060.冒険者組合はいつだって人手不足
床に組み伏せられてもなお、必死の形相でアーシェたちを勧誘する姿は、彼ら職員の痛ましい現状を体現しているようだった。
きっと彼らは本当に事務職員に恵まれていないのだろう。
何なら正規職員になれるよう打診しますよと言われた頃に、騒がしさを聞きつけた職員たちが部屋へ入ってくる。
その目に映ったのは貴族様に取り押さえられながらも、貴族様を組合に勧誘する、この道二十年のベテラン事務職員。
そして主人を護る従者の如く、子どもの前に立つ貴族様三人と、子どもの後ろで肩に手を回し、何かを警戒している貴族様。そして間に挟まれ立ち呆けている小さい貴族様だ。
何が何だか分からず、取り敢えず客観的に見て暴れている職員を正気に戻そうと試みる。
「痴れ者が……次お嬢様に触れようものなら、その腕切り落とされる覚悟を持て!」
表情こそ仮面に隠され見えないが、その怒声からは、彼の取った行動が、貴族の逆鱗に触れたのだと簡単に察しが付く。
職員が女性であれば、まだ護衛たちも我慢が出来た。
しかし、未婚の女主人が平民男性に言い寄られると言うのは、従者にとって耐え難い屈辱なのだ。
アーシェもまさか抱きつかれるとは思っておらず、恐怖のあまり取り繕うのも忘れて立ち竦んだ。その恐怖で腰が抜け、伯母の身体に支えて貰わねば、立っていることさえ侭ならない。
今回の場合は不幸中の幸いとも言うべきか、護衛たちの咄嗟の判断により未然に防ぐことが出来た。
もしこれが本当に男に触れられていたのなら、護衛たちは何かしら処罰を受けただろう。
エリザベートという監督者がいる前で、そんな大失態が起これば確実にミリアシルの元まで報告が上がる。
仮に彼女がいなくても、忠誠心の固まりである三人は、自ら報告しにいくだろう。
ただ、今回の件は職員の方も悪いとは言い難い。
そもそも平民に、未婚の貴族に触れてはいけないという規則なんぞ、伝わっているはずがない。国内の平民ならまだしも、相手は組合連合が運営する都市国家の一公務員である。
できる限り穏便に済ませたいアーシェだったが、驚きのあまり声が出ない。仮面の下で口をパクパク動かしていると、エリザベートが意を汲み事情を説明する。
「以上より、お嬢様に触れようとした殿方を取り押さえたところに貴方方が参ったと言う状態です」
護衛の拘束を解き、警戒しつつも職員たちに引き渡す。
今度はその男性職員が、他の職員から質問攻めを受けた。そして何故そんなことをしたのだと聞かれたら、彼は机の上を指さし、あれが見えないのかと彼等に問い返す。
職員たちは、最初彼が何を言っているのか分からなかったが、そのうちすぐに違和感に気付く。
あの書類の山のせいで、表面を視たことさえ無い職員もいると言われている空かずの机が、綺麗さっぱり整えられているのだ。先ほど書類を運び込んだ時には大量にあった依頼書が一つたりとも残っていない。
それどころか、煤塗れで汚れていたはずの机が、何故か掃除までされている始末。
実は書類を全て運び終えた護衛二人が暇を持て余し、一言断りを入れて持ち前の掃除道具で部屋を掃除していた。
確かに彼女たちは有能なのだろうが、それでもやって良いことと悪いことがある。組合職員ならばさすがに貴族に抱きつくなんて不敬を働けば、罰せられることくらい分かるだろう。
異変に気付いた彼の同期が耳打ちする。
「お前……今日は何日だ」
「え……八月六日だけど……もしかしてもう日付変わってる?」
今日は八月九日である。
その後彼は連行され、アーシェたちは慰謝料含めて報酬の倍額を受け取った。
報酬計算は仕分け一枚につき一センカ。彼女たちが仕分けた枚数は一万強だったため、倍にして二百モネくらいは稼げたことになる。
アーシェとエリザベートはいてもいなくても変わらなかったため、六人で割ったら一人あたり三五モネ程度である。一時間仕事をしてその程度というのは、貴族からしてみれば端金であるが、平民からしてみれば大金だ。
平民は慎ましやかな生活をすれば、一日一モネで生きてゆける。
物価の高いところでは生活できないが、都会であっても貧困街なら生活することができるだろう。それが通常報酬十モネ毎時貰えるのなら、どれだけ大金であるのかが分かるものである。
「何故組合は奴隷を購入して組合で働かせないのですか?」
「そりゃあ、奴隷なんかと一緒に仕事をしたくないからですよ」
貴族にとって奴隷も市民も等しく平民である。
大罪故の奴隷であれば話は違うが、罪を犯していない奴隷は、むしろ何故本来貴族の所有物であるモノを、平民が勝手に権利を主張しているのだと言いたくなる。
それは大国貴族も同じで、領民を取られた領主を哀れむ声さえ上がるほどだ。
しかし平民にとっては、奴隷と自分たちは違うらしい。
その価値観の違いから、善良な市民は奴隷と肩を並べたくないと述べる。
冒険者組合はこの通り事務方が常に不足している。
それ故に、事務員の希望通りの職場にしたいという方針から、上から下まで奴隷は雇わないことにしているのだとか。
――貴族もやれと言われたら平民とだって仕事をするのに。
――ついさっき、そのせいで殺生沙汰になりかけたけどね?
