第十三話 まだ、あなたに届かない
夜会の開始まで二時間。
今朝確認したときは、冷却室に問題はなかったはず。
冷製料理は駄目でも、温製料理の火入れは今くらいから。
急げばまだ間に合う。
私は息を切らして厨房に駆け込んだ。
料理人たちの驚いた視線が、突き刺さるように私へ集まる。
「なんだ? 今忙しいんだ! もう何度も確認しただろ!」
料理長ザボットが苛立たしげに言う。
「冷却室を、開けて下さい!! 壊れてる!!」
叫ぶように言う私に、厨房がどよめく。
「エンリヴァー卿はこの部屋から誰も出ないように見張っていて!!」
私が言うとエンリヴァー卿はすぐに動いた。剣の柄に手をかけて扉の前に立ち、その険しい目をザボットに向ける。
ザボットは、たじろぎながら冷却室の扉を開けた。
「……くそっ!!」
だんっとザボットは柱を殴りつける。
「最後に開けたのは誰だ!! 誰も気が付かなかったのか!? 冷えてねえじゃねえか!!」
「わ、私です……いつもより弱いとは思っていましたが、扉の開閉が多いせいだと……」
呆然とした顔で、一人の料理人が言った。
「誰が一体こんなことを……」
真っ青な顔のザボットがかすれた声で言った。
今にも倒れそうな彼の肩を私は掴んだ。
「……犯人捜しは後です。今は夜会を何とかするのが先決ですよ」
心臓がいまだばくばくと激しい。けれど、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「駄目なのは……冷製料理、デザート。魚介もですね?」
「あ、ああ。よくわかるな。テリーヌは形が崩れた。デザートもだ。魚介は……舌の肥えた賓客は嫌がるだろう」
「温度管理を間違えると臭みが出ますからね」
「ああ、どうしたら……」
ザボットは膝から崩れ落ちた。
他の人たちからも悲鳴のような呻きが聞こえる。
けれど、ここで諦めたら夜会が失敗してしまう。
オクタヴィアの思い通りなんてさせるものか。
「まだ終わってません。間に合わせましょう」
「!?」
ザボットは顔を上げた。信じられないような眼で私を見る。他の料理人も同様だ。
「テリーヌと魚介は廃棄するしかありませんが、温製の前菜なら今から作っても間に合います。デザートは焼き菓子中心に変更しましょう。サオファンのものにすれば目玉にもなります」
「……坊主、お前料理人か?」
「カフェやってます」
はっきりと私が答えると、ザボットは一瞬呆けた後、豪快に笑った。
「どうりでよく知ってるはずだ。なら、焼き菓子を頼む。俺は料理を作り直すぜ。パティシエたちはこの坊主の指示で動け!!」
「は、はい!!」
ザボットの号令で数人のパティシエが私の周りに集まった。
「サオファンの焼き菓子……麦芽糖を使うんですよね? ですが、今から買いに行く時間はありませんよ」
「問題ありません、蜂蜜と砂糖で代用します。食べ慣れている分、初めてでも食べやすいでしょう」
私が言うと、パティシエたちはほっとした顔になった。
「やり方を教えてください。甘味は私が作ります!」
「では、私たちはパイナップルのジャムを」
「ナッツ菓子はヌガーと似ています。こちらは任せてください!」
パイナップルの甘酸っぱさを活かした焼き菓子と、ナッツを甘く絡めた菓子。
馴染みのある食材なら、初めてでも貴族の口に合う。
皆が活気を取り戻し、懸命に手を動かす中、エンリヴァー卿が扉から離れて私のところへきた。
「エリアス。見つけました。あの柱の陰にいる男です」
「……なるほど」
男は料理の手を止め、何度も出口へ視線を向けていた。
私は一歩ずつ男に近寄る。
しかし、その音は厨房の喧騒にかき消されて男には聞こえない。
「……報告をしなければ」
その声を私は確かに聞いた。
私は男の肩を鷲づかみにした。絶対に逃がさないように。
「っ痛!!」
男が声をあげる。
「ねえ、あなた」
私は掴んだ肩を勢い任せに引き寄せ、こちらを向かせた。
「顔色が優れませんね。今日は暑いですから無理もない。エンリヴァー卿、彼を別室へ連れていってください」
「はい」
エンリヴァーが動くと彼は慌てて首を振った。
「あ、だ、大丈夫です!!夜会が失敗するかもと焦っていただけなので……」
「へえ?」
口角が歪に上がる。
獲物を見つけた喜びと、オクタヴィアを引きずり下ろせるかもしれないという期待に胸が躍った。
「むしろ、夜会が立て直せると聞いて、安心するどころか……あなただけは青ざめていましたよ」
「そ、そんなことは……」
男の額から汗が流れ落ちる。
一歩、後ずさろうとした瞬間、エンリヴァー卿の目が細まる。
次の瞬間、男の右腕をひねり上げた。
男の手からカランと何かが落ちる。
拾い上げた石はひんやりしていた。
「これ……氷魔道具ですね。冷却室から抜かれた本物の方では?」
中央の石が水色にきらめく。氷魔道具の特性の一つだ。
私がそう言うと、男は真っ青になった。
「ひ、拾っただけで……あとで、あとでお渡ししようと!!」
「拾っただけ、ですか」
エンリヴァー卿の声が低く落ちる。
「ならば、なぜ隠したのです?」
「ひっ……そ、それは……」
男の目が泳ぐ。
そのときだ。
扉が開いた。
男の顔がぱっと明るくなる。
