第十四話 夜会の成功を、あなたと祝えたら
セドリックの高い背を見ながら、私は後を歩く。
先導するオクタヴィアがちらりと私を見る。優しい目元なのに瞳が鋭い。
「殿下、ワインはこちらにご用意しております。ですが、本当によろしかったのですか? その坊やにも試飲のお許しを出すなんて」
「……言っただろう。こいつの舌は確かだ」
「まあ、殿下からそこまで信頼されているなんて羨ましいですわ。良かったわね、坊や」
口調は柔らかいのに、肌が粟立つ。
そのとき、肩が温かい掌に包まれる。
振り返ると、眉尻を下げたエンリヴァーの顔があった。
「ありがとう……ございます。大丈夫です」
「……良かった」
エンリヴァーの声が耳に心地よい。
大丈夫。まだ、負けていない。
そのとき、赤い目がこっちを見ていた。
「……エリアス」
「は、はい」
「無理はするなよ」
「……ご心配なく。ワインも得意ですから」
私が言うと、セドリックはのどで笑った。
「期待している」
■
壁一面にワインがずらりと並ぶセラー。
その一角に長テーブルが置かれ、グラスと料理が並べられていた。
赤、白、ロゼ、そしてデザートワイン。
セドリックは順に口をつけた。
「……問題ないな。作り直した料理とも合う」
ザボットたちの顔が明るくなり、オクタヴィアも穏やかに微笑む。
「でしょう? 皇子宮の夜会でございますもの。厳選しましたわ」
彼女の言葉に周囲から感嘆が漏れた。
「さすが侍女頭です!!」
「最初から相談しておけばよかった」
「どうかしら、坊や。あなたの口に合った?」
オクタヴィアが私のもとへわざわざ歩み寄り、優しい笑顔で問い掛ける。
「……そうですね」
新しい料理に合わせて的確にワインを用意してきた。
悔しいけど、彼女は知識も人望もある。
捕まえた男も口を割らないだろう。
未来を知っているだけでは勝てない。それを痛感した。
「……ただ」
セドリックがグラスを置いた。
その声に空気が止まる。
「今回はサオファンの焼き菓子が並ぶ。デザートワインより、茶の方がいいな」
オクタヴィアの笑みが、ほんの一瞬だけ固まった。
「茶、ですか?」
「そうだ。サオファンは香茶文化もある。酒だけでは足りん」
彼は淡々と言う。
「今夜は茶も用意しろ」
赤い瞳がこちらを向いた。
「……お前、できるか?」
「私……ですか?」
「ああ、茶に関してお前以上に信じられる奴はいない」
胸が、どくんと跳ねた。
「は、はい。お任せください!!」
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
■
夜会は大盛況に終わった。
サオファンの品を気に入ったラングレール伯爵は、セドリックと商談までしていた。他の客も料理やワイン、そしてお茶と焼き菓子を大いに堪能し、セドリックを褒めたたえた。
「問題なく終わってよかったですわ。ザボットさんもご苦労様でした」
「いえ、オクタヴィアさんの機転がなけりゃ、殿下にご迷惑をおかけするところでした」
ザボットは頭の後ろを搔きながら言った。
それに皆が頷く。
「坊やも頑張ったわね。サオファンのお菓子も余っているなら、お部屋に持って帰っていいわよ」
オクタヴィアはそう言った。
「坊主もありがとうな! 助かった!」
ザボットが歯を見せて笑い、私の背を叩く。
私はうまく笑い返せなかった。
厨房にいたザボットは知らなかったようだ。
デザートの目玉はオクタヴィアのなじみの商人とやらが用意したチョコレートのデザートになっていた。
客の多くはチョコレートのデザートに手を伸ばしていた。
味見にと供されたそれを、私も一口食べた。
舌の上でゆっくりほどける、雑味のない甘さ。
鼻を抜ける、深く焙煎されたカカオの香り。
──間違いない。
この味。
ロランの店だ。
以前の世界、何も知らない私が……口にしたのと同じ。
あらかじめ、ここまで準備していたの?