貴族にも色々といるが、セルヴ公爵領の貴族に限って言えば、多くの者が実力主義なところがあるので、魔力を使わない場面であれば、有能な平民は重宝される。
市町村規模の土地を持っている浄階貴族の本家などは、その土地の管理を平民に任せることもあり、自分たちはセルヴィスで働きながら祈りを捧げているなんてことは、公爵領ではよくあることだ。
先ほど三階へ案内してくれた組合の受付嬢と立ち話をしていると、三の鐘が頭に鳴り響き、お昼まで残り一刻をお知らせする。
ちょうど話の区切りも良いので、今度は雑草抜きの依頼を受けて、組合館を離れた。
雑草抜きは護衛たちが持ってきた依頼である。
彼等武官は、学院の学科授業で、初めに大演習場の雑草抜きをさせられるらしい。
学院で学科が分かれるのは中等部になってからだ。
その頃はまだ武官見習いと言えど、大した体力も無い。そんな彼等に齎されるものが、足腰を鍛えるためと謳った使い走りである。
軍に入れば先輩後輩は然したる意味を持たない。
しかし上司と部下の上下関係は厳密に決められているため、それを幼い頃から叩き込まねばならない。
とは言え彼等も卒業した後に家同士で問題は起こしたくない。
きちんと言われたことを護る後輩には相応の態度を取るし、生意気な後輩にも相応の態度を取る。
ただし領内で虐めがあれば、ここぞとばかりに他二官が結託し、不正行為報告書作成のネタにされるため、下手なことはできない。
学院の三官は三すくみのように互いを律し、競い合うことで良い結果を生み出していた。
目的地に着いたらさっそく武官を中心に雑草取りが始まる。
先ほどは近くに平民がいたからこそ問題があったが、今回は野草との対話であるため何の心配もいらない。
会館内では邪魔になるからと待機していた従者を含め、レオノーラ率いる護衛たちは護衛の二人を除いて楽しそうに草むしりをしている。
彼等は正座しながら飛行魔法を用いて数センチだけ浮き、ルンバの如く雑草を抜いていた。
アーシェも試しに近くの雑草を見つけて引き抜こうとするが、アーシェの握力ではびくともせずに手から抜けてしまう。
ついにはエリザベートも学院時代を思い出すと言って草むしりに精を出していたが、結局のところ一番役に立っていないのはアーシェであった。
――……ままならないわね。
――五歳児がそう思い詰めないの。
ぽんと背中に手を回し、正面からアーシェを抱き寄せる。彼女は深く考えすぎなのだ。
できないことは努力して、それでもできないなら諦めれば良い。アーシェはそれが許される年齢であり、挫折もまた人生における貴重な経験だ。
効率を求めすぎて空回りするなんて経験は、大人になってから積めば良い。本当に人生を効率良く領主磨きに費やすのなら、子どもにしかできないことをやり続けなさい。
そんな言葉はミリアシルたちからは聞けないだろう。
彼等もまたアーシェのように苦悩しながら歩み、代々受け継がれてきた信条に従い、己を磨いてきた。それ故に、それで成功したのだからと後続にも同じことを要求する。
決してその考えを間違っているとは言わない。先人の知恵とはいつの時代のものであっても的を射ているものが多く、長く語り継がれていると言うことは、それだけ後続を成功へ導いたという証しとなるのだから。
しかしその道だけしか残されていないと考えるのは、いささか早計であると言えよう。
盲目的に過去の偉人を信奉するのではなく、先ずは疑いの目を持って視野を広げ、それでも偉人が正しいと思えば、碑の前で謝れば良いのだ。
――……勝手に触らないで。
――あら。失礼しました。姫様。
彼等ができないことは私がしよう。
茜はアーシェの教育こそが健全な発展への最短距離だと改めて認識し、彼女の足りないものを補えるように努力する。彼女だけは失うわけにはいかない。
自身の人格に塗りつぶすなどもっての外だ。彼女はアーシェであるからこそ、まっすぐに、美しく成長する。
――貴女から姫と呼ばれると悪寒がするわ。
――ごめんね、あーちゃん。
ふんっと茜の腹回りで鼻を鳴らすアーシェには、先ほどの落ち込みはもう無く、昼食前の空腹感だけが残っていた。




