034.お披露目
「此度も四半期の招集に応じ、感謝する。先ずは其方等の大義を労い、軟脚の盃を交わすとしよう」
ミリアシルが盃を持つと、それに応じるように、席に着いている全員が盃を差した。
「天高く浩々たる三輪国に御座し給うは穣神」
「下賜せられた神の恵みは我らの血と肉と、魔力となり天上へ還御させ給う」
「廻りを与え給うた神々に、感謝と祈りを捧げん」
「献杯」
「「献杯」」
皆が盃を持ち、両手を使って天に掲げ、魔力を奏上する。
祈りを捧げる全ての人間が領主級の魔力の持ち主だ。彼等からしたら微々たる魔力でも、六色の魔力が各人の魔力を高め合い、競い合うように天へと昇れば巨大な柱となる。
一切の不純物がない、完璧な均衡を保った魔力の柱は、天井にぶつかると部屋中に光の粒子となって飛散し、その光が床に落ちると再び柱に飲み込まれ、渦を巻いて空へと舞い上がる。
その姿は芽生えと成長、満開、そして散華の循環を表す生命の大樹だ。
少しでも気を緩めたら、意識を手放してしまうほどの空間で、世界の美そのものを体現した大樹は、贅沢の限りを尽くす事ができる財力を持つ、浄階貴族を以てしてすら、その命を削ってでも、手を伸ばしたいと思わせるほどの魅力を秘めた魔性の樹。
それを初めて間近で拝見したセリアとレオノーラは、己が欲望を抑えることで、気が狂う思いだった。
魔樹はやがて収束し、各人の細い糸となり消失する。静けさを取り戻した豊楽殿で、やはり最初に着席するのはミリアシルだ。それに続いてアーシェ、それからは概ね年功序列で座る。
全員が着席したことを確認すると、ミリアシルが今期の挨拶を軽く行い、料理を食べ、それぞれの側近たちが無作為に選んだ料理を口にする。それを見届けた主人等は、ようやく食器を持って食事に入った。
懇親会は普段の食事とは違い、会話しながら料理を楽しむことになる。そのためには初参加であるアーシェが最初に名乗らねばならず、ここは一般的な秩序に従い合掌を取り、縁神に祈りを捧げる。
「大砂時計は光神が与え給う祝福に満たされ、皆々様に於かれましては八百万の神々の御加護を授かり給うと存じます。僭越ながらご尊顔を拝する機会を齎された縁神に祈りを捧げることをお許し下さい」
「許そう」
「許しましょう」
自分を紹介できるほど歳を重ねているわけでもないが、当たり障りのない自己紹介をする。
「先ほどご紹介に与りましたアーシェリットと申します」
しかし、あの時は他に思考を巡らせるのに精一杯で、つい聞き逃していたが、今ははっきりと思い出せる。入場の時確かに公位継承権第一位と言った。
おかしい。昨日までは第一位は弟のジルヴェスターだったはずであり、アーシェは次いで第二位のはずだ。
「正式な文言は明日の閣議にて通達するが、私は其方を次期領主にするつもりである」
その瞬間、家長側近あらゆる者の動きが止まる。
ミリアシルの狙いは、早期に次期当主を決定することで、派閥の内部分裂を防ぐことにあった。
アーシェにたった今初めてお目にかかる彼らは、未だジルヴェスターに会ったことすらない。それは派閥が表立って生まれていないことを意味し、今なら全ての貴族をアーシェの味方につけることも可能である。
ただ、それでも彼女はまだ幼すぎる。少なくとも外見だけではアーシェの有能さは判断できず、本当に彼女に付くべきか決めかねている領主もいるほどだ。
しかし全ての家長は、ミリアシルが我が子かわいさに跡継ぎを決めた訳ではないと察していた。彼は、必要とあらば実子も切り捨てるような選択をできる人間だと、ここにいる者たちは重々理解している。
では、本当にその幼子の能力面を見て評価したのか、彼等は一度二人に問うことを望んだ。
「ご息女に問いかけてよろしいですかな」
先陣を切ったのはウリナトル侯爵その人である。ミリアシルは彼に一言許可を出すと、未だただ一人もぐもぐと食事を続けているアーシェを一目見て、鼻で笑って自身も食事にありついた。
「アーシェリット公姫。私はカイ・ウリナトルと申します」
神への祝辞を述べてから、ウリナトル侯爵当主カイは見定めるかのようにアーシェを直視し言葉を交わす。ようやくその時彼女も食器を置いて果実ジュースで喉を潤した。
「其方の父君、セルヴ公は感情だけで其方を選んだわけではないのだと、我々は知っている」
だからこそ、我々に其方の力を見せて欲しい。カイはそう語りかけるとアーシェの出方を窺った。
保護者らの食器を擦る音が異様に良く響く。彼等にとってはこの話は既に終わった話であり、大した興味はない。それにアーシェと茜であれば、この程度の尋問は軽くいなせると確信している。今更心配したところで無意味なことだ。
「力とは何でしょうか」
知力、武力、財力、それとも魔力か人脈か。ひとえに力と言ってもその種は無数に存在する。
――武力と言われたらどうしましょう。
――フォークでも投げつけていたら?
