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26 群青の空へ

【2026年7月22日 聖マグダラのマリア記念日/ベジエ大虐殺の日】

 

 "Caedite eos. Novit enim Dominus qui sunt eius."

「皆殺しにせよ。主が見極めてくださる」

 ——1209年ベジエで、異端の見分け方を問われた指揮官の発した命令 


 "Mariæ Magdalenæ præ ceteris officium nuntiandæ paschalis lætitiæ commisit."

「マグダラのマリアは、誰よりも先に復活を告げる使命をゆだねられた」

 ——聖マグダラのマリアの典礼祈祷



【04時50分 アダナ県インシリク空軍基地】

 南ローマ、キリキア平原。

 同じ地中海沿岸のベジエから約2800キロ離れ、世界地図で見ればほぼ中東とも言えるこの平原にある広大な滑走路の両端の2つの格納庫で、同時に照明がついた。日の出までまだ40分あり、東の空がようやく白み始めたばかりだった。

 

 それぞれの格納庫のサイドドアが開き、それぞれ5人の整備班が格納庫へ入っていった。庫内に格納されている世界初の第6世代戦闘爆撃機B21オローの初出動を前に、その最終点検を実施するために。

 これから約1時間をかけて、外部電源(GPU)空調ユニット(ECU)を接続し、電子機器システム起動、慣性航法装置(INS)アライメント開始、機内自己診断プログラム(BIT)を実行、ステルス塗装やピトー管、カメラ、エアインテークや排気口内部の目視確認などが行われ、これら地上点検の最後にはウェポンベイも点検される。

 

 そこにはGBU-31JDAMが搭載されていた。バンカーバスターではなく通常のMk84、2000ポンド爆弾。目標着弾と同時に強力な爆風で、直径100メートル以内の建物を全て瓦礫に変え直径15メートルのクレーターを残す。

 

 これが8発、2機で16発。

 

 軍事施設や地下街などもない人口8万人の古い街並みで1209年に起きた大虐殺を再現するには十分過ぎる爆装だったが、地上の整備班は誰一人、デモ飛行になぜそんな爆装が必要なのかを質問しなかった。彼らはただ、命令された仕事をこなすだけだった。



【05時00分 チャムさくら病院】

 ヴィはこれまでずっとそうしてきたように、朝5時ピッタリに目を覚ました。アラームなしで、右向きの胎児の姿勢で、ジェイの眠る|L.O.T.U.S.《統括制御用生命維持ベッド》の隣の簡易ベッドで。

 

 まだ暗かったがすぐに起き上がり、ジェイの様子を確認する。ロータスのディスプレイを見れば一目瞭然だし、そもそもスマートピアスのアラートがヴィのiPorta(スマートフォン)にもくるから異常がないのはわかってたが、それでも胸を見てしまう。静かに上下しているかどうか。

 よかった。ジェイは生き延びた。手術をするこの日まで。


『——平穏に過ごした翌朝、目覚めない可能性も十分あります』


 ドクター・セレンの言葉が、もう8ヶ月ずっと頭の中の目に見えないところに居座っていた。それも、もう終わりだ。

 今日14時から始まるCor.O.A.(完全なる人工心臓)移植手術が無事成功すれば、明日の朝からはジェイの胸の上下を気にしなくてよくなるんだ。


 8ヶ月。ジェイを心配し、無理させないよう、そのために生きてきた8ヶ月。変身を止めるためアスラン道を使ったし、走ったり階段を登ることさえ許さなかった。

 束縛。ジェイの自由を奪い続けた。本人のためなんだから、なんて思わない。

 わたしの執着。

 ジェイを、この肉体に閉じ込める。

 わたしのエゴ。

 ずっとそばにいて欲しいから。

 辛い。

 それが正しいことなのかわからないから。

 その8ヶ月が、今日で終わる。

 

 コツコツと、ガラスを叩く音がする。カーテンは閉めてない。窓の外から見守れるように。

「おはよう、アリー」

 ジェイを起こさないよう、小さな声で言った。

 ガラス越しには聞こえないかと思ったが、アリーは頷いたように見えた。



【05時35分 国民代表府ゲストルーム】

@青空散歩チャンネル

 チェック完了!いつものとこ見てね

 [画像]


@ミリオタの虎

 おもしれー画像できたよ!いつものとこにアップしました

 [画像]


