夏の虫
「今さら、叱られることを恐れているのか、小僧」
笑いを含んだ声が熱気に乗って、男を偽る少女へ届く。着々と炎が囲いつつある舞台の上には、不気味に揺れる影の持ち主が六人。中でも乱入者は志乃だけだが、今となっては些末なことだった。
「俺は良い子ですから、叱られるのは嫌ですよ」
「あれだけ暴れ回っておいてよく言うぜ」
先ほど話しかけてきた柄傘とは別の声が、横から茶化すように飛んでくる。声の主は志乃から見て右方向にいる、斧を手にした髭面の大柄な男だった。
浪人の風体をした柄傘以外の用心棒も、一目でならず者と分かるような面々が並んでいる。いずれも得物を携えており、大半は刃に火明かりを弾いていた。妖怪であることも共通しているが、目に映るのは人と変わらない姿ばかりだ。
志乃が最も刃を交えていたのは柄傘だが、他の者たちとも得物あるいは手足を交え、情報を仕入れてある。いずれも妖怪であることから予想はついていたものの、乱戦や修羅場を潜り抜けてきた経験が窺えた。これからさらに炎が広がっても、死んでさえいなければ脱出もできるだろう。伴う傷など意にも介さず、効率だけを重視して。
俺だってそうしますし――と笑みが浮かびかけたが、制するように、兄貴と呼んできた面々の顔が脳裏に浮かぶ。先ほど見たばかりの紀定の笑顔はもちろん、遠く夜蝶街にいる中谷の冷たい視線まで思い出され、志乃の顔に薄氷が割り入った。たとえ想像だとしても、叱られるのを回避したすぎて。
舞台上の愚か者たちを狙うような、嫌な熱さが渦を巻く中で、別の何かから狙われているような寒気を味わっているのは志乃だけだ。狙われているというか、見張られているというか、勝手にそう思い込んでいるだけだが。紀定は先に逃げたのを確認さえしたのに、向けられた視線が貼り付いたまま、取れないような気がしてくる。
「暢気に百面相をする余裕があるんだねぇ。堂々と喧嘩を売りに来ただけのことはある」
また別の方向から、志乃へ声がかけられた。今度は左手、大鉈を手にした細身の男が声の主。志乃がいつもの愛想笑いを向ければ、胡散臭い笑みを返してくれた。
煙、熱気、炎がじわじわ迫りくる中、誰もが互いの出方を窺っている。脱出を考慮している以上、意思の有無を問わず、他者からの妨害を警戒しているのだ。心中上等の死にたがりがいなくても、誤って踏み外した道連れは誰にでも起こり得る。
些細な動きも刺激になりそうな緊迫、その高まりも気にせず、志乃は刀を正眼に構え直す。持っているくせに不得手なのは変わらないが、この場で互いに好敵手と見定めたのは柄傘だ。できる限りにはなるが、刀で応えない道理はない。
志乃の動作をきっかけに、柄傘を始め、残った面々も得物を構え直す。全ての準備が整ったと、見渡さなくても空気が教えてくれた。
対峙した二つの影が、地を蹴り、瞬時に肉薄する。志乃と柄傘の刀が交差し、澄んだ音を響かせた傍ら、二人もろとも仕留めんと周囲の影が踊りかかってきた。
開幕を告げた刀の交差もまた一瞬。滑るように別れを告げて、それぞれ別の得物へと巡り合う。行き違うように進んだ志乃と柄傘は、互いの背後で別の相手と交戦を開始した。志乃の相手は沈黙を貫いていた二人、柄傘の相手は志乃へ声を掛けた二人。
「ぁはは、手荒に行きますよぉ」
青白い目をぎらりと光らせ、覗かせた牙の隙間からは笑い声を零したかと思うと、志乃は片方の小柄な男目がけて飛び込んでいく。にやりと笑った男の得物は野太刀で、振るうために相当な力を持っていることは明白。志乃も既に実感済みだ。
だが、志乃は野太刀を受け止めるために飛び込んだわけではない。
「そぉ、れっ!」
自分の刀を野太刀へ叩きつけるも押し返さず、地面を蹴り上げ跳躍し、受けた力を流しながら利用する。志乃は曲芸じみた動作で野太刀を飛び越え、回転しながら躱して見せた。着地から間髪入れず、小柄な男の胴へ蹴りを叩き込む。
「ごはっ……!」
「おわっ!?」
完全な予想外の先手を受けた相手の体は、飛び掛かってきたもう一人の男を巻き込んで、舞台外へ吹っ飛んでいく。炎の海へ叩き込んだのではなく、出口の方向へ蹴り出したのだ。
