ノエル・コールマンの婚約‐二
パトリックとノエル。
両者、初めての顔合わせの日が来た。
その日は、朝からノエルの手が冷たかった。
今日にでも嫁ぐわけでもないのに、念入りに化粧を施され、自分が持っているドレスの中では、上等なものを着せられた。
「ようこそおいでくださいました。ノエル・コールマン様。」
公爵家に着くと、屋敷の従者たちがずらりと並んで頭を下げていた。
自分の家の倍の人数はいるであろう従者たちに、圧倒されてしまうノエル。
もごもごと「“ありがとうございます”」「“どうも”」「“わぁ”」など口走り、腰が引けながらも執事の後に着いて行った。
「パトリック様、ノエル・コールマン様がいらっしゃいました。」
老齢の執事が、部屋の扉をノックして、声をかける。
中から“入れ”と、男性にしてはだいぶ高めの声が返ってきた。
「し、失礼します。」
執事に扉を開けてもらい、中に入る。
ぎゅっと目をつぶり、カーテシーをする。
「(こちらから挨拶をしていいのかしら?でも、爵位が上の方から挨拶するのがマナーだし……)」
ぐるぐる考えていると、先程の声がより鮮明に聞こえた。
「今日は、時間を作ってくれたことに感謝する。はじめまして、コールマン嬢。私が、パトリック・ブルックスだ。」
恐る恐る開いた目に映ったのは―――とても美しい人だった。
まるで、満天の星空を閉じ込めたような、艶のある黒髪。
陶器のような白い肌に、ほんのりと頬紅を乗せたような淡いピンク。
瞳は、見る者の目を一瞬にして奪う、深紅色の大輪の薔薇、そのものだった。
息をするのも忘れて、ただ見惚れるしかなかった。
伯爵領で顔がいいと、もてはやされている兄が霞んで見えるようだった。
なんなら、いま思い出そうとしたら、おぼろげにしか思い出せない。
「私の顔に何か付いてるかな?」
不思議そうな顔で、顔を覗いてくるパトリック。
こんなに長く、誰かに見つめられるなんて、初めての経験だ。
夏でもないのに、汗が吹き出す。
バクンバクンと心臓が、喉元までせり上ってきた。
顔が熱い。
朝に念入り塗られた白粉が、全て溶けだしてしまうのではないかと思わせるほどだ。
「コールマン嬢?」
「は、はひ……」
「お話は、できそうかな?」
「はひ……」
「うーん、ダメそう!」
『いつまでも立っていたら、足が疲れてしまいますよ?』
その言葉で、なんとかパトリックの対面の席に座る。
―――
執事が机にお茶を置いていき、パトリックの後ろに控える。
「さて、落ち着いたところで、もう一度自己紹介させてもらおう。私は、パトリック・ブルックス。ブルックス公爵家の跡取りだ!」
にこやかに挨拶をするパトリック。
慌てて立ち上がるノエル。
「コっ、コールマン伯爵家より参りました、ノエル・コールマンです。婚約のお申し出ありがとうございます。不束者ですが、よろしくお願いいたします!」
がばっと頭を下げる。
パトリックは、執事と顔を見合わせてから、ノエルを見て、思わずといった風で柔らかく笑う。
「(な、何か失礼なことをしたかしら?)」
下げた頭が上げられないノエルは、そのまま固まるしかなかった。
「ああ、すまない。頭を上げて、座ってくれ。」
おずおずと座り直すノエル。
「お返事の手紙が少し……いや、かなり“情熱的”だったから、さぞ“強かなご令嬢”なのかと思っていたんだが……どうやら実際は“人見知り”のようだな思っただけだよ。」
「(人見知りの演技?それとも、手紙の方が……?)」
パトリックの口の動きがわかったのは、執事だけであった。
一方、先ほどとは違った意味で、顔が真っ赤になるノエル。
「(……どんな返事をしたのよ、お父様ーっ!?)」
父親が勝手に返事をするだろうと、放置していた自分が悪いが、まさかノエルの名で返事をしたとは、少しも考えてみなかった。
こんなことなら、あの場から手紙を奪って、自分で書けばよかったと後悔していた。
……誤解を解くため、父親が書いたと説明しておく。
「どうりで、歳が近いはずなのに、妙に大人のような言い回しをしてくると思ったよ。」
そう言って優雅にお茶を飲むパトリック。
「(お茶を飲むだけで、一枚の絵画のようだわ……)」
ノエルは、まだ半分うわの空であった。
―――
「本題に入らせてもらう。」
パトリックは、執事に目で合図を送る。
執事は、承知しましたと言わんばかりに深く瞬きをした後、「用がありましたら、お申し付けください。」と部屋から出て行ってしまった。
部屋に二人っきりの空間。
そう思ってしまった途端、落ち着いてきた心臓が、また騒ぎ出す。
心臓がドラムのように鳴り響き、身体の内側が震え出す。
「ど、どうして執事をお部屋から、出したんですか?」
ほんの少しの静寂も耐えきれず、震える声で問いかける。
口を開いた拍子に、心臓が飛び出るかと思った。
「言っただろう?“本題に入る”と。」
パトリックが少し首元をくつろげる。
“そんなっ、出会ってまだ数時間なのに、身体の関係なんて!”と沸騰する頭。
“首元のボタンを一つ外すだけでも絵になるなんて……お兄様なら、こうはならないわね”と冷静な思考が、ノエルの心の中で突然、同居を始めた。
「この手紙を書いて寄越したのが君本人ならば、この紅茶を顔にかけて、即刻お帰り願ってたんだけど、違うようで安心したよ。」
口元は、三日月のように笑っているのに、目はまるで極寒に吹き荒れる吹雪のようだった。
――ブルックスの悪魔――
父親の言葉を思い出し、無意識に左手首を握りしめる。
自分が対峙しているのは、美しい絵画じゃない。
“公爵”を継ぐ決意をした人なのだと、思い知らされた。
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