「さあさ、皆さん。宴の後はお片付けですよ。手を動かしてくださいね」
オクタヴィアが声をかけた途端、人々は迷いなく動き出す。
誰も彼女を疑わない。
喉の奥が詰まって苦しくなる。
「やっぱ、まだ体が治ってないんじゃねえのか? 坊やも帰ってもう休みな。後片付けは大人の仕事だ」
私の不調を気遣ったザボットに背を押される。
振り向くとオクタヴィアを中心に館内に笑い声が響く。そこに私の居場所などない。
持ち込んだ展示品だけでも回収しようと二階に向かった。あれは私が管理を任されたものだ。
最後まできちんと片付けたい。
奥が封鎖されていることもあり、メインホールとはうってかわって妙な静けさだった。
「片づけだけですし、一人で大丈夫ですよ」
「護衛ですから。それに二人の方が早く終わります」
エンリヴァー卿が微笑む。その笑顔に、鼻の奥がつんと痛くなった。
彼女の優しさに、いつも救われている。
エンリヴァーに手伝ってもらいながら、飾り棚に並べられた陶器やサオファンのアクセサリーをワゴンに積んでいく。
最後の一つを取ったところで私は気づいた。
「あれ、一つ足りない?」
あたりを見渡すと、金銀の細工が施された飾りが床に落ちていた。
手を伸ばして拾い上げ、埃を払う。
「なぜ床に落ちていたんでしょうね?」
エンリヴァー卿が首をかしげる。
「酔った誰かが手に取った……のかもしれません」
そのときだ。
頭上から、嫌な音がした。
見上げると壁際の照明が、わずかに揺れていた。
風かと思った。
だけど、ここは窓もない。
それなのに、照明は揺れている。
かすかに、金属が擦れる音。
嫌な汗が背を伝う。
がたん!!と大きな音を立てて大型の照明がぐらりと傾く。
勢いよく倒れた照明が、飾り棚へぶつかった。
「危ない!!」
エンリヴァーの声とともに、強い力で引っ張られる。彼女が私を抱き込んだかと思うと、ガシャン、ガシャンと陶器が砕け落ちる。
次の瞬間。
重い衝撃が走った。
けれど、私に痛みはなかった。
「ぐっ!!」
エンリヴァー卿の顔が苦痛に歪む。
「エンリヴァー卿!?」
彼女は右腕を庇うように押さえていた。
血の気が引いた。
── 右腕。
その瞬間。
前世の記憶が蘇る。
そうだ。思い出した。
東館の事故……令嬢が亡くなるだけじゃない。
助けようとした女性騎士が右腕を潰して……二度と剣を握れなくなるんだ。
どうりで、名前に聞き覚えがあると思った。
エンリヴァー……。
その騎士の名前だ。
「エンリヴァー卿!!」
私は叫んだ。お願い。無事でいて。
「……エリアス。怪我は」
「私は大丈夫です!! エンリヴァー卿……私をかばって」
「私の仕事ですから。……ご心配なく」
エンリヴァー卿は私を安心させるように笑った。だが、顔は青ざめて今にも倒れそうだ。
一気に血の気が引く。
私がここに来たせいだ。
人に片づけを任せておけば……。
体が震えた。
また……エンリヴァー卿が剣を握れなくなるの……?
「……エリアス」
エンリヴァー卿は苦しそうに息を吐きながら微笑む。
「生きていますよ」
私は首を振る。
騎士として生きていけなくなるの。
「何の騒ぎだ」
セドリックの声がした。
「殿下!! 大変です。エンリヴァー卿が私をかばって……!!」
セドリックの視線が、エンリヴァーの右腕に落ちる。
「未熟だったようです。お見苦しいところを」
エンリヴァーの言葉にセドリックの目が細くなる。
「怪我はないのか」
赤い瞳が、怪我の有無を確かめるように私を見た。
安堵したように、ほんのわずか眉が緩む。
「……エンリヴァー、よく守った」
セドリックはそれだけ言った。
「はい」
青ざめたエンリヴァー卿の顔に、一瞬だけ生気が戻る。
エンリヴァー卿は担架で運ばれた。だらりと投げ出される腕に、私は血の気が引く。
ふらつく体を抱き留められた。
「エリアス、お前は部屋に戻れ。騎士を二人つけてやる」
「で、でも……」
身体が震える。エンリヴァーの側にいたい。
「……エンリヴァーは頑丈だ。心配するな。後のことは俺に任せろ」
力強いセドリックの声に、わたしはこくんと頷いた。
私にできることはもうない。
騎士二人に伴われ、私はその場を後にした。
思わず、東館を振り返る。
── なぜ、照明が倒れたのかしら?




