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第二十三話 強くなれたなら、あなたの側にいられるかしら


 緑豊かな大地の香り。

 これをかぐと、帰ってきたと実感する。


 南部に到着すると、父や懐かしい人たちが出迎えに来てくれた。

 父の青い目が私を優しく見つめる。

「お帰り、エリーザ」


「ただいま帰りました」

 笑顔で答える私を、父はひょいっと抱き上げた。

 まるで幼い子供にするみたいに。


「お、お父様?!」


「……厳しい顔をしているな。帝都で腹を括ってきた顔だ」

 眉を下げ、心配そうに、けれど全てを見通すような目で見つめられる。

 昔からこの人に隠し事はできない。


 言葉にしようとして喉が詰まった。

 頬を伝うものに気づいて自分でも驚く。

「……悲しいことがあったの」

「そうか。それは、聞いてもいいかな?」


 力を貸して。

 そう喉まで出かかった言葉を私は飲み込む。


 父は優しい。

 けれど、ヴァルグレイス公爵は……冷酷だ。

 私情で動かさない。



 ここで、助けを求めたら……父はどう思うのだろう。


「……わからない」

 私が言うと、父は頭をなでてくれた。


「そうか……。エリーザ、ヴァルグレイスの力が必要かい?」

 父の声は優しかった。

 何もかも見通すような青い目だ。


 私は無言で頷く。

 

 父はもう一度頭をなでてくれた。

「君は、ヴァルグレイスの権力を十分に知っている。だから、私は心配をしていない。私に話してみなさい」

 その言葉に驚く。


 私を可愛がってくださっているけれど、公爵としての一線は超えない。

 そう思っていたのに、父は私が欲しいものを全てわかっているようだった。


「……お父様はどこまで知っているの?」


「そうだね。お前が……セドリック殿下と何か企んでいることくらいまでかな。宮中出仕は勉強になったか?」

 やはり、この人には敵わない。

 私は思わず笑った。


「……ええ。お父様がずっと私を守って下さっていたって、わかったわ。政争は……生き馬の目を抜くようなものね」


「ああそうだな。ずっと、守られていてほしいんだが……君はそう思っていないようだね」


「……ごめんなさい」


「謝らなくていいさ。君が卵の殻を破ろうとしているんだ。応援しなくては……な」

 お父様の目が寂しそうに細くなる。


「お父様……」


「いかんな。メリアに……君の母に叱られてしまう。お前を自由に育てるというのが、彼女との約束だから、さあ、部屋に入って話の続きをしよう。君の兄も聞きたがっているんだが……同席させていいかな?」


「もちろんよ、お父様。お兄様にもぜひ聞いていただきたいわ」


 私たちは屋敷に入り、居間に集まった。

 

「人払いもしたし、午後の会議も遅らせた。好きに話してくれ」


 父が言う。


 兄も父と同じ優しい青い目で私を見つめる。


 二人とも昔から私の味方だ。

 それがどれほど安心するか。



 何から話そう。


 東館のことか。


 オクタヴィアのことか。


 セドリックのことか。


 いや――




「お父様とお兄様が、どこまで知っているのか教えて?」

 試すつもりだった。

 公爵家の諜報網がどれほどのものか。


 けれど、案の定……父はすべてを知っていた。

 エリアスの偽装死亡まで把握していた。 

「さらに付け加えると、君の仮の姿……エリアス・ヴァン殺害の犯人が騎士団の人間で……そんな内部情報をやすやすと外部に知られるほど、皇子の宮殿の警護が脆いということくらいだな」

