056.一ヶ月のできごと
「まず、不確定の情報だが、ヒスイ王国の伯爵領にて組合連合を誘致する動きがある」
ヒスイ王国は内陸の小国の一つで、パール王国の従属国である。
約二世紀前にパールに戦争を仕掛け、完敗した挙げ句、無条件降伏をして属国になった国でだ。現在は王こそ建てているものの、パールから見て王室直轄領とされ、立法、憲法改定等に制限をかけられている。
年に数回、内務省から監督官を派遣して、正しく国が運用されているのかを把握されたりしており、お世辞にも独立国家とは言えない状態である。
当時のパール王国は、ヒスイの降伏と同時に組合連合を追い出した。それが何故今になって、再びヒスイに接触を図ろうとしているのかは定かではないが、パールとしては飼い犬にノミが付くようなら、取り払わねばならないと考えていた。
「加えて、男爵領の直階貴族が国境周辺で襲撃を受け、小国に連れ去られた」
その小国とは、ヒスイのことだ。
しかしこれまで外交官などの海外出張中の貴族が狙われるだけだったのが、ついには国内でも発生してしまう事態となった。
その深刻さは今までの比ではなく、今回は弱小男爵領だから比較的マシなものの、直轄領や大領地で好き勝手にされたのなら国家の沽券に関わる。
しかも、その被害を直に受けるのは内務卿であるミリアシルと、軍務郷であるリップマン公爵である。
ここで外務郷との間に亀裂が走ってしまえば、国は二つに分断されかねない。たとえトップの仲が良くとも、部下が裏で殴り合っていたら元も子もないのだ。
その情報を聞いた女王陛下は緊急対策室を設置し、御三家から人材を集めて対応にあてるよう命令した。
これは正式な王命であり、王国臣民はその行く道を阻むことは出来ない。これにて少なくとも表面上の対立は免れるであろうとの、陛下からの計らいである。
どのような意図があろうとも、王命が出たからには、確実に、かつ迅速に問題に取り組まねばならない。近いうちに全領主で御前会議が開かれ、王命含めて対策が練られるであろう。
「陛下は緊急御前会議と同時期に枢密院総会も開催するおつもりだ。そうなれば其方らにも出席して貰う」
パール王国の最高諮問機関にして顧問官全員が輔弼権を持つ唯一の組織。枢密院勅令は王令と同等の強制力を持つことから、王の代弁者とも呼ばれる。
そんな機関が役目を果たすのは年に一回のみ。毎年年末年始に行われる御前会議の少し前である。
それが期日を待たずに行われることの異常性は、公室であるならば誰しもが重く受け止める重大事項だ。
陛下がそれほどまでに今回の案件を危険視されていると言うことは、この一ヶ月の内に国内全土へと広がり、現在はどの領もピリピリとした空気が漂っているのだという。
緊急御前会議は長月の上旬に開催し、それまでに枢密院を開き、顧問官の意見を聞きたいというのが陛下のお心である。
「では小国での活動はしばらくの間休止でしょうか」
「いや、それは其方らの気が済むまで行って構わない」
ただし、先に約束した通り、毎日欠かさず城へ帰ってくることと、その日起きた出来事は全て隠さず報告すること。
加えて昼食は良いにしても、朝食と夕食はできる限り共に食べるようにとのことだった。
門限などは決められていなかったが、そうなると退勤を知らせる六の鐘には戻ってきたいところである。ならば四の鐘が鳴ったらあちらでの活動を切り上げる、という習慣を身につけたい。
面白いことに時間を知らせる大砂時計の鐘は、世界中どこにいても、常に一定の音量で聞こえるのだ。
しかし、睡眠中や、アーシェが風邪を引いたときにはパタリと音が鳴り止み、一切聞こえなくなった。しかしその時は従者には聞こえていたらしく、個人の体調や意識の覚醒具合によって、聞こえるのかどうかの判別が下されるようだ。
因みに平民には一切聞こえていないらしい。
一説によると、魔力が低すぎる平民は大砂時計から重症患者、もしくは仮死状態であると判別されているのではないかとされている。
小国に潜入する際などは、そう言う仕組みを正しく理解していなければ、一発で大国貴族だと判明してしまう。