「あー、良かったぁ。男性を二人も蹴るとなれば、それなりに力を入れないといけませんから、加減が難しいんですよねぇ。妖怪で助かりました」
場違いな安堵からつい言葉を連ねつつ、志乃は助走をつけ、舞台を取り巻く炎を飛び越える。その先には早くも野太刀を構えて笑う男の姿があり、志乃も込み上げるままに笑った。
今度こそ、刀と野太刀がぶつかり合い、鋼の衝突が空気を震わせる。刀をぎりぎりと交差させたまま、志乃が着地したところへ、両手に凶悪な鉤爪をつけたもう一人が襲い掛かってきた。志乃は力業で野太刀を退け、掛けた力を転用し、鉤爪ごと男を弾く。
「無茶苦茶な喧嘩しやがるな、坊主!」
「えへへへ、褒めていただけて嬉しいですねぇ!」
野太刀を振るう男に、志乃は弾けるような笑顔で答えた。楽しくはしゃいでいても、声の偽装は剥がれないように。そう心がけるだけの冷静は、欠片とはいえ残っている。
志乃が間合いの異なる相手と器用に戦う傍ら、柄傘たちも戦いながらこちらへ向かってきた。舞台を下り、外へ続く通路の手前で、六人による乱戦が始まる。様々な武器が重なり合い、好戦の調べを奏でる中、同じ刀を得物とする同士が再会した。
ギン、とぶつかり合う刀の片方に、バチリと小さな雷が伝う。持ち主の歓喜を表すかのような雷は、四方八方へ飛び出す時を待ち構えているようだ。
「お前の醜さが照らされているな、小僧」
「そんなぁ。俺ってば、こぉんなに可愛いのに」
「言うことを聞かせる側の印象だろう、それは。相対する側から見れば、なかなかに悍ましいぞ」
笠の下の表情は窺えず、淡々とした口調も変わらず、柄傘の感情は読み取れない。だが、一つだけ分かっていることが、志乃の笑みを深めていく。
「でも、お兄さんはその方がそそるんですねぇ」
刀と視線に溢れ出た戦意は、どうしたって察せられた。刃を交えれば交えるほど膨れ上がり、弾ける時を待ち望んでいる。全力で相手とぶつかる楽しさは何物にも代え難い。それを分かっていない者など、この場にはいない。
証明するように、ふ、と笑い声が聞こえた。ただの吐息と聞き間違えそうなほど小さなそれは、志乃にはしっかり届いている。
「もはや用心棒の責務など失ったも同然。加減は不要なれば。お互い、出し惜しみなど無粋の極みだろう」
「そぉですよねぇ、そう来なくては!」
確認は成された。もう話すことはないとばかりに、息つく間もないほど素早く激しい交戦が始まった。
斬りつけ、斬り上げ、突き、繰り出される刃を自在に防いで、志乃と柄傘は苛烈にぶつかり合う。他の面々から入れられる横槍――斧に野太刀、大鉈や鉤爪との触れ合いを経て、また刀と斬り結ぶ。広がる炎を避けながら、出口を目指すのも忘れずに。自由に力を奮い戦う高揚と、炎に追いつかれまいと研ぎ澄まされた冷静に揺すぶられながら、志乃は遊び相手たちと踊る、踊る。
この時間が終わらなければいいのに。ここに芳親もいてくれたら、もっと楽しいのに。どんどん勢いを増す狂喜の波は、紀定に叱られたくない気持ちで抑えているが、利かなくなったらどうなってしまうか分からない。やはり、志乃を湧き立たせてくれるのは戦いだ。いかに取り繕い、抑えていようとも、下ろされた根が変わることはない。
追いかけてくる炎の熱さや、息苦しさを増していく空気といった、肉体を縛める要素が強まってきている。しかし、汗を垂らし飛ばしながら喧嘩に勤しむ面々には効いていないどころか、闘争心を煽るばかり。誰かの刃ではなく苦境に屈して脱落するなんて、恥晒しもいいところだ。そんな無様を演じるより、存分に戦って果てる方がマシ。乱戦に舞う影の持ち主たち全員が同じ思考を抱き、戦いに没頭している。
けれど、楽しい時間にも終わりはあった。移動しながら行われる乱闘の先、出口が見えてきたのだ。赤々と燃え盛る後方と異なり、真っ青な夏空や木々の緑が覗く様は、地獄と極楽の対比のよう。夏の虫よろしく炎の近くへ身を投じた誰もが、極楽に用のない面々ではあるが、連想するだけなら罰は当たるまい。
