第四話 あなたと、最後の朝
それから彼は、閉店後の店で仮眠を取るようになった。
彼の金色の髪を見ながら皿洗いをするのが、日常になっていた。
そんなある日――
「そういえば、ケルファンの実に気をつけろ。違法薬物の原材料なんだ」
「違法薬物とは穏やかじゃありませんね。女性拉致事件も聞きますし、なんだか帝国が物騒になっていってません?」
「安心しろ。俺の国で奴らの勝手はさせない。一か月後くらいには、前みたいに平和になるさ」
彼はそう不敵に笑った。
自信家で、尊大。
でも、それに見合う実力がある。
私は何も心配していなかった。
それからしばらく、彼は店に来なかった。帝位争いが激化しているのか、何かの事件で奔走しているんだろうと私は推測していた。
そして、セドリックが来なくなってから一か月たったある日、ひどくやつれた様子で彼は現れた。
顔色は青白く、頬は少しこけ、笑っているのに今にも倒れそうだった。
「ど、どうしたんですか?というかここに来ないで宮に帰って休んでくださいよ!! 誰か……あれ今日は護衛いないんですか?」
「……少し、配置換えがあってな」
「なおさら宮殿に戻ってください!! うちの護衛に送らせます!!」
「お前のそばがいい。眠れないんだ」
「……ああもう、仕方ないですね!!二階に来てください!!私の仮眠部屋がありますから!!」
「うん」
「素直でよろしい。そこに横になっててください。お茶用意します。あと、食事もとってないですよね?消化にいいもの作りますから」
「ありがとう」
彼は安心しきった顔をした。
仮眠室のベッドで彼が横になる。
いつも堂々として、隙なんてない彼がひどく弱っている。
「なあ」
「はい?」
「やっぱり、婚約者になってくれないか?」
何度も聞いた言葉だった。
なのに、その日は冗談に聞こえなかった。
「……無理ですよ」
私はいつものように答えた。
だって今の関係がいい。
皇子と公女になれば、きっとこの場所には戻れなくなる。
「そうか」
彼は穏やかに笑った。
「残念だ」
その日は夜中まで起きなかった。
よほど疲れがたまっているんだろう。私は椅子に座って彼を見ていた。
――仕方ない。
私のそばが落ち着くと言うなら、少しくらい付き合ってあげよう。
彼が起きたのは空が白み始めてからだった。
目が覚めたらしい彼は、ぼうっとした顔で私を見つめていた。
「……エリーザ」
「珍しいですね。私を名前で呼ぶなんて」
「……お前も俺のことを名前で呼ばないだろ」
寝起きらしい掠れた顔で彼は言う。すねたような言い方に私は笑った。
「お許しいただけるので?」
「ああ、セドリックって呼んでほしい」
「セドリック」
試すように呼ぶと、
彼は一瞬だけ目を見開いたあと、小さく笑った。
「……その呼び方、悪くない」
嬉しそうに彼は微笑む。
その日の朝は二人で朝食をとった。簡単なトーストとモーニングティー。昨日仕込んだスープだ。カウンターではなく、テーブル席で対面して座る。
「美味しい」
「それは良かったです」
「お前の料理が一番好きだ」
「シェフが泣きますよ。それ」
あははっと私が笑うと彼はふっと微笑む。
「事実だ。ありがとう、ご馳走様。俺はもう行くが今度改めて礼をする。次までに何が欲しいか考えてくれ」
「なんでもいいんです?」
「ティライ古代語の本を入手した俺にそれを聞くか?」
不敵に笑う彼に私は期待に満ちた顔で返す。
「ふふふ、それじゃあとびっきりのお礼をお願いしますね」
「任せておけ、次に来たら、お前の返事をもう一度聞かせてくれよ」
そう言って、彼は少しだけ目を細めて笑った。
その時の私は、これが最後になるなんてわからなかった。
いつものやりとりだと、みじんも疑わなかった。
翌日、第一皇子セドリックの訃報が国中に知れ渡った。
私はそれをタウンハウスの私室で知った。執事が用意した新聞の一面記事だった。
「お嬢様と親しくされていたので伏せておこうかと思ったのですが、有名な方なのですぐお耳に入るだろうと思いました」
長年使えてくれる彼は、私をとても心配してくれていた。
「……ですが、お嬢様にお伝えするべきではなかったと後悔しております。申し訳ございません」
冷や汗が出て、体中が震えて力が抜けていく。
「うそよね?うそでしょ……?だって、私と話していたの。
次に会ったらって……」
「私、まだ返事していないのに……」
立っていられない。
世界がぐらりと揺れた。
「……」
執事はうつむいた。
その無言が肯定を示している。
「なぜ?何があったの!?誰に殺されたのよ!! 犯人は捕まったの!?」
「殿下は……薬物中毒で亡くなられたそうです」
「薬物中毒……ですって?」
「はい、帝都に出回る違法薬物だそうです」
「誰に盛られたの?! 犯人は捕まったのよね!!」
「いえ、殿下自身が常用していたそうで、そう侍女頭が証言しております」
「ありえない!!ありえないわ!!」
私はそう叫んで新聞をひっつかみ、記事を読んだ。
すると信じられないことに、彼の死はなじみの売春宿で薬物を乱用し、中毒で死んだと記されていた。
『何度もお止めしたのですが、殿下は薬物を取り続けました。侍女や使用人に無理やり打とうとしたこともございました』
そう証言するのは長年勤めたという侍女頭だ。
『殿下は公金を私的に使い込み、女や薬に溺れておられました』
『孤児院の予算も、下水路整備の費用も、殿下の遊興費に消えていきました』
嘘だ。
彼のそばにいたのなら彼がどんなに優しくて、誠実で、国のためを思っていたかわかるはずだ。
私は怒りでどうにかなりそうだった。
あの人がそんなことするわけない。
違法薬物を憎んでいた人だ。
茶器を贈るだけで「これは私費だ」と笑う人だ。
孤児院の話を、橋の話を、誰より真剣に語っていた人だ。
私は彼の護衛の言葉を思い出した。
『殿下が気を許せる方はとても少ないのですよ。母君が亡くなってから宮殿は今の皇后の管理下に置かれてしまいましたから』
その言葉の意味を今ようやく知る。
セドリックは敵だらけの場所で生きていたのだ。
それを私は知ろうともしなかった。
彼の護衛たちは何かしらの罪で獄につながれ、最側近たちは次々と処刑された。支持派の貴族もだ。粛清は止まることはなかった。
皇帝はセドリックの死後数日で崩御し、ロランが皇帝となった。




