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第九話 あなたの答え


 初夏とはいえ夜は気温が下がる。

 私は温かい飲み物を二人分準備して待っていた。



 扉が開いて黒い革靴が私の店に入る。

 いつもは、気さくに笑いかける彼なのに無表情で彼は立っていた。

 その顔に思わず苦笑する。


 警戒心の強い猫みたいだ。

 けれど、来てくれたことがとても嬉しい。


「こんばんは殿下。軽食も用意していますがいかがですか」

「……頂こう」


 彼はいつもの席につくと、腕組みしながら私が用意するのをじっと見ていた。

「アルノーは二週間後に復帰できるらしい」

「良かったです」

 思わず頬がほころぶ私に彼は眉を潜めた。


「俺の侍従などお前にとって気にする人間でもないだろう。なぜそこまで喜ぶ?」

「アルノーという方は、殿下にとって大事な方でしょう?」

 あなたは自分を危険にさらすくせして、仲間を失うことに極端におびえる。


 あの日、珍しくあなたは私にお酒をねだった。

『お酒?! カフェにそんなもんあるわけないでしょうが!!』

『……だよな』

『どうしたんですか? ずいぶんと弱ってますね……』

『アルノーが……倒れた』

 彼は呟いた。

『アルノーの体調をみてやれなかった。あいつに頼り切ってしまったんだ』

 小さく震える声。

 こんな彼は初めて見る。



 彼を見ていたら、アルノーという人がなんとなくわかる気がした。

 だって、彼はここまで心配している。

 そして、彼はいつも真剣で、不器用だけどまじめで、国のために動いている。


 アルノーという人は、そんなあなただから、助けたいと思った。倒れるくらいに。


『ねえ、殿下。私はアルノーさんのこと知りませんけど、殿下の力になりたかったんですよ。目に隈ができるほど必死になってらっしゃるんですもん。殿下の仕事を減らしたかったんでしょう』


『あいつは、いいやつなんだ。……俺にはもったいない部下だよ』

 彼はカップを見つめたまま、それ以上言葉を続けなかった。


『そう思うなら、殿下はしっかり食べて寝て、元気いっぱいで仕事してくださいよ。お酒は出せませんけど、そんな雰囲気のドリンク作ってあげちゃいます。スパイスとガスを入れると、気分ですけど酔えますよ』

『……付き合ってくれるか』

『いいですよー』


 その日は特別に作ったドリンクを飲みながら彼の話を聞いた。

 彼の後悔は、やはり心に爪痕を残して……二週間後に控えた夜会で取り返しのつかないことになる。



「アルノー様が倒れたら、殿下はご自分を責めますからね」


「ああ……そうだな」

 彼は私をじっと見つめる。


「だから、良かったです」

 けれど、それだけでは足りない。

 夜会の事件は避けられない。


 そのためには、もう一歩踏み込まないと。


「ねえ、殿下。少しは私を信じる気になりましたか?」

 私が言うと、セドリックの赤い目は細められた。どこまでも冷たい色をしている。


「無理だ」


「……どうしたら信じてくれますか」


「お前が貴族という時点で無理だ」


「殿下が出自で人を差別するとは思いませんでした」


「あいにく、俺は聖人君子ではない。これまで通り、カフェオーナーとして暮らしていろ。俺も……今まで通りここに来るから」

 きっと、彼なりの譲歩だ。

 けれど、一度壊れた関係が元に戻ることはない。


 それならばいっそ、壊してしまえ。

 そして、そこから作ればいい。


 私の目的はあなたに好かれることじゃない。

「はっ! お断りですね」

 吐き捨てるように言えば、彼はいぶかしげに眉を潜める。


「は?」


「私を信用しない人に、来ていただくなんて御免です」


「……おい」

 むっと彼は顔をしかめた。


「殿下、私を……二週間だけ殿下のお側で仕えさせてください。身分は何でも構いません。それで、私があなたを助けることができたら信じて下さい」


「俺を助けるだと?」


「侍従がいなくて不便でしょう?代理として使ってください。これでも、教育は受けてきたので優秀ですよ」


「信用できないお前を側におけるものか」


「あら、信用できないからこそ側に置くべきでは? 殿下、私はヴァルグレイスです。権力を使おうと思えば使えます。それでも使いたくないから、こうやってお願いしているんですよ」


「……やっぱり、お前は俺の知る公女じゃない。あいつは、権力をちらつかせることはしない」

 彼は私を睨んできた。

 視線だけで拒絶された気がした。


 それでもひるむものか。


「そうですね。でも、あなたを守るためならどんなことでもしますよ。私は」

 手段なんか選んでいられないの。

 私はセドリックの赤い目を見つめる。


 彼の赤い瞳が揺れた。

 

 

 静けさだけが広がる。


 

 沈黙が永遠のように感じられた。

 私は手のひらに爪を食い込ませる。


 彼が呆れて場を離れたのなら、……それこそヴァルグレイスの力を使うしかなくなる。

 あなたを権力で縛りたくはないのに。 



「……なぜ、そこまで」

 彼は小さくつぶやいた。

 赤い目が揺らぐ。


「好きだからですよ! それ以外にありますか!!」

 思わず怒鳴る私に、セドリックは赤い目を大きく開く。



「……いつもと逆だな。俺がお前に求婚していたのに」

 セドリックが喉で笑う。


「お前は俺を失いたくないと言ったな……本当に証明できるのか?」

 目は探るような色をしていた。


「ええ、機会をいただけるのなら」

 私が答えると、彼は少し黙り込んだ。


 

「……いいだろう。お前を試してやる」

 私は思わず目を見開いた。


「だが、信頼に足りないと判断したら、俺がお前を利用する。ヴァルグレイスの力を俺のために使わせてもらうぞ」



「……構いませんわ」

 彼の側に行ける。

 それが嬉しい。


「それで、私はいったいどういう身分になるのでしょう?」


「もしかして下女かもしれない」

 からかうように彼は言う。


「はは、皿洗いまでこなす私が下女くらいでひるむとでも? 身分を隠すくらい構いませんよ」


「店はどうするつもりだ?」


「元々閉める予定でしたから問題ありません」


 彼は眉をひそめた。

「ここはいい店だ。ここに来るのを楽しみにしている客もいるだろう。人を雇って継続させろ」


「……ありがとうございます」

 まさかここを褒められるなんて。

 嬉しさに頬が熱くなる。


「礼を言うには早い。俺はまだお前を信用しきれていない。……だから信じさせてくれ」

 さっきとは違う。

 彼の赤い瞳に温度が戻った。

 いつも私を見てくれる優しい温度に。


「ええ、もちろん」

 私は力強く答えた。

 あなたの信頼に必ず応える。そして、今度こそ必ず守って見せるから。


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