第三十話 北は、あなたがいたところ
あれから、リディアは私の意をくんで動いてくれている。
もともと聡明な彼女だから、思った以上の成果が出た。
今では南部の商会はほぼ掌握済みだ。
南部の社交界は相変わらずリディアが中心となっているが、ここ数日でがらりと様子が変わっている。
「ねえエリーザ」
桃の香りが湯気に乗る。
叔母は温かい紅茶をテーブルに置いた。
「なんでしょうか叔母さま」
毒の調合をしながら、私は叔母の問いかけに答える。三か月しかない期間の中、私が覚えることは膨大だ。母からの知識があるとはいえ、のんきにティーブレイクとしゃれこめない。
「あなた、気に入らない令嬢を社交界から追い出したんですって?」
「……そうですね」
私はあいまいに笑った。
追い出しているのはリディアだ。
私を蔑み、嘲笑した令嬢たちを切り捨てていっている。
『人の表面しかみないひと、必要ありませんもの。もし、私があのオーギュストと婚約し、詐欺師だと世間が知った後、彼女たちはきっと私を蔑みますしね』
あくまで自分のため、自分の判断とリディアは言うが、私という存在がいなければ、リディアはそんなことをしなかっただろう。
私がリディアをそこまで堕とした。
罪悪感はないとはいえない。
けれど、リディアのおかげで南部の私の格は上がっていることも事実。
『公女さまを怒らせると怖い』と、畏怖され、いつからか、私にも丁寧な招待状が届くようになった。
叔母はふふっと笑った。
「この間ね。白銀の魔女の後継者ですかって、尋ねられたわよ」
「それで叔母さまはなんとお答えに?」
「……私の後継者じゃないわって」
「ありがとうございます」
私がこの世界に入ったのはセドリックのため。
ヴァルグレイスのためではないから。
私は社交術を磨くためにいろいろな場所に出入りした。それこそ、裏社会と呼ばれるところまで。
その成果は立ち居振る舞いとなって表れているように思う。
顔つきも変わった。
『お嬢……様ですよね』
と、びっくりした侍女たちの顔は忘れられない。
そんなある日、私は父と叔母に呼ばれた。
二人そろってというところに嫌な予感しかしない。
駒として不適格と、笑顔で言われる気がしてしまう。
居間の扉の前で、深呼吸をする。
見慣れた白い綺麗な扉なのに、今の私にはとてつもなく怖い。
震える手で取っ手を掴み、意識して作った笑顔を顔に浮かべる。
扉を開くと、ソファでくつろぐ二人がいた。
父の愛用する葉巻のスモーキーな香りがふわっとかおる。
「エリーザが参りましたわ。お父さま。叔母さま」
「いらっしゃいエリーザ。好きなところに座って」
「はい」
私は二人の真正面のソファに腰を掛けた。
すかさず、侍女が私の分の紅茶をカップに注いでテーブルに置いた。一言も発さず、一礼して部屋から出ていく。
ここには、もはやヴァルグレイスしかいない。
「社交界は順調のようね。まさか駒ではなく代理人を用意するなんて思わなかったわ。それでこそヴァルグレイスよ。……リディアはあなたに心酔しているわね」
叔母が楽しげに笑う。
「心酔ではないと思います。彼女はそこまで愚かではないので」
吹っ切れたように笑う彼女の顔を思い浮かべる。
『忙しいと変なことを考えなくてすむので。それに、私はこういうのに向いていたようですわ』
思った以上に逞しい女性だ。
「そんな人物を味方に引き入れたのがすごいということよ」
「カテジーナが褒めるなんてそうそうない。誇っていいぞ」
叔母の言葉に父が間髪入れずに言った。
嬉しいが、これで安心していられない。
これからが本番だ。
「……ありがとうございます。それで、ご用件は何でしょうか」
気を引き締め、二人を見る。
仲良くソファに腰を掛けた叔母と父は互いに目配せして、父が口を開いた。
「北部で怪しい動きがあったことをお前に言いたくてね」
父から分厚い資料を受け取り、私はページをめくった。
「……人身売買はやはりここで行われているのですね。調べないと出てこないとなると……情報統制がされてますね。それも、過酷なまでの」
「素晴らしい分析だ。他の令嬢はそこまで読めなかった。お前が皇子の妃第一候補のままだな」
父の不穏な言葉に私は苦笑する。
「……お父さまのことですから、予備を用意しているとは思いましたよ」
私は苦笑するしかなかった。
「予備とは失礼な、私もレイモンドも、もちろんカテジーナもお前を政争に参加させたくないだけさ。なので、安心して失敗しなさい」
「いじわるねえ。ローガンは。こんなに必死に頑張っているのに」
叔母は呆れたようにため息をつく。
「北部の一件だけ見ても、普通の敵じゃないだろう? 父親として当然だ」
「まあそうね。しかも、攫っているのは年端のいかない子供……女性。いやな気配しかないわ」
叔母が顔をしかめる。
「北部の代表家門、フローデンベルグ公爵家に問い合わせしたが、なしのつぶてだ。あれは、もはや機能していない」
父は難しい顔をする。
本来であれば、代表家門が片をつけるべき案件だ。
しかし、フローデンベルグ公爵家は当主が事故死してから、あそこは腐敗が激しい。
