第二十八話 ねえ、覚えてる? あなたがくれたドレスのこと
「既製服……公爵令嬢が既製服……」
いつかのセドリックのように真っ青になった兄が、着替えを済ませた私を見て繰り返す。
「これじゃなきゃダメなのかい? せっかくエリーザがパーティに出てくれるんだ。せめてもっと上質なドレスとか、アクセサリーとか」
父も困惑した顔で、隣に立つ叔母に言う。
「そんな過保護で秋までに悪女に仕上がると思う? 私だって本当はもっと着飾らせたいわよ!!」
叔母は半目で父を睨みながら不平をこぼした。
私はというと、姿見で着飾った自分をじっくりと見ていた。
ドレスを着たのはいつぶりだろう。
仏頂面の、セドリックの顔を思い出す。
『ドレスはもう着ないのか?』
『そうですねえ。予定はないですよ』
『似合うのに。デビュタントのあれ一回きりなのは惜しい……が、他の男に見られるのも困る。悩ましいな』
『何一人で勝手に困ってるんです。パーティに行く予定ないので着ませんよ』
『……サオファンで美しい布地を買ったんだ。青い色に染めたドレスだ。君によく似あう』
『……ワンピースなら店でも着れたんですけどねえ』
『布地が泣くぞ』
『箪笥の肥やしよりはましでしょうよ』
『……気が向いたらきてくれ。持ってきたから』
『箪笥の肥やしがまた増えたー!!』
そんな軽口を言い合った。
あのドレスは、南部にも持ってきている。
何も知らなかったころの私に似合ったドレス。
いつか、あなたの前で着てみたい。
今、鏡に映るのは既製服に身を包んだ私。
下町の娘ではないが、公爵令嬢にしてはみすぼらしい。
せいぜい裕福な商人の娘か、没落貴族の娘といったところ。
しかし、こうして貴族の娘として立つと、おぼろげな母の姿によく似ている。
けれど、ここまで母の目は鋭くなかった。
吊り上がっていなかった。
帝国一の美女、そう噂されたお母さまとはやはり違う。
でも、大丈夫。
お母さまから教えてもらったから。
「行ってくるわ。……今回のパーティはエスコートが要らないので気楽ね」
私は父たちに笑顔を向け、執事が手配した馬車に乗り込む。
「僕がエスコート役やりたかったのに」
「いや私が」
「ちょっと!! なんのためにエスコートなしのパーティ選んだと思ってるの!! エリーザの覚悟を無駄にすんじゃないわよ!!」
馬車の音にも負けない叔母の怒号に思わず笑ってしまう。
張っていた肩が少しだけ和らぐ。
ここからは私だけの戦場。
さあ、リディア。
あなたは……私の思った通りの人間かしら?
華やかなインテリア、広いホールに響く美しい音色
ロズベルク伯爵家のパーティは、帝都でもなかなかお目にかかれないほど豪華だった。
内装だけでなく、招待客も粒ぞろい。
名だたる貴族はもちろん、資産家など貴族階級以外も来ている。
特に目立つのは若い才能を持つ者たち。
『投資先は人』
と語られるロズベルグならではだ。
私はグラスを片手にソファにそっと座った。
声、目線、衣擦れの音……。
すべてが情報になる。
「あれが……ヴァルグレイスの公女?」
「でも、あのドレスってねえ? オーダーじゃないなんて」
「あの噂本当かも、ほら、公爵家の血筋じゃないって」
「黒髪ですものね」
向けられる視線は好奇と猜疑ばかりだ。
良かった。
思っていた通りで。
私は立ち上がった。
すっとまっすぐに歩く。
指先、足運び。
すべてが計算づく。
動きだけで人を引きつけられると、母に教えられた。
ざわめきが止まる。
視線を感じる。
皆が私を見ている。
奇異な目で見ていた女が、私を見るなり扇を落とし、冷ややかな視線を投げた娘が口を大きく開けて見つめる。
私は一人の令嬢の前で足を止めた。
豪奢な金髪を巻き、華やかなドレスのひときわ目立つ女。
リディア・ロズベルク。
「ロズベルク嬢。はじめまして。カテジーナ・ヴァルグレイスの名代で来たわ。でも、招かねざる客だったようね」
私は唇に笑みを浮かべた。
固まっていた彼女は私の言葉にびくんと体を跳ねさせた。
悔しそうに鼻に皴をよせ、勝気そうに睨んできた。
「まあ、そんなことはありませんわ。来ていただいて嬉しいですわよ」
その声に嘲りはない。
だが、試すような色はあった。
リディアの号令で、ほかの令嬢たちも続いた。
「もちろんですわ」
「ええ、歓迎しますとも」
「ようこそ、公女様」
微笑む口元、あざ笑う目元。
一筋縄でいかなそう。
だからこそ、いい。
私はロズベルク嬢に笑顔を向けた。
一瞬だけ、彼女の顔が強張った。