 父は呆れたように言う。



 そんなところまで知られているとは。

 私は苦笑した。

「さすが……ですね。では、黒幕がロラン陣営というところも掴んでらっしゃる?」



「まあな。それに、セドリック皇子にそんなことができるのは、ロラン陣営くらいだろう。貴族派がする意味がない。……証拠というのなら、それは私の領分から外れる」



「私がお願いしたら、可能ですか?」


「……彼がそうしろと?」

 父の目が冷える。

 思わず震えたが、その瞳を見つめ返して答えた。

「いいえ。私の独断です」


「できる。だが、ヴァルグレイスがやる意味がない。我々は中立だ」


「……ロラン皇子が器でなかったとしてもですか?」


「暗君でも担ぐのが臣下だ。もちろん、補強はするがな」



「補強?」

 私が聞き返すと、父はソファに背を預けた。


「優秀な皇后を迎えれば問題ない。今の皇帝がその例だ。イザベラ皇后は傑出していた。逝去されてもなお、彼女が残した遺産で国は滞りなく動く」

 ぞくり。

 背筋が、凍った。

 温かみのない父の顔、初めて見た。


 

「怖がらせてしまったかな。……エリーザには、こんな話したくなかったんだが」

 さっきとは違う、優しい顔。いつもの父だ。


「父上、氷の魔将って呼ばれていること自覚してください。エリーザが可哀そうですよ」

 呆れた兄の声が飛ぶ。


「……いいえ、いいの。お兄様。ずっと、逃げてきたことだもの」

 そう、私は逃げた。

 彼から。

 一線を引いて。


 そして、失った。


 体が震える。

 そんな私を見て、父が言った。

「……覚悟を決めた顔をしているね。エリーザ、先ほども言ったが、私は君を政治にかかわらせたくはない。でも、君を自由にさせるというのが、メリアとの約束だ。エリーザはどうしたいのかな」


「セドリック殿下を助けたい。……彼が殺されない未来が欲しい」

 私は父を見る。


 青い目は細くなった。

 温度のない目に、呼吸すら苦しくなる。だが、ここでひるんでいては……父の信用は得られない。


「ほう。死ぬと予見しているみたいな言い方だな。今のところ、セドリック殿下が優勢だ。ラングレール伯爵もセドリック支持に回ったし、中立派の貴族たちもそちらに傾き始めている。それでもかい?」



「ええ」

 私は強く父を見た。


「……ロラン殿下の支持基盤はバストン伯爵だ。序列からいうと、決して高いとは言えない」

 父はそれ以上言わなかった。


 言いたくないのが伝わる。

 でも、私は踏み込んだ。

 避けては通れないから。


「それに加えて、ロラン殿下は血筋だけで判断される立場にありますものね」


「……エリーザ」

 父が私を悲しい目で見た。

 兄もだ。


 青い目が揺れる。

 そして、彼らの美しい銀髪はヴァルグレイスの正しい血統だ。けれど、私は帝国ではありえない黒髪と黒い瞳。


 父は……私が傷つくと思って触れさせまいとしたのね。

 

 私は笑んだ。

「ああ、お父様。誤解しないで。私はお母さまに似たことを誇りに思っていますよ? 楽しい思い出ばかりですもの」

 確かに嫌なことがなかったと言えば嘘になるが、それでも、幸せだと思える人生だ。


 それは彼にも言える。

 皇帝に愛された皇后の息子で、社交界からの評判も良く、才も美貌もある。

 第二皇子として自由に生きることもできるだろう。


 きっと誰もがロラン皇子が帝位を本気で望んでいるとは思っていない。

 お父様ですら。


 でも、私は知っている。

 あの男は惨劇を起こしてまで帝位を掴んだ。


 ぎりっと私は奥歯を噛む。

 鮮烈な記憶が脳裏によみがえる。


 震えが止まる。

 父の怖さなど、あの時に比べればなんでもない。


 私は父を見つめ返した。

「お父様、……ロラン皇子が帝位を握り、帝国を破滅させます」


「ほう? ……確信があるような言い方だね」

 父の目が細められる。


「ええ、もちろん」

 私ははっきりと答えた。


「私が……未来から来たと言ったら、どうなさいますか?」



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