邪魔をされたと、私は苛立ちながら振り向いた。
助かった── そう思った男の顔が絶望に変わったのは、一瞬だ。
そして私は、胸をなでおろす。
あの女じゃない。
「探したぞ。休んでいろと言っただろう」
扉の前に立っていたのはセドリックだった。
私の姿を見てため息をつく。
「……何かあったようだな。ザボット。説明しろ」
「れ、冷却室が細工されてました!!この坊主が気づいて……本当に申し訳ありません!!必ず立て直します!!」
「お前が気づいたのか」
セドリックが私を見る。
「……お茶の温度が不自然だったので」
思わず視線を逸らすと、彼はふっと笑った。
「たしかに、お前はお茶の温度にうるさいからな」
厨房の空気が、一瞬止まった。
ザボットが目を丸くする。
「殿下が、笑った……?」
ほかも似たり寄ったりだ。エンリヴァー卿が言った「セドリックが笑わない」のは本当らしい。
「で、誰の指示だ?」
私が掴んだ男をセドリックが睨む。
「は……あの……」
冷や汗を流し、真っ青になった男は、ガクガクと震え始めた。
「独断じゃないだろう?」
セドリックの赤い目が男を睨む。
そのときだ。
「殿下!!大変でございます!!」
年配の女性の声が響いた。
「どうした?」
セドリックが振り返る。
アルノーやエンリヴァーに声をかけるときと同じ、気安い声音だった。
その声だけで、彼がどれだけ信頼しているかがわかる。
「ああ、こちらにおられましたか。ワインが……手配したワインが酸化しておりました!!」
「なんだと?!」
「なじみの商人に、貴族向けの商品を融通させました。ひとまずはそちらでいかがでしょうか」
「そうだな。そうしよう。……いつも助かる。ありがとう。オクタヴィア」
この女が、オクタヴィア。
セドリックを陥れ、殺した仇のうちの一人。
……喉の奥が焼けるように熱くなった。
オクタヴィアは恰幅がよく、穏やかな笑みを浮かべた女だった。
私を見ると、まるで母親のように微笑む。
「殿下、その子ですか? お昼に倒れたというのは」
「あ、ああ。そうだ」
「子供はすぐに体調を崩します。アルノー・ベルクレイン卿も復帰なされたことですし、坊やは部屋に戻ったほうがいいのでは」
「……いえ、ここにいさせてください。彼の罪を暴いたのは私です!!」
私は思わず大声を出した。
こぶしを握り、必死に耐える。
怒鳴りちらしたい衝動は、私の肩に置かれたエンリヴァー卿の優しい手によって……どうにか静まった。
「まあ、何かあったのですか?」
オクタヴィアは心配そうな声で言う。
「冷却室の魔道具を抜いて、料理をめちゃめちゃにしやがったんだ!!」
ザボットが鼻息荒く言った。
「まあ、それは大変だわ。坊やもよく気が付きましたね」
オクタヴィアは優しい声で私をほめた。
だが、優しい目の奥にぎらついた敵意がみえる。
「でも……料理は間に合いそうですね。本当に良かったですわ。お手伝いできることはありますかしら?」
「もう大丈夫ですよ。坊主が色々と頑張ってくれたのでね。それよりも、ワインにも問題があったとは……。さすが侍女頭殿ですよ」
「皇子主催の夜会ですもの、何としても成功させますわ」
オクタヴィアはにこやかに言う。厨房の空気がふっと緩んだ。
けれど、私の体の震えは止まらない。
「……そうでしょうか」
私の言葉に、空気がぴたりと止まった。
「何か、あるのかしら? 坊や」
穏やかな笑みは崩れない。だが、その目だけが笑っていなかった。
セドリックの赤い瞳が私に向く。
咎めるような色ではない。
── 続きを言え。そういう目だった。
「ワインは料理に合わせていますよね。作り直した料理と手配したワインが合わない……違いますか?」
「……ですが、酸化したワインを出すよりはよいでしょう。多少の違いはございますが、賓客はワインの格を見ます。味だけではありませんよ」
「随分と手際がいいですね。もう代わりのワインを商人から用意するなんて」
私はオクタヴィアを睨む。
すると、彼女はふわりと微笑んだ。
「ねえ、坊や。私は皇子宮侍女頭です。夜会の予備は当然用意しておりますよ」
「おいおい坊主、ぴりぴりするのはわかるが、オクタヴィアさんに突っかかるのはよせ」
苦笑しながらザボットが言う。
周囲の視線が痛い。困った子供を見るような目に、羞恥で頬が熱くなる。
「エリアス」
セドリックの声は静かだった。
「……今は夜会が先だ」
「……はい」
私は拳を握る。
ここで怒鳴ってわめいても、ますますセドリックの心が離れるだけ。
これが私の今の立ち位置だ。
長年皇子宮を支えた侍女頭の信頼は揺るがない。
オクタヴィアがワインに細工をしていたとしても、私は手も足も出ない。
下唇を噛みしめると鉄の味が滲んだ。
そのときだ。
セドリックが言った。
「……オクタヴィア。こうみえて、こいつのカンというのは侮れない」
「殿下まで、何をおっしゃいますやら」
オクタヴィアは楽しそうに笑っている。
「だから、ワインの候補は俺の直下の商会からも用意させる。俺が試飲をして選定するぞ」
「殿下のお望みでしたらもちろん、異存はございませんわ」
オクタヴィアは頷いた。
その笑みが、ほんの一瞬だけ消えた。




