旅立ちの日に
「すっごーい!」
シンの声が響いて、アロウは顔を上げた。
色とりどりの花が咲き誇っている。
いつかの依頼で見た景色だ。あれは……雨上がりにだけ七色の草花が芽吹く荒地だったか。
水がなくなれば魔法のように消えてしまう景色だ。
「アロウも早く!」
シンが手招く。
「俺はいいよ」
早く行け、と手で示したのに、シンはずかずかと花びらを蹴散らして駆け戻ってきた。
「一緒に行くの!」
強引に引っ張られた腕が痛む。
ふと見下ろすと、袖をくわえて引いているのは銀色の狼だった。
「……シン」
止めようと伸ばした反対の手がむなしく空を切る。
きらきらと、星の欠片が散らばる。
ざあざあと水の流れる音がする。
すべてが水煙に幻と消えていく。アロウは河の真ん中で呆然と立ち尽くしていた。
「アロウ、アロウ!次はどこへ行く?あの昴星?それとも白鳥の背中?」
星の地図を広げてはしゃぐシンの声が耳の奥によみがえる。
「どこにも行かなくていい……」
あの日胸の底にしまい込んだ本音をそっとこぼす。
それは水音に紛れて、星屑と一緒に流れていった。
そこで目が覚めた。
特にすることもない、いつも通りの退屈な朝だ。
シンがいた頃には考えられなかった静けさの中、寝起きでボサボサの髪を撫でながら玄関へ向かう。
(今日はきっとない)
がっかりしないように心のうちに予防線を張りながら扉の前に立つのはもはや習慣になっていた。
ドア下の隙間から、今日も郵便物がのぞいている。
飽きっぽいシンにしては珍しいことに文のやり取りは今も続いていた。
開けるなり「返事は!!」とデカデカと書かれた文字が踊っている。元気なことだ。
アロウは苦笑した。
目を通した便箋を封筒に戻し、レターケースに仕舞い込む。
溢れんばかりのそれに蓋をして、アロウは身支度をする。
いつか再会した時に、自分だけ何も成長していないでは格好がつかない。
支度はあらかた済んでいた。
残る荷物を片付け、部屋の鍵を閉める。
長く過ごした部屋を旅立つ、春の朝だった。