他にも依頼を受ける際は依頼者の素性を把握するようにとか、危険な依頼は受けないようにするとか、判断が難しいものは必ず側近の意見を聞くようにとか、細かい内容を詰めている内に七の鐘が鳴り、彼等は食堂へと向かった。
「んー」
一ヶ月ぶりの城の食事はアーシェにとって天の恵みだった。他領の食事はまだ美味しいところもあるのだが、他国の料理だけはダメだった。今後の活動において、付き合いと言うことで他国の食事を食べることもあるだろう。
そう思って何度か挑戦しているのだが、最近ようやく表情に出さずにごっくん出来るようになった程度である。
特に酷いのは肉だった。外国の肉はザラザラしている。
それに加えて木くずを食べているかのように固く、アーシェの非力な咬合力では噛み解くことも出来ない。小さく細切れに切って、ようやく咀嚼できるようになる。
そこでアーシェは考えた。もう生身で食事をすることは諦めて、魔法で自分の複製を作り、その分身に食べさせるようにした。
ただこの分身、痛覚はないのだが、痛覚未満の感覚はあるのだ。手で触ったらしっかり感触があるのに、刺されても何かが当たっているなくらいにしか感じられない。
しかしそれでも、常識的な範囲での味覚は本体の方に伝えられてしまう。そして小国の料理は容易くそのフィルタを貫通してしまうため、アーシェにとっては何の慰めにもならなかった。
そこでアーシェは更に考えた。
全てを茜に任せようと。
全ての感覚を茜に任せ、視覚と聴覚だけをアーシェにも回して貰えば、この苦しみを味わうのは茜だけで済むと言う算段だった。仕方が無いので借り一つと言うことで、茜も渋々承諾する。
あの食事は茜からしても美味しくはなかったが、別に食べられないほどではない。本当に食べられないものであれば、人形からは味覚が伝えられない。それはつまり辛うじてでも食べられると言うことである。
それからはアーシェによる伯母様自慢が始まった。
この一ヶ月。二人の距離は大幅に縮まり、親密度だけで言えばダントツで頂点の座に上り詰めている。
因みに二位はロベルティーネだ。彼女は夫人たちとは違う意味でミリアシルに近い存在である。肉親という意味ではアーシェとほぼ同質であり、今までアーシェの周りにはいなかった存在だった。
領主と配偶者の間には、少なくない格差がある。
それはいわば領主の部下だ。その役目が、補佐的なものであろうとも、跡継ぎを生むためのものであろうとも、所詮は部外者。彼等は決して対等な存在にはなれない。
それ故に、領主の姉と娘と言う関係は、彼にとっては夫人よりも近しいものとなる。そんな気の置けない者同士、二人の関係が約まるまでには時間は掛からなかった。
最初にミリアシルの過去話。主に学院時代の逸話を懐かしみながら話す伯母の姿を、アーシェは羨望の眼差しで見つめながら聞いていた。
わたくしもお父様と同じ時代に生まれたかったわと心の中で呟き、見事に茜から突っ込まれている風景は、果たして彼女は頭が良いのか悪いのか、判断に困る光景だった。
アーシェからはもちろん今のミリアシルの話だ。
愛娘から見て、彼がどのように映っているのか知った実姉は、これから数年間は弄りのネタに困らないだろう。彼女から見た父親は、正しく完璧超人の聖人君子だった。
彼が行うあらゆる行動は、アーシェの色眼鏡を通して美化され、記憶に残り、時間が経つにつれて更に補正が掛かる。
エリザベートが携わっていた事業も明らかに修正されていたが、彼女が美化する場所は、結果ではなく行動理由なので、中々訂正もしづらいのだ。
「商会の商品も凄いのですよ」
実は多くの魔具はパール国内にて作られている。
それは魔石を加工する際、周囲に魔力が無ければ急激に劣化してしまうのだ。粉末状にするのであれば、そもそも劣化なんて気にしなくて良いのだが、魔具は魔石内部に魔法陣や特殊回路を組み込むため、組み込んだ場所が劣化したら不具合や効率低下に繋がってしまう。
そんな魔具は魔法用と魔術用があり、前者は貴族用、後者は平民用だ。
魔法用のものには更に生活用と非生活用があるのだが、魔術用には戦闘用しか存在しない。生活用は細かい制御や安全性などの追求により、必要魔力量が多すぎて魔石の粉末では到底足りないのだ。
