第十七話 あなたが好きな香りを、キャンディに閉じ込めて
「補修記録? そんなもの見てどうするんだ」
「東館の補修業者が気になっているんですよ。二か月前に補修したというのに、照明が落ちるのはおかしいでしょう? 階段も危険な状況でしたし」
「そんなものはお前が気にする必要はないだろ。殿下に任せておけば大丈夫だ」
「殿下から捜査を任されたので」
「お前みたいな子供に?!」
リュシアンが眉をひそめる。
「殿下はチャンスを下さる御方ですよ」
カチンときた私は、リュシアンを睨む。しかし、意外なことにリュシアンはそれで納得した。
「まあ、そう……だな」
ちょっと照れたように言う。
「殿下は、実力を見て下さるから」
少し頬が赤い。
彼も実力を見込まれて、入団したクチなのかも。
「ということでリュシアン。私を警戒するのはいいですけど、殿下が私を見込んだということも忘れないで、ちゃんと協力してくださいね」
「ああ、わかった。だが、くれぐれも変な真似はするなよ」
心なしか、さっきより優しい声色になった。
「はいはい」
リュシアンの小言を流しながら、部屋に戻る。
椅子に座って私はアルノーが集めてくれた資料に目を通す。リュシアンも資料を一枚手に取った。どうやら手伝ってくれるらしい。協力をお願いしたのは私だけど、まさか本当にやってくれるとは。
「なんだ。施工はロブドルー建築じゃねえか」
「知ってるんですか?」
「十三年前からの付き合いだ。騎士官舎の修繕もやってるぞ。下手を打った話は聞かねえな」
「まあ、でしょうね。出資者も中立派のロバーズ子爵ですし、評判もいい。有力貴族の依頼も請け負ってます」
「たまたまじゃねえのか?」
「いいえ。十三年も宮殿の施工を請け負ってきた業者が、あんなずさんな工事をするなんてありえないんですよ」
私は立ち上がった。
「東館に行きましょう。実際にこの通りに補修されているか確認するんです」
「お前が行くことはねえ。他に任せろ!」
リュシアンの手が私の肩を掴む。
強くない。
言葉の強さとは裏腹にパンでも掴むくらい丁寧だ。
「責任もってやり通したいんですよ。殿下からせっかく任されましたから」
私が言うと、リュシアンは大きなため息をついた。
「しゃーねえな。俺の側を離れんなよ」
そう言って頭の後ろを掻く。
やっぱり、リュシアンは面倒見がいい人だ。
私は営繕部に寄って、大工道具を一式借りた。
「こんなもん、どうするんだ」
「言ったでしょう。確認するって」
「トンカチとかのこぎりで何しようとしてるんだ」
「……着いてからのお楽しみです。行きますよ」
東館につくと、ロープが張られて立ち入り禁止の看板が出ていた。
何人かの騎士が立っていて、私たちに気が付くと小走りで駆け寄ってきた。
「エリアス・ヴァン殿ですね。セドリック殿下からお話は聞いております。中へどうぞ」
てっきり、止められるかと思っただけに驚く。
「さすがセドリック殿下。根回しがお早い」
後ろでリュシアンが誇らしげだ。
騎士に先導され、中に入る。
メインホールのシャンデリアが出迎えてくれる。華やかな夜会にふさわしい場所だけれど、今は静かだ。
靴音だけが高らかに響き渡る。
「ずいぶんと盛況な夜会だったみたいだな。どこもかしこもキラキラしてる」
リュシアンがあちこち見上げながら、感嘆のため息を漏らす。
「二か月前に補修しただけあって綺麗なもんじゃねえか」
「何もなければそれでいいんですよ」
私はまっすぐ歩き続ける。奥へ行き、大きな扉を潜り抜ければ東の階段だ。……ラングレール伯爵令嬢の悲劇が起こるはずだった場所だ。
メインホールから遠いだけあって、踊り場も小さい。
「おいおい。こんなところ来て何がわかるっていうんだ。むしろ工員に聞き込みした方がいいんじゃないのか」
「証拠がないと誰も聞いてくれませんよ。リュシアンだってそうでしょう?」
「……ぐ」
リュシアンはそこから黙った。
「ここだ」
手すりを持つ。
力を入れればぐらついた。
エンリヴァー卿と見つけた場所だ。
「おい、危ないぞ! 離れろ!! 床がみしみし言ってる!!」
「そうなんです。危ないんですよ」
そして、今私が立っている場所も軋んでいる。
エンリヴァー卿の事故で調べたのは照明のところだけ、ここはまだ未調査だ。
私は軋みのない場所まで下がり、身を低くして、もってきたトンカチを握った。
「お、おい。何を……」
「いいから、下がってて!」
私はトンカチを大きく振り、一気におろした。
メキッと鈍い音とともに、トンカチの頭が床板にめり込む。それを何度も繰り返した。
バキ!!
