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第二十四話 あなたのところへ、まだ戻れない



「未来……から? 比喩ではなく……?」

 声を出して驚いたのは兄だった。

 青い目を丸くして私を見ている。

 

「ええ」

 ここまで困惑した兄の顔は初めて見る。


 やはり、信じてもらえない。

 わかっていたことだけど。



 ここから、どう信じてもらおうか。

 切れるカードは他にない。

 ぎりっと歯を知らず知らずのうちに噛みしめていた。


 その時だ。

 場にそぐわない明るい声が響いた。

「信じるさ。エリーザ」


 私は驚いて顔を上げる。

 優しい父の顔がそこにあった。

「さあ、教えてくれ。エリーザ。君は、どの未来から、やってきたのかな?」


「ち、父上?!」

 戸惑ったような兄の声、聞き間違いじゃない。


「お父様……信じて、下さるの?」


「ああ、君はそんなウソを言わないからね」

 その言葉に、私は震えていることにやっと気づいた。


 ずっと、怖かった。

 この世界に、一人でいるみたいで。


「私が見たのは……ロランが帝位についた世界」

 涙がこぼれる。

 泣くつもりなんてなかったのに。


 早く泣き止まなければ。

 こんな情けない姿で、交渉なんかできない。


 けれど、涙は次から次へと溢れ出る。


「エリーザ……!!」

 兄がハンカチで目元をぬぐってくれた。

 話をしないといけないのに。

 声が出ない。


 あの惨劇が目にちらついて、呼吸が苦しくなる。

 父の温かい手が私の肩を優しく撫でる。


「ひどい未来を見てしまったんだね」

 父の青い目は優しかった。


 私は頷いた。

「子供が、さらわれたの。女性も。違法薬物が蔓延して、すべてセドリックの罪になって……それで」

 彼は殺された。


 喉がひゅっと鳴る。

 うまく息が吸えない。

 苦しくて喉を抑える私を父が抱きしめた。


「……落ち着いて、エリーザ。ちゃんと聞くから」

 いつのまにか父は目の前で膝をついて、私と目線を合わせてくれた。かつて、幼い子供の時だったように。



 その優しい目に、つい甘えたくなる。

 でも、それではだめだ。


 今は泣いてる場合じゃない。

 未来を取り戻すために来たのだから。


『南部まで送っていければよかったんだが』

 残念そうな顔でセドリックが言う。

 皇子宮を離れ、南部へ向かう街道の入口まで来ていた。

『まさかここまでで来てくださるとは思いませんでした』

『こっち方面に視察があったからな』

『無理やりねじ込んだってアルノーさんが呆れてましたよ』

『あいつ……』

『ふふふ。殿下、お元気で』

『ああ、お前もな』

 笑って、別れられた。

 あの笑顔を守りたい。


 私はぎゅっと拳を握った。

 頭がスッと冴えていく。


「……もう大丈夫。ちゃんと、話せるわ。これから何が起こるかを」

 私は話した。

 狩猟パーティでの騒動、違法薬物や人身売買の事件……そしてセドリックの死を。

 掌に爪が食い込んで血がにじむ私を、兄は眉を寄せてその手を握り締めてくれた。

 とぎれとぎれだけれど、兄の優しい手のおかげで最後まで話せた。

 セドリックが死んだ後のことも。



「私はお母さまの形見の懐剣を使ってここに戻ってきたの」

 それを聞いた兄の目は大きく揺れる。


「母上が亡国の聖女というのは知っていたけど、まさかそんな……。君が、自刃する前に、僕たちにできることはなかったのか」

 兄が悔しそうにこぶしを握る。


「ヴァルグレイスを巻き込むことはできなかったの……ロラン皇帝は絶対的な権力者だった。領地戦になっていたわ」


 兄は泣きそうな顔をした。

「……助けてあげられなくて、ごめん」


 そんな顔をさせたいわけじゃなかった。

「……お兄様たちに、迷惑かけたくなかったの。一人でやろうって思って」

 そして失敗した。

 

