第十五話 あなたが私を見てくれるまで
消毒液のにおいが鼻をつく。
震える足で病室に入ると、柔らかな笑みを浮かべたエンリヴァーがいた。
「エリアス。ご心配をおかけしたようですね。私は大丈夫ですよ」
その笑顔のどこにも陰りはない。
だが、私の震えは止まらなかった。
恐る恐る右腕を見ると、包帯が巻かれ、器具で固定されていた。
「……エンリヴァー卿、その……」
「ああ、これは大げさなんですよ。骨には異常ありませんし、二週間で復帰できま」
「いえ、最低一か月です!!」
エンリヴァー卿が言いかけたところで、食い気味に医師が訂正する。
「筋損傷があるんですよ。もっと体を労わってください。無茶をすれば後遺症が残るんですから」
黒ぶちの眼鏡のフレームをくいとあげ、医師はエンリヴァー卿に念を押す。
「ケインの腕なら二週間で治るだろ」
「念には念を入れるのが僕のポリシーです。 ああ……あなたがエンリヴァーのお世話係ですね? この野犬は目を離すとすぐ仕事に復帰するので、ちゃんと休ませてください」
ケインと呼ばれた医師は、私にコソっと耳打ちする。
毒舌だが、ケインの目はとても優しい。
「お二人はお知り合いなんですか?」
「この人、無茶をするので医務室の常連なんですよ」
「見習いだった彼の実験台になってやってたんですよ」
見事に調和する二人の声に、私は思わず噴き出した。
エンリヴァーの腕が治ること、そして思ったより元気な姿に安心した。
誰も死んでいないし、未来は変えられる。
セドリックを助けることができる。
はやくセドリックの信頼を取り戻し、未来の知識を共有したい。
けれど……それは一人の騎士のせいで難航している。
病室を出てすぐのところに、一人の男が腕を組んで立っている。
新しい護衛騎士、リュシアン・ヴェルモントだ。
三十半ばごろの生真面目な騎士、彼は冷たい目でじっと私をいつも観察している。
彼が護衛騎士になってから、セドリックと会えていない。
正確には、会わせないようにされている。
「お待たせしました。リュシアン」
「……あまり宮殿をウロチョロするな。護衛がしにくい」
「はは、善処します」
「おい、お前の部屋はこっちだぞ」
「資料を殿下に届けに行きますので」
アルノーが復帰して、私は侍従助手の立場になった。アルノーから依頼された仕事をこなす毎日だ。
「そんなもの他の者に持って行かせろ。お前は部屋で頭と手だけ動かせ」
「……殿下にお聞きしたいこともありますので」
「言伝を聞けばいい」
ぴしゃりとリュシアンははねのける。
一事が万事この調子でやりにくい。
セドリックの様子を確認したかったのに、それすらもままならない。押印済みの書類はたくさん回っているので、仕事に追われていることだけは確かだ。
そんな矢先、廊下でばったりと見慣れた金髪が目に入った。
セドリックも驚いて私をまじまじと見る。
「久しぶりだな」
「はい。お久しぶりです」
「お前の資料、よくまとまっている。忙しいのはわかるが人を寄越さず、お前も来い」
「あ、は」
い。と返事をしようとしたところで遮られた。
「失礼します、殿下、急ぎですので」
リュシアンが私の背中を押し出した。
セドリックが眉をひそめた。
角を曲がる直前、セドリックの声が背中から聞こえた。
「……エリアス、あとで俺の部屋に来い!」
「は、はい!!」
上ずった声で答えた。
するとリュシアンの声が飛ぶ。
「おい、必要以上に殿下に近づくな!!」
「むしろ接点が必要以下ですよ。直接会えないのでメッセンジャーが四往復する羽目になっています」
「入ってきたばかりのお前を殿下に近づかせるわけないだろ!! セドリック殿下が引き抜いたからと他の奴らはお前にほだされているがな。俺は絶対に騙されん!!」
「それはそうですけど……」
リュシアンの言葉に私は思わずひるむ。
私だって、逆の立場なら警戒するから。
「俺はそういう奴の裏切りをたくさん見てきている。殿下が優しいからとつけ上がるな」
リュシアンの声が低い。
真剣な目だ。
それだけ彼もセドリックを大切に思っている。
彼から私への敵意は伝わるけれど、セドリックへは溢れんばかりの敬愛がある。
だから、私は彼を嫌いになれない。
なんとかして、仲良くできないかな。
「おい!! 人の話を聞いているのか!! なんだその緩み切った顔は!!」
余計に怒号が飛んだ。
「す、すみません!! いえ、リュシアンさんが……頼もしい人だから、嬉しくて」
「俺が、頼もしい?」
きょとんと、リュシアンは目を見開いた。
「それに、セドリック殿下を守ろうとしているのがとても嬉しくて、私も殿下をお慕いしているから、仲良くできればなって思ったんです」
「ば、バカを言うな!!!!俺は殿下の騎士だ!!!!怪しい相手と馴れ合うつもりはない!!」
「ですよね。なので、信じてもらえるように頑張ります!!」
「……っく。その手には乗らんぞ。俺をだまそうったって無理だからな!! あと、お前は飯を食え。そんなひょろひょろじゃアルノーみたいにすぐ倒れるぞ!!」
リュシアンはそう言って、ふんとそっぽを向いた。
やはり、この人は悪い人じゃない。
ふふっと思わず笑みがこぼれて、またどやされた。
けれど怒鳴りながらも、リュシアンは食堂の方へ私を追い立てる。
── やっぱり、いい人だ。
口は悪いし、顔は怖いが、あの人は本気でセドリック殿下を守ろうとしている。
……だからこそ。
胸がざわついた。
以前の世界、セドリックの護衛騎士は何人も死んだ。
名簿に残らなかった者もいる。
「殉職」とだけ記され、家族のもとへ帰れなかった人間たち。
しかし、それすらもまだましだ。
処刑された人もいる。
だからこそ、勝たないといけない。
セドリックが、もう誰も失わなくて済むように。




