071.自宅待機と怖いお話
アーシェの朝は大して早くはない。
「なりません」
朝食を取って、今日も情報集めをしようと張り切っていたところ、メリッサからダメ出しを受ける。彼女の言い分は、ルーディ伯と接触禁止令を出されたのなら、しばらくはあちらへは行かない方が良いと言うものだった。
冒険者の活動が出来ないのであれば、小国に行ってもあまり意味はない。たまには魔法人形に頼らず、自らの力でお稽古事をするのも良いだろう。
人形を使って何かを経験すると、手続き記憶への定着はあるのだが、実際の肉体は経験したことがないので、人形で慣れすぎると、いざ本体でやろうとすると、妙な違和感を覚える。
恐らく筋肉などの問題なのだろうが、こればかりはどうしようもないので、人形に頼り続けることは出来ない。
そんなこんなで今日も素描練習をしている。
レオノーラは素描の方法について、あまり深くは教えてくれない。特に人形での練習の時は疲れない肉体であることを良いことに、一時間被写体を観察させ、五時間描かせ、行き詰まったら一時間観察を繰り返し、旅の間は約四、五日で一枚という牛の歩みで次の被写体へ映っていった。
――おかげで描き込みは上手くなった……のかしら?
――うんうん。上手くなってるよ。
多分という言葉は飲み込み、茜はアーシェを褒め称える。茜は絵画と言うものに一切興味がなく、そちら方向の教養も素人の付け焼き刃程度だった。
茜が上手いか下手かを判断できるラインなんて、既にアーシェは通り越しているため、これ以上の些細な変化を感じられるほど、茜の目は肥えていない。
アーシェは現在、曲線が多く、重なり合いの激しい食器を描いていた。
レオノーラが難しい顔でアーシェの後ろに立ち、アーシェはただひたすら観察したものを、平面上に再現することを試みる。
集中した者たちが発する特有の静けさが部屋を支配し、時折生まれる木炭が擦れる音は、不規則ながらも、いつまでも聞いていられるような心地よい音色を創り出した。
アーシェの体力的に、本体を使って何時間も連続して練習するのは難しい。そのため、連続で続けるにしても、一時間ごとに休憩を挟む形となり、どうしても効率が悪くなってしまう。
そういうときはメリッサやレオノーラに頼んで、座学という名の休憩を取るのだが、今日ばかりは少しだけ趣が違った。
「姫様は魔鍾石と言うものをご存じでしょうか?」
「ましょうせき?」
アーシェはレオノーラに魔物について聞いた。
彼女の中では討伐系の依頼を受けられないことについて、もう我が儘を言わないように踏ん切りは付いていた。しかし魔物に関する知識には純粋に興味があり、もしもの時のために、気を付けるべき魔物や、倒した後のことを教えて貰うことにしたのだ。
魔鍾石とは魔物が命を落とした瞬間、幻臓と呼ばれる心臓の近くにある臓器が、硬直したものの事らしい。それはもちろん人間が死したときにも発生し、遺体を火葬した後にも残るくらい、硬直後は頑丈な物質へと変化するという。
人間の魔鍾石は先祖代々の墓に入れられ、骨壺とは別に石壺なるものが用意される。平民だろうと命を落とせば魔鍾石を生成し、大国の文化では、貴族同様に、家が所有する墓へと先祖と共に納められるらしい。
唯一の例外は三大国における処刑方法。
生命維持どころか、物質を構成することすら出来なくなるまで魔力を吸われ続ける刑罰があるのだが、その場合は魔鍾石が生み出されることなく消滅する。
魔力崇拝の関係上最も重い刑かつ最も不名誉な刑とされ、故にその処刑法は宗教的な大罪を犯した者にしか与えられない。
人間にはそのような事情があるが、魔物の魔鍾石と言うのは、少しばかり事情が違った。
魔鍾石と言うと、大抵は人間以外のモノを指し、人間の魔鍾石は御霊と呼ばれて区別される。
魔鍾石は主に錬金術の素材として使われるらしい。錬金術というのは大国と小国でまったく違う系統であり、区別するために大錬金と小錬金と呼ぶこともあるとか。
大錬金での魔鍾石の使用用途は、他の素材の反応を促進させたり、状態を励起させたりする触媒として用いられる。
一方小錬金では、粉末を魔粉と混ぜることによって、魔術の威力を上げたり、特定の薬と混ぜて調剤することで、相互作用を引き起こしたりする、強化剤として用いられている。
