018.五者面談
セリアら従者が感じていた、体調にまで影響する威圧感は、彼等には現れていないようだと最初は思った。
しかし、それが違うことにはすぐに気がつく。
彼等は茜がやったように、己が魔力を身に纏い、茜の無意識の威圧を防いでいるに過ぎなかった。
この場にいる全員の表情は一切変わらない。しかしながら、茜と三人の間の空気は震え、卓布に皺が寄る。食器が悲鳴を上げて高鳴りし、窓掛けが波立つ光景は、ある種の心霊現象である。
「お初にお目にかかります。ご尊父様、ご母堂様、小母様。ご紹介に与りました加藤茜と申し上げます」
「其方が四七代目賢者か」
「左様でございます。然れども、現世を訪れてまだ日が浅く、とても賢き者と呼ばれるには至りません。私のことは、どうか諱でお呼び下さい」
三人は息を呑む。
公爵家の一族を持ってしても圧倒されかねない魔力の質は、確かに浄階程度の令嬢には荷が重い。その凍てつく瞳の奥から放たれる純一な魔力は、王侯貴族が追い求める理想の魔力だった。
先の発言により上下関係は決している。しかし、この加藤茜は、自身が下にと言い放っても、気高き姿勢を崩さない凜々しい物腰で会談に応じた。
「それでは加藤。今一度問うが、其方はどこまで、こちらの何を知っている」
「何も、何も知りません」
アーシェから伝わった断片的な情報だけではこの国の、大陸の、世界の全貌など全く分からない。法則一つ取っても茜のいた世界とは違うのだ。不用意に知っていると言おうものなら、つまらない誤解や行き違いが発生する可能性だってある。
ここは少し手間になったとしても、一切の先入観を取り払い、正しい情報を得るべきだ。
「一つ、貴女の意思をお聞きしたく存じます」
ロベルティーネが口を挟む。ミリアシルはそれを咎めることもなく、目を伏せて続けるよう促した。
「はい。私が知ることでしたら何なりと」
「歴代の賢者は皆贄子、宿主となった子どもの人格を奪い、己が自我を形成すると聞きます。加藤様も、そのようにアーシェリット様を贄とされるのでしょうか」
――え、そんなことになってるの!?
――今までの格好良い茜を返しなさい。
気の抜けたやりとりに、アーシェは自分を取り戻す。なんだか隣人が格好良く見えたのだが、ただの幻覚だったようだ。
「それは真ですか」
「少なくとも我々が集めた情報では」
それを聞いた茜はただ一つ、もったいないと思った。
せっかく手に入れた新鮮な身体、柔らかい頭脳、未発達な記憶。この三種の神器とも呼べる能力の内の一つを自ら捨てるなど、何のために子どもに生まれ変わったと言うのだ。
憤慨とも取れる表情の変化に、保護者三人は表情には出さず確信する。
この人物はアーシェを踏み台にして権力を得るような人物ではない。今はそれだけ分かっただけでも大収穫である。
「私にはアーシェ様の自由を奪い、ましてや人格を奪おうなどと言う考えは、一切ありません」
しかしあの研究者たちが、不用意に他人を殺生するとも考えられない。
彼等の多くは不必要なことはとことんしない主義だ。もしロベルティーネの言っていることが事実なのだとしたら、一つの懸念が浮かび上がってくる。
「私の意思に関係なく、アーシェ様の心が消えてしまう。そんなことにならないように対策を講じる必要があるかもしれません」
茜にとって、アーシェは掛け替えのない存在になりつつある。茜にない着眼点、茜にない発想力、茜とは違う関心。その全てが茜には眩しく、羨ましいものだった。
長い時間をかけて人材を探せば、アーシェのような子も見つかるかもしれない。しかし、文字通り心で繋がっている人材などいようはずがない。
「私はアーシェ様を失いたくはありません。彼女は紛れもない天賦の才と目的のために努力をし、成果を上げる力を持ったかけがえのない方です」
――茜……何か、悪寒がするわ。
――失敬な!