ちらと見ただけの出口は、しかし次の瞬間遠ざかる。志乃へ向けて放たれた重い一撃が、そのまま後退までさせてきたのだ。
「どうやらもうじき終わりがくる。その前に、決着をつけておこうではないか、小僧」
ゆらりと立ち塞がった影、志乃を後退させた柄傘の声は、心なしか楽しそうな色を乗せていた。志乃が浮かれているのと同じように、柄傘も浮かれているらしい。
「そんなに俺のこと気に入ってくださったんですかぁ、嬉しいですねぇ」
「言い方は相変わらず気に障るが、まあ、間違ってはいない」
事実、すんなり認めてもいる。柄傘も数多の相手と刃を交えていたが、志乃と戦うのが最も楽しかったのだろう。殺傷を介して相手と通じ合う志乃からすれば、何より喜ばしいことだった。
前方には今回の好敵手、後方には迫る炎の熱。未だ乱戦に耽る同類たちは柄傘の背後へ遠ざかり、もう少しで外へ出られる所まで進んでいる。追いつくには時間がかかりそうだ。少しでも終わりを遅らせたい気分を含めば、僥倖ではあるのだが。
「紀定さんに怒られてしまいますねぇ」
仕方ないですけど、と。呟きと共に笑みを零して、志乃は刀を構え直した。熱せられた空気が肺から体を焼いてくるようだが、それ以上の、戦いに対する熱気が志乃を煮え滾らせている。静かに高まっていくそれは、沸騰の時を待っている。
乱闘の始まりを告げた二人が、乱闘の終わりを締め括るべく対峙する。炎さえ邪魔を躊躇うように揺れる中、二つの人影は衝突し、吹き零れる闘志のままに笑った。
できるだけ刀で応戦しようとしていた健気な心掛けなど、勢いづいた戦意の前では箍にもならない。刀の交わりに隙ができた途端、志乃は蹴りを繰り出していた。しかし柄傘は軽々と躱し、自らも蹴りを放って志乃の足を弾く。双方ともに体勢が崩れたが、空を切った足が地面へ戻ると同時に立て直し、その勢いを次の動作へ繋げる。
「っははははぁ!」
笑い声を伴いながら数度の剣戟を交わすと、志乃は炎を恐れることなく――というより炎など忘れて柄傘から距離を取り、大きく跳躍した。いつもなら上段の構えを取っているところだが、頭が天井につきそうな今は脇に。落下の勢いを乗せて素早く振り抜けば、今度は受け止めた柄傘が飛び退って衝撃を受け流す。
志乃は着地で一呼吸を置かず、流れるように前傾姿勢を取って突進。柄傘もほぼ同時に突進を開始していた。差し違える槍のように接近した二人は、何十回目かも分からない鋼の合奏を響かせるかと思われたが、唐突な光と不安定が割り入ってきた。
「ぁえ?」
「む――」
炎でも外光でもない白い光が瞬いた直後、ずしんと地面が揺れる。否、底が抜ける。一気に重なった戦闘でガタがきたとでもいうのか、通路が崩落したのだ。
咄嗟に零れた声に続いて、志乃と柄傘の体も落ちていく。炎が遠ざかり、闘志の熱も引こうかというところで、志乃の脇腹に焼けるような痛みが走った。斬りつけられたことを察するのと同時に、背中へ何かがぶつかってくる。
落ちているのにも関わらず、志乃はすぐさま片手で背後の何かを捕まえた。脇腹を斬りつけて通り過ぎたのだろう腕を掴み、目の前へ引きずり出す。現れた人物は小柄で、ずっと頭巾で隠していた幼い顔を晒していた。不揃いの暗い茶髪が舞い、黒い瞳が志乃を睨む。
どうしてここに。脱出したのではないのか。
浮かんだ疑問を声で包むより先に、志乃は朱の差し色が特徴的な、異国風の装いに彩られた体を抱え込んだ。相手が短刀を持っていても関係ない。「ふざけるな」「何のつもりだ」と怒鳴る声が、風の蓋を貫通して聞こえてくるが、志乃はやるべきことをやるだけ。
「離せ、このっ、化け物が!」
聞き慣れた罵倒は、相手が元気であることの証左。決意してしまった志乃の腕を解くには至らない。自分より幼く、脆い体の人間を、要を守る。事情を聴くのは、お互い無事に地面へ到着した後だ。
藻掻く要をがっちり抑え込んだまま、志乃は柄傘共々、真っ暗な地下へと落ちていく。不慮の出来事として紀定も許してくれないだろうかと暢気に考えたが、そんなことを考える時点で駄目と言われる予想が出てきて、困り笑いを浮かべながら。




