第十六話 あなたが好きな、ミントの香りを
「おい、よせ」
「殿下のご命令ですよ」
「腹が痛いとか適当に言って辞退しろ」
セドリックから部屋に来いと言われてから、リュシアンはずっとこの調子だ。
「リュシアンが警戒しているのもわかりますけど、変な真似をしようものなら、殿下の護衛にすぐひねり上げられますよ」
「……まあ、そうだな」
リュシアンは私を頭からつま先までまじまじと見て、頷いた。
「ならこうしよう。ほれ」
「なんです、この手」
「リードだ」
「は?」
「念のため、お前の手を拘束する。資料は俺が持っててやるから早く手を出せ」
リュシアンの顔はいたって真面目だった。
思うところはあるが、これで彼が安心するならしょうがない。
私は苦笑しながら手を出した。
リュシアンは資料をわきに抱え、左で私の手を掴んで歩き出す。
思ったより、握る力は優しかった。……ふと、兄に手を引かれた昔を思い出した。
ちらちらと、すれ違う侍女たちが微笑ましそうな顔でこちらを見る。
さすがにこの年で幼子扱いは恥ずかしいが、リュシアンはまったく気にしていなさそうだった。
「なぜ手を繋いで入ってくるんだ?」
執務室に入って、開口一番。
低いセドリックの声が響いた。眉間に皴が寄り、赤い目がぎらついている。
「は! この者が怪しい動きをしないよう監視するためです!」
リュシアンがすごく真面目に答えた。
その真剣な目に、セドリックは一瞬怪訝そうな顔をした。
「まあ、いい。お前は扉の外で待っていろ。他の奴もだ」
「殿下、人払いをなさるのですか!? 危険です!! この者は新参ですよ!?」
リュシアンが焦った様子でセドリックに反論した。
アルノーは「うわあ」と言いたそうな顔で青ざめ、護衛騎士は気まずそうにお互いを見合わせている。
「俺がこいつに負けるとでも?」
「殿下の実力は存じ上げていますが、この者は油断を誘います!!」
「油断」
セドリックは首を傾げた。
私も意味が分からなくてリュシアンを見た。真面目な顔だ。
「はい! 侍女たちや騎士どもも、見た目に油断して甘やかす始末!! 殿下に限ってほだされることはないと思いますが、念には念を入れるべきかと」
「油断するなと言いたいんだな」
「はい!!」
「お前の言い分はわかった。俺は油断しないから問題ないな。早く出ていけ」
セドリックは笑顔で言った。
目と口が綺麗な弧を描く。
笑ってるのに背筋が凍る。
それは私だけではなく、アルノーや騎士たちも同じらしく顔が蒼白になった。
「出るぞ」
「急げ」
「ちょっと待て、俺はエリアスの監視を」
「いいから!!」
リュシアンは往生際が悪かったが、騎士たちに引きずられ、バタンと扉が閉まる。
書庫のような殺風景な部屋に二人だけになる。
変な緊張が走って、話すことを忘れてしまった。
「ずいぶんお前を大事にしているな。あいつは」
セドリックの目が私を見る。
「ああ、彼は私というより殿下が大事なんですよ」
「ふうん」
納得していない声が返ってくる。
「お前、俺を避けているだろう」
「避けていませんよ」
「この一週間、お前の顔を一度も見てない。報告も人任せ、俺がお前の部屋に訪ねても居ないのにか?」
「来て、下さったんですか……?」
「ああ、何回かな」
仏頂面で彼は言う。
「……嬉しいです」
思わず頬が緩む。
「私も、お会いしたかったので」
「ならなぜ……」
と言いかけて、彼ははっと気づく。
「……リュシアンか?」
「あ、はい。私が殿下に近づくのが嫌だそうで」
「……監視しろとは言ったが、邪魔しろとは言っていないんだがな」
重い溜息がセドリックの口から落ちた。
「いい方ですよね」
私が言うと、セドリックは眉を寄せた。
「お前にあたりが強いのにか?」
「頼もしい方です」
彼はセドリックを守ろうとしている。
あたたかい気持ちが胸に広がって、頬まで熱を持つ。
「そうか」
赤い瞳が私をじっと見る。
「……お前は、ああいう屈強な男が好みなのか?」
「え? まあ、薄いより分厚い方がいいんじゃないですかね」
騎士ならば。
細身のエンリヴァー卿も、その下に固い筋肉がある。
「……」
「どうしたんですか? 急に黙って」
「……別に」
「なんですか? 気になるじゃないですか!!」
