第十一話 あなたに作るレモンティー
階段を上がる。
登り切って、奥へ進むとセドリックの執務室だ。目の鋭い騎士が警戒するように私を見る。すぐにそれは和らいだ。
「開けなさい」
一言で騎士たちが道を開ける。思った以上に、エンリヴァーは位が高いようだ。
たくさんの書棚に最低限の家具。
知らないで入れば、書庫かと思うほど、質素な部屋だ。
その中央、大きな窓を背に金髪の男が男たちに指示を飛ばしている。
ぴりっと肌が焼け付く空気に飲まれかけた。
そのときだ。
赤い瞳が私を見る。
「……何の用だ? 今忙しい。用があるなら、後で時間を作ってやる」
私を警戒しているというよりも、実際に忙しいらしく、彼の周囲では目の下に隈を作った官僚たちが大量の書類を抱えて走り回っていた。
「用件だけ申し上げます。夜会の会場、東館を点検させてください」
「……なぜ?」
セドリックが眉を潜める。
彼の疑いが一層濃くなったかもしれない。
けれど、それでもやらないと。
「運営上、気になる点がありまして」
「……わかった。エンリヴァー。案内してやれ」
「わかりました」
皇子の部屋から出た私はエンリヴァー卿に尋ねた。
「いつもこのくらいお忙しいんですか?」
「そうですね。もっと忙しい時もありますが、それに比べれば平穏です」
環境に感覚が麻痺したエンリヴァー卿は淡々と言った。
その過酷さに、私はひっと息を呑んだ。
どうやって私の店に通っていたのか不思議ですらある。
「……どうやって時間を作っていたんでしょう」
「時間ですか?」
エンリヴァーが聞き返す。
「あ、いえ。殿下が茶葉を購入していたと伺ったので、その時間をどうやって捻出していたのかと」
正確には私の店に来て、茶を飲む時間のことだけど。
「そういうときはですね。何が何でもこの時間までに終わらせる……と殿下が宣言されるんですよ。皆がそれに合わせて必死になるだけですね。茶葉があると、殿下の顔色もよくなりますし、お土産も楽しみですから、皆が頑張るんですよ」
エンリヴァーが楽しそうに言った。
それだけで、胸が熱くなる。
私のお茶がセドリックの役に立っていたのが嬉しい。
時間ができたら、彼にドリンクでも作って持っていこう。
でも……いまはそれよりも東館の点検が先だ。
「改修工事が春先に終わりましたけどねえ」
警備の騎士がいぶかしげに言いながら、私を案内する。
その改修工事が問題なく行われていたら、あの事故もなかったのに。
私はため息をつく。
エンリヴァー卿さえ今回の私の行動を不思議に思っている。
事故が起きるなんてまったく想像できないだろう。
「特に問題はなさそうに見えますが。補修も綺麗にされていますし」
美しく塗り直された壁、夜会にふさわしく一新された照明は華やかだ。
以前の知識がなければ、私も見過ごしている。
この手すりが……崩壊するなんて、わからない。
「この手すりを触ってください。ぐらついているのはわかりますか?」
「……!!」
エンリヴァーの顔色が変わった。
「ここの板も軋んでいます。体重をかけたら、真っ逆さまに転落しますね」
手すりの留め具は緩み、床板にはひびが入っている。
しかも、ここ一帯だけ。
店の椅子だって、ぐらつけば危険だ。
……まさか、こんなところで役立つとは思わなかったけれど。
手すりの先を見ると、磨かれた冷たい石畳が広がる。
あの令嬢は、知らずに寄りかかった。
そして……。
ぞくりと、肌が粟立つ。
「これは危険ですね。しかも、業者がミスをした程度ではありません。」
エンリヴァー卿も絶句している。
もしこれが演技だとしたら、かなりの役者だ。
オクタヴィアの手先の可能性は捨てきれていないが、彼女の言葉は本物だと思う。
信用……したい。
「エンリヴァー卿。この階段、今日中に封鎖してください」
「もちろん、すぐに手配します。殿下にも急ぎ報告を」
「待ってください。内密にお願いします」
「理由を伺っても?」
「殿下への報告は、封鎖と調査の手配が済んでからにしてください。騒ぎになれば、仕掛けた者に気づかれます」
この件にはオクタヴィアが関わっているはず。
騒動になれば、また次の手を打ってくるかもしれない。
まだ、あの女を相手にするには早すぎる。せめて、セドリックが私を信じてからでないと。
エンリヴァーは私をじっと見つめた後、小さく微笑んだ。
「わかりました」
「……ありがとう、ございます」
「夜会当日は、ここに飾り棚を置きましょう。誰も立ち入ることがないようにね」
「ええ、そうです。そうですね!!」
エンリヴァーの言葉に私は笑顔になった。
── これで、あの悲劇は防げる。
帝都の広場に響く、悲鳴。
今も忘れられない。
『ああ、神様感謝します!!』
泣きながら、
笑いながら、
ラングレール伯爵は
セドリックの死を祝福していた。
なぜ、あそこまで憎んだのか。
その始まりが、この階段だった。
あの夜、ラングレール伯爵令嬢は……ここから転落する。
あの時は知らなかった。
あなたが死んでから、私はようやく知った。
辱められたのを苦に自殺したと、令嬢の死さえも歪められ、悪意を持って広がった噂。
伯爵夫人も自害し、ラングレール伯爵の悲しみは怒りへと変わり、他の貴族たちを巻き込んで、セドリックを糾弾し、ロランを支持した。
