058.奴隷という身分
「なっ、何をしているのでしょう」
先頭の賤民の鎖は、その先に続く馬車に繋がれていた。
そして当然転けた平民はそのまま引き摺られることになるのだが、御者をしていた人物は、その光景を一瞥すると、何事も無かったかのように前に向き直り、馬車を止めるどころかより一層、馬に圧力をかけた。
それだけならまだ誤操作だろうと考えたのだが、馬車の荷台から降りてきた男たちは、あろうことか引き摺られている非人たちを鞭で打ち始めたのだ。
「あれは奴隷でしょう」
エリザベートが吐き捨てるようにそう告げる。
奴隷とは他者の所有物となった人間のことだ。パール王国では重罪を犯した者の懲役刑として強制労働があり、それに科された者は蔑みを以て奴隷と言われることがある。
奴隷は当局管理の下、特定の懲罰領で鉱夫をはじめとする強制労働にあてられる。管理は貴族が直接行い、平民の代理などを設けることはまずあり得ない。
因みに奴隷に身をやつす者は平民のみであり、貴族は屋敷に戻され監禁されるか、出家して神殿に行くかが大半である。
しかし伯母曰く、小国では犯罪者でもないのに奴隷となる者が多いらしい。その最たる例が、戦争難民の奴隷化である。
そんな頻繁に戦闘を繰り返しているのかと問われると、当然そんなことはない。
しかし戦争をしている国は数多く存在する。
と言うのも、戦争は宣戦布告から停戦協定が結ばれるまでのことを言い、何十年、何百年前だろうと、一度宣戦布告されてからは、和平条約締結まではずっと戦争状態だからだ。
数百年続く戦争が、その実一回も戦闘が起こらなかった、なんていう話も時にはあり、今や戦争に参加していない小国は存在しないと言って良い。
では何故そんなくだらない戦争を続けているのか、それは軍に予算を割り当てる口実となり、かつ労働力を任意に補充できるからである。
小国は自国民の奴隷化を認めていない。しかしその法の抜け穴をつき、戦争中の敵国から奴隷を調達しているのである。
簡単な話だ。難癖付けて捕らえた平民を、獣車や船に詰め込んで、同じ数を乗せた他国の馬車と交換するだけである。
戦争中の略奪法に則り、他国の財産を略奪することは美徳とされ、その財産が偶然人材だっただけのこと。奴隷商人たちは、何もやましいことなどしていない。
この世界において、戦闘員と非戦闘員を明確に区別しているのは大国くらいである。
昨日まで農作業をしていた小娘を、平気で徴兵するような国では、農民と兵士の区別なんてつきやしないのだ。
彼等は国境沿いの村という戦地に派遣された兵士であり、他国はそれを掠奪しているに過ぎない。
一度奴隷となってしまえば、どの国であろうと売り飛ばすことが出来る。
何せ国が認めていないのは罪を犯していない自国民の奴隷化であって、奴隷ではないからだ。そんな投げ売りされた者たちが、最後に行き着く場所は二つある。
一つは鉱山。大国の、魔力で作られた神工鉱山とは違い、毒ガスや落盤が非常に多い危険な場所だ。そこに送られた者の余命は一ヶ月とされており、間違いなく死ぬであろう終着点の片割れ。
そしてもう一つがここ、貿易都市カスタレア。
労働力を求め、安く買い取りたい者。非日常に晒され続けた結果、性癖を歪まされた者。大抵はこの二種類であり、前者の場合は比較的健康な肉体を、後者の場合は四肢欠損から幼児愛好、果ては処刑鑑賞、生きたままの人体解体まで、少しでも元を回収したい商人たちによって売り捌かれる。
今引かれているのは前者だろう。そんなことを、エリザベートはお茶を濁し、市販乳酸飲料を更に薄めたくらい丁寧に言葉を選んでアーシェに伝える。
「平民が平民を支配し、更に支配されている平民が、罪なき平民を支配するのですね」
アーシェからしてみれば、魔力を持たぬ者は総じて平民である。
その平民の中に、社会的地位とは違った、決定的な身分の差があることについて、彼女は呆れたように溜め息をつく。
しかし、表面上はどう取り繕うと、彼女の手はセリアの裾をしっかり握っており、彼女もまた、奴隷という身分に落ちた平民を哀れんでいた。
――……あら。
しかし奴隷に対して考えを巡らせていると、ふと不自然な点に気付く。
いくら何でも効率が悪すぎやしないだろうか。
同時期に同じ人材を貰えるとは言え、輸送費をかけてまで平民を他国に売り飛ばし、奴隷の寿命を削って強制労働をさせるというのは、生産性に欠ける行為である。
それをやるならば、そのままある程度は健康な状態で一生農作業をして貰っていた方が、長期的な目で見れば利益は出るだろう。
確かに絶対に逆らわない道具を手に入れるという面において、奴隷制度は一定の価値を所有している。
しかし、そんなものはいくらでも代用できるだろう。何故奴隷に拘っているのか理解できない。
そんな考えを茜に伝えると、茜は二つの選択をアーシェに迫った。
――ご母堂様方の期待を裏切って真実を聞くか、大人しく時が来るまで待つか、どっちが良い?
