062.神祇奉典殿・カスタレア支部
アーシェの目的地はこの街の神殿である。ここへ来た初日に神殿に使いを出し、管区大副へ面会の伺いを立てたところ、今日面会できることになった。
彼等大副は定期的に長期の祈りを捧げる習慣があり、アーシェが来た日の早朝から断食不眠の祈祷に入ってしまった。
それが終わるのが約十日後。それまでは面会はできないと言われてしまい、意識が戻る兆候が出たら使いを出すと言われ、そして今朝その使いがやってきた。
神殿の外見はやはりというべきか、日本様式の神社だ。恐らく神社仏閣の建築を研究していた賢者のせいだろう。
――信三郎さんめ。
――どちら様?
なら原住民の名前も日本人名に変えろよと茜は悪態をつくが、金髪碧眼の人種が和名を背負っていたら、それはそれで不自然なので、このままでも良かったのかも知れない。
因みにアーシェ曰く、南の方、主にローズクォーツ連合国には黒髪の人種がいるらしい。彼女も書籍で読んだだけなのだが、彼等に会いに行った過去の領主は、随分と排他的な集団だったと記していた。
獣車が門の前につくと、神殿関係者がそのまま中へと招き入れる。御者に変わり手綱を引く彼等は、貴族の家から出家した者たちである。
貴族は犯罪をしてしまうと、禁固刑に処されるか、出家するかの選択肢を迫られる。出家した者は世俗から離れ、質素な生活を送り、神に祈りを捧げるために生きることになる。
もちろん、表に出ている神殿関係者、祈祷師は、あまりの信仰心故に自ら出家する者が大半だ。
特に戦闘などで致命的な傷を負い、魔法という神の御業により生き存えた者は、その神威に触れて出家することも少なくないという。
彼等は神殿に入ったときに、祈り以外の魔法を禁じられる。それは制度的な意味ではなく、本当にもう二度と行使できなくなるのだ。それは一種の契約魔法であり、契約の相手は神そのもの。
神から授かった祈りの魔法以外の才能を、神へと奉納することで、魔具や魔法陣どころか、魔石に魔力を込めることすらできない存在へと変わる。
それによって彼等は完全に政治との関わりを絶ち、二度と貴族社会へは復帰できなくなり、契約魔法も使えなくなるため結婚等もできなくなる。
では貴族らが神殿関係者を軽視しているかというと、そんなことはない。
彼等は大半の魔法を捧げたとは言え、神へ祈りを捧げ、それらの神の恩恵を受けることならできる。そこで神殿は貴族に対して衛生管理の補助や医療従事などを提供するようになった。
《治癒》のように祝詞を唱えても発動しないが、神に祈ることでその恩恵を他者にも分け与えることはでき、神殿はそれを利用し医療活動を行っているのだ。
それもまた神へ魔力を捧げる行為であり、それは平民に対しても行われる。
故に平民は神殿と言ったら、怪我をしたら神様の力で傷を癒やしてくれる場所と認識しており、それは当然信仰心に繋がっていた。
「大砂時計は光神が与え給う祝福に満たされ、公爵姫殿下に於かれましては癒神の御加護を授かり給うと存じます。僭越ながらご尊顔を拝する機会を齎された縁神に祈りを捧げることをお許し下さい」
「許します」
懐かしき挨拶を交わし、アーシェは管区大副と邂逅する。
大副の名前はウリセス。出家した人間のため家名はない。彼はこの都市と、周辺の村々の神殿関連施設をまとめる管区大副であり、大副とは同じ品位であるものの、権力的にはそれよりも上位に位置する役職である。
主に周辺諸国の主要都市に配属される役職で、後に本部に戻り――本人たちにとっては――夢のような祈祷生活を前にした出世コースだ。
神祇奉典殿の内情は、ある時点から上に行けば上に行くほど、実務からは遠ざかる。実際に神殿を運営しているのは中堅の祈祷師であり、それより上のものはただ監督するだけの仕事となる。
