22 The Human Body
【ルイ王太子殿下とマドレーヌ・ド・ガスパール嬢の御婚約内定について】
Palais d'Aix(フランク王国宮内庁)
2026年5月21日
本日、国王ルイ21世陛下の御承認を仰ぎ、ルイ王太子殿下と、駐アンキュラ副領事グレゴワール・ド・ガスパール男爵の令嬢、マドレーヌ・ド・ガスパール嬢の御婚約が内定いたしましたことを、謹んで御報告申し上げます。
マドレーヌ・ド・ガスパール嬢は、高潔なる資質と優れた国際的見識を有されており、未来の王妃として、また王太子殿下の伴侶として、我が国の幸栄を支えるに相応しい気品を備えられていると判断されました。
今後は、王太子妃としての宮廷儀礼および国法に関する所定の教育期間を経て、今秋を目途に、王都エクスにおいて成婚の儀を執り行う予定でございます。
具体的な挙式日程および慶祝行事の詳細につきましては、閣議での決定を経て、追って公表いたします。
国を挙げてこの大慶を祝福するとともに、両名の未来に大いなる繁栄があらんことを祈念いたします。
以上。
【速報】超速シンデレラ!マドレーヌ王太子妃爆誕へ!!
2026/5/21 セレブトピックス Ağ-Yankı
あのお騒がせセレブナンバーワン、マドレーヌ嬢(18)が、なんと本物のプリンセスに——!
フランク王国宮内庁が、先程、ルイ王太子(32)とマドレーヌ・ド・ガスパール嬢の婚約内定を発表。先月20日、初めてのお見合いかと噂が流れてから僅か1ヶ月、世紀の電撃ロイヤル・ウエディングが決定的になった。
【写真】ネット釘付け!マドレーヌ嬢凱旋の大胆ドレス!
数々のお騒がせハプニングや、昨年夏には天使とのロマンスも激写されたあのフランクの華、マドレーヌ嬢が、極めつきの超ビッグサプライズ。未来のフランク王妃誕生だ。
先月極秘裏に行われたお見合いの席で、次期国王・ルイ王太子をその小悪魔的魅力で1発で虜にした模様。有力候補とは言われていたが、まさかのシンデレラ・ストーリーが完成した。
「王太子は文字通り夢中です。発表をこんなに急いだのも、もういてもたってもいられないという感じでしょう」
(王室ウォッチャー)
この歴史的大事件に、ネットは大騒ぎだ。
「これがマドちゃんのプリンセス道ですわ!」
「姫たるものとして!映画化確定」
「ほんとに豪快突破しちゃったw」
1500年の歴史あるフランク王室において、今回の僅か1ヶ月電撃婚約は異例中の異例。マドレーヌ嬢は今話題の「いにしえの琥珀」との繋がりも深く、世界宗教の聖女と呼ばれるアンジェリック・ヴェスパー氏は元乳母。王室も改宗から半年、いよいよ国教化が近いと言われており、タイミングを合わせたのだろう。
挙式は今秋、王都エクスにおいて、恐らく史上最大の華やかさで執り行われる予定とのこと。マドレーヌ嬢はローマでも、アンキュラ副領事の令嬢として度々話題になり、熱狂的ファンも多い。現代のシンデレラ、お伽話のプリンセス。マドレーヌ嬢が、しばらくは世界の中心になりそうだ。
【2026年5月22日深夜 アンキュラ、フランク領事館上空】
サマエルがその男達を見つけたのは、またもや偶然だった。虚しさを持て余して夜空にふらりと舞い上がったその時、アナドル文明博物館の駐車場で、バンから降りてきた男達。その手に、銃器があった。
このひと月は雨が多く、気温も低めに推移していた。ヘビクイワシの野外訓練には適さない。また換羽も始まって無理はさせられなかった。倉庫の中で、精神リンクの強化を中心とする訓練の日々が続いた。
あの子どもを撃ち殺して以来、人間との接触は極力避けていた。ガスパールは忙しく働いており、ロクツィオも暫くしていないので、日常生活に支障があるほどの精神障害は見られない。居眠りはよくしているが。
娘が王太子妃になる。そのことが、ガスパールの精神の安定に大きく貢献していた。嬉しくて仕方がないらしい。
アヴィエルのマドレーヌとしての動向は、想定通りだ。貴族の娘を木偶に選んだ時点で、王室、そして国家権力の掌握が狙いなのは明らかだった。ロクツィオを使えば誰でもできるが、これまで、天や地獄の誰も、そんなことには興味を示さなかった。ルシフェル然り。
