■第三十三 あなたが来る前に終わらせないとね
帝都、第一皇子宮殿で、血相を変えた青年が走っていた。
アルノー・ベルクレイン。
第一皇子の筆頭侍従、側近中の側近の彼は、青ざめた顔で主の執務室の扉を開けた。
「殿下! 大変です!!」
セドリックは手を止め、険しい顔でアルノーの言葉を待った。
側近たちの顔に緊張が走る。
「南部の……南部の公女が北部支援を名目に介入しました!! おそらく、ヴァルグレイス公爵の意向と思われます!!」
アルノーの叫びのような声に補佐官たちは青ざめ、顔をこわばらせた。
補佐官の一人は憎々し気に言い放った。
「人身売買にも噛んでいるかもしれません! なにしろあの男のことです。何を企んでいるかわかったものじゃない。氷の魔将の異名をとるほどですから」
氷の魔将……戦場と政争で見せた冷酷さと氷のように凍てついた容貌からその名がつけられた。逆鱗に触れた国はその名を消したほど。
「殿下、ヴァルグレイス公爵家をけん制するため、騎士団を派遣をいたしましょう! 北部が奴らの手に落ちる前に救わなければ」
義憤に燃える目で、補佐官たちは主に進言した。
そんな緊迫した空気の中、セドリックから返ってきたのは笑い声だった。
エリアスが消えてから、笑顔さえなくなった主君が、楽しそうに笑い転げている。
「で、殿下?」
「いや、なんでもない。……南部の公女が北部に介入したと言ったな? 具体的には何を?」
「村の占領です。表向きは支援ですが……ルーデック卿の推察通り、人身売買に関与していると思われます。あとは賭博、闇金に密輸ですね」
苦々しい顔で言うアルノーに、補佐官たちは眉を潜め、嫌悪感をあらわにした。
「……あと」
「まだあるのか」
補佐官たちとは真逆に、セドリックは余裕の顔だ。
「……娼館経営です」
アルノーが歯切れ悪く言った。村の占領と娼館経営……それが何を意味するか、わからないほどアルノーは純粋ではない。
「なんという……」
補佐官の一人が絶句した。
「それと、北部の裏社会では最近、『公女に持ち込めば、どんな商品でも金に換わる』という噂まで流れています。非合法な品の売買にも手を染めているのではないかと」
アルノーの顔がさらに険しくなる。
「……殿下。部隊を率いて、公女を弾劾いたしましょう!! 公女をたどれば、ロラン派の尻尾も掴めるかもしれません!!」
補佐官の一人が声を上げた。
そして次々に声が上がり始めた。
「ええ!! 冬の視察ではあと一歩のところで取り逃がしました!! 証拠さえあれば、ロラン派を失脚させられます!!」
しかし、セドリックは肩を震わせていた。
「くっ……ははははは!」
「で、殿下?!」
「いや……つくづく思い通りにはいかないな」
セドリックはそう笑った。
脳裏に浮かぶのは、帝都にいたいと懇願する少女の顔だ。
大事で、大切で、彼女だけは守りたいと思ったから、政争から離れさせて南部に帰したというのに……火中に自ら突っ込んでいくとは、セドリックの想像をはるかに超える。
彼女の愛をなめていた。
それがセドリックの失敗だ。
もはや苦笑を通り越して感嘆に値する。
だが一つだけ、セドリックが気に食わないことがある。
(エリーザ……お前は俺から離れる気だな)
でなければ、あのような悪評に塗れるはずがない。
お前が言ったんだからな。
カウンターキッチンの奥、だらしなく肘をついてエリーザは不貞腐れる。
『ですからいいかげんに悪評何とかして下さいよー』
『そのうちな』
『あんなもん放置してたら悪い人ばっかりよって来ますよ』
『いい撒き餌だろ。それにお前は俺から離れていかないから』
俺が笑ったのを見て、エリーザは頬を膨らました。
お前は悪名に塗れた俺を避けることはなかった。
ずっと手を差し伸べてくれた。
そんなお前だから、逆の立場になったとき。
お前は俺から離れていくのだろう。
俺を帝位につけるために。
(そんなこと俺が許すはずないだろ。未来を掴むのは俺一人じゃない。お前と二人でだ)
セドリックはぎゅっと拳を握った。
「北部の総指揮はテオドールだったな。公女の動向を逐一探らせろ。ただし、手は一切出すな!! それは徹底させろ」
補佐官たちは、ヴァルグレイス公爵を警戒してのことだと思ったが、長い付き合いのアルノーだけは、その違和感に気づいた。
表情が明るい。
まるでエリアスが去る前の……生き生きとした顔だ。
何をバカなとアルノーは自嘲し、指示書にペンを走らせた。
■
肌寒い北部は夏でも貴族は暖炉を使う。
ぱちぱちと燃える火を見ながら、エリーザは地図を睨みつける。
セドリックが動き出すことも考え、計画の前倒しの必要性が出てきたからだ。
「まずい、まずいわ」
難しい顔でエリーザは顎を手触りながら。考え込む。
「どうなさったんです? なにか計画に支障でも?」
リディアがティーポットをワゴンに置き、小走りで側に寄った。
「下手をしたら第一皇子殿下が北部に来てしまうわ」
「いやまさか。北部までわざわざ来ませんよ。それに狩猟パーティの準備もありますし、今は社交シーズン。支持基盤を盤石にする重要な時です」
「いや、来るわ。冬の北部に来た男よ」
「ふ、冬の?」
ひゅっとリディアが喉から悲鳴をあげた。
「で、ですが、殿下とお嬢様は志を同じくされているんですよね? でしたら、共闘されればよいのでは」
「それがまずいのよ!! 私は悪女で通っているの。その女の下へ殿下が来たら世間はなんて言う? 悪逆皇子と悪女のマリアージュだと噂するわ」
「ああ……第一皇子殿下の悪名もなかなかのものですからね」
「でしょう。ますますロラン支持が増えるじゃない!! 私の目的はロランの悪事を白日の下にさらし、セドリックの汚名を返上することなのに、今、来られると計画が破綻するのよ!!」
「……ですね」
リディアは何とも言えない顔になった。
彼女がそんな表情になるのは、エリーザの考えにすべて賛同していないから。
悪名を背負い、好きな人から嫌われる覚悟までをしたエリーザを、リディアは悲しく思っていた。
セドリック皇子も、エリーザを愛する人は誰一人、喜ばない。
だから、リディアだけは味方になるのだ。
地獄を進むと決めたこの主とともに進むと。
「リディア。餌に食いついた小悪党どもの根城に隠密部隊を向かわせて。跡形もなく潰しなさい」
「……わかりました」
「片っ端から潰して、ロランをあぶり出すわ」
エリーザの言葉に、リディアは目を瞬かせたが、すぐにいつもの表情に戻ると部下たちに指示を飛ばした。
「そっちの指揮はあなたに任せるわ。私は代官のパーティに行ってくるわね。ようやく招待状を手に入れたの」
「代官……セドリック殿下が北部の総指揮にと任命した方ですよね? 秘密裏に協力を仰がれては?」
リディアが進言すると、エリーザは首を振った。
「まともな代官なら北部はここまで腐敗しないわ。……オクタヴィアや騎士団長のように、ロランが仕込んだあちら側の人間よ」
セドリックはその男の裏の顔をまだ知らない。
オクタヴィアや騎士団長たちのようにセドリックが幼い時から、味方の顔で側にいただろうから。
エリーザは静かに笑む。
「まずは一人目、代官から仕留めに行きましょう」