そんなことを言われると、アーシェは後者しか選べなくなる。茜はずるいと一言添えて、彼女は茜の思惑通りに後者を選んだ。
茜曰く、他国の奴隷は愛国心を煽り、敵対心を募らせ、自分たちがどれだけ幸せな生活をしているのか、教育という名の洗脳をされているらしい。要は政治的宣伝目的だ。
人は格下を見ると安心する。下を見下げる余裕があると、精神にゆとりが生まれるのだ。
常日頃から圧迫されている平民は、他国の奴隷を見ることで、これよりはマシだ、これにはなりたくないと言う感情が芽生え、自らの仕事に積極的になる。
飴と鞭。よく使われる文句ではあるが、真の独裁国家は飴に見せかけた幻想と、鞭により国民を支配する。
自分が本当に幸せなのかなんて、情報取得が困難なこの世界において知るよしもない。他国から来たと言っている商人が、貴族から金を貰い、他国のあること無いことを領民に語れば、平民たちは簡単に信じてしまう。
もちろん度が過ぎればどこかに矛盾が生じるが、幸せとは言えずとも、貧民として普通の暮らしをしていれば、案外粗は出ないものである。
昨日はあまり見ていなかったが、改めてよく観察すると、武器を持った者たちの隣には、必ずと言って良いほどの奴隷がいた。
同じく武器を持っている者。身にそぐわない背嚢を背負っている者。首輪こそ付けているものの、そこらの平民より豪華な衣服を纏っている者。キラキラと目を輝かせている者。虚な目をしている者。そもそも目がない者。
「何故綺麗な服を着ているのですか?」
「お人形遊びのようなものでしょう」
奴隷の扱いは主人の裁量によって決まる。
本当に道具のように使い捨てをする主人もいれば、それこそエリザベートが言ったように着せ替え人形として楽しむ者もいるだろう。
しかし、彼等の共有点は確かにあり、それは総じて奴隷を人間と見ていないことだった。
彼等の目は酷くて空気、良くてペットを見る目だ。そこには一つの人権もありやしない。彼等は良くも悪くも教育を受けていない。
それは物事を論理的に見る術を教えられていないと言うことであり、同時に物事を常に心の赴くまま、純粋に見ることが出来ると言うことだ。
彼等は奴隷がそこにいることに疑いを持たない。奴隷制度を疑問視しない。
アーシェはそんな木偶の坊を見て、恐怖により鳥肌が立った。あんなモノが世に放たれているのか、あんなモノをヒスイ王国は取り入れようとしているのか。
武力を持った赤子ほど怖いものはない。彼等の中にも聡い者はいるかも知れないが、それでも大半は字も書けないような者たちだ。
平民の識字率は概ね二割から三割ほどだと言われているが、それは無作為に抽出しての数ではない。
その三割のうちの更に八割以上は商人が占めており、残りの二割以下は公的職場で従事する者たちだ。農村では文字を読める者が村長一家のみと言うのも珍しくなく、大抵は読み書きできるのならば都会へ出る。
故に都会では識字率がぐんっと上がるのだが、それでも半々くらいであろう。カスタレアも例外ではなく、この都市の識字率の多くは商人や魔術、錬金術師組合の会員が占めている。
もちろん冒険者の中にも一定数いるのだが、彼等は読めるけれど書けないと言った者たちが多く、しかしそれで生活できてしまうので、一向に増える気配はない。
また、上位の冒険者は文字を覚えた奴隷を購入している者も多く、彼等は勉学を他人に押しつけることで、あくどい商人から身を守っているのだ。
文字を覚えるのだってタダではない。覚えられるかも分からず、目標点が曖昧な識字を学ぶより、商人によって調教された奴隷を買う方が確実であり、何より楽なのだ。
金を持ち、金で楽が出来るのならば、楽をする。
それは別に間違っていることではなく、ある意味人間の真理に等しい。ただし、それだけでは人は前へ進めない。
生物の進化なんて動く歩道を逆走しているようなものだ。歩み続けなければ、いつの間にか後退している。人間の脳なんて正しくそれにあたり、使い続けなければ衰えていくばかりである。
アーシェも茜も彼等がまったく頭を使っていないとは思っていない。むしろ彼等は生き延びるために、農民たちよりよく考えているだろう。そこに識字が必要ないだけで、魔物の動きや金の稼ぎ方等は、そこらの平民よりも頭が回る。
一度は怖くて顔を引っ込めたアーシェも、再び外が気になって窓掛けを捲った。
「あら、人の流れが変わったわね」
大通りに出たら、武器を持つ者の大半が外へと向かっていた。
どうやら組合の活動開始時間は朝日と共にやってくるらしい。彼等はその時間帯を狙って組合館へ行き、張り出された依頼からめぼしいものを選択する。
この街は組合連合の総本山。周辺地域の魔物討伐依頼、支部では手に負えない依頼、街の配達や雑用まで様々な依頼がある。
その中でも自分の実力と報酬に釣り合いがあるものを選別し、他者に取られる前に受付へ持っていかねばならない。
その争奪戦は時に暴力沙汰にも発展する。何せ自分の生活がかかった争いなのだ。エリザベートは修学旅行の際にそれを目にしているので、アーシェをそんな場所に連れて行くことなど出来なかった。
尤も、そもそも城で朝食を取っているようでは争奪戦には参加できない。
獣車の中から外を眺めること十数分。アーシェはついに仮想敵組織、冒険者組合の本部へと到着した。これから行くは魔境そのもの。冒険者という魔物を相手に、彼女たちは気を引き締めた。