「あらやだ。そんな警戒なさらないで。たんに、ロズベルク嬢のドレスが気になっただけなの。ヴェルシェーヌ王国の生地でしょう?帝都でもめったに手に入れられないのに、さすがロズベルクですわね」
「まあ、お分かりになりますの!?」
リディアの声が少し高くなる。
「ヴェルシェーヌ王国って」
「たしか、西の方よ」
とりまきたちが小さい声でささやきあう。
彼女たちが知らないのも無理はない。
あの国は取引先を選ぶから。
私はさらに続けた。
「ヴェルシェーヌ王国は私も気になっていました。調度品もそうですけれど、ロズベルク嬢はヴェルシェーヌ王国に精通していらっしゃるのね」
人によっては自慢していただろうが、ロズベルク嬢はそういうタイプではないようだ。好きなものを集めるだけで満足する。
「……華やかで私好みですの。公女様もお好きでしたら、お分けしますわ。ひいきにしているブティックもありますの」
「まあ、素敵ですわ。でも、今度のドレスは、サオファン帝国の生地を使おうと思っていますの」
今度こそ、ちゃんと袖を通したい。
あの青いドレスを。
「サオファン……?」
他の令嬢たちが首をかしげる。
だが、リディアだけは目を瞬かせる。
「東の……帝国ですわね。ですがあそこは国交がありませんわ」
「セドリック殿下のおかげで交易が開始されました。殿下の商会がすでに商品を扱っておりますの」
「交易?」
「そんな話聞いたことありませんわ」
「東方との交易なんて採算が……」
令嬢たちがざわつく中、ロズベルク嬢だけがじっと、黙っていた。
そして、彼女の青い目が私を見上げる。
「サオファンと交易できれば……巨万の富を得られますわね」
私は笑顔で言った。
「ロズベルク嬢なら、その価値をわかってくださると思っていましたわ」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
ロズベルク嬢は少し微笑む。
形ばかりの笑顔だ。
「ですが公女様。なぜそれを私に?」
目が細められる。
やっぱり、この人は賢い。
私は微笑んだ。
「あなたをもっと知りたいから」
ロズベルク嬢の作り笑いが、少しだけ歪になる。
「まあ……それは……嫌だと申し上げたら?」
「そうですねえ。あなたと私の縁はこれまで。ということですわね」
くすっと私は笑う。
「公女様がそれでよろしいのでしたら、私に異存はありませんわ」
勝気な顔にふさわしく、ロズベルク嬢は強めに言い放った。
私がヴァルグレイスと知ってでもなお、この態度。
ロズベルクの誇りが垣間見れる。
そしてヴァルグレイス公爵が私情で動かないと判断している。でなければ、こんな態度を、公女の私に取れない。
私は嬉しくなった。
「でしょうね。その前に一つ、お伝えしたいことが」
私は一歩進む。
そして、耳打ちする。
── ロズベルク家が出資している画家。オーギュストでしたっけ? 彼の作品を鑑定に出したことは?
あからさまにロズベルク嬢の顔が険しくなった。
「おかしなことをおっしゃいますのね? ロズベルクのサロンにケチをつけるつもりですの?」
ロズベルク嬢はもはや笑顔ではなかった。
「あら、確認しただけですわ。そんな怒らなくても。私の間違いでしたら、誠心誠意謝りますわ。心を込めて」
おほほ。
私は笑う。
「私に興味が出てきたら、ぜひ公爵家にいらしてくださいな。きっと、ご満足できるお話ができますわ」
「……」
ロズベルク嬢は私を睨んだ。まるで敵を見るかのように。
それもそのはず、彼女は……その男といずれ婚約する。
彼女はあの芸術家が心から好きなのだ。
そうでなければ、身分違いの恋を貫き通すことはできない。
好きな人を守りたい。
その気持ちはわかるけれど。
彼は、あなたの愛に値しない。
以前の世界でそれを知っている。
帝都にいた私ですら、聞こえてくる醜聞。
賢い彼女なら盲目にならずに調べるはず。
調べないなら……不合格。
とてもじゃないけど、奴らには太刀打ちできない。
ロズベルク嬢に背を向けて歩き出す私を、人々はじっと見ている。
見つめ返してやれば、慌てて扇で顔を隠す。
私の後ろで声がする。
ロズベルク嬢のとりまきたちだ。
「リディア様。気になさらない方がいいですわ」
「ええ、そうです。ずっと引きこもっていた公女様の話ですもの」
「……あなたたちは、黙っていて」
ロズベルク嬢はそれだけ言った。
さあ、リディア・ロズベルグ。
私を選びなさい。
あなたを助けたい気持ちはあるのだから。




