054.これで晴れて冒険者
「お待たせ致しました」
組合証を持った職員が入室する。
今回組合に登録したのはアーシェと三人衆のみである。四人とも規約に対する警戒心が凄まじく、三度読み、他の者が違う契約書を渡されていないか四人で回し読みし、最後に後ろで控えていた派遣文官に再度確認して貰うという徹底ぶりだ。
組合証が入った盆を机に置き、職員はアーシェに対し、手渡しで渡そうとする。
「まず、アー――」
アーシェリット。
その名を口に出そうとした瞬間、アーシェの後ろから射殺さんばかりの殺気が迸った。
貴族社会では、公の場において、下の者が上位者の名前を呼ぶことを固く禁じている。それは側近すらも同じことであり、三人衆ですらアーシェの名前を呼ぶことは許されない。
そんな、敬愛する主人の名を呼びたくても呼べない中、圧倒的下位者が、絶対的上位者の名前を呼ぶと、その中間にいる者はどう思うだろうか。
妬みが恨みとなり、恨みから殺気が生まれることは容易に想像できる。
忠実な部下を持ったことは喜ばしいことだ。
しかし、この場においては頂けない。どれだけ主人に懐いている忠犬だろうとも、誰にでも噛みつく狂犬では意味が無いのだ。
「おやめなさい」
その瞬間、部屋の空気が凍り付いた。その声は決して荒らげる訳でもなく、切羽詰まっている訳でもない。
一切の感情が乗せられていない冷たい言葉は、聞いた者の背筋を一応に凍り付かせるような、そんな魔力とは違った威圧感を孕んでいた。
その場の誰しもが硬直し、身動きを取ることすら不敬とされる雰囲気を醸し出す少女。
その異常さは、この一ヶ月常に共にいたエリザベートですら、畏怖の念を覚えるほどの凄まじさがあった。
これこそが、自分にはなかった領主の資質なのだと突きつけられ、領主の座に未練は無い彼女ですら、羨望の心想を駆り立てられる。
「はしたないことよ」
「……お言葉、ありがたく存じます」
謝るべき相手は主人ではない。セリアは側近を代表して一歩前へ進み、謝罪の言葉を述べる。
貴族が平民に謝罪する。
貴族がただ失敗しただけでは、平民に対して頭を下げるなんてことは決してしないが、主人の品位が関わってくるのであれば、それはもう一貴族の問題だけではない。
彼女らは平民に謝っているのではなく、平民を通して主人の品性に疑いの余地を与えてしまったことに、心より謝罪をしている。その姿勢はやはり下賎な存在にする態度ではなく、超常の御方に接する態度だった。
「こっ、ここっ、こちっ、らっ、こそっ!」
こちらこそ失礼した。
大丈夫だ、謝る必要は無い。彼女たちはそう言いたいのだろうが、緊張故か呂律が回っていなかった。仕方が無いので少しばかり休憩を挟み、過呼吸気味の受付嬢を落ち着かせる。
お詫びという訳ではないが、アーシェは自ら専用ティーポットを出して、鎮静効果のあるお茶を煎れる。それを焼き菓子と共に勧めることで、こちらが食べることなく、相手にお茶請けを食べて貰う算段であった。
その企みが功を成し、お茶に数口付けて焼き菓子を頬張っているうちに、次第に手足の震えも収まって、吃り具合もある程度は解消したようだ。
もちろん平民が飲んでも良いやつである。
貴族はその強靱な肉体から、多少の薬物であっても、特に気にせず飲めてしまう。
そのため、貴族が普段食しているものを、美味しいからと言って平民に差し出すと、思わぬ体調不良を訴えられることがある。
そのためこの国において、料理人とは国家資格と領地資格の二つを有している必要があり、国家資格は最低限の食材を、領地資格はその領地の特産品や、その領地と取り引きが行われ、よく輸入されてくる食材に対して、一定以上の知識を所持していることを保証する資格である。
そしてアーシェがたった今差し出したお茶も、その料理人たちが平民に飲ませても問題ないと太鼓判を押したものだった。
気を取り直して、アーシェたちは組合証を受け取った。