地上を支配して、なんになるというのか。金や特権など不必要だし、その気になれば滅ぼすのは簡単だが、蟻塚を壊すのが無意味なのと同じだ。せいぜい暇潰しにしかならない。
あの男達は暇潰しになるだろうか。
サマエルは夜空に浮かんで、男達を観察した。
3人。アサルト・ライフルを持っている。どう見ても兵士ではなさそうだが、この辺りでそんな武装で行く先は領事館しかなさそうだ。俺が標的なのか。個人的には別に構わないが、計画の支障にはなるかも知れない。
俺を発見した様子はない。静かに高度を上げ、数百メートル上空から男達の後方に回ると、急降下した。
男達は駐車場北端の林に入ろうとしている。その先は領事館の正門。衛兵もいるので、戦闘になるだろう。
最後尾の男の背後に急降下してそのまま押し倒し、背中を踏みつけて銃を蹴り飛ばす。先行していた2人が振り向いたが、銃口を向けられる前に翼を強く振って薙ぎ倒した。起き上がってくる前に銃を奪い取る。
「誰だ!」
物音に気づいた衛兵の誰何。アサルトライフルを3丁束ねてへし折りながら返事をした。
「俺だ」
林から顔を出す。
「モローだ。こそ泥を捕まえた」
衛兵に引き渡し拘束した3人のうち、最初に踏み潰したやつは喀血し、呼吸が苦しそうだ。思ったより重傷らしいので救急車を呼ぶ。警察もすぐに来るだろう。
「俺のことは言うな。お前達の手柄にしてやるよ」
「モローさん……それは無理では?監視カメラもありますし」
衛兵の1人が、駐車場の監視カメラを指差す。
「そうか?じゃあ、またしばらく散歩もできないな」
俺はカメラに手を振ると、正門から領事館に戻った。スクラップになった3丁のアサルト・ライフルを持って。
へし折った時に気づいた。この銃はMPT-55というアサルト・ライフルだ。ローマ軍団の制式小銃。
男達が兵士ではないのは、動きを見てわかっていた。訓練を受けた動きではなかった。では何者か。目的は何か。やはり、俺だろうか。誰がこの俺を狙うというのか。
アヴィエルしかいない。
モンセギュール以降目立った動きはなく、アンキュラにも帰って来ない。王太子をものにするのに忙しかったのか。それが済んだからまた動きだしたのか。だがアヴィエルだとしたら、この手口はモンセギュールと比べてあまりにも粗雑過ぎる。
罠か。あるいは……。
フランク領事館に、ローマ軍団の制式小銃で銃撃。これはフランクから見れば、宣戦布告されたに等しい。フランクとローマの軍事的緊張が一気に高まるだろう。
それが狙いか。
アヴィエルは王太子妃になるのが目的なのではない。富や権力などどうでもいい。アヴィエルが欲しいのは崇拝なのだ。
兄として、妹のことはよく見てきた。アヴィエルは天に生まれた時から自身の造形を嫌い、卑屈になり、それを創造し授けた父を憎んでいた。
小さくて飛行には適さない翅、赤く重厚な蛇腹と尻尾。
客観的には、それは醜くはなくむしろ流麗で、背中の透きとおった翅は妖精のようだったし、大ぶりの鱗が整然と並び輝き、絢爛で美しいとさえ言えたのだが、アヴィエルは一度たりともそう思わなかったようだ。
飛べない天使は他にもたくさんいたし、造形の醜さを恥じるのは天に生まれたものとして異常だった。羨み、恥。そういう感情は、俺たちにはないはずだった。
アヴィエルは違った。妹が変わっているのはそこだ。恥や妬み、憎悪。憧れや好意、愛情。天のものには元来、不必要な感情。なぜかアヴィエルは、それらを持っていた。生まれた時から。
妹は神である父を憎んでいた。地上の人間たちに崇拝されることで、父の座を奪いたいのだ。
新たな、神として。
王太子妃、そして将来女王となれば、フランク政府は意のまま。同時に『いにしえの琥珀』を国教化し、民心もコントロールする。だが神と崇められるためには、もうひと押し……強力な押しが必要だ。
災害や戦争。大量の被害者を出し、それを救済する。奇跡を起こして。
これが、アヴィエルの計画だろう。そしてその舞台は、ほぼ間違いなく……7月22日のベジエのはずだ。そう予測してこちらも計画し、準備してきた。