暴動すら起き、血が流れた。
伯爵令嬢は、領地の皆に好かれていたから。
でも、これで──救える。
一気に肩の力が抜けた。
階段を下りる足取りも軽い。
「おや? 顔色がとてもよくなっていますね」
エンリヴァーが柔らかく微笑んだ。
「はい! 憂いを取り除けたから、ほっとしています」
「たしかに、東館はひどいものでした。補修というよりも、補修を偽装したように思えますから」
エンリヴァーの顔が険しくなる。
「調べる必要があると思っています。……でも、まずは夜会を成功させないと」
オクタヴィアが他の手を打ってくる可能性もあるから、今は動かない方がいい。
「業者の記録は手の空いているものに調べさせましょう。あてがあるので」
エンリヴァーがそう言ってくれるが、それが信頼できる人か私にはわからない。
「最低、二人にお願いいたします」
「二人?」
「ええ、だって。見過ごすこともあるでしょう? 二人なら安心です。別部署同士ならなおさら……」
慎重になる私に、エンリヴァーは頷いた。
「承知しました。別部署から一名ずつ選びますね」
エンリヴァーは近くの騎士を呼び止め、短く指示を出した。
「エリアス。お疲れでしょう。私の部屋でティーブレイクにしませんか。美味しい茶葉があるんです」
エンリヴァーの誘いに、私は喜んで頷いた。
ここに来ても、ティーブレイクを楽しめるとは。
そういえば、セドリックはどうしているだろう。
疲れている彼の顔を思い出す。
そして、以前、そんな彼が毎日注文していた飲み物……レモンティーが浮かんだ。
「でしたら、私に作らせてくれませんか? 今の季節レモンティーがすごくおいしく感じられるんです!!」
「レモンティーですか?」
きょとんと、エンリヴァー卿は目を丸くした。
「はい。多めに作って、殿下にもお持ちできたらと思います……」
ちょっと照れてしまって語尾が弱くなる。
エンリヴァーはふんわりと微笑んだ。
「とてもお喜びになりますよ」
彼女の私室のキッチンに立つ。
ガラスポットに湯を注ぎ、茶葉を多めに入れる。アイスティーは少し濃い方がいい。苦味が出ないよう時間を見て蒸らし、茶葉を濾した。
冷やしたあと、最後に薄く切ったレモンを浮かべれば完成だ。あとは冷却室で冷やすだけ。氷魔道具を使えば、あっという間だ。
「エンリヴァー卿、お味見をどうぞ」
私はグラスにアイスレモンティーを注いで渡した。エンリヴァー卿はそれをじっと見つめ、ごくんとのどを小さく鳴らす。
「頂きます」
エンリヴァー卿はまるでお酒のようにそれを一気に飲み干した。ぷはっと息を吐き、彼女は手の甲で口元をぬぐう。
「……美味しいです。殿下も、きっとお気に召しますよ」
エンリヴァーは自信ありげに言った。
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「何の用だ。俺は忙し……? それは……アイスレモンティーか?」
私の来訪にいぶかしげに見てきたセドリックがアイスレモンティーを見つけて目を見張った。
「はい、お疲れだと思いまして。レモンは疲れた時に良いですし」
「……毒見いたしましたが問題ございません。作る過程も同席いたしました」
エンリヴァー卿がセドリックに言う。
「……持ってこい」
私はセドリックの側に行き、グラスをテーブルに置いた。
彼はじっとグラスを見つめた。
一瞬だけ喉を鳴らして口をつけると、一口飲んだところでテーブルに戻した。
まだ、信用に足らないみたい。
胸が少し痛む。
自然と、床に吸い寄せられるように俯いてしまう。
「焼き菓子はないのか?」
「え?」
おどろいて、思わず顔を上げた。
「飲み物だけでは足りん。菓子も持ってこい」
「あ、一応ご用意しております……」
エンリヴァー卿の私物……ただし、私の店のものだ。五種類のクッキーの詰め合わせ。彼女のストックの最後の一つ。
だが、セドリックはむすっとした。
「焼きたてじゃないのか?」
「さすがに個人のキッチンでは限界がありますので」
「……そうか」
彼は残念そうに言うと、クッキーをひとつ食べた。そして眉を寄せながらも、手は止まらない。
こころなしか、彼の顔色がよくなった気がした。ずっと働き詰めの彼の憩いになれれば嬉しい。
人数分をテーブルに置き、残りを持っていこうとするとセドリックに止められた。
「残りは置いていけ」
「あ、はい!!」
「それと、エンリヴァー。そいつに……眼鏡をはずさせるなよ」
セドリックはこちらに目を合わせないまま言う。意味が分からず呆然としている私に反して、エンリヴァー卿ははっきりと答える。
「もちろんです。ご安心を」
エンリヴァー卿はお辞儀をして、私を連れて部屋を出た。
「眼鏡、それほど大事ですか?」
「はい。それはもう……。いつ縁談が来てもおかしくありません」
「えええ!?」
「……殿下が嫌がりますので、眼鏡は外さないようにお願いしますね」
「ええ!?は、はい……」
縁談なんて来た日には女とばれてしまうかもしれない。
……セドリックは意外と気が回るのね。
私は眼鏡のフレームをぎゅっと握った。
きっと、このときの私は浮かれていた。
これで終わりだと、安心してしまうくらいに。




