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終の閨秀-幼女と女傑の異世界平定物語-  作者: 高麗俊
第一章 貴公女と亡霊
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035.公族の子ども

 懇親会が終わると、今度は子どもたちとの交流だ。懐かしさを感じる子ども部屋は、それでも出てから一週間しか経っていない。

 しかし、そこはアーシェにとって、人生の大半を過ごした思い出の場所。たった一週間では何も変わらず、アーシェの思い出通りの空間がそこにあった。


「あねうえ!」

「ジル」


 アーシェの入室を知った子どもが彼女に走り寄る。その子はアーシェとよく似た黄金色に輝く翡翠を揺らし、規律なんてあったものではないと駆け寄っては、勢いよく抱きついた。


「ぐふっ」


 公爵の姫が出して良いような声ではない音が、アーシェの口から漏れ出した。


 突撃してきた子どもの正体はジルヴェスター。

 二歳下とは言え、ジルは既にアーシェと同じ身長までに成長し、このままではすぐにでも、アーシェの体格を超えてしまうだろう。そんな巨体が全速力でぶつかってきては、彼女の力では受け止めることができない。


 主人が後ろに倒れることのないように、セリアが二人を受け止め、自身も少し下がることで衝撃を緩和した。

 アーシェの身体はシャボン玉だ。刺しても、叩いても、ぶつかっても、息を吹いても、放っておいても潰れてしまう。彼女の取り扱いには精神を尖らせ、細心の注意を払って護衛をしなければならないのだ。


「はしたないことよ」

「も、もうしわけございません」


 しゅんとしたジルの顔を見たアーシェは、罪悪感に苛まれるも、ジルの教養のためにも厳しく仕付けなければならないと、心を鬼にする。中途半端なことをして、後の社交で恥をかくのはジルの方なのだ。そんな結果になってしまっては、アーシェは今以上の衝撃を受けてしまう。


 ――はぁ……(かぐわ)しいわ。

 ――この子がジル君ね。


 しまった。茜がジルに魅了されてしまう。

 アーシェはそんな頓珍漢な勘違いを元に、茜に対して警戒を露わにした。


 ――貴女はジルに近付いてはだめよ。

 ――あーちゃんが近付いたら結果として私も近付いてしまうよ。

 ――む。


 弟に手を引かれながら問答を続ける。ぼうっとしながらついて行った先には、分家の子どもたちが集まっていた。

 彼等は皆大貴族たる家々の嫡出子であるが、いくら出自が凄かろうとアーシェ含めてここにいる子どもは、まだ貴族として認められていない年齢である。


 貴族の子が貴族として認められるのは、七歳を迎えてから。そして七歳からは学院に入れられ、冬以外は己が領地から離れることになる。

 今日――文月の七日は、晩夏が終わり初秋に入る七夕の日だ。学院生たちは皆学院へ駆り出され、今領に残っている者は、卒業生か入学前の人間であり、この場にいるのは後者とその従者たちだ。


「ごきげんよう。皆様」


 子ども同士の挨拶でわざわざ畏まった文句は用いない。そもそも多くの子どもは神典すら知らない未就学児だ。神々の性質や言葉を語ったところで、意味不明な文字の羅列と捉えられてはどうしようもない。


 ただし、子どもと言えども良家のご子息ご令嬢。

 一部の貴族の常識に関しては日常として取り入れられていることは多く、一例として、身分が高い者には自身から話しかけることはできない、と言う儀礼をごく自然的に身につけている。


 この規則がなければ、例えば多くの貴族が出席する立食会などで、賓客が多大な迷惑を被ることになる。利益、権力、庇護を求めた自身より下の身分の者たちに囲まれる光景は、とても気分が良いものとは言い難いだろう。


 最初の切り口は必ず上位者から。

 そんな身分を知らしめる規律は、階級社会を構成する上で必要不可欠な概念である。それらを国土全土に認知、浸透させるために学院が設立されたのだと、アーシェはロベルティーネから教わった。


「ごきげんよう。アーシェリットさま」

「ごきげんよう」


 幼くも慣れ親しんだ挨拶を交わす彼女たちは、むしろ普段から神典引用のアーシェよりも違和感なく口にしている。

 アーシェは今年からこの子らの指導者的立ち位置にいた。去年の晩冬、アーシェよりも年長の少女が子ども部屋を卒業し、学院に入学したその日から、彼女に代わり、支配者の役目を受け継いだのだ。


 尤も当時は年齢的には彼女の方が上なのだが、家格的にはアーシェの方が断然上だったため、彼女の決め事には常にアーシェの意思がくみ取られていたので、指導者が替わっても大した変更はなかったのだが、実際部屋を取り仕切ることになってからは、彼女の有能さがアーシェには良く分かった。


 懐かしい記憶だと過去を振り返りながら、子どもたちの相手をしていると、ふとどこからか異質な視線を感じた。

 それぞれの従者たちが向ける視線には、アーシェはもう慣れたし、入ったときから値踏みされるような視線を浴び続けているため、気にも留めていない。

 しかし、一瞬だけ感じたその視線は、それらの不快な者とは違い、もっと好意的な視線だった。


 軽く辺りを見回すと、ジルに手を引かれていた時には気付かなかったが、子ども集団の枠外――従者たちがいる壁際に、一人の少女が佇んでいた。彼女は隠れるように従者の陰に立ち、時折アーシェを見つめては再び顔を隠すを繰り返している。


 体格的にアーシェと同い年か一つ上である。しかし、アーシェの中には彼女が子ども部屋に来たという記憶は残っておらず、恐らく今回初めて参加した子なのだろうと推察できる。