 パヴルはスィビラ(SNS)の通知で起きた。普段なら通知なんかじゃ起きないけど、今朝は特別だ。

 バビュルスたち。頼れる仲間たち。

 みんなちゃんとバレない工夫までして、オローの飛行プランの専門的解析データを作ってくれた。ギリギリだけど間に合った。

 

 バビュルスたちがアップした画像をDLして、ステガノグラフィーを解読する。そのデータを僕が用意したフォーマットに乗せると、今日のデモ飛行プランのプログラムが明確になった。エーミット(動画配信サービス)用の3DCG動画にぶち込む。もちろんアップするわけじゃない。ズィにもわかるようにするためだ。

 

 処理は1分で完了した。

 動画を確認する。3倍速で1時間。細部をチェックするならこれ以上は速くできない。もどかしいけど仕方ない。まだ時間はある。



【06時05分 バシャクシェヒル、パルク・マーベル・9シテ】

 サフィはiPortaのアラームの2回目のスヌーズを止めた。

 やべ。起きなきゃ。今日はいつもより早く行かなきゃだし。早起きしんどみ。

 ソッコーでシャワー浴びて、コーヒーとクロワッサン喰って通知チェックして、髪乾かして歯ーみがきーの。

 6時25分。ヤベー20分で準備できた。やればできる子!サフィちゃんエライ!


 シテからダッシュ。いいなー近いって。5分でついちゃうんだもんね。最高か。でもなー。JJ退院したらあたし邪魔だよね。住むとこ探さなきゃ。この病院寮あったっけ?


 まーとにかく。今日の手術が終われば、JJはもちろんVVちゃんも元気になる。ヤバい楽しみ過ぎて鼻血でそう。ずっと暗かったもんなーVVちゃん。仕方なしだけど。パーティーだな。パブちゃんとサマたんも呼んで!マドちゃん……は、わからんけど。ズィさん……は無理か。とにかく楽しみHoooooッ!

 

 JJの病室の前にVVちゃんがいた。

「VVちゃんおはーっ!」

「おはようサフィ……元気だね」

「仕事前だかんねー。テンションあげー!バイタルチェック中?」

「うん」

「すぐ終わるね。JJにおはよー言ったら仕事行くけど、なんかして欲しいことない?朝ごはん食べた?」

「うん……少し」

「これ食う?クロワッサン持ってきた」

「ありがとう……お腹空いたら食べるね」

 

 いかんなー。VVちゃんCry。

「VVちゃん!ぶちかませ!」

「……え?」

「VVちゃんがそんなだとJJぴえんだよ?だから、あー……なにゆうか忘れたけど、とにかく、ぶちかませ!」

 笑ったVVちゃん。カワイイ!

「お?バイタルチェック終わったかな?」

 担当さんと入れ替わりで病室に入る。


 JJ……うん、モニター全部グリーン、顔色も良さそう。だいじょぶ。

「JJおはーっ!」

「サフィ。おはーっ!」

「おー元気じゃん!じゃあ後でね?VVちゃん泣かすなよーっ!」

 きょとんとしてるJJもカワイイ。2人はてえてえ。よし。あたしの尊ミッション!

 

 さて仕事すっか。



【06時37分 国民代表府ゲストルーム】

 これはヤバ過ぎだろ。なんだこの爆装……街がひとつ灰になる。

 絶対、絶対止めなきゃ。なにがなんでも。

 こんなことされたら、ローマとフランクは全面戦争突入だ。領事館襲撃とかそんなレベルじゃない、下手したら第三次世界大戦。いやそれ以前に、ベジエには人が暮らしてるんだ。8万人。信じられない。こんなこと。


 でも、どうやって止める。サマたんには送ったけど、サマたん1人じゃ……やっぱりズィだ。止められるのはズィしか……そのためには、どうすれば。


 パヴルは3DCGソフトを閉じると、エーミットを開いた。アップロード画面。


 ベジエ爆撃計画をそのままアップするわけにはいかない。ギュネルの悪事は暴けても、ローマも道連れになる。それは絶対だめ。

 ギュネルの悪事。厄介なのは、それを実行するのがローマ軍団だということだ。だから……いやまて。ローマ軍団だ。正規に軍団の命令系統を通してこの爆撃は行われる。

 

 爆撃については触れず、その命令系統とか伝達システムをリークするのは?重大な機密漏洩だが、ローマそのものが受けるダメージは大したことない。いくらでも換えが効くはずだ。

 これをリークする。フランク語とかで。ガスパール。ギュネルはガスパールの失踪の理由はスパイ絡みだと主張してる。たぶん僕を嵌めるためだ。嵌められてやるか?

