020.魔力特訓
食事が終わるとそそくさと退室する父の背中を、アーシェは格好いいと思った。
その身を尽くして領地を守ってきた歴代当主と同じく、アーシェも領主にはなれずとも、いつかは当主を支える補佐官になりたいと、心の底から思えるのは、ミリアシルの背中を見ているからだ。
「アーシェリット様」
ミリアシルが去った食堂で、ロベルティーネが声をかける。何事かと口を拭って話を聞くアーシェの心配は、良い方向に裏切られた。
「昼食を終えましたら、わたくしの部屋にいらして下さいませ」
どうやらロベルティーネは、以前ミリアシルが言っていた魔法の得手不得手を図る検査を依頼されていたようだ。もちろんアーシェの予定表には何一つ予定が書かれていないので、断る理由は何もない。
尤も、予定が書かれていようとも、彼女の命令ならば瞬時に白紙に戻すことすら辞さないだろう。
――またロベルティーネ様とご一緒できるなんて。
――小母様は何でも知ってるね。
「神に祈りを」
最後に橙色のよく分からない野菜が入ったサラダを食し終わるとアーシェは祈りを捧げて退席する。
自室に戻ったアーシェは、茜の魔力制御の特訓を手伝った。アーシェは魔力の扱いに関して、茜より一日の長があるのだ。
茜の魔力制御は両極端なのだ。
最初に設定した量や出力を、途中で変更することができない。その弱点を克服することができれば、きっと魔力制御もうまくいき、少なくとも会話も侭ならないなんていう状況にはならないだろう。
――茜の制御は何というか、離散的なのよ。
――ふむ。
――階段を上り下りする感じではなくて、ティーポットの中に水を注いで、それを出すような感覚よ。
従者を下がらせ肉体の制御を茜に委ねる。離れていてもひしひしと肌に伝わるアーシェの魔力を前に、固唾を呑むセリアたちは、変わりゆく彼女の気迫を食い入るように眺めていた。
内なる魔力、精神世界のさらに奥まで意識を落として瞑想する。次第に周りの音は全てなくなり、アーシェの鼓動のみが耳に響く。その心悸に同期するが如く、茜の魔力は一拍ずつ収縮と膨張を繰り返す。
――そのまま安定させて。
やがて鼓動が小さくなり、波立つ魔力はなめらかな球体となってアーシェの周囲に展開された。
アーシェの身体を正確にイメージして、球体を全身タイツのように、肉体に纏わり付かせる。
身長は九〇センチメートル強。身体に目立った凹凸はなく、座高もこの身体では平均的なものだろう。
しかし満年齢五歳にしては随分小さくはないだろうか。睡眠時間は十分で、至って規則正しく、健康的な睡眠生活を送っている。この二日だけしか見ていないが偏食家というわけでもない。
となると、一度も外出経験がないこと由来の運動不足か、太陽光に当たることのない生活のせいか、筋肉が足りないのか。
考えてみれば結構原因は多かった。
――余計なこと考えないの。
――ごめんなさい。
具現化した扇子でぺちりと額を叩かれ、五歳児に指摘を受けた茜は、雑念をなぎ払い、明鏡止水を以てして、身に纏うベールを制御する。
――まずはその状態で外に漏れないように最大出力。
デニールを厚くする感覚で身に纏う魔力を調節し、外側に薄い皮を張り、その皮を破らない程度に、内側に魔力を充満させる。あと少しだけ魔力を増やしたのならはち切れんと言うばかりに張り巡らせた魔力は、不思議と安定しており、茜の心と同じくただの一つも揺らぎのない水面のように落ち着いていた。
――そのまま少しずつ魔力を薄くしなさい。
――んー。
アーシェの指示に従い、徐々に内側の魔力濃度を低くして、外界への影響を弱らせる。その操作は見事なものであったが、アーシェは酷評をつけた。
――十段階を百万段階にするのではなくて、もっと連続的なものにするの。勝手に量子化しないの。
――うーむ。
茜の見ている世界はアナログ量であっても、フィルタをかけられてデジタル量に近くなっている。万物は素粒子ほど分解してしまえば、デジタルとも言えなくもないからだ。
そんな屁理屈はおいておくとしても、茜の脳はデジタル世界に慣れきっている。それをアナログ世界に慣らすのは時間がかかりそうだ。
――今後の課題だね。
――恐らくだけれど魔法を扱う上でその離散的な思考は後々不都合になるわよ。
――できるだけ早く直すよ。
内の魔力が最大出力からの一割程度になったところで、教導員アーシェの止めが入った。
保有魔力が低い直階貴族の子息令嬢と面会する際、これ以上放出した場合、相手に悪影響を与える可能性があるラインが、この出力であるらしい。