だが、考え始めるときりがない。先月のスクール・シューティングも怪しい。あの子どもがロクツィオされていたかどうかは不明だが、俺を襲ったのもそのせいかも知れん。アヴィエルの知謀とロクツィオ。どんなことでも可能だ。
調べなくては。夏の日に備えて。
【6月6日午後 ジャポン・レストラン鯉】
「——で、調べたけど行き詰まった、と」
「|C'est ça.《そうなんだ》。カトリックの残党だ、という話と、マドレーヌの……推し?とかいうファン心理の暴走、という話が出てきた」
「推しとゆーか……てか、それでなんであんたはここにいるのさ?!」
パブちゃんとスシ喰ってる時だった。サマたんがいきなり現れた。
「Comment ça?君達と話がしたかったからだが?サフィーエ・サナルとパヴル・エルギュン。俺の知っている人間の中では、最も世俗に詳しい個体だ。近くに住んでるし、簡単に捕まる」
「いや、あんた指名手配中だよね?なにどーどーとこんな街の真ん中に?あんたが簡単に捕まるよ?」
「Ça va。ガスパールも連れてきたから」
副領事は車で待たせてるらしい。そーゆー問題?
「領事館襲撃か……そんなのニュースになってないよね、ネットでも。初めて聞いたんですけど?」
「襲撃されてないからな。その前に俺が捕まえた」
「でも、監視カメラが……あーそれもロクツィオでなんとかしたわけ?」
「Non!カメラにロクツィオは効かないが?」
「いや……まあいいや。とにかく、揉み消したかなんかってことだよね。んー。あんたはそんなの気にしなさそうだよね。ギュネルか」
サマたんがあたしのサーモンを喰った。
「ちょっと!それあたしのだし!自分で注文しろし!」
「|C'est bon,ça《これ美味いな》。カアン・ギュネルか」
「うん。知ってんの?」
「エグゼクトルだったな。真面目な男と聞いている。右腕」
「それソースはDGSE?」
「ソース?スシにはショウユだろう?」
「……。なにそれオヤジギャグ?あんた達って……みんな天然なの?天使だけに」
「天然。Exactement。天で生まれたからな」
「タイショー、サーモン追加で!——」
サマたんのために注文してやってから、パブちゃんに聞く。
「——テンネンってそーゆー意味だっけ?ボケてるって意味だよね?」
「あー……つまりさ。ジェイさんも……ノンデリとかヴェシレさん言ってるけど、空気読めないじゃん。あの人、周りのこととか興味がないことはとことん無関心。呆れるくらい無関心、てか無知。この殺し屋さんも同じだ」
「なる!JJで思い出した!サマたんヘビ見せろし!それ、ヅラ?」
「……ヅラ。その言葉もわからん。サマたん、とは俺のことか?」
「サマたんの地毛見せてって言ってんの!ヘビなんでしょ?JJから聞いた」
「……|S'il te plait、わかりやすい言葉で喋ってくれないか、サフィーエ・サナル」
ぶっちゃけ。サマたんは自分がヤバめなやつに狙われてるってガチってる。だから調べた。ミリもわかんなかった。テンネンボケだから。で、セゾクに超絶くわしーうちらに相談しにきた。頭のヘビは見せたくない。テレってんのか?……かわいすぎか。
「うーん。ローマ軍団制式小銃。それは確かにヤバいね。戦争不可避。隠したのは正解だよね。サマたんえらい」
「サマたんとしては、蟲螻どもが戦争になろうが知ったことでは——」
「ちょ!自分でサマたんて!超ウケる!てかあんたかわいすぎるんだけど!」
「……サマたんとは、俺のことなんだろう?」
「……。サマたんはやめようか。愛称だから。ニックネーム。あだ名。わかる?」
「Je vois。サマたんは俺のあだ名。理解した」
「で……その犯人のやつらは、サフィの病院に入院してると。でもその線はダメだよ。サフィはそれで一回逮捕されてるんだから。ギュネルに。まあ僕のせいなんだけど」
「またギュネルか。ギュネルは敵か?真面目で忠実で裏切らないはずだが」
「カンカンはねー。確かにエグい。真面目過ぎってか、カチカチカンカン。あたしは嫌い」
「うん。真面目なのは間違いないよね。敵でもないかな、今は。僕もあまり好きじゃないけど、領事館事件はギュネルは関係ないんじゃね?あんたと違って戦争なんか絶対したくないはずだから、事件を隠蔽したのはわかる。名前なんだっけ?犯人の」