彼等は人の名を呼ぶことに恐怖感を覚えたのか、名前を言うときは擦れるほどの小声で伝え、周囲の人物に辛うじて聞こえる程度の声量になっていた。
組合証の見た目は小さな魔石をはめ込んだ首飾りだった。
その実体は、入会した組合が規定している情報を蓄えることが出来る記録装置だ。例えば冒険者が、組合が認知している魔物を討伐すると、その数値が記録され、それが討伐対象であれば組合から報酬が出る。
組合証の情報は各組合で分割されて保存されており、もし紛失した場合はその組合に保存されている情報と同期できるが、その情報は以前利用したときのものなので、それ以降に何かをしたのであれば、その情報は失われることになる。
また、組合証の再発行には、入会している組合ごとに十モネかかることに加え、紛失した組合証の失効処理をするまでに悪用されたとしても、組合側は一切の責任を負わず、逆に組合側に不利益があるようであれば、その損失は持ち主に請求するとのことだった。
「各組合の詳細をお知りになりたいのでしたら、是非一度該当する組合館へお越しくださいませ」
暗にこれ以上の話はここでは出来ないと告げられて、今回のお話会はお開きとなった。元々この場では組合への登録が目的だったため、アーシェもそれ以上のことは望んでいない。
その後、アーシェたちは軽い謝辞を述べて、連合本部を後にした。
屋敷に帰ると、現在屋敷は大掃除中だった。一ヶ月お仕事のお預けを食らった侍官が、目の前にある掃除が行き届いていない屋敷を見て、ついに抑えが効かなくなったらしい。
城の従者たちは、その殆どが仕事中毒者である。元々はそうでなくても、毎日毎日同じことを繰り返し、自分の仕事が慣れ始めたら、人手が必要な他の部署に自ら手伝いに行く。
今回アーシェに付いてきた者たちは、そんなことを十数年続けてきた猛者ばかりであり、空気に微かにカビ臭さがあるのなら、その発生源を探さずにはいられなかった。
カビを探している内に埃を見つけ、シミを見つけ、虫の巣を見つけ、そうこうしている内に、誰から始めたわけでもなく掃除が始まり、それを見た文官が計画を練り、武官が力仕事を担当した。
「姫様がお使いになるお部屋は、既に掃除済みでございます」
荷解きや家具の配置も全て終わった部屋に通される。
そこは置いてある物こそ新品だが、城のアーシェの部屋と同じ配置になっており、安心する反面、外界に出たという気分にはなれなかった。
しかしそこから見える景色は城のものとはまったく異なる。
――……美しくないわね。
――まあ、季節もあるからね。
今日は八月八日。
アーシェが出発してからちょうど一ヶ月が経ち、季節は初秋から中秋へ移り変わっている。多くの草木は黄ばみが出始め、お世辞にも調和が取れているとは言い難い。
そもそもこの屋敷はアーシェたちが来るまでは買い手のいない屋敷だった。
と言うのも、大工組合が周辺諸国の上位貴族向けに建てたものの、水子病の蔓延により貴族たちも別荘を構える余裕がなくなり、しかしこれほどの屋敷を解体できるはずもないので、完全に放置状態だったらしい。
そうこうしている内に数年が経ち、流行病の混乱からようやく回復し始めたところで、大国貴族からの申し出があったのだ。
そんな渡りに船を得た大工組合は諸手を挙げて手放すこととなる。それも建設にかかった費用の半額に近いほどの値段だったが、買い手の目処が付かない状態での維持費を考慮した結果だった。
アーシェは新しい私室を歩き回って空間を把握すると、寝台に寝転んで目を瞑る。
あと少しで城に帰れるのだ。それまでは泣くのを我慢しよう。
暗闇の中に、愛しい家族が浮かび上がる。お父様、心配してくださっているでしょうか。
お母様、お仕事で無茶をされていないでしょうか。
ロベルティーネ様、二人のお勉強の時間が恋しいです。
ジル、しっかりお勉強はしているのでしょうか。
それ以上考えると涙腺が決壊してしまうので、思考を終えて寝台から立ち上がる。そして寂しさを紛らわすかのように、エリザベートと共に魔法陣を設置する部屋へと向かった。