その音のすぐあと、ドオンと大きな音をたてて、手すりと踊り場の一部が階下に落ちた。
「な……なんてことするんだ!!! お前……これ……!!」
リュシアンが真っ青な顔で頭を抱える。
「ほら、リュシアン。見て下さい。節だらけの粗悪な木材についた黒カビ。宮殿で使う品質じゃありませんよ」
剥き出しになった木材には、黒い染みが一面に広がり、無数の節が醜く点在していた。
夜会の事故……ラングレール伯爵は最初は事故だと考え、セドリックを責めることはしなかった。けれど、東館の補修がずさんな工事で、工事費の着服のために質の悪い木材が使われたと知って、ラングレールは復讐にとりつかれた。
『すべて、セドリック皇子殿下の指示なのです……!!』そう涙ながらに証言するオクタヴィアの記事を、以前の世界で私は何度も目にした。
私はリュシアンを見る。
困惑し、まだ信じ切れていない彼に私は言った。
「リュシアン。資料には無節材って書いてましたよね? しかも、最高級のバルダー材です。一本で騎士の年俸くらいはしますよ」
リュシアンは資料に目を落とした。
「……たしかに、そう書いてある」
「私が壊したこれ、ただの廃材です。湿気てカビて、商品価値がない。かなりの金額を着服できますね」
リュシアンの顔つきが変わった。
「封鎖した判断は正しかったな」
ぽつりと、独り言のようにこぼす。
その声音に、先ほどまでの刺々しさはなかった。
「……他に気になるのはどこだ」
さっきとはまるで違うリュシアンの態度に、思わずぽかんとしてしまう。
「おい、聞いてんのか!!」
「あ、ごめんなさい。あと、気になるのは釘ですね。本当に十二本打たれているのか確認したいんです」
「わかった。待ってろ」
照明は高いところにある。リュシアンは梯子を持ってくると、自分で上って照明をまじまじと見た。
「六本だな。よく見ないとわからんように隠されている」
「……明らかな証拠になりますね。さっそく、殿下に報告します」
「ああ、そうだな」
リュシアンは低い声で言った。
そのとき、数人の足音がした。
リュシアンは剣を引き抜いて私をどんと後ろに押す。
「大丈夫ですか?!」
「二階部分が崩落している!? 誰か、本館へ伝えろ!! エリアス殿、ご無事ですか!」
やってきたのは心配して駆けつけてくれた騎士だった。
リュシアンはあからさまに安心したようにため息をつき、剣を収めた。
私もさっきまでの緊張がほどける。
「ご心配をおかけしました。腐食箇所を確認していたところ、崩落しました。怪我はありません」
「そうでしたか、ご無事で何よりです」
「医務室へ行かれますか? 失礼でなければ担架でお運びしますが」
「大丈夫です。このまま殿下に報告に上がりますので。……現場はいじらずそのままにしておいてください。また、誰一人入れないようにお願いします」
「わかりました。お任せください」
騎士たちはそう言って、また持ち場へと戻っていった。
「それじゃあ、リュシアン。私たちは殿下のところへ行きましょう」
しかし、リュシアンの声はしなかった。見れば、何かを考えるようにじっと下を向いて腕を組んでいる。
「リュシアン?」
「あ、ああ……すまねえ。殿下のところだな。早く行こう」
本館への道すがら、リュシアンはずっと無言だった。
執務室の前まで来て、彼は「少し調べたいことがある」とその場を離れた。
声をかけられる雰囲気ではなかった。
不思議に思ったけれど、私はそのまま執務室のドアを開ける。また後で聞けばいい、そんな軽い気持ちだったから。
部屋に入るとセドリックと目が合う。
「リュシアンはいないのか」
「はい、用事があるとのことで」
「珍しいな、あいつがお前から離れるとは」
セドリックは少し笑った。