神殿の最高位、神祇伯は、二四時間常に祈り続けているような存在であり、日常生活なんてものは日常から消え去る。
「歓迎頂きありがとう存じます。ウリセス様」
「こちらこそ、よくぞお出で頂きました。姫」
神殿には都市に来てすぐに書簡を渡しており、彼は既にその内容を把握していた。内容はもちろん貴族の拉致被害について。それに加えてこの一ヶ月で起きた、領地内の拉致事件についてだ。
貴族が拉致されているのに、一向に身の代金の要求はされてこない。
さらには国や領地、性別までもが無差別に行われており、どこかとの対立を煽るようなものでもない。もし本当に不仲を望むのなら、無残な死体を別の領地や国に置くくらいはするだろう。
しかしそんな様子もない。ならば考えられるのは一つであり、それは貴族の魔力を狙っている可能性だ。
相手の狙いが魔力であるのならば、世俗不干渉を貫く神殿だって無関係ではいられないだろう。
魔石に魔力を込められないとは言え、例えば小国の軍隊に拉致した祈祷師を配属させ、無理矢理魔法で治療させるなんてことも出来る。
現在三国での連合対策室を設置する方針で固まっており、そこに神殿も協力しろとは言わないが、拉致に対して警戒するように。書状は概ねそのような内容だったらしい。
祈祷師は皆戦闘に関する魔法が使えない。それ故自衛もできず、万が一襲われでもしたら、平民相手でも為す術はない。
「信奉者を襲うなど……なんたる不遜……」
「えぇ。相手が貴族か平民か、未だ判断できる材料はありませんが、祈りを捧げる尊き者を害して良いはずがありません」
実はアーシェ、この件についてはたいそうご立腹である。
彼女の行動理念でよく挙げられる『親族のため』『良き領主のため』は、優先順位としては四番目と三番目なのだ。ではそれ以上のものは何かと問われると、第二に国のため、そして第一に神のためである。
そんな敬虔な信徒である彼女は、神に魔力を届ける大役を仰せつかった貴族を、何の罪も犯していないのに傷つけると言う行為が許せなかった。
加えて四番目に位置する親族にも迷惑をかけているのだから、冷静さは保っているものの、内心はらわたが煮えくり返るほどの怒りを覚えている。
それはこの管区大副も同じようで、普段は温厚な彼も、今は怒りで手を握っていた。
案外、と言うか案の定、アーシェは領主よりも祈祷師向きだと思った茜である。
その後彼は、表立っての協力はできないが、彼からも繋がりのある大副や少副たちに、情報を集め、貴族たちの避難場所として解放できるように、一筆認めると言ってくれた。
アーシェはその言葉だけでも嬉しいと伝えると、彼は険しい表情をにこりと和らげて、姫も何かあればすぐにこちらを頼りなさいと微笑む。
今までアーシェと共に祈りを捧げる人間は、茜しか存在しなかった。それが、まさか敵対組織だと思っていた組合連合の神殿で、これほどまでに公室とは違った意味で、神に近しい存在と出会えるとは、思ってもみなかった。
その事実に感動し、アーシェは神に感謝するために祈りを捧げたいと伝える。
「ええ、ええ、それは是非。最奥の社にご案内致します」
「ウリセス様からしてみれば、拙い祈りではありますが……」
神殿内の階級がどうやって定められているのか、それはどれほど神に近しい存在か、である。
この世界では比喩でも何でも無く、人は努力をすれば神に近づける。毎日祈りを捧げ続けると、次第に魔力量が増えてゆき、代謝が減り、寿命が延び、そして最後には高みへ昇るのだ。
その高みへ昇る前段階を神殿では神祇伯としており、彼等は病気にかかることなく、寿命で朽ちることもなく、寝食ですら不必要な存在へと変貌する。
そしてそのまま祈り続け、最後には自分を構成する魔力を神の元へ送ることで、自身も神界へと足を踏み入れるのだ。