隠居した前当主が中継ぎとして臨時当主になっているが、病床から起き上がれず、次期後継者はまだ五歳だ。
「普通であれば、家臣たちが当主を補佐し、後継者を育てていくものだが……。あれらは、民が消えているというのに、誰一人責任を取ろうとしない」
父が吐き捨てるように言った。
叔母も眉間にしわを寄せる。
この二人は恐ろしい二つ名で畏怖されているが、すべては南部を守るためだ。
それが誇らしい。
「こういうときこそ、皇帝が介入するべきですわ。進言をいたしましょう」
すると、父は肩をすくめる。
「今の皇帝にそんな度量はないよ。イザベラ皇后が存命だったら違っただろうけどね。セドリック皇子が動くことを期待しているんだがな」
「……セドリックは動きましたわ」
私が言うと、父は目を細めた。
「ほう?」
「彼は民を助けようと過酷な冬の北部に行きましたから……。それでも止めきれなかった。想定外の何かがあったんです」
彼は途中で放り出したりなんかしないもの。
「……お父さま。私を北部に行かせてください。未来の皇后として、正道というものをみせつけてやりますわ」
セドリックは民を助けようとしていた。
けれど、ロランに覆され、汚名をかぶせられた。
だったら、私が証明して見せる。
セドリックが誰よりも民を愛し、そして帝王の器だったかを。
■
── 第一皇子宮
アルノー・ベルクレインは、弟のようにかわいがっていた少年をなくした。
実際は生きていて、どこかでひっそりと生きていると聞かされているが、それでももう会えない。
彼は本当にいなくなったのだ。
きっかけとなった東館の事故の調査は、もはや私怨のごとくの執念でみっちりと調べた。
「殿下、やはり今回の事故はオクタヴィアが絡んでいたようです。東館の補修をオクタヴィアがエアリア・バドールに任せていましたから」
「……オクタヴィアは侍女頭だ。人事権はあるが、補修となると管轄が別ではないか。執事のヴェルヘルムの仕事だろう」
セドリックの目が訝しむ。
「ええ、資料ではヴェルヘルムが任命したとありますが、実際は違いました。リュシアンが聞き込みしてくれて、判明したのです」
「リュシアンがか。……ヴェルヘルムはなんと?」
「いくつかのトラブルが重なり、手がいっぱいだったそうで、オクタヴィアが手助けを申し出たそうです」
「なるほどな」
セドリックは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「……新任の侍女が確認を怠っただけと言われれば、それまでです。エアリアを処罰して、ロブドルーに損害賠償を請求して、終わりますね。……オクタヴィアまで届かない」
アルノーは声を落として言う。
「オクタヴィアを疑うところから始めたから、わかった事実だな」
「ええ……あの子が、僕をここまで届かせてくれた」
アルノーは、太陽のように明るかった少年を思い出す。
「オクタヴィアが警戒対象だとすると、根本から考え直さないとな。北部視察の時も、早く動けていればな……。結局、助けられた子供は半分にも満たなかった」
セドリックの眉間に皴が深く刻まれる。
「……今度は、俺たちが先回りする番だ」
「ええ、必ず。……そういえば、リュシアンがエリアスに会いたがっています。生きているとだけ伝えていますが、それだけでは不安だそうで」
「無理もない。あの火事でエリアスが生き残ったほうが奇跡だ」
本当に、間に合ってよかった。
「……僕も、会いたいです」
ぽそっと、アルノーの口からこぼれた言葉に、セドリックの手がピタッと止まり、ペンがカランと抜け落ちる。
それを拾いながら、セドリックは一言だけ呟いた。
「……バカを言うな」
自分に言い聞かせるように。
■
── 帝都、第二皇子宮
青年は、気配を感じて扉を開けた。
「おや、オクタヴィアに次いで古株の君がここに来るなんてよっぽどなんだね」
明るい声が響く。
「ええ、少々第一皇子宮の警戒が厳しくなりましたので、私が参りました」
フードを深くかぶった女は青ざめていた。ここに来るのも一苦労だったのだろう。冷や汗がまだ引いていない。
「君は信頼されているものね」
青年は女の緊張を解くように柔らかい口調で言う。
「ええ、もちろんです。誰も疑っておりません。東館の補修も、新任の侍女が担当していますし、疑われているのは歴の浅い者たちですから」
「そう」
ロランは女から目を離さない。
優しい笑みだったが、青い目は何かを探るように女を見下ろしていた。
「で、何か用かな?」
「あの……こちらが、狩猟大会でセドリック殿下が招待した名簿です。この者たちを始末すれば、セドリック殿下の支持基盤は瓦解します」
「ああ……バストンが言っていたやつか。僕に直接渡してくれるなんて、どうしてかな?」
「……殿下に顔を覚えていただきたいからです。危険を冒して私が入手しました。殿下が皇帝になった暁には、どうか、私を思い出してください」
野心を宿した目は鋭い。
ロランは笑った。
「……うん、忘れないよ。覚えておく」
女はぱあっと明るい笑顔を見せた。
期待に胸を膨らませて。