「ユヌス・エムレ・サルマン。オヌル・チェリク。エネス・チェリク。2人は兄弟らしい」
パブちゃんがiPortaを触り始めた。
「サマたん、調べてどーすんの?やっつけんの?」
「蟲螻をやっつけてもつまらん。だが俺を狙っているやつは許さん。誰かは、わかっている」
「そーなの?じゃあそいつんとこ行けばよくね?あーでも危ないことはダメだよ。またケガしちゃうよ?」
「チェリク兄弟。これだね。カトリック教会の……あーなるほど。へえ」
「Dis-moi」
「こいつら、教会のお金横流しして儲けてたんだ。それを革命で全部チャラにされて……『いにしえの琥珀』のせいだと思ってるみたい。地方でそういう運動してた。もう1人も仲間かな」
パブちゃんはiPortaを置いて、サマたんを見た。
「サマエルさん。モローさん?どっちでもいいけどさ。あんたは何がしたいの?ジェイさんが気にしてたよ」
「それをお前が知ってどうする?パヴル・エルギュン」
「どうするって?こう見えても僕は、ローマの広報担当。ズィとはバディだ。こんな国だけど、僕らの作った国だ。あんたが敵か味方か。知る必要があるよ。なによりも……ジェイさんは仲間だ」
サマたんがパブちゃんをじーっと見た。パブちゃんも、いつもの黒縁眼鏡でにらめっこ。バビュール様の目だ。フツーの透けてる眼鏡。実はレンズがチート。ロクツィオはガードできるって、前にパブちゃんがドヤってた。
推し2人のにらめっこ。激ヤバ。ティッシュティッシュ。
「ふん。お前は蟲螻じゃない。だから助けた。……Soit。話す価値がありそうだ。サフィーエ・サナル、あなたにも聞いて欲しい」
そうして聞いたサマたんの話は、鼻血どころの騒ぎじゃなかった。いやマジで。
できれば……聞きたくなかった。
【6月15日 バシャクシェヒル、チャムさくら病院】
「アルビジョア・ハチュル、ベジエ、モンセギュール。カタリ派も、トゥールーズ伯も、全部?」
「Exactement.俺が転生したのはモンセギュールの直前だがな。それまでのことはアザズェルと見てた。今回と同じく」
クソキザフランクは、自分がぶら下げてきたジェイへのお見舞いのフルーツ・バスケットからりんごを取ると、ガブっと噛み付いた。
「サマたん!めっ!」
サフィに怒られて、りんごをバスケットに返そうとして、その手の甲をピシャリと叩かれてあたふたしてる。元DGSEの殺し屋で、今は死の天使サマエルが。
「お行儀悪過ぎか?ごめんねVVちゃん。うちのサマたんが」
サフィはアジル看護師のネイビーのスクラブを着ている。なんか転院になったらしい。突然。
「てかさー。ブチギレなんですけど!」
クソキザが一歩引いた。
「いやサマたんじゃないし。カンカンギュネル!いきなりこっちに転院しろってどゆこと?!勝手過ぎ!!」
パヴルくんが肩をすくめる。
「よかったじゃんサフィ。ジェイさんの病院なんだから。あっちは治安悪過ぎだし」
ギュネルというか政府の意向だそう。アンキュラは変な事件が多いから、ズィにすればこっちに居てくれた方が安心……なにしろサフィは国民的アイコンだ。そのことは時々忘れるけど。
わたしも嬉しい。サフィがいるとすごく心強い。
クソキザは……サマエルは、サフィとパヴルくんと一緒に、コンスタンティノープルにやって来た。もちろん1人でも来れたんだろうけど、それだったらわたし達は会わなかったかも。サフィとパヴルくんはそう思って、付き添いできてくれたらしい。
今日はまた、定期検診だった。手術に備えての、心エコー・心臓カテーテル検査。ドクター・セレン直々に。
手術の日程は、まだ決めていなかった。
おれは素直に疑問を口に出した。
「アヴィエルはなぜ、そんなことを?」
「親父を憎んでいるからだ。自分の造形を」
「なぜだ。それがわからない。あんなに綺麗で……頭も良かった。おれは好きだった」
バシッと頭を叩かれた。ヴィに。
「あ、ごめんね?つい」
ヴィの目つきはごめんねという目じゃない。
「天使は……そんな感情、ないって聞いたけど。このばか男から」
「あー……アヴィエルは、異常なんだ。君たちに似ている」