セルヴ商会の魔具製造リソースは大半が貴族用のものである。平民用は貴族用を製造するときの副産物を利用しているに過ぎない。しかし製造原価を少しでも回収できるのなら製造しない理由は無い。
魔術具市場におけるセルヴ商会の占有率は他国の魔術具専門店に一歩劣るものの、耐久性と魔力効率を売りに、多くの戦闘員から信頼が置かれていた。
「御社に魔術具部門は開設しないのですか?」
「そうねぇ、貿易部門の一部としてしか扱っていないわねぇ」
セルヴ商会の魔術具には旗印となる商品がないのだ。
貴族用の魔具、魔法具であれば国内だけでなく、世界に轟かせるようなブランド力を持っているのだが、むしろそちらに力を入れているせいで、大貴族御用達という品位を落とすべきではないと言う思想が邪魔をして、平民用の魔具に力を注げない状態となっている。
極端な例を挙げると、歴史ある皇室御用達の超高級ブランドが、いきなり貧困層相手にパチンコ店を開業したら、最悪社会から弾き出されかねない。そういうことである。
いくら利益があるとは言え、やはり顧客層を一定に絞らねば、どっち付かずで破滅の道を歩むことになるだろう。
「商会の名前を変えるというのはどうでしょう」
「それは悪手ね」
大量の利益を生み出す部門は、親元の商会から独立させ、別の商会になりつつも事実上従属的な立場になって利益を貢ぐと言う手法は、この世界でもよくあることだ。
しかし新設の商会が、最初から莫大な資本金を抱えていたら、余所の組織にいらぬ誤解を与えてしまう。
何かやましいことを企んでいるのかと誤解されたら、無駄に親元との関係を探られ、商売敵につけ込む隙を与えてしまう。そんなリスクを負うくらいなら、そもそも望んでなどいない平民の戦力増強なんて捨てた方が良い。
「それに、ウチがこれ以上手を広げると、色々なところが潰れちゃうのよ」
セルヴ商会の主力商品は生活必需品含む日用品全般であり、魔具は貴族にとっての日用品であることから扱っているに過ぎない。
その魔具も、どちらかと言えば生活用に力を入れており、戦闘用装備などは、開発はしているのだが、軍務郷率いるリップマン商会にはやはり一歩後れを取っている。
そこに戦闘用魔具の大規模参入を始めたら、商品開発競争は激化して、二つの商会は残るとしても、それ以外の零細企業は軒並み潰れるだろう。
そんなことをすれば恨みも買うし、経済も悪化する。それはただただ自分の首を絞めるだけの行為となってしまう。
アーシェ、エリザベート、そしてミリアシルはあれやこれやと話しているが、やはりその中に夫人たちは入ってこない。
道中エリザベートが、自分では何を言っても彼女たちの緊張は解れないと、諦めた表情をして話していたが、アーシェはその事について、言葉としては理解していても、当時は実感していなかった。
しかし今なら分かる。彼女らは明らかに血の繋がった三人に遠慮しているのだ。
確かに権力的な意味合いもあるのだが、慕い、尊敬する伴侶と娘だからこそ、小姑との貴重な交流を見る目は、侵してはならない神聖な細工であるかのような扱いに見えた。
――お母様も、ロベルティーネ様も、もっと楽しそうに話せば良いのに。
――人間関係って中々難しいものだね。
二人の夫人は小姑に対して遠慮をし、小姑は夫人たちに対して遠慮されるからと遠慮する。
そんないつ嵌まったのかも分からない無限ループは、恐らく外圧がなければ一生解消されることはないだろう。
今のアーシェがその事を話しても、きっと彼女たちは優しい言葉として受け止め、本気にはしない。これから先、彼女たちの信頼を勝ち取って行けば、いつしか公室全員で幸せを分かち合えるのだろうか。
アーシェは何もできない現状を憂い、己が非力さを痛感する。少女の保護者は社交界で第一線を生き抜いた謀略のプロたちである。そんな彼女らは、いつしか日常生活ですら仮面を付けるようになり、ついに顔と仮面の区別も曖昧になってしまった。
私的な場とは言いつつも、他人は疑わずに、自分は無意識に仮面を付ける。
建前で飾られた虚構の空間は、それでもアーシェにとっては幸せなひとときだった。




