041.自衛法
マルティナを客室まで送り、昼食を取ると、ようやく自分の時間が訪れた。自由とは良いものだと改めて実感したアーシェは、将来どのような職に就こうとも、自由に扱える時間は確保しようと心に決める。
官報を広げ、食後の茶を片手に静止した世界を満喫する。
この領地の官報は、貴族向けの機関紙であるが、大量印刷には少なくない魔力を消費するため、非常に難しい値段であることから、貴族でも全員が買っているわけではない。
購入方法は原則定期購読制となっており、メリッサ曰く城の一角でも予備の官報を少量販売しているらしい。
週に一回、どちらにも転ばぬ友引の朝に発刊され、その情報はアーシェにとって毎週のささやかな楽しみである。
――官報を読む五歳児なんて聞いたことないよ。
――お父様の働きがこうして世に出されるのよ。読まない選択肢はないわ。
人事異動の項目に目をやると、先週よりも多くの人数が異動対象となっていた。もちろんこれはアーシェの引率に人員を割いたためである。
公室事項に目をやると、アーシェの五歳祝いに色々な領地から祝辞が送られていることが分かった。
――女王陛下からもお祝いのお言葉が来てるね。
――恐れ多いわ……。
公室といえど、貴族になる前の五歳の子どもに祝辞を送ると言うのは、如何にセルヴ家が、王室からどのような扱いを受けているのかが現れる。
「ただいま戻りました。姫様」
「お帰りなさい、メリッサ」
「お伝えすべき事を終えたら、再び席を外させて頂きます」
メリッサが一時帰還し、アーシェへ明日の予定を伝えて再び去って行った。その早さたるや新聞配達のお兄さんの如く。
的確に郵便受けに新聞を入れるように、一切無駄のない洗練された動作でアーシェに言伝を伝え、戦地へ赴く形相で部屋を出た。
明日は日の出前に領を出立。
その後半日でケクレ伯爵領へ向かい一泊。翌日は川沿いに南下し、そのまま十二日かけて国境沿いを進み、ガーネット共和国へ侵入。
その後、ヒスイ王国の国境沿いに八日進み、途中で国境をそれて、三日行くとカスタレアに到着する。
まさか、輸送本隊が国境沿いギリギリまで行くとは誰もが予想だにしていなかった。そのため各地へ先走りを出し、道中の宿を確保し、かかる費用と経済的影響を試算し直す必要がある。
セルヴ商会輸送隊が動く時、その影響は広範囲に広がる。
例えば行商人。彼等は特定の店舗を持たない商人であり、盗賊に襲われる危険を常に孕んだ商いをしている。故に護衛にかける費用は、店舗を持っている一般商会の比ではなく、護送費を少しでも削減することが何よりも大切だ。
行商人が良くやる方法が団体行動。
一人では高く付く傭兵でも、複数で割り関すれば随分楽になる。加えてもしも襲われた時、場合によっては被害を同僚に押しつけることもでき、自分は一人逃げることもできる思案もあった。
そんな彼等が、盗賊でも逃げ出す鉄壁商会と同行できると聞いて、黙っているはずがない。予定を少し早く切り上げてでも彼等の後ろについて行き、護送費のいらない安全な旅をしたいと思うことは当然の考えだ。
例えば宿屋。輸送本隊となれば護衛含めて数百人。
中には貴族も少なくなく、少し割高な宿にも躊躇せずに泊まってくれる。後ろの行商人であれば、突然の相部屋だとしても仕方が無いと許し、どんな粗悪な宿でも、御三家商会が来ると必ず埋まるとまで言われている。
良く言えば金の塊、悪く言えばイナゴの集団。
彼等が動くと金をばらまき、あらゆる食料をむさぼり尽くす。その経済効果は凄まじく、輸送隊の情報を専門に取り扱う情報屋もいるほどだ。
「まさか四週間近くかかるとは……」
「これでも随分急ぎ足ですよ」
これほど早く行けるのは、大河沿いの整備された道を進む時間が長いからである。
もしこれが河川から離れた土地へ行くとなると、遠回りしてでも川沿いを進んだ方が早く着く場合もあるのだ。
至極当然のことだが、よくよく考えたら五歳児が保護者も連れずに旅なんて、無謀ではないだろうか。何だか城を出る前から、家に帰りたい気持ちでいっぱいになる。
アーシェはこの時、初めて郷愁と言う言葉を実感した。
――今からでも止める?