「わたし達が異常。まあいいけど。つまり、カタリ派……グノーシス主義の考え方が、アヴィエルの野望にマッチしちゃったってわけか」
「従来の神様は偽の神。私が真の神よってことだね。すごいねある意味。でも当時はカトリック全盛期。無理過ぎ。カタリ派なんて超少数派だし……あーだから今なのか。僕たちがカトリック潰しちゃったから」
「パヴルくんたちのせいじゃない。カトリックなんてもうずっと前から……」
「あら。ヴェシレさんも言うようになったね」
「ちゃかさないの。わたし、最近ずっと考えてた。『いにしえの琥珀』もカトリックも、おんなじだって。教えは素晴らしいけど、結局は政治に利用されるだけ。信仰心をね」
「アヴィエルもそうだ。人間の信仰心を利用して、父への恨みを晴らそうとしている。だが前の時は、まだ人間のことをよく理解していなかった。トゥールーズ伯をカタリ派に嵌めた後も何度か転生し直してベジエの大虐殺を引き起こしたりしたが、神と崇めたのはごく少数の人間だけだった。俺は妹を嗜めるため、モンセギュールで木偶を殺した。妹は天に帰って——」
「ちょ、それさ」
サフィが口を挟んだ。
「天に帰ってって、なんで?そんなたくさん人殺したり、戦争を起こしたやつがなんでまた天国なの?そんなやつ地獄に——」
「天国、か」
言葉が口をついて出た。
「別に、善い人が行く場所ってわけじゃない。ただの場所だ」
「En effet.俺たちはそこから堕ちたわけだが、人間たちの言い方を真似るなら……親父に反抗したから叩き出された。それだけだ。アヴィエルは……親父のお気に入りだったしな」
「……は?なんそれ!オヤジって、神様のことだよね?なんなん!神様って!クソオヤジじゃん!」
サマエルが笑った。おれも。
ヴィは笑えなかった。
「それで?アヴィエルは今も地上にいて、13世紀の大虐殺を繰り返そうとしている。同じ場所、同じ日に。あなたは、そう考えてる」
「俺が考えてるだけじゃない。確実だ。アヴィエルがそれをやるのは間違いない。あいつはそういうやつなんだ。ベジエ、7月22日。マグダラのマリア記念日。ベジエで何か大きな事件を起こし、それを救済する。マグダラのマリアの生まれ変わりだとかなんとか言って。ロクツィオを使ってそれっぽい奇跡を起こして見せる。人間はそういうのにコロッと騙されるからな」
「あなたはそれを止めたい。前みたいに。それで?また同じことを——」
「ただ木偶を殺すだけならそうなるな。だが今回は違う。アヴィエルを天へは帰さない。捕まえる」
「そんなことできるの?どうやって——」
「俺一人じゃ無理だ。だからここに来た」
クソキザはジェイを見た。
「俺とアヴィエル。同時に殺してくれ。それができるのはお前だけだ、ジェイエル」
「だめよ」
わたしは即答した。ジェイに変わって。いやジェイの気持ちなんか知らない。そんなのはだめ。
「ジェイにそんなこと頼まないで。この人の心臓は——」
「断る」
ジェイがわたしの前に。
「お前とアヴィエルを——その依代を、同時に殺す。アヴィエルが依代から抜けた瞬間にお前が捕まえ、地獄へ引き摺り降ろす。それで?」
「それで?どういう意味だ?地獄で——」
「お前も親父と同じだ。妹に甘い。地獄に堕ちてからだってまた転生できるぞ?おれ達みたいに」
「そんなことはさせない。俺が許さない。兄として——」
「それか甘いと言ってるんだ。もっと確実な方法がある」
ジェイの背中。急に大きく感じた。翼が、とか物質的な意味じゃなく。
「アヴィエルを閉じ込める。檻に」
……急に、遠く感じた。
「ちょっと待って!」
パヴルくんが大声で言った。
「どんどん話し進めて、なんか壮大な話しになってるけどさ。その前に、すごく大事なことまだ言ってないよね、モローさん」
「大事なこと?全部話したと思うが——」
「モローさん。あんたにとってはそうかもね。サマエル。アヴィエル。神様。天国。地獄」
「パブちゃん。待って——」
サフィが、スッとわたしの横に立った。「——VVちゃん、あのね?ちょっと座らない?」
ベンチにわたしを、押さえつけるように座らせる。な……なに。これは……なにか、わたしがショックを受けるから、倒れる前に座らせた?