精神世界で両肘を抱えてうずくまるアーシェは顔全体が紅潮していた。
彼女は生まれて一度もここまで直接的に評価され、褒められたことはなかった。貴族の言い回しではない直線的な物言いは、アーシェの心を的確に射る。
「賢者にそこまで評価されているとはな」
「この世では私よりアーシェ様の方が先達にあたります。私には、真にあらゆる知識が足りていないのです。そのことも踏まえて、近日中に情報を摺り合わせたいのですが、如何でしょうか」
「うむ、それは私たちも考えていたことである。近いうちに広く予定を取るので調整を頼むことになるだろう」
スケジュール調整はセリアとメリッサの勤めである。今彼女ら二人は席を外しているので後ほど相談する必要がある。
それよりも茜は、早急に聞いておきたいことを、精神世界の備忘録を眺めながら三人に尋ねた。
「ご尊父様、先ほどアーシェ様が仰ったように私は魔法に関心を抱いております。そこでいくつかお聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」
「無論、我らも其方への助力は吝かではない」
しかしと続き、ミリアシルは壁越しに従者が退室した部屋を見る。アーシェと茜は何事かと首をかしげ、状況説明を乞う。
「わたくしたちの言葉は少し重かったようですわ」
「アーシェリット様。心苦しいのですが、加藤様を少しお隠しくださいませ」
「承知致しました」
瞬く間に茜の気配が霧散する。それと同時に三人の魔力も鳴りを潜めて、食堂に静寂が帰ってきた。
途端に隣の部屋からバタバタと物音が聞こえ、ミリアシルが「全滅か」と呟きながら普段見慣れない呼び鈴を三回鳴らす。
夫人たちと席を立ち、従者が待機しているはずの部屋を覗いたアーシェは、息を呑んだ。
多くの者が床に倒れて失神している。幸いにも頭から倒れた者はいなかったようで、流血沙汰には至っていないが、何も知らぬ者が見たのなら、くせ者が侵入したのだと勘違いすること間違い無しであろう。
「ひ、め……さま……」
レオノーラが、鞘に収めた剣を杖代わりにして姿勢を保っている。それでも気絶はしていないようで、こんな状態になってまでもアーシェのことを案じていた。
「ご無事……ですか、姫様」
「わたくしは何ともありません」
レオノーラとやりとりをしている内に、メリッサとセリアも体勢を立て直した。他の従者たちが伸びている中、アーシェの従者だけが意識を保てていたのは、つい最近同じようなことがあって、ミリアシルたちの魔力が感じられた時点で覚悟ができていたからだった。
「動ける者は意識のない者を医務室へ運べ」
「恐れながら発言をお許し下さい」
「禁ずる。早急に行いを示せ」
レオノーラの言葉を一蹴して救護を命じる。
発言の許しを得られなかった彼女は、それ以上口を出せない。言葉を飲み込み、アーシェの下を去る彼女の表情は、主人を想う忠臣のそれだった。
「閣下!」
「遅い。襲撃ならばことはもう済んでいるぞ」
「申し訳ございません!」
先ほどの呼び鈴に反応して、文字通り飛んできたのは領軍副団長だった。名はレオナルド・キュストス。彼はアーシェの母であるエルミニクの弟、つまりはアーシェにとって叔父にあたる存在である。
「姉上。また何か粗相をしでかしたのですか」
「わたくしではありませんわ。うつけ者」
密かに囁く毒舌はアーシェには届かない。
しかし鋭い目つきで内緒話をする二人を、アーシェは職務に忠実な軍団ツートップだと思い込み、その姿勢に目を輝かせた。
――何をお話ししているのでしょう。
――事後処理とかじゃないかな。聞こえないけど。
「アーシェ」
「はい」
母に呼ばれたアーシェはすぐさま歩み寄る。エルミニクは寄ったアーシェを抱き上げて、耳打ちし、アーシェの中の二人にだけに理解させるように謝罪をした。
「ごめんなさいね。アーシェ。せっかくの機会でしたが、こうなってしまった以上は秘密のお話は続けることができないのです。従者が側にいて良い話ならば、お食事の時にまたしましょう」
「畏まりました」
駆けつけた近衛隊に、エルミニクがテキパキと指示を出して救護活動をさせる。
彼女はミリアシルの近衛隊隊長であり、近衛隊長は領軍団長を兼任するのが習わしである。