アーシェの号令により再び魔力の希釈が始まり、体感一パーミリアド未満で再び彼女の制止が入った。
――これくらいじゃないと平民との面会は許可されないみたい。
そう言って、昨夜ミリアシルから頂戴した検出液を取り出した。その水面は静かなものであり、一見ただの桃色水だ。しかし、アーシェがほんの少しでも魔力濃度を上げた瞬間に、水面は激しく波立った。
――このように波立つようなら平民とは会えないのよ。
――常にこんなに我慢して喋らないといけないのね。
――……普通は無意識に力を制御して、直階貴族くらいなら問題なく会話できるわよ。
最大出力であっても、皮を突き破らなければ浄階貴族なら涼しい顔で受け止めてくれる。
そのためアーシェの周りは皆、魔力が高い浄階貴族の出自で固められていた。それはアーシェに窮屈な思いをさせず、のびのびと生活できるようにミリアシルが計らった結果である。
アーシェの魔力制御は見事なものであるが、未だに感情の揺らぎが見える。
感情を残しておくことは問題ないのだが、それによって魔力が荒ぶってしまえば、周囲の人間を傷つけてしまうのだ。
――つまりあーちゃんも多少は抑えないとだめなんだね。
――……少しだけよ。
擬似的に魔力の制御を獲得した茜は、セリアを近くに呼び出して反応を見る。
「どうかしら」
「はい。姫様は気配を消すのがお上手ですね」
――気配……?
――人を認識するのは魔力でするものでしょう。
――そうなの。
魔力を持たない平民がどうかは定かではないが、人が人を人だと認識できるのは、人が持つ魔力を感じ取っているからなのだとか。
魔力が歪であれば、人の身体を持っていても人として認識されないし、逆に見た目が明らかに違っていても、魔力が人のそれならば人として見なされる――もしくは誤認される。
――あれ?
茜は気付いた。魔力で人を判別しているのなら、セリアたちは茜のことをアーシェと呼ばないはずだ。
ところがアーシェの身体を完全に支配しても、従者たちは二人を区別することはなかった。
――しかしお父様はしっかり見抜いて下さったわよ。
――親子だとより機敏に感じ取れるのかなぁ。
その後もセリアをセンサ代わりにして、魔力の放出具合を確認した。
どうやら彼女ら浄階貴族は、茜の通常状態の半分程度までなら、特に何も感じず行動でき、七割ほどからメリッサ、セリア、レオノーラの順に体調を崩し始めるようだった。
魔力は感情によっても左右されるため、もし茜の平常心を揺るがす事態が発生した場合、敵味方問わず体調不良、最悪即死させるに至る可能性がある。
そんなことはもちろん本意ではないため、早急に今まで以上の感情の抑制訓練が必要だろうと考えた。
アーシェは感情自体は良く揺れ動くが、それを外に出すことはあまりない。
反対に茜は感情の起伏が殆ど無いが、愛想良く表情をころころ変える。
外見では茜の方が喜怒哀楽がハッキリしているのだが、本質はその真逆だ。
その茜が自覚し、警戒するほど、魔力というものには未知なる危険が隠れ潜んでいる。
その事実に、アーシェは今までなんとなくで使っていた魔力に、初めて恐怖心を抱いた。
アーシェにとって、魔力は身体の一部である。正常な人間は自分の指を見て怖いと感じることはないだろう。
しかし茜は初めて魔力に触れ、その存在を知った。いわば、いつの間にか背中から腕が生えていたような気分なのだろう。それなら確かに恐怖するのも分かると彼女は納得しながら頷いて、茜の練習に付き合った。
茜が魔力遊びに熱中してから一刻強の時が経った頃には、アーシェの精神空間には様々な小道具が散乱していた。
簡素だった寝台は天蓋付きの巨大ベッドに、大地は芝に、足下には絨毯が。空は茜が記憶している鳥が飛び交い、木々にはいくつもの巣が作られていた。
――いつからわたくしの心はこんなにも騒がしくなってしまったの……。
――詩的だねぇ。
――事実だから困っているのよ。
アーシェにお小言を言われながらも、茜は精神的な安寧を得るための空間を創り出していった。時にはアーシェの意見も聞き、昼食を食べる頃には理想の療養所を実現していた。
――これくらい穏やかにしておけば感情の起伏も落ち着くでしょう。
――今わたくしの心は穏やかではありませんことよ。
しかし、散々ぷりぷりと怒っていたアーシェも、親の顔を見るとその怒りは一瞬で霧散した。
子どもとは、斯くも単純な生き物なのかと呆気にとられた茜であるが、わざわざ藪をつついて蛇を出すこともない。茜にとっても都合が良いのでそのまま放置を続けた。