「……エリーザは、ヴァルグレイスが中立の意味をよく分かってくれていたんだね」

 父の穏やかな声が響く。


「……」

 私は無言で頷いた。


「でも、それではダメだと理解してしまったから、私たちに話した」


「……はい」


「君から見て、ロラン皇帝はヴァルグレイスと敵対しようとしていたかい?」


「……いいえ。彼は私に南部に帰れと言っただけ。そうすれば、私だけなら幸せでいられるからと」

 兄が手を握ってくれていてよかった。

 そうでなければ、あの記憶を思い出しただけで……気が狂いそうになるから。


「ほう。ヴァルグレイスが動けば容赦しない……とも取れるな。いつのまにかロラン皇子はずいぶんと力をつけたものだ」

 父は目を細めて笑った。

 怖いくらいきれいな笑顔だ。

 そんな笑みは初めて見る。


 そして……兄も同じ顔をしていた。

「僕もとても興味が出てきましたよ。そのロラン……第二皇子殿下に。ねえ、父上」


「ああ、そうだな。レイモンド」

 父は兄と楽しそうに話す。そして、私にはいつもの優しい笑顔を見せてくれた。


「エリーザ、正直に話してくれてありがとう。ヴァルグレイスの危機を煽るような話もできたのに、誠実に向き合ってくれたね」



「……嘘をついて、お父様の信頼が得られるとは思えませんもの」



「うん。それでも嬉しかったよ」

 優しく笑って、父は私の頭をなでてくれた。

「さて、これから政治の話になっていくのだけれど……」


 つい、肩に力が入る。

「はい」


「ヴァルグレイスはセドリック殿下を支持するとしよう」

 父がはっきりと言った。


「本当、ですか……?!」


 声が、裏返る。

 まさか、お父様が手を貸して下さるなんて。

 驚きと、嬉しさで思わず笑んだ。


 しかし、兄の顔は固かった。

「エリーザ。喜ぶのはまだ早い。父上が君可愛さで家運をかけるなんてことはない。事態は君が思っているより深刻なんだ」




「深刻……?」

 その不穏な言葉に、肩に力が入る。



「ああ、そうさ。いくらロランが皇帝になったとしても、帝国一の軍事力を持つヴァルグレイスに敵うはずないだろう?」



「……まさか、外部勢力?」

 私が言うと兄は頷いた。


「あくまで推論だがね。ヴァルグレイスを抑え込める軍事力など、帝国内には存在しない」

 父は楽しそうに笑った。



 以前の世界、外部勢力のことなど、いくら調べても何も出てこなかった。

 いや、調べ始めた時にはもう証拠が残っていなかっただけだろう。


 愚かだ。

 覚悟を決めても、実力がなければ何もできない。


「お父様。……やはり私はまだ甘かったようです」

 苦笑する私に父は楽しそうに笑う。

 

「エリーザ。心配しなくてもいい。私は君のおかげで、必要な情報を得ることができた。後は対策していくだけだ」

 けれど、その目の奥はぞくりとするほど、怖い。

 それほど危険な相手ということだ。



「勝てますか?」

 私は父を見た。


 すると、父は驚いた顔をした後、明るい顔で喜んだ。


「ああ、勝てるさ。だが、その前に。エリーザ。君はまだ……実力不足だ」


「……おっしゃる通りです。ですが、それでも私は引き下がるわけにはいかない」

 悔しいけれど、私はオクタヴィアの足元にも及ばない。

 けれど、以前の世界、一線を引いて……何も知らないうちにすべてが終わってしまった。

 そんな後悔は二度としたくない。


 

「それで、アテはあるのかい?」

 父の目が細められた。

 射貫くような鋭さだったが、もう怖くない。


 覚悟を決めたんだ。

 あの人を守ると。


「ありません……が、手を探します」

 セドリックの力になるために。

 

 父は大笑いした。

「はっはっは!! いい目をしているね!! なら、少し早いが、誕生日のお祝いにシャペロンを私が用意してあげよう。彼女から学ぶといい」

 父は微笑む。

 そして、歌うように名前を言った。

「名前は、カテジーナ・エリグラス・ヴァルグレイス」



「ち、父上!? あの方を呼ぶんですか!?」

 兄が真っ青な顔になる。

 父が珍しく楽しそうに笑った。


「お前も久しぶりに会えて嬉しいだろう? なにしろ、お前たちの叔母にあたる人だからな」


 ■



 ── 一方、皇子宮



「初夏だというのに、気分が沈みますねえ」

 アルノーはぽつりとこぼす。


「無駄口をたたく暇があるなら手を動かせ」


「は、はい。……あの、エリアスは……本名知らないですけど、彼はどこかで生きているんですよね? も、もし可能であれば、会いたいんですが……」

 怒られるのを覚悟してアルノーは進言した。



 彼がいなくなってから、宮殿は明かりが消えたように暗かった。

 あの子は気づいていなかったが、一生懸命走り回って頑張る彼に皆は元気づけられていた。



 慕われていた。



 自分もその一人だ。


 会いたい。


 もう一度会って、お礼を言って、柔らかな髪をわしゃわしゃ撫でたい。


『頑張ったね』って。



 それに、怖い顔して、ずっと働き詰めの主君。

 この方も、彼の幻を追い求めている。


 あの子がいたら、笑顔になるはずだから。


「……諦めろ」

 絞り出すような声が、小さく響いた。


 まるで、己に言い聞かせるように。


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