――……いえ、たった四週間、多く見積もっても一ヶ月の我慢よ。
――一ヶ月ってあーちゃんの人生の一・六パーセントだよ。
領地の外には、危険な魔物がたくさんいると言うのは、子どもを躾ける常套句だが、あながち間違ってもいない。
魔力を好む魔物が、旅行中の貴族を襲うと言うのはよくある話で、護衛や自衛の手段がなければ、アーシェのようなか弱い子どもは、狼の群れに放り出された子羊も同然。
彼女のような非力さになると、肉食ウサギにすら負けてしまうだろう。
――……自衛。そう、自衛よ。
強い魔法を覚えに行くわよと、なんとも語彙力が退行した様子で宣うアーシェは、気を抜けば笑いそうになる足を奮い立たせ、おなじみの書庫に向かった。
因みに城内をシャトルランしているメリッサへは、書庫へ行っていると書き置きを残しておいた。
そこまで気遣う必要はないでしょうとアーシェは言ったのだが、レオノーラが、帰ってきた彼女が泣いてしまいますと進言したことにより、机に一文添えられることとなった。
さて、書庫に着いたアーシェだが、困ったことに彼女はお湯以上に熱いものが苦手である。冷たい水も苦手である。土は汚れるからなんか嫌である。太陽光も、長時間当たっていると肌がピリピリするため、好ましく思っていない。暗いのも怖い。
となると、必然的に風系統の魔法しか候補に挙がらないのだが、風系統で自衛ができそうな魔法は極端に少ない。
どの世界でも連想するものは似たようなものであり、攻撃と言えば火、守りと言えば土と言った固定観念により、それ以外の系統でその用途を見つけるのには苦労を強いられる。
そこでアーシェは考えた。ないのなら作れば良いじゃない。
その逞しさを、もっと別の場所で発揮できないものかと茜は嘆くが、そんな声は無視して早速魔法作りに取りかかった。
アーシェが思う強いイメージは、大きな物で叩いたり、ナイフで切ったりするものだが、茜の強いというイメージは、それらとはかけ離れたものだった。
それを聞き、茜の想像する「実現できるかはさておき、理論上最高の単体破壊力を持つ魔法」とやらに興味を持ったアーシェは、実験もかねて茜に任せることにした。
――その一。化学結合レベルで切断すれば最小限のエネルギーで万物を切断することができるのでは。作戦。
――よく分からないわ。
要は獲物の耐久値を無視できた場合、極限まで薄くしたナイフで切りつければ、切れ味は凄いことになるよね。と言う高校化学を習ったものなら一度は考えそうな方法である。
もちろん現実ではそんなことはできない。分子レベルで作用するような薄さであれば、その獲物すら分子未満の大きさである訳で、そんなもの、自身の熱振動だけでポッキリ逝ってしまう。
ならば絶対零度にすれば良いか。いやいや、そもそもどうやって絶対零度にするのか議論が必要であるし、零点振動を忘れてはいけない。
サイエンスフィクションでよくある、バリアー的な物を用いる。
それも良いかも知れないが、そんな超高度な技術を用いて生み出された存在が、低エネルギーなはずがなく、それならばそのエネルギーを純粋な破壊力として用いた方が燃費は良いだろう。
しかし、魔法なら、質量の完全エネルギー化と言う素晴らしい技術が確立されている。つまりは対象の物体を分子レベルでエネルギー化すれば、擬似的な切断が可能になると言うわけだ。
ただしここでも一つの問題が発生する。
――生きているものは異空間に取り込めないのではなくて?
――加えて魔力が自身と比較して一定以上あるものもだね。
保有魔力量が低いと、大量の魔力が入った魔石をしまえない事もあるのだとか。ただ、魔石の中身が自分の魔力で満たされているときは大丈夫なのだという。
言葉にすると分かりやすいのだが、一体どんな原理でそうなっているのか見当も付かない。
アーシェたち原住民からすれば、その通りだと、納得して当たり前の事らしいのだが、茜は魔法のない世界からやってきた異邦者。学者の性分もあり、基本的スタンスは「何故」から始まる。
アーシェが言った、生きているものは取り込めない。これは貴族が生命のあり方を説くときに用いられる常識だ。
その命題の逆は、取り込めないものは生きている。もちろん命題の逆が必ずしも真とは限らないし、この説はその命題を真として仮定した場合の話である。
しかし、今回に限って言えば、取り込む必要はない。
出来損ないでも、中途半端でも、特定の極僅かをエネルギーに変換してくれればそれで良いのだ。
情報を保存することも、余計な部位を変換する必要もない。ミクロの世界の、限りなく面に近い直方体。それを現実から消し去ってしまうだけで良い。
ぐぬぬとその姿を想像し、六柱の祭神に祈って回る。現実社会はさておき、下っ端ができるのなら会長もできるだろうと言う、安直な思考により、無差別に祈りを捧げると、その祈りには闇神が応えてくれたようだった。
神が釣れた手応えを感じた直後、書庫にそよ風が吹き、的にしていた大きめの薪がコトンと音を立てて真っ二つになる。実験は成功だ。
「セリア、レオノーラ、成功よ」
喜びを分かち合いたく、それとちょっぴり自慢したい気持ちで、後ろを振り向くアーシェ。
しかし、そこには嬉しさの欠片もない、群青色の顔をした二人が膝をついて肩で息をしていた。明らかに異常な息切れと、平衡感覚が麻痺しているのか、ふらふらと前後左右に揺れる姿はお世辞にも健康とは言えなかった。
「ひ、姫様。魔力を、放出する時は、事前に、仰って、ください、ませ」
どうやら分解された質量は、魔力というエネルギーになって、書庫中を駆け回ったらしい。成功時に感じたあのそよ風がそれらしく、二人にとっては大打撃となったのだ。
これが屋外ならまだ良かった。消滅した薪から放たれた魔力波は球状に広がって行き、やがて周囲の魔力濃度は均等になる。
しかし屋内で、しかも魔力で満ちた拡張空間でやられると、音響兵器を屋内で直撃されたかの如き効果を発する。
広がる魔力波は壁に当たって跳ね返り、周囲の魔力まで乱して再び幾重にも重なり襲いかかってくるのだ。
四方八方から、鈍器で殴られたような痛みに襲われた二人は堪ったものではない。さすがのアーシェも、事の次第を報告されては罪悪感が芽生えるというもの。俯きながら一言、申し訳ございませんと謝罪をし、二人の体調が良くなるように神に特大の祈りを捧げた。
――次からは屋外でやりましょうね。
――そうだね。
何にせよ茜の矛はこれにて完成である。