この場に領地防衛の要である戦力が揃っているのだ。そんな現場にいる隊員たちは、たとえ全く事情が飲み込めずとも、全幅の信頼を置いて業務に従事していた。
近衛隊が去ってからは、いつもの食卓風景が食堂を彩る。
いつも通りの人員であるが、普段よりも会話が弾む。双方共に腹を割って話すことを約束し、腹の探り合いや駆け引きも減ったことで、気兼ねなく話ができるようになったのだ。
「魔法書とは暗黒期以前の魔導書の呼称だな。何故名称が変わったのかは知らぬが、新暦からは滅多に魔法書という名前は使われん」
アーシェは自分に関する内容を話せない。話す意思がないのではなく、話す内容を持ち合わせていないのだ。そのため、会話の内容は自然と質疑応答と、経過報告のような形となるのだが、それでもアーシェにとっては充分に幸せな時間だった。
「お城に聖堂なる場所があると聞いたのですが、ご存じでしょうか」
「聖堂?」
レオノーラから聞いた話をそのまま伝える。
反応から見るに、両夫人は聖堂の存在は知らないようだ。この城に永く住む者でも聞いたことがないとなると、それこそ書庫の膨大な資料から探し出す必要がある。
いよいよ以て覚悟を決めようとするアーシェに、ミリアシルが答えを示した。
「恐らくこの場、食堂の事だろう。過去に祈りを捧げていた場所を一変させ、古い施設は食堂にすると記された改装計画書を見たことがある」
「まぁ。しかし何故食堂にしたのでしょうか」
「我々が最も祈りを捧げる機会があるのが、食前食後だからだろう」
――なるほど、一族から少しでも多くの魔力を奏上するように食堂にしたのね。
魔力を神に捧げることで、さらに増えるのなら、五歳から食事のたびに捧げている領主の一族が、凄まじい魔力を持っていることにも納得がいく。
先ほどの従者が次々に倒れた事件は、余程の魔力差がなければ起こり得ない事態らしい。
故意的にやるのであればそう難しいことではないのだが、会話の余波で、公族を除き、領内最上級の魔力を持つ浄階貴族の意識を刈り取るなど、滅多にあるものではない。
「其方は無意識に放っている魔力を抑える訓練をせよ。このままでは会話すら儘ならぬ」
「鋭意邁進して参ります」
倒れた従者たちにはアーシェの威圧の練習をしていたと伝えている。
威圧とは茜の世界にあるような、ただ相手を脅す行為ではなく、言葉に魔力を乗せて相手への強制力を持たせる魔法の一種である。
抵抗力が弱い者に向けて使うと体調を崩したり、最悪命の危険まで出てきたりする魔法で、貴族が感情を殺せと教育されているのはこれのためでもあるのだ。
もにゅもにゅと、緑色の麺麭らしきものを咀嚼しながら頷いていると、アーシェの目の前に桃色の液体が入った小瓶が降ってくる。
ミリアシル曰く、その液体は魔力の影響を強く受け、魔力を抑えて喋らないと波立つ性質があるらしい。
領地の下層に行く貴族の検査に使うものなのだが、貴重なものでもないので暫くはアーシェに貸し出すとのことだ。
「見事魔力を抑えて見せたのなら褒美を取らせよう」
――茜、命に代えても魔力の制御方法を見つけなさい。
――私の命、ちょっと軽くない?
明日から、いや、今夜からでも練習に取り組もうと決意するアーシェに、茜はため息交じりの返事を送る。
しかし、茜もなんだかんだ褒美とやらが少し気になっていた。
子どもに言った事がどの程度の効力を持つのかはミリアシル次第だが、彼のアーシェを大事にする気持ちを考慮すれば、余程高価なものでもない限り良い返事がもらえる気がしていた。
――私は魔石がほしいな。
――わたくしはお父様とお母様に名前をお呼びされて褒めて頂くわ。
食事を終えたら保護者と別れて自室へ戻る。張り切って魔力制御の練習をしようと思っていたが、満腹な上に、普段より魔力を使ったことが災いを成したようで、入浴時には既に夢現の状態だった。
「姫様、もう少しですよ」
「んー……」
後ろから来る温風に金色の髪を靡かせて、メリッサに抱えられながら眠りにつく。明日はきっと今よりもっとお父様のお役に立てる自分になっている。そう信じて疑わないアーシェは安心して従者に身を委ね、意識を手放した。