――わたくし投擲というものをしたことがないのだけれど。
――じゃあかけっこでもしておきなさい。
少しばかり身構えた雰囲気を作り出したアーシェを、微笑みながら眺める家長たちは、表情とは裏腹に目が一切笑っていない。冷徹な瞳に晒されたアーシェは何処吹く風と受け流し、カイの視線を正面から見据えた。
その程度の眼、ロベルティーネの勉強時間に比べたら小動物の威嚇にも届かない。
城の従者は、常日頃からアーシェの価値を吟味している。将来自分が誰に付くのか、どの上司の下で働くのかを、幼いアーシェから絞り聞こうとしているのだ。
家長たちの眼差しと何も変わらない。アーシェにとっては日常的な表情であり、むしろこれらを相手取る方が、無表情お化けの保護者たちより、よほど安心感がある。
「魔力。それが無ければ話になりません。一先ずそちらを試させて頂きたい」
確かに魔力の量と質は、領主として相応しいか否かを判断する材料として、最も重要視されている。領主一族は有能であることは当たり前。才能を持ち、努力をした者が神に選ばれて魔力を授かり、ようやく領主として認められる。
彼等にとっては、魔力を持たぬ矮小な存在を、派閥頭に置くことは断じて認められない決定だった。
「お父様、如何なさいましょう」
「ふむ。……この場は魔力を持つ者のみである。楽にせよ」
二人は魔力を抑える必要が無いのだと捉え、文字通り楽にした。アーシェは周りにいる従者たちに、一言断りを入れてから、自身の魔力制御を手放した。
淀んだ空気が漂う密室から解放されたような感覚が、アーシェの精神に訪れ、開放感に満たされた少女は、本当の意味で寛ぐことができた。
しかし周りにいる者共は、そんな悠長なことを考えている暇はない。魔力の低い従者から一人、また一人と床に倒れ伏し、家長らの額にも嫌な汗がにじんでいる。そんな中、平然と食事を続けている三人とアーシェ本人は、彼等の目には化け物に映った。
神の恩恵を目の当たりにして、何故これほどまでに冷静でいられるのか。多大なる神の寵愛を授かる者は、成長と共に神へと姿が戻る。それはもはや人ではなく神――現人神だ。人は大いなる存在と対面した時、それが神なのか、それとも悪魔なのか確認する術を持たない。
故に力を見せつけられたときの感情は畏怖と呼ばれ、怖れ、畏れるのだ。
――貴女、また魔力が増えたの?
――昨日の無差別祈祷のせいかな。
「普段もこれほどのびのびと生活できたら良いのですが」
「其方の場合は直階貴族の命に関わる」
「存じております。わがままを言い申し訳ございません」
いくら魔力に長けているアーシェだからと言っても、魔力の制御を完璧に熟しているわけではない。一度制御を手放した魔力を、もう一度手中に収めるためには、数分程度集中する必要がある。
本格的な魔力の制御は学院で習うのだから、アーシェができなくても当たり前なのだが、それでも彼女は独学で魔力の制御を身につけようとしていた。
家長らの誤算はまさにそれだ。
彼等はアーシェが魔力を抑えているとは知らずに、魔力が微弱にしか感じられない姿を、自然体の姿なのだと錯覚していた。その常識にとらわれた思考が災いを呼び、今まさに彼等へ苦痛となって降りかかる。
「……なるほど、其方の力は良く分かった」
「わたくしは未熟故、しばらくは制御が利かなくなるのです。どうかお気になさらず、次の試験にお進み下さい」
にっこりと微笑む姿とは裏腹にアーシェの心は意趣返しに燃えていた。
自分が下に見られることに対しては、どうと言うことはないが、父母や叔母の決定に異議を唱えることは、アーシェにとって許しがたい行為だ。
彼が何も気にしていないからこそ、この程度で済んでいるものの、万が一少しでも不快感を露わにしたのなら、アーシェは彼等を一生許しはしなかっただろう。
「そのくらいにしておきなさいな」
その言葉を発したのはミリアシルの実姉、エリザベートである。
「寄って集って幼子を虐めて。まあ、怪しいこと」
蔑む目を隠そうともせず、エリザベートは侮事を口にする。
貴族は公の場において直接的な侮辱を決してしない。上流社会では直接的な物言いは浅ましいとの考えが一般的であり、賤民の言葉として忌み嫌われる。相手に思いを伝えるには、神典から抜粋した言葉を用いて比喩的に物事を語のが礼儀とされているからだ。
いくらこの場が私的な場とはいえ、エリザベートの放った言葉は皆を驚愕させるのに十二分の力を持っていた。貴族の規律を逸脱してまで出した台詞には、彼女が持つ明確な嫌悪感が表れている。
己に恥をかかせるなと言外に述べる彼女の意思を慮り、事態を見かねたミリアシルはようやく彼等の仲裁に入る。
「此度は懇親を図るものである。不要な諍いは慎め」
「申し訳ございません」
エリザベートとアーシェが率先して謝罪を申すとなれば、彼等もそれに応じない訳にはいかなくなる。
結局、彼等が見極めることができたのは、アーシェの魔力と聡明さ、この二点だけだ。しかしその二つこそが彼等の中では特に重きが置かれる事項であり、それ以外がどうなっていようと些細なことであった。
後はアーシェが早熟なだけか、真に神の寵愛を受けているかを判断するのみ。彼等の多くが、この時点ではアーシェの軍門に下ったと言っても差し支えない。普通の天才が、ここまでの御業を為し得ることなど出来るはずがないのだ。
懇親会という名の、内々で行われたアーシェのお披露目会は、その後も恙無く進行し、彼等が抱いたアーシェの印象は良好と言って良い結果になった。
ジルヴェスターには悪いが、これで次期領主の座は盤石なものとなり、領地に国に、我等にさらなる富を齎すだろう。この歳になっても将来が楽しみになるとは思いもしなかったミリアシルは、その幸福をもたらした神に祈りを捧げた。




