

 

(ケロァ?)


 ロクツィオではなく、精神リンク先のベリたんの耳越しに、ベリたんの声が聞こえた。


 ベリたんか。あだ名を付けたのは間違いだった。バードストライクが有効だったとしても、そんなことをさせるわけにはいかなくなった。

 ……そのかわり、俺1人で2機。


(ケケケケ)


(ああ、そうだな。

 死ぬにはいい日だ)


 サマエルは精神リンクを切ると、ダッソーのフライトデッキの大型ディスプレイを見た。4つの14型LCRディスプレイには、デフォルトでそれぞれ気象図やエレクトリカルデータ、飛行状態が視覚的直感的にわかるシミュレーションゲームのような映像が映されていた。

 

 サマエルの眼前にあるメインディスプレイには、パヴル・エルギュンが送ってくれたオローのプログラムルートが表示されている。敵機、2機のオローは赤い三角マークで、少しずつ、画面右端から中央に移動していた。

 その反対側、画面左から中央に向かっている青い三角が、F-GSPR、つまり自機だった。相対距離の表示は400キロを切り、毎秒約0.47キロずつ減少していく。このままなら十数分で正面衝突だ。

 

 サマエルは自殺する気などなかった。

 

 このディスプレイはオートパイロットと連動している。センターコンソールのカーソルコントローラーを操作し、自機のルートを衝突コースの左斜め下、敵機との間隔100メートルにずらす。オートパイロットが機を制御し、F-GSPRは僅かにルートを変更した。


 ジェイエルも言っていた。俺達は絶対に自殺はできない。不死身という意味ではなく、転生した肉体を意図して殺すことはできない、それが天の理だった。生き残るつもりでやらないと、特攻も不可能なのだ。

 

 それでも死んでしまったら、それは仕方のないことだろう。



【同時刻 危機管理センター室】

「F-GSPR、僅かにルート変更。依然衝突コース」

 ズィはモニターの数値を睨んだ。正面衝突はしなくてもニアミスだ。この高度では秒速50メートルのジェット気流が吹き荒れる。僅かなミスで衝突だ。

 

 特攻する気か。

 だがオローのAIは回避するだろう。相手が非武装の民間機だろうと衝突すれば終わりだ。

 相対距離350キロ。まもなく感知される。

「パヴル……モローは何をする気だ。まともに行っても回避されるだけだ」

「……わかんない……サマたんもわかってるはずだけど……でも……」

 パヴルは涙声だった。

 

「距離320」

「……死なないでほしい……」



【同時刻 リグリア海上空】

 B21オロー1番機は、パッシブセンサーが前方300キロ先の物体を感知したのと同時に、パッシブIFF(識別システム)によってADS-B(自動識別信号)を受信し、民間機であるダッソー・ファルコン2000LXSが時速850キロで衝突コースにあり、その機体コードがF-GSPRであるということまで瞬時に認識した。

 

 数ミリ秒でAIはこの新しい事象を処理した。 

 予測される交差点における彼我の相対距離は100メートル、接触する可能性は10.14%、民間機は非武装で、接触しなければ脅威ではない。

 先程のアドリア海での回避行動により、目的地到達予定時刻からは大きく遅延している。これ以上は僅かの遅延も許されない。

 1番機のAIは進路維持を決定し、2番機もこれに追随した。



 サマエルはこの時既にコクピットを離れていた。キャビンに行き、衣服を脱いでストレッチを始める。今からちょっと過激な運動をしなければならない。

 全裸でストレッチをひととおり終えると、タクティカル・ブリーフから青いラベルのスプレー缶を取り出す。

 

 Sp.Ox.(スポックス)という名だと、ジェイエルの医者が自慢げに渡してくれたという、高濃度酸素スプレーだ。酸素ボンベというには心許ない小ささだが、中には超高圧で圧縮された酸素が詰まっている。

 

 次に、DGSEの伝で入手した酸素マスクをつける。パイロット用の顔面を覆う透明なマスクで、加圧レギュレータ付きだ。スプレー缶はこのマスクの高圧酸素シリンダに直結できるよう改造されていた。