 

 時間がない。ギュネルがリークにすぐ気づくようにしないと。どうやって——

 難しい。こういうのって、考えるだけで頭がごちゃごちゃになる。他人、それもギュネルみたいな、僕とは全然違う人間の考え方や性格を読んで思う通りに動かすなんて、そんなこと……きっと、ヴェシリア・セレ——


 ヴェシリア・セレン。

 

 Consilium(コンシリウム)(計画)。


 Instigatio(インスティガティオ)(扇動)。


 これだ。


 パヴルは広報用に開示されている今日のデモ飛行プランのファイルを開くと命令伝達システムをコピーして、それをステガノグラフィーで仕込んだサムネイル画像を作った。


 僕がアップする最後の動画になるかも。最後に相応しい動画にしなきゃ。あの時みたいに、『さらば虎よ』を言うつもりで。


 できた。僕の爆弾だ。ギュネルを吹き飛ばす。時刻は7時を回った。

 顔を洗い、iPortaとiPada(タブレット)を持ち、最後にiVitra(スマートグラス)を装着すると、姿見の前に立つ。


 虎だ。おまえは虎になるんだ。



【同時刻 フランク王国エロー県、エスカンドルグ高地】

 東の空が明るくなり、サマエルは目覚めた。ヘビクイワシはサマエルの隣りで長い脚を折り畳んで座って寝ていたが、サマエルとほぼ同時に目を開いた。

 

(おはようベリたん。いい朝だ)


 天上はまだ濃紺だが、東に向かって彩度はグラデーションを描いて白くなっていく。地平線には微かにアルプスの稜線。その上の紫の空に、火星とアルデバランが光る。モローの視力ではそこまでだったが、そこにはプレアデスがあるはずだ。


 視線を真東から東南東へ。あれが来るはずの方角へ。リグリア海が霞んで見える。


 ヘビクイワシは朝の羽繕いを終えて立ち上がった。もう立派な成鳥だ。体高は冠羽も含めれば百数十センチ、サマエルの鳩尾を超える。猛禽の金色の眼がサマエルを鋭く捉える。

 よく育った。育ってくれた。もう道具でも兵器でもない。


(朝飯を食ってこい。急がなくていい)


「ケロァ?」


(そうだ。デカいヘビを喰ってこい。時間はある)


 ヘビクイワシは踵を返してトットッと駆け出し、朝の狩りに赴いた。サマエルはその姿が見えなくなるまで、じっと見ていた。それから、真南を見下ろす。


 ベジエ。中心部に密集したテラコッタの屋根。まだ明かりがぽつぽつ見える。8万人が眠りから醒めようとしている、平和な朝。

 視線を僅かに東へ戻す。

 緑の葡萄園。そこに引かれた、真っ直ぐな灰色の線。


 ここから滑空すれば30分。

 その後は、舞い上がるだけだ。


 天と地獄を別つ、あの群青の空へ。



【07時21分 フランク王国大使館】

 マドレーヌも日の出前から目醒めて、ゆっくり、のんびりと朝を過ごしていた。

 

 浴槽に温めの湯を張り、花びらを浮かべた浴槽の傍らで、ソープをふんだんに泡立たせて、マドレーヌという名の少女、まもなく王太子妃となるはずのボディを隅々まで丁寧に洗う。

 泡を纏ったまま浴槽に入り、花びらと泡の浮かんだぬるま湯に身を預けた。

 

 湯面から両腕を上げると白い肌が弾いた水滴が転げ落ちる。それを掬うように二の腕から肘、か細い手首を撫で、五指を絡める。

 腕を湯の中に沈めて、水中で柔らかに揺蕩うふともも、膝、すねからふくらはぎを優しく愛撫し、くるぶしやかかとの感触も楽しむ。そして、可愛らしい貝殻が並んだような爪先も。


 約一年、この可憐なボディに蟲螻どもは傅いた。褒めてつかわそう、ガスパール、アンジェリック・ヴェスパー……そして、マドレーヌよ。


 たっぷり時間をかけて全身をほぐし、血流を整えて浴室を出ると、メイドが白いバスローブを持って待っていた。 

 

