自分が『信頼してもいい』と思える姿勢
自分を勝手にこんな大変な世の中に送り出した親が 、言い訳ばかり並べて、苦しんでる子供を見て見ぬフリをすることが本当に親としてあるべき姿なのか、私は考えたいんだ。
それで『そうじゃない』と思うから、子供がSOSを出している時には、ちゃんとそれに耳を傾けたいんだ。それができなきゃ、私は、<観音の母親>になる資格がないと思ったんだよ。
確かに私も仕事は大変だけど、『仕事が大変』なのは別に普通なんじゃないのかな。その上でなお親になろうっていうんだから、手間とかが増えるのは当然だよね。ペットを飼うのですら手間も責任も増えるのに、人間の親になるならそれだけ大変になるって、親になる前に分からなかったのかな。考えなかったのかな。
他のことでもそうだと思うんだけど、明確な覚悟も示さずに相手からの信頼を得ようとする人が信頼してもらえるのかな。
『手間だから』
『面倒くさいから』
それで子供の気持ちと向き合おうともしないで、認めてもらえると思うのかな。
私はそんな人を認めたいとは思わないから、自分が『信頼してもいい』と思える姿勢をちゃんと示そうと思うんだ。
自分が信頼もできないような人のままで相手に信頼されようっていうのは、大人としてすごく恥ずかしいことだと、私は思う。
だから、観音の辛い気持ちに向き合う選択をしたんだ。
自分の親が、もし、私がまだ小学生だった頃に再婚とかすると言い出した時に、その<再婚を予定してる相手>がどんな人だったら信頼できるのか信頼できないのかを考えたら、他に選択肢はなかった。
むしろどうして自分のことしか考えないような人を信頼できるのか、好きになれるのか、私には分からない。そういうのを『綺麗事だ!』って考えるのかもしれないけど、それを綺麗事だと言い切れるというのは、自分がつまり<自分のことしか考えられない人>だって言ってるのと同じだと思うんだ。
『自分自身がそうだから、他人もそんなことができるとは思えない』
ということじゃないのかな。
私は確かに化粧もおしゃれもそんなに興味ない、イケてない女かもしれないけど、少なくとも、自分にとって大切な人を大切にできる人間でいたいと思うんだ。
これは、『誰もがそうあるべき』っていうことじゃなくて、『私自身がそうありたい』というだけのことなんだよ。
一種の自己満足なんだろうね。だから、他でもない自分自身のためにそれができるんだ。
自分自身のためにこそ、そうしたいって思うんだ。
観音のことを受け止められる私でありたい。
それが結果として観音のためになるなら、何よりだと思うんだ。