わたしはいつものようにジェイにしがみついてるから、ジェイも一緒に座った。
「——うん。いいよ、パブちゃん……」
「……ありがとう、サフィ」
パヴルくんが唾を飲み込んだ。わたしもつられた。
「サマエルさん。あんたは天使……堕天使?どっちでもいいけど。でもその身体は?モローさんだ」
「Hein?Et alors?」
「うん。じゃあ、アヴィエルは?あんたさっきから、殺すとか軽く言ってるけどさ。誰を?いや、僕らはこないだ聞いたよ。ものすごく驚いた。ショックだった」
「パヴルくん?なに言ってるの?誰なの?アヴィエルは?」
パヴルくんとサフィが、見つめ合ってから頷いた。
「ヴェシレさん……落ち着いてね。アヴィエルは——」
パヴルくんが目を閉じた。
「——マドレーヌなんだ」
【同日同時刻 エクス、王宮】
「マドレーヌ様。殿下が、お茶をご一緒にと」
王太子付きの執事が、扉のない入り口から室内には足を踏み入れず、お辞儀した。
「まあ!嬉しゅうございますわ!でも……どうしましょう?困りましたわ。殿下にはすぐにお目にかかりたいのですけれど……」
マドレーヌは輝くばかりの笑顔を見せて、それからスッと項垂れて見せた。
「どうなさいました?お加減でも?」
「いいえ?私は元気ですわ?その……アンジーが、ちょっと……」
「ああ。これは気づきませんで、申し訳ございません。ヴェスパー様が長旅から帰られたばかりでしたな。積もるお話がございましょう……マドレーヌ様は、下々にも本当にお気遣いなされて。お優しいことで」
「そんな、私など——」
マドレーヌは近過ぎるほど執事との距離を詰めた。執事が思わず一歩下がる。
「——あなた、お名前は?」
「い、いえ……滅相もございません。お耳を汚すわけには参りませぬ……」
「ほほほ……謙虚なお方ですこと。殿下には、後ほど必ずお伺いしますとお伝えくださいませんこと?ヴェルサイユのお話をしてくださるお約束なの!」
「か、かしこまりました。直ちに」
執事は顔を上げずに下がった。アンジーは、冷徹な笑みを浮かべるマドレーヌのそばに行き、耳打ちした。
「お嬢様、お戯れを。よろしいのですか?王太子殿下のお誘いを——」
「かまわん」
マドレーヌはもう無表情だった。
「王太子などどうにでもなる。今から行って、熱い茶を頭からぶっかけてやっても、ヘラヘラして私への愛を語るぞ?王と王妃も言いなりだ。他の者たちまでは……めんどうだ。あれで良い」
「おっしゃる通りでございます。ああいう者たちが、お嬢様の愛らしさを民衆に伝えてくれましょう」
「ローマはどうだ?」
「はい。カアン・ギュネルは上手く準備を進めております。全て計画通りに」
マドレーヌの表情が強張り、声を荒げた。
「当然だ!そんなことを聞いているのではない!」
「お……お嬢様……宮中では、お声は……」
「……ヴェシレ・クルチュだ。ヴェシレ・クルチュはどうだと聞いている」
「は、はい……失礼いたしました。ヴェシレ・クルチュは、相変わらずかと……」
「もう、2ヶ月も離れたままだ……兄上の動きも、油断はできぬ。ボディは?」
「……ボディ……は……はい」
アンジーは呼吸を整えてから、言った。
「ヴェシレ・クルチュのボディは、無傷です」