 軽めの朝食を済ませ、オーツミルク・ラテを飲みながらドレッサーに座る。髪結メイドがケープをかける。

「昨日よりは少し緩めのシニヨンにいたしますね」

「今日はおろしたままがいいな!ゆるふわな感じがいい!」

「お嬢様。お帽子を被りますし、風が強いと——」

「えー?シニヨン、飽きちゃったもん。肩から胸までおろして?軽くふわっと」

「いけません。そのような髪型は、王室の——」

 髪結メイドは突然威圧感を感じ、手を止めた。鏡に映るマドレーヌの瞳。緑色の炎が見えた気がした。

「し……失礼いたしました。軽く、ふわっと。肩から胸まで。かしこまりました」


 ロクツィオを使ったわけではなかった。鏡越しでは虹彩を捉えることはできない。だがそのエメラルドの眼光は、髪結メイドごときを竦ませるには十分だった。

 シニヨンではキジャーナとインファナが隠れられないではないか。ばか者が。

「ありがと!可愛くしてね?」

 微笑んだが、髪結メイドの指先は震えていた。


 ドレスはクリムゾンレッドのクラシカルなアフタヌーンドレスを選ぶ。メイドはその禍々しい真紅に何か言いかけたが懸命にも思いとどまり、無言で着付けを続けた。肩から襟にかけて幾重にも重ねられたケープカラーは、その色のせいで中世の鎧のようにも見えた。スカートは細く絞られたウエストからふわりと広がったAラインで、マドレーヌのふくらはぎまで隠していた。

 私の脚。隠してしまうのは残念だがこの色は気に入った。これでよいだろう。


 まだ時間は早かった。マドレーヌはソファに沈み込み、ラテのおかわりを所望した。



【08時01分 国民代表執務室】

「どういうことだパヴル。説明しろ」

 ズィの声は低く静かだったが、冷静ではない響きがあった。怒りか、苛立ちか。

「何も言えないようですね。無理もない。言い逃れの余地はない」

 ギュネルはiVitraを外すと、スーッと目を細めた。

「パヴル・エルギュン。あなたが先程アップロードしたサムネイル画像は、既にディルシズのITチームが解析済みです。先日のやつもね。ステガノグラフィー、というんですかね?画像の中にデータを隠す。こざかしい」

 ズィもiVitraをかけていたがやはり外し、目頭を揉みながら言った。

「パヴル……返事をしろ。何か言え……言ってくれ」

 

「テュルキエ語を忘れたんでは?フランク語がお得意のようですしね。あなたが何も言わないなら、私が代わりにお話しいたしましょう。あなたは——」

「待て、カアン。パヴルの言い分も——」

「ズィヤ。あなたがエルギュンを庇いたいお気持ちはよくわかります。しかしこれは重大犯罪だ。ローマ軍団の命令伝達システムと組織の情報の漏洩。フランクにですよ?やはりガスパールと通じていたんでしょう?」


 僕は拘束されていた。

 7時45分からズィの執務室で定例ミーティングのはずだった。5分前に行ったら執務室前にギュネルと黒服(ディルシズ)が2人いて、いきなり取り押さえられた。そのまま執務室に引っ立てられ、デスクにいたズィも驚いてはいなかった。

 それから今までずっと、ギュネルのねちっこく一方的な詰問責めに晒されていた。

 後ろ手に手錠をかけられ、跪かされ、左右のディルシズに両肩をガッチリ掴まれて身動きが取れない。


「喋らないなら、見せてもらいましょう」

 ギュネルは押収した僕のiPadaを鼻先に突きつけた。

「指を」

 ディルシズが顔を床に押し付ける。

「カアン!手荒なことはやめろ!」

 ズィが叫ぶが、ギュネルは構わず頭越しに僕の腕を掴むとぐいっと引き上げる。

 激痛。だが悲鳴はあげない。

「カアン!」

 ギュネルは僕の親指で、iPadaの指紋認証ロックを解除した。すぐに離れてiPadaを操作する。

 

「さて……これですかね?あなたがクロだという証拠の動画は。まだアップロードはしていないようだが」

 ギュネルが動画を再生した。オローの隠しプログラム。ベジエ爆撃作戦の飛行プランの、3DCG動画。

 ギュネルはズィに見せながらシークバーをスライドさせ、要所要所を再生する。

「本日0900時に、2機のオローがインシリク基地を出動。コンスタンティノープル上空を1000時にデモンストレーションで通過。ここまでは予定通りですね。しかし」

 シークバーを動かす。

 

「ここから急上昇、西へ飛んでいく。目的地はどこですか?」

「パヴル頼む。どういうことか説明しろ」

「2時間半。長距離だ。南仏ですね?」

 ギュネルが僕を睨め付けた。

「……ベジエ。ここでなにを?……まさか。爆撃?我が軍の爆撃機で、フランクの都市を?なんということだ。ズィヤ。わかりましたか?これは機密漏洩どころじゃない。国際……いや、人類に対する犯罪だ!」