 ――普通はもっと小さい頃に来るのだけれど、珍しいわね。

 ――来なかった理由があるのかな。


 さて、どうしたものか。彼女とアーシェは初対面であるが、ここに呼ばれたと言うことは分家の者だ。彼女に話しかけに言ってもよいのだが、目の前で会話を楽しんでいる分家の子どもたちの話を強引に切ってでも行く価値があるのかは分からない。


 しかし、こういう時のための常套手段が用意されているのも世の常だ。


 アーシェは異空間から扇子を取り出しポンポンと手に打つと、アーシェから見て左手側にいる従者を示し、すぐにそれをしまう。それに気付いたセリアが扇子を向けられた方向を確認し、その真意を推し量った。


 主人たちの会話の邪魔にならないよう、音を消して素早く移動する。

 相手側の従者も好機と見てか、少女の肩を少し叩いて、セリアの姿を認識させた。


「大砂時計は光神が与え給う祝福に満たされ、姫殿下に於かれましては媛神の御加護を授かり給うと存じます。僭越ながらご尊顔を拝する機会を齎された縁神に祈りを捧げることをお許し下さい」

「えっ……あぅ……」


 少女は訳も分からず従者のスカートに隠れる。セリアにしては珍しい失敗だ。普段アーシェという怪物のお世話をしているせいで、彼女の子どもに対する接し方もアーシェと同じようになってしまった。

 それに気付いたセリアは平に謝罪をし、学院入学後はしなくなった子どもの挨拶を交わす。


「お初にお目にかかります、ウリナトル侯爵姫殿下。わたくしはアーシェリット姫殿下の扈従。セリア・ロッテ・クーニグンテ・ペールマンと申します」

「ぁ……えっと……その……」


 もにょもにょとくぐもった声で挨拶するマルティナは、とてもアーシェと同じ大貴族の令嬢とは思えない。

 いや、あの歳で大人顔向けの風格を現すアーシェがおかしいのだ。自身の価値を正しく理解していない子どもに、貴族のなんたるかを説いたところで、大抵は恐縮か増長に二極化するものだろう。


 挨拶を終えたセリアは主人の意向を伝え、子どもの集団に混ざらないかと催促をした。それを聞いたマルティナが、盾にしている従者の顔を見上げると、彼女は優しく微笑んで、セリアの提案に同意する。


「……アンナ」

「行きましょう、姫様」


 従者に連れられ、元い従者を連れてやってきた少女を、アーシェは快く迎え入れた。彼女のことは以前ロベルティーネから伺っていた。ウリナトル侯爵家の長女、マルティナ・シュルツェ・ドロテア・ウリナトル。長女と言ってもアーシェとは違い侯爵家の第二子であり、三つ上の兄がいると聞いている。

 尤も、セリアが彼女の名前を言うまで顔と名前が一致していなかったのだが、さすが公爵家の扈従。主人への助力も一級品だった。


「わ、わたくしは、マルティナ……です」


 彼女はアーシェ並みに身体が弱く、ウリナトル侯爵の判断で、今回まで懇親会に連れてこなかったのだ。

 後に同学年になるとは言え、さすがにアーシェとのコネクション作りのためにも、そろそろ連れて行かないと他家に先んじられてしまうと考え、比較的体調も良かったことから、今回はセルヴィスの古城に連れてこられたらしい。


 確かに、もしもアーシェが分家で、ミリアシルが本家に行かなくてはならないのなら、彼女も確実に家に残されるだろう。そんな病弱で引っ込み思案なところに共通点を覚え、アーシェはどことなく彼女に惹かれた。


「お庭のお花が――」

「先日のお菓子が――」

「お召し物も――」


 アーシェは衆芳にも、ましてや錦衣玉食にも興味はない。しかしそれでは社交において大いに不利益を齎すことになる。話題についてゆけない令嬢は壁の華にすらなれず、次第に招待されなくなり、社交から排除されるのだ。


「わたくしの苑ではパシティアが香しくてよ」


 一応淑女の嗜みとして城の一角に衆芳苑を構えているが、管理は全てメリッサたちに任せ、アーシェは何を植えているか、今季は何が豊作なのかを報告させている。


「叔母様からの賜り物で」


 ロベルティーネから頂いた焼き菓子はとても美味しかった。だからといって自分から買おうとは思わない。

 アーシェは大切なものは後生大事にしまい込む性格であり、叔母からの贈り物と言うだけで、普通の高級菓子が佳味口福の一品となる。それ故に、同一の、贈り物ではない物を食べて、思い出を穢したくないのだ。


「このお召し物は先日の奉納式のために仕立てて頂いた狭衣です」


 虹染は淡紅色の染め技であり、元から七色に染められている訳ではない。光の角度によっては虹のように煌めく事から虹と呼ばれているのだ。

 これも別にアーシェが注文したわけではなく、アーシェの知らぬ間にメリッサがアーシェの内廷費で購入した物だ。アーシェとしては経費を無駄遣いはしたくないのだが、ミリアシルが内廷費の使い切りを望んでいる故に、彼女たちに差配を一任している。


「やはりアーシェリット様はご慧眼をお持ちで」

「ありがとう存じます」


 ――衣装尽くしなんて、くだらない。

 ――外見も外交上必要なことだから、一概に下らないとは言い切れないよ。


 むぅと口を曲げると、アーシェは精神的にそっぽを向いた。

 彼女には、正しい散財を教えなくてはならないと、茜は堅く意識を改める。金持ちは、無駄と言われようが金を使わなければならないのだ。

 溜め込む金持ちは経済の大敵。貴族が節制貯金なんぞしようものなら、半年もせずに国が財政破綻してしまう。


 領主筆頭たる公爵家が万が一節制に走れば、不景気は必然なので、彼女には心を鬼にして適度な散在を学んで貰う必要があった。



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