「別にない。さっさと仕事の話に戻るぞ。これは内務府へ、こっちは法務府へ投げろ。商業組合の資料はこれでいい。あとは……そうだ。東館の資料だ。調べさせたが、特に不審な点はないそうだ」
私は眉をひそめる。
夜会の前、手すりのぐらつきを私は確認した。
オクタヴィアを泳がせるため、その事実を知っていたのはエンリヴァーと私だけだ。けれど、きちんと調べればすぐにわかる。
不審な点はない……それこそが虚偽だ。
「納得がいっていないようだな」
「ええ、東館は二か月前に補修したばかりですよね」
「ああ」
「なのに、あの壊れ方は不自然です。業者の調査はされているんですよね」
「ああ、出入り業者の一つだ。古くからの付き合いのな」
だから誰も疑わないのか。
私はため息をついた。
「私が調べます。古くからの付き合いともなれば、見過ごしてしまうこともあるでしょう」
「たしかに……疑って当然だ」
「はい」
「わかった。捜査権をやる。好きにやれ」
セドリックの言葉に、私は目を見開く。
「い、いいんですか……?」
「お前の仕事ぶりは誰もが認めている。だが、アルノーの補佐はやってやれよ。あいつ、号泣するほど感動していたからな」
「はは、お役に立てて良かったです」
復帰したアルノーは私を拝み倒す勢いで感謝してくれた。それ以来、あの真面目そうな好青年は私をべた褒めしてくれる。
「さて、おおかた話は終わったな」
「あ、では私はこれで」
「待て」
「はい?」
「……ミント」
小さい声が響く。
「ミント?」
「以前、お前が店で出しただろ。初夏の新商品だって」
「ああ、ありましたね。よく覚えておいでで」
「あれが飲みたい。材料はそこの簡易キッチンに置いてある」
「あ、わかりました。すぐ準備します!!」
いつもより、手に力がこもる。
いつぶりだろう。彼のためにこれを作るのは。
最後に氷を入れて、できあがり。
ちょうど、急ぎだと誰かがやってきた。
「それでは……失礼します」
「ああ、……ありがとう」
セドリックはグラスをちょっと高く持ち上げて言った。
つい、頬が赤くなる。
部屋から出た後も、顔が緩んだままだ。
そして、その顔をひどく不機嫌なリュシアンに見られた。
「おい、殿下に変な真似はしていないだろうな」
「していませんよ。お茶を出したくらいです」
「なんだと!?」
リュシアンはダダっと駆け出してセドリックの部屋に突入した。
「失礼します!! 殿下!! お飲みになってはいけません!!」
リュシアンはセドリックの手からグラスを奪い取り、それを飲んだ。いい飲みっぷりで。
「……リュシアン」
「は!!」
「お前……」
「毒見です!!ご安心を。毒のようなものはありませんでした。しかし、以後、あの小僧からの飲食物は警戒なさってください!!」
「……そうか」
セドリックは笑っていた。
穏やかな、いつもの笑顔だ。
しかし、隣のアルノーが青ざめていた。
リュシアンだけはけろりとしていた。
「では、失礼いたします!!」
リュシアンは深々とお辞儀をして部屋を出た。
あっけにとられる私をリュシアンは威圧的に見下ろす。
「おい、セドリック様に勝手に飲み物を作るなど言語道断!! 二度とこのような真似はするな!!」
「いえ、あの、殿下からの要望で」
「たしかに、宮廷でもなかなか飲めそうにない美味だった」
味を思い出したのか、大きく頷く。
「しかしな!!俺はほだされんぞ!!殿下も殿下だ。警戒心が足りん……。いくら、執務室のキッチンで材料をすべて準備しようとも、爪に忍ばせた毒を仕込むとかやりようはいくらでもある!!」
ふんと鼻息荒くリュシアンは言う。
彼の行動はすべてセドリックを守るため。
それはわかる。
そしてとても頼もしい。
だけど、彼に飲んでほしかったという気持ちは……収まりそうにない。
「ど、どうした? 機嫌が悪いのか?……飴でも買ってやろうか?」
リュシアンは私の気も知らず、そんなことを言う。
「……拗ねてるだけなので」
「ふん、ガキだな」
リュシアンは笑う。
「……ガキでけっこう。自分でも自覚しています」
ふんと鼻を鳴らした。
「おい、どこへいく」
「補修記録を見に行くんですよ。どこの業者がやったのか調べなくちゃ」
駆けていく私を、リュシアンは追いかけてきた。