 これらはパヴル・エルギュンが思いつき、準備、改造し、送り届けてくれたサマエルの命綱だった。


 キャビンにはコクピットのメインディスプレイがそのまま共有されたモニターがある。 

 相対距離200キロ。

 すれ違うまで、あと7分。


 コクピットに戻り、メインディスプレイを確認する。ジェット気流は凪いでいる。これも天の理かもしれん。

 相対距離150キロ。残り時間を示すデジタルタイマーを画面いっぱいに表示させる。

 00:05:47。


 キャビンのモニターにもデジタル時計が大きく表示されていた。キャビン右中央、主翼が見える窓の隣りにある、非常ドアのハンドルカバーを外す。

 00:02:51。


 酸素マスクのシリンダをスプレー缶上部の噴出口に合わせ、腹筋と非常ドアで挟む。ドアを引き開けたと同時に押し込み、酸素が噴出するように。


 この後時間が来たらハンドルを回してドアを開ける。そこまでは地上で何度も練習した。スプレーの保持位置も完璧だ。問題はそのあとだったが、それは練習しようがなかった。だがやるしかない。

 ハンドルを握り、首だけ振り向いてモニターを見る。


 00:01:29。



【同時刻 危機管理センター室】

「まもなく、マージ(交差)まで1分」

「全機安定飛行中」

 声が出なかった。サマたん。

 1番機にぶつけるとしても、もう1機……どうにもならない。


 ベジエの街並みの映像を見る。

 記念日の祭りに沸く人々。

 旧聖堂の前で祈る者。

 スーツを着て早足で歩くビジネスマン。

 はしゃぐ子供たち。

 映像がスローモーションのように見える。

 空襲警報はもちろん避難勧告すらされてない。フランクは無視した。

 

 サマたん。もうサマたんしか。

 

「奇跡……」

 ズィが独り言のように言った。

「奇跡を……起こせるというのか」



【10時44分 リグリア海、コルシカ島北端上空】

 00:00:07

 非常ドアのハンドルを回しながら全身の筋肉に力を込める。背中が疼き、盛り上がる。

 

 00:00:06

 血が激流となり、額や首、腕などの皮膚に近い血管が浮き出る。

 

 00:00:05

 筋肉が膨張を始める。ハンドルが回り切り、ロックが解除された。両足を壁に踏ん張る。

 

 00:00:04

 翼が飛び出そうとするのを抑え、非常ドアを全力で引く。ビクともしない。気圧差で、3トン近い圧力で外に押し付けられているからだ。だが、ここからだ。

 

 00:00:03

 腕の筋肉が膨れ上がる。手首が、腕が倍近く太くなる。血管が破裂しかけているが気にせず、身体ごとドアを引く。全力で。

 コンマ数ミリ、ドアが浮く。

 

 00:00:02

 爆音と共にドアが引き剥がれた。耳元で絶叫されたような凄まじい轟音、背中に衝突する爆風。

 腹筋が酸素スプレー缶にシリンダを押し込み、顔面に高濃度酸素が迸る。

 サマエルは機外に吐き出されながら、機体から外れた非常ドアを僅かに傾け——そして、手を離した。

 

 ダッソーのキャビン内気解放による凄まじい爆風が、91×51センチ15キログラムのジュラルミンとCFRPとチタン合金の板を木の葉のように空に射出し、回避するため作動し始めたオローの右翼エレボンを直撃した。

 

 全翼機オローはこの一撃で一気にバランスが崩れた。オローのAIは即座に反応し修正を指示したが、右翼エレボンのアクチュエーターはもう反応しなかった。

 オロー1番機は、それまで完全に制御していた気流や重力に翻弄され、大きく傾いて落ちていく。同時にダッソー、F-GSPRの機体も急減圧により壊滅的に破壊されていった。 


 サマエルはダッソーから弾き出された刹那に翼を突出させ、爆風と気流を捉えた。

 翼長3メートル、いやさらに大きく広がった鋼の剛翼が、襲いかかる暴風を推進力に変えた。  

 サマエルの鉄灰色の瞳は2番機を見据えていた。右斜め上方の東の空で回避転進しようとしている。無様に腹を晒して。

 

 10秒後、サマエルは激突寸前に翼を閉じた。眩い陽光を浴びて、群青の空を切り裂いて、輝く銀色のサブソニック砲弾は一直線に空の魔獣の剥き出しの腹に突っ込んだ。

 表皮を引き裂き内臓を破壊しながら、腹から背へ一気に貫く。


 サマエルはオローに、死を齎した。

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