そんな魔鍾石には等級が存在する。それは一から十までの十段階で、小国にいるような魔力が乏しい魔物は十から五、大国の魔物は七から一までだ。
もちろん種族的に強力な魔力を宿す魔物だとしても、成体と幼体では保有魔力にも差が出るので、幼い魔物を殺めても立派な魔鍾石は得られない。
一等級の魔鍾石ともなれば、何百アルテと積まれる希少素材となるが、七等級程度であれば貧民でも購入できる程度の金額で流通している。小錬金であれば八から五等級、大錬金であれば六から三等級が用いられる。
十や九等級は、あまりの質の悪さに使われることは滅多になく、逆に二や一等級は、希少すぎて貴族の蒐集家や国に売ることが多い。
「例のネズミはどうなの?」
「あの程度であれば概ね十等級、良くて九等級でしょう」
魔力量と強さが必ずしも比例するとは限らないが、大量の魔力を持つ魔物が本気で抵抗したのなら、それ相応の影響は出るだろう。
因みに、人間の魔鍾石を格付けすることは冒涜であるとされ、平民だろうと貴族だろうと等しく敬われる。魔力を殆ど持たない平民でも、魔鍾石という魔力の塊になれば、貴族と同じ存在になるという宗教観らしい。
魔鍾石に関しては分かったので、次は危険な魔物だ。
「……姫様の場合はどのような魔物であっても逃げて頂きたいのですが」
しかしレオノーラにとって、アーシェが対峙するのであれば、如何なる魔物も一定以上の危険を含んでおり、考えるより前に逃げろと言われてしまった。
しかしアーシェが問いたいのは、そう言うことではないのだ。
「そうではなくて」
「では……小鬼でしょうか」
小鬼は特定の魔物の名称ではなく、ある特徴を持った魔物の総称である。
その特性とは、生活史――特に受精から孵化――の中で寄生性のある二足歩行の魔物全般のことを言う。要は寄生蜂のようなものだ。
見た目は小型のもので一メートル前後、大型のものでは三メートル近くあり、小国だろうと大国だろうと、見つけ次第目視できたものは討伐し、国へ報告した後、大規模な討伐隊が組まれるほど危険な魔物である。
小型の小鬼は決して強くない。一対一なら、戦闘訓練を受けていない平民の成人男性でも余裕で倒せ、場合によっては、そこらの子どもでも勝てるときもある。
しかし、その小鬼が危険視されている理由は、繁殖能力と、その寄生対象に人も含まれていると言うところにある。
彼等の繁殖行為は簡単である。
まず彼等は一定の大きさを持つ周囲の魔物、主に人間や温厚な大型魔物の雌を襲い、巣へ連れて帰る。その後雌雄交互に卵を産み付け、多種族の子宮にて受精を行う。その後約二週間で産卵が始まり、更に三週間で孵化、十分な食料を与えれば一ヶ月後には成体へと成長する。
小鬼は雌雄共に陰茎が付いており、母体によって次に生まれてくる幼体の数や、強さが変化する奇妙な性質を持っていた。
平民を母胎とした状態では、一回の産卵につき八から十四個の卵が産み落とされると言われている。
雌が身籠もることがない故に、個体数の半数を出産育児に回す必要がないことから、性別問わず、種族全体が戦力となり、二匹逃せば三ヶ月後には百匹以上に増えているなんてこともある。
小鬼の寿命は一年からどんなに長くても二年と短命だが、最初の二ヶ月以降は死ぬまで繁殖能力が消えないので、その増殖能力は厄介極まりない。
人的被害だけでなく、増えた小鬼は生態系を崩し、動植物を食らい尽くす。雑食故に、食べられる物ならば何でも食べ、時には同族すらも食らうと言う。
「緑色をした小さい生き物を見たら、見間違いと思っても必ず報告するようにと、学院の初等部では教え込まれます」
「緑色なのね」
弱いのは一匹だけであって、二匹いれば後ろには百匹いると思ってくださいねと念押しをされる。いくら世間知らずのアーシェでも、護衛もなしに魔物に立ち向かうなんて蛮行はしない。心外ねと呟き、余裕を見せるアーシェも、実のところそんな存在がいるだなんて恐怖でしかなかった。
――怖。なにその生き物。
――やはりお外は怖いところだったのだわ。
今夜一人で寝られるか不安になり、茜よりも絶対早く寝ようと決意したアーシェに再び外界から恐怖が与えられる。
「ひっ……」
突然部屋の扉が叩かれて、アーシェは直近の側近――レオノーラに抱きついた。