隣のアルノー卿がぽかんとしてセドリックを二度見している。
「それで収穫は?」
「ありました。補修記録と実際の材質が一致しません。業者が着服している可能性がありますね」
「なるほど、ただの事故ではないということか」
セドリックの眉間に皺が寄る。アルノーも険しい顔になった。
「ああ、それと、二階の踊り場を崩落させました。いかに危険な状態だったか、お分かりいただけるかと」
「好きにやれとは言ったが、宮殿を壊せとは言っていないぞ。……だが、怪我がなくて何よりだ」
セドリックは苦笑した。
「専門家を呼んでたら時間がいくらあっても足りませんからね。その間に犯人に逃げられたらたまったものではないので」
私が言うと、セドリックは吹き出した。
アルノーは目を瞬かせる。
「それはそうだが……まるで猟犬みたいな顔をしているな」
「引き続きお任せいただけるのなら、突き止めてやりますよ」
私が言うとセドリックは赤い目でじっと見つめる。
「エリアス。資料をアルノーに渡せ」
「「え?」」
私とアルノー・ベルクレイン卿が同時に言う。
「この手の類はアルノーが得意だからな。腹の探り合いもうまい。アルノー、聞き込みして明日までに報告書を出せ」
「し、しかし……仕事が」
「この手の仕事はエリアスに任せても問題ないだろう」
「まあ、そうですね。機密事項でもないですし……」
「なら行け」
「し、しかし……」
「……アルノー」
「は、はい!!」
「明日までだ」
「かしこまりました!!」
すれ違いざま、ベルクレイン卿は私にぺこっと頭を下げる。
『殿下をよろしく』と一言だけ添えて。
ベルクレイン卿が部屋を出ると、この部屋は私とセドリックの二人だけだ。
「私では力不足ですか」
「というより、目がダメだ」
「目ですか」
「犯人に食らいつきそうな目だぞ。そんな目では聞き込みも難航するだろう」
セドリックは苦笑した。
私は思わず顔に手を当てる。
エンリヴァー卿に注意されていたのに、気を張っていないとすぐこれだ。
オクタヴィアへの敵意が消えない。
「……ご配慮、ありがとうございます。アルノー・ベルクレイン卿の仕事を代わりにやり遂げます。事務仕事なら、落ち着いてできそうですから」
彼はコホンと咳払いをする。
「あ……そのなんだ。その前にお前に頼みたいことがある」
「はい? なんでしょう」
心当たりがなく、私は不思議に思いながら彼を見る。
少し、照れたようにセドリックは言った。
「今度こそミントティーを貰えるか」
最初、何を言われているかわからなかった。
けれど、その意味を理解したとき、胸が弾む。
「は……はい!! お任せください!!」
私は張り切って作った。
出来上がりを彼のテーブルに置くと、赤い目が私を見つめる。店に通っていた頃と同じ、柔らかな目だった。
「なんだか久しぶりだな」
「ですね」
彼はグラスを手に取り、ひと口飲んだ。
「美味い。汗ばむ季節にぴったりだな」
「喜んで頂いて嬉しいです。暑いときにミントはさっぱりしていいですもんね」
「そういえば、店で手作りのミントキャンディーを出していたな。もう作らないのか」
「ああ、一度お試しで作ってそれっきりですね。キャンディーまで手が回らなくて」
「……残念だ」
好きなのに、と小さくつぶやく。
「ご要望でしたらお作りしますよ。どれくらいいります? 二十個くらい?」
「そうだな、作ってもらおうか。出来上がったら、お前が届けてくれ。報告書みたいに人任せにはするなよ」
「ええ、もちろんです」
昔のように、セドリックと砕けた会話をした。
以前も店の中で、他愛ない話をしたものだ。天気の話、馬の話、好きな食べ物……読書の話もしたっけ。
まさか、また彼とこんな話ができるとは思わなかった。
この幸せが、ずっと続けばいいのに。




