第十二話 あなたがくれたレモンティー
夜会の準備は滞りなく進んでいる。
東館の階段は飾り棚を設置し、そこにサオファン帝国の品を置いた。セドリック直下の商会のいい宣伝になるだろう。あの国との交流があるのはセドリックだけだから。
すべてが順調だ。
だからこそ、怖い。
何度確認しても、心が休まらない。
「エリアス。根を詰めすぎですよ。一息入れましょう」
声をかけられ、顔を上げるとグラスを二人分持ったエンリヴァー卿と目が合った。
「はい、アイスレモンティーです。最近は厨房に常備されているんですよ。殿下だけでなく、他の皆も気に入ったようで」
微笑ましいといわんばかりに、エンリヴァー卿は笑った。
最近……彼女はよく笑うようになった。つられて私も笑顔になってしまう。
こういうとき、ほっと力を抜ける。
「レシピが役に立ってよかったです。仕事の合間にエンリヴァー卿と楽しめますから」
疲れた体にレモンの酸味と、紅茶のやわらかな香りが染みる。
「ティーブレイクついでに、仮眠をとってはいかがですか? 昨日もほぼ寝ていませんでしょう?」
エンリヴァー卿が、弟をたしなめるような目で私を見る。
聞いたことはないけど、弟がいるのかな。
面倒見のいいところも、きっとその頃の名残なのだろう。
一緒にいて、居心地がいい。
「はは……確認することが多くて。ところで、変なこと聞きますけどエンリヴァー卿って、兄弟いたりします?」
「よく言われますけど、一人っ子です」
片眼を閉じ、エンリヴァーは楽しげに言った。
「ええ!?」
「従兄弟が多かったので、実質は長姉みたいなものですけどね」
ふふっとエンリヴァー卿が笑う。
「だからついつい、エリアスを弟みたいに扱ってしまうんですよ」
「実は……嫌じゃないです」
「それはよかった」
エンリヴァー卿のおかげで、元気が出た。
私は一つ伸びをする。
「ごちそうさまでした。もうひと踏ん張りできそうです!! 夜会……必ず成功させましょう!!」
「ええもちろん。でも一人で頑張りすぎないで下さいね。それに、経験豊富な侍女頭がいますから、任せても大丈夫ですよ」
私を気遣う優しい言葉。
だが、私の心は一気に冷えきった。
── その侍女頭が、セドリックを陥れたの
そう言えたらいいのに。
長年仕えてきたオクタヴィアと、新参の私。
もし二人が対立したなら、エンリヴァー卿はきっとオクタヴィアを信じるだろう。
セドリックだって、同じ。
……まだ、私は一人きりなのだと実感する。
未来を知るのは私だけ。
間違えれば、また彼は死ぬ。
「どうかしましたか?」
エンリヴァーが心配そうにのぞき込む。
「いえ、やっぱりもう一度確認しようと思って」
「そうおっしゃって何度も確認したではないですか、エリアス。少しは休んでください。顔色が……本当に悪いですよ」
「……どうしても気になってしまって」
だって、あの女が何もしないなんて思えないもの。
■
「またですかあ。昨日も来たじゃねえですか」
庭師が不満を隠そうともせず言う。
「すみません」
私が頭を下げると彼は頭を掻いた。
「まあ、小僧がアルノーの旦那の代わりに走り回ってるのは知ってますがね。あんま気負いすぎるのもよくないですぜ」
言葉遣いは悪いが根はいい人のようだ。
「性分なもので。あと、確認なんですけれど予定にない植物や、見慣れない虫などがいたらすぐ知らせて下さいね」
「わかってるよ。長年この庭と暮らしてんだ。すぐにわかるぜ」
庭師はそう言って、また手を動かした。
彼だけではない。
何度も足を運ぶ私に呆れる人たちは多かった。
けど、それでもやるしかない。
「エリアス、すでに殿下も確認されました。あとは、賓客を迎える準備に専念するのはいかがですか。点検も大事ですが、ほかにもやることはありますよ」
エンリヴァーがふうとため息交じりに言う。彼女の言うことはもっともだ。
「わかっていますが……。どうしても、怖くて」
「大役を任されたんですから無理もありませんよ」
慰めてくれる優しい彼女の声が、より一層、私を焦らせる。
「おい、顔色が悪いぞ」
庭園を抜けて大ホールに向かう中、セドリックに会った。
「ちゃんと寝ているのか? エンリヴァー、無理そうなら休ませろ。アルノーが復帰するから、問題ない」
「わかりました。エリアス。夜までに時間があります。それまで休んでください」
「ですが、私が任された仕事です。最後までやり遂げます」
「そんな顔色で言われてもな。倒れられてはかなわん。夜会までに復帰すればいい。今は休め」
彼は呆れながら言う。
「ですが……!!」
言いかけた瞬間、視界が揺れて、足元がふらついた。
「まったく。お前にこんなことは言いたくはないが……皇子命令だ。休め」
言葉とは裏腹にとても優しい言い方だった。エンリヴァー卿が私の両肩を支える。気づけば倒れかけていた。
「エンリヴァー、頼むぞ」
「お任せください」
そう言ったかと思うと、気づけば、体がふわりと浮いていた。
「エンリヴァー卿!?」
「寝てていいですよ。お部屋まで届けますから」
「あ、歩けます!!」
「倒れかけていたのにですか?」
「……おいエリアス。あまりわがままを言うと俺が運ぶぞ」
セドリックは口元をわずかに緩め、からかうように言った。思わず頬が熱くなり、消え入りそうな声が出る。
「……エンリヴァー卿、お願いします」
「はい、もちろんですとも」
エンリヴァー卿に体を預けた。体はもう限界だったらしく、瞼が重くなった。そして次に目覚めた時は空が茜色に染まっていた。
「エンリヴァー卿!! 私、何時間寝ていました!?」
「お目覚めですか? ご心配なく、アルノー・ベルクレイン卿が復帰して統括を担っておりますから。エリアスが手順書や企画書を細かに残しているので、問題なく引き継ぎができました」
「……すみません!!本当に」
「お疲れだったのですから仕方ありませんよ。皇子宮は並の男性でも倒れる場所ですからね。殿下もエリアスを心配されてました」
セドリックが……私を?
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
私が呆けた顔をしていると、エンリヴァー卿はくすっと笑った。
「殿下は不器用ですけどお優しい方ですよ。はい、アイスレモンティーです。殿下からの差し入れです」
グラスを受け取った瞬間、違和感があった。
……水滴が少ない。
「この……アイスレモンティーが運ばれてきたのはいつですか?」
「ええと、つい十五分前ですね」
……十五分。
私は一口飲んだ。
── おかしい。
まるで常温で放置していたような温度だ。
十五分でここまで温くなるはずがない。もともと、十分に冷えていなかったのだ。
……まさか。冷却室に細工を?
あの中には、魚介も、前菜も、デザートも入っているのに!!
私は血の気が引いた。
「エンリヴァー卿!!厨房に行きましょう!!今すぐ!! 冷却室が……機能していません!!」
私はベッドから飛び上がると、走り出した。