そんな神祇伯の前段階である大副も、彼のように十日間一切休まずに祈りを捧げることができ、それはそれは立派な祈りをする。
アーシェにとって両親が将来の夢であるのなら、彼等は憧れのスポーツ選手のようなものである。そんな彼等と同じ場所で肩を並べて祈祷するというのは、畏れ多くも憧れる、まさに夢のような体験だった。
「そんなことはありませんとも。貴女の魔力は天稟天稟だけでなく、常日頃から神に祈りを捧げている結実でしょう。そのお歳でそれだけの魔力。本当に神に愛され、神を愛しているのですね」
大副の座に上り詰めたからこそ、彼には分かる。
アーシェは六柱の内、特に光神、そしてその配神である癒神に愛されている。それは彼女が毎日欠かさず、誰かのために健康長寿の祈りを捧げてきた証しである。
医療従事を毎日のように行っている祈祷師ですら、食事の際にする穣神の加護より高いことは滅多にない。
それほどまでに、彼女は人を大切に思っていると言うことだ。
そんな彼女に好意こそ持てど、邪険に扱うなどもっての外。彼女が俗世に囚われることは、実に勿体ない。きっとこの少女こそが高みへ昇るべき現人神なのだろう。
二人は社の前で拝を行う。
一糸乱れぬ姿に誰しもが息を呑み、一切の雑念を捨てて神へ祈りと魔力を捧げる後ろ姿は神々しくもあった。
この社堂には、アーシェの屋敷と同様に魔力が満ちている。それは神へ正しく魔力を送るためであり、そこに務める祈祷師が、不自由なく過ごせるためである。
彼等は毎日魔力を捧げているため、その保有魔力は並の貴族よりも高い。そのため大副未満の者であっても、魔力量は浄階貴族の成人に並ぶこともあり、生身で魔力領域の外に出る行為は、アーシェほどでないにせよ苦痛を伴う。
二人が祈りを捧げてどれくらいの時間が経ったのだろうか。
二人を中心に渦巻いていた魔力の光は、次第に収束し、名残惜しさを残して姿を消した。そしてしばらくの余韻を味わった二人は、殆ど同時に顔を上げ、どちらからともなく最奥を後にする。
「わたくしの不徳故、未熟な祈りとなってしまい申し訳ございません」
ウリセスは十日間休まず祈れるという人外の域に達している。そのことから、アーシェの体力切れに合わせて、彼も祈りをやめたことは明白であり、それを彼女は恥じていた。
しかし彼は首を振り、とても有意義な時間だったと否定する。確かに長く祈ればそれだけで多くの魔力を神に捧げられる。しかしことアーシェ、もっと言えば公族に限って言えば祈りの時間など些細な問題だ。
彼等は六柱全ての神から寵愛を受けている。彼等にしてみればそれは普通のことであり、威張ることでも何でも無い。それ故に彼等は気付かずに、毎日六柱全ての神へ、同時に魔力を捧げている。
それは領主の義務、公族の義務であるのだが、一般の貴族ではそんなこと不可能に近い。まず祭神六柱から加護を受ける必要があり、その上で同時に魔力を捧げることができる魔力量が必要なのである。
あの夫人二人でさえも、それをやろうとするのなら、たったの数秒で前後不覚に陥るだろう。たったの五歳児が、その偉業を成し遂げられることこそ、公族という特別な地位に立てる所以なのだ。
「また共に、神へと祈りを捧げましょう」
「そう仰って頂けるのなら、何よりのお言葉と存じます」
アーシェは、時々またここで祈りを捧げることを誓うと、合掌をしてその場を去った。
ただの注意喚起のつもりが、情報共有だけとは言え、あの神殿から協力を取り付けることができたのだ。これは城に帰ったらミリアシルに褒めて貰えるかも知れないと、上機嫌で獣車に乗り込む。
それを見送ったウリセスは、誰もいない神殿の最奥で、独り再び神へと祈る。
「神子の行く末に、事幸く、真幸く未来を齎し給え」