「パヴル!」


 ここで初めて、声を出す。ズィに応えて。

「人類に対する犯罪ね。それを僕がやる、と?」

「他に誰がやると言うんです。ガスパールですか?だがこれはあなたのiPadaだ。たった今目の前で、あなたの指紋でロックが解除された。あなた以外、誰にもできません」

「そうだね。その動画を作ったのも僕だ。よく出来てるでしょ?いいねボタン押してよ」

 

 ギュネルの口角が大きく上がった。目をさらに細め、勝利を確信した表情。コジャテペでも見たあの表情。ギュネルは叫んだ。

「聞きましたか、ズィヤ!今のは自白です!」

「パヴル!」

「待ってよ。動画を作ったのは僕だ、そう言っただけだよ?その元になったプログラムは、僕が作ったんじゃない」

 ギュネルは今や勝ち誇っていた。目が、口元が笑っている。

 

「保身に入りましたか。無駄ですよ?確かに、このプログラムの出所は軍の機密ファイルだ。あなたに権限はない。不正にアクセスしなければね!あなたがこのプログラムにアクセスした証拠があるんですよ!パヴル・エルギュン!」

 

 僕は深呼吸して、言った。

「へえ。アクセスした証拠ね?どれ?見せて」

「証拠はこれだ!」

 ギュネルは自分のiVitraを振り上げた。

「今朝6時53分、そして15日10時48分!このプログラムに、あなたのゲストルームから不正アクセスがあったという警告!そのログがここにある!あなたが不正を行った動かぬ証拠が——」

 マイターン。僕が笑う番だ。獲物を捉えた。虎の爪が、牙が。


「ズィ!今の聞いたよね!」

 左右のディルシズにも言う。

「あんたらも!ギュネルが今言ったこと、聞いたね?!」

「なんだと?なんのことだ、パヴル?」

「いや聞いててよちゃんと!まあいいけど。この部屋の会話は常に録画されてるはずだし……されてるよね?」

「あ……ああ。当然だ」

「よし。じゃあ……説明しよう!」



 パヴル・エルギュンの瞳が、それまでとは別人のように爛爛と輝いている。虎の眼。

 ……そうか。私としたことが……成功が確定して、喜びのあまりいらぬことを言ってしまった。

 アクセス警告か。


「いい?こいつは今、自分のiVitraを振りかざして、ここに証拠かあるって言った。間違いないよね?聞いたよね?で?なんの証拠?僕がなんかにアクセスした証拠?不正に?パスワードで?」

 パスワード。あの暗号を解除するためのパスワード。私が作って私が決めたパスワード。

 

「そうだよ。僕はあるパスワードを見つけて、それでアクセスした。どうやって見つけたかなんて今はどうでもいい。あとで自慢するけど。問題は、そのパスワードが誰のかってことだ!ギュネル!あんたのだよね?」

 私のだ。だから私のiVitraに。私のパスワードでなければ、私に警告が来るはずがない。

 

「あんたのパスワードを僕が使った。だからあんたにアクセス警告が飛んだ。軍事機密に不正アクセスがあって、その警告が公安トップのギュネルに届いたってんならまだ百歩譲ってありえるかもしれない。でもあんたのパスワードだ!軍のじゃない、あんたの、思い入れたっぷりのパスワード!ヴェシリア・セレンのデバイスのと同じ法則で作られた、プライベートなパスワードだ!生成ソフトの無機質なやつじゃない、あんたにしか作れないパスワードだ!だからあんたにアクセス警告がいった!」

 私の思い入れ。閣下への忠誠心。

 それが綻びになったというわけか。


 なんという……運命の悪戯、とでも言うべきか。

 


「ギュネルが作ったプライベートなパスワードでロックされた、ギュネルのプライベートなプログラム。それがこの、人類に対する犯罪プログラムだ!どう、ズィ!わかった?悪魔はジェイさんやサマたんじゃない!こいつ!こいつこそが悪魔の手先なんだ!」

 ズィはギュネルを見ていた。凝視していた。それから僕を見て、ディルシズたちに言った。

「……手錠を外せ」

 ズィ。眼球が熱い。

 やっと……やっと気づいてくれた。



 拍手する。ゆっくりと。

「パヴル・エルギュン……お見事です。やられました。降参します」

 深いため息が漏れた。終わった。全て。

「罠に嵌めたつもりでしたが……嵌められたのは私でしたね。いや素晴らしい。あなたも閣下が選んだ人間だということを、もっとよく考慮すべきでした」

「……執行官(エグゼクトル)を拘束しろ」

 ズィヤにいわれて、ディルシズたち、私の部下だった男たちが、私ににじり寄ってくる。私を拘束するために。私はじりじりと後退しながら手を上げて制する。

「もう終わった。抵抗したりはしませんよ。私は無駄なことはしない」

 

 ズィヤが頷いて、ディルシズたちを止めた。この男も閣下が選んだ男だ。

「ズィヤ……結局あなたも、完全に私を信じてくださっていたわけではなかったということですね。上手くいっていると思っていたが」

「いつからだ」

「いつから……そうですね。私はサラに従っていただけです。サラが望んだのは、私があなたの絶対的な信頼を勝ち得ることだった。あの暗殺未遂はそのために仕組まれた。あの時も、サラが私の背を押した。あなたを庇って負傷した、あの時も」

「……サラ?何者だ」

「サラのことはいい。もう死んだ。でもサラが死んで、私は目醒めた。何をすべきか。何をするために、私はここにいるのか。マリア様。マグダラのマリア様が降臨なさる。その地を清めなければならない」 

「何の話だ」「それがベジエ爆撃?ふざけんな!」

 パヴル・エルギュンが叫んでいる。構わん。叫べるうちに叫んでおけ。

「そんなことさせないからな!絶対に!僕たちが止めてやる!」


 またため息が漏れた。さっきより深く、さっきより長く。時計を見た。8時46分。

「させない?手遅れですね。もう、やったのです」

「出撃は9時だ、まだ時間はある!ズィ!インシリク基地!ズィが連絡すれば——」

「不可能です。誰にも止められません。私が、そんな可能性を残すとお思いですか?先程……8時00分。あなたを尋問している最中に、これ(iVitra)で出撃を確認しました。繰り上げというか、それが本来の予定なんですが。デモンストレーションは、告知よりだいぶ早く通過することになりますか」

 

「そんな……嘘だ!ズィ!確認を——」

 ズィヤはもうiPortaを操作していた。

「仮に本当に出撃済みだとしても、パイロットを呼び出させる。大丈夫だパヴル。俺の権限で爆撃は中止させる」

「ズィヤ。あなたと仕事ができて光栄でした。閣下の次に尊敬していた。あなたなら、マリア様の理想の世界のリーダーになれたのに。これは本心です。こうなったのは本当に残念です」

 

 ズィヤは私を睨みながら基地と通話する。

「——そうだ。作戦は中止だ!俺の命令だ!パイロットを……なんだと?!——」

 ズィヤが叫んだ。パヴル・エルギュンもディルシズ2人も、ズィヤの方を見た。一瞬、私から目を逸らして。ジャケットの下に手を突っ込む。

「——無人機?パイロットはいない?!」

 ズィヤの叫びとパヴル・エルギュンの驚愕の表情を芳醇なワインのように堪能しながら、私はステーションシックスの引き金を引く。

 

 自分の顎下に向けて。 

 


【08時34分 コンスタンティノープルFIR(飛行情報区)

 高度8000メートル。外気圧356.5hPa、外気温マイナス37℃。

 8分20秒前、B21オローのP&Wターボファンエンジン推力が、電子制御(FADEC)によってアイドルまで低下し、外側エレボンが|フライト・コントロール・コンピュータ《FCC》の指示で僅か数ミリ上がって、機首角(ピッチ)がマイナス3度、下を向いた。三角の両翼端のドラッグラダーが極小展開し、エアブレーキをかけて降下と減速を開始していた。


 08時34分46秒、1番機はコンスタンティノープル航空管制エリアに突入した。35秒後、その左斜め後方約6キロ、150メートル程上空を、1番機が生じさせた後方乱流と排気熱を避けてミリ秒単位で精緻に間隔を維持しながら、2番機が続く。


 マッハ0.53、時速620キロ。ここからさらにデモンストレーション飛行のための高度300メートル、時速460キロまで、約17分かけて降下減速していく。


 人の思考や感情は全て地上に置き去りだった。電気信号とソレノイドバルブ、ワイヤーとオイル、そして気流と重力。物理学と航空力学のみが、書き込まれたプログラムを精密に実行していた。


 コンスタンティノープル到達予定は、08時52分だった。

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