017.告白
結局アーシェが悩んでいる間に七の鐘が鳴り、強制的に後者を選ばざるを得なくなった。
――即決する必要はないけど、時間が関係する選択がある場合は、早め早めの行動を心がけた方が良いよ。
――……気を付けるわ。
なんだかんだ言って、茜の助言は為になることばかりだ。
本人の性格が残念なところが癪に障るが、他人の有能な部分を取り入れなければ、自身は有能にはなれない。アーシェは自分にそう言い聞かせ、隣人の助言を素直に聞き入れた。
食堂に移動すると保護者たちはまだ来ていなかった。
彼等はここ数日で、アーシェの歩行速度から、自室から食堂にかけての移動時間を計算している。そしてアーシェが飛行魔法を習得したことにより、鈍行具合が大幅に改善されたことを知らないため、計算が狂いアーシェが既に到着しているとは知らなかったのだ。
とは言っても書庫へ向かったときのような全速力ではなく、出力を著しく落とし、成人と同程度の速度なのだが、それでも普段のアーシェの二倍から三倍の歩行速度である。
保護者たちが来るまで暇になった茜たちは、手頃な検証を開始する。
それはいつかに考えた、《異嚢》の原理を用いた物質の生成である。茜の見立てでは、物質を生み出す魔法は莫大な魔力を必要とするが、仮説が正しければとても便利な魔法になるのだ。
――ここに先ほど取り込んだティーカップがあります。
――そうね。
――これを頑張って別の形で出現させます。
魔法で消したものがどこに行くのかは知らないが、異空間にせよ亜空間にせよ異次元にせよ、一度エネルギー体になっている可能性が高い。
ならば、どこかしらで物質エネルギー変換とエネルギー物質変換が行われているはずだ。その仕組みに、人為的に介入することにより、元の形に復元するのではなく、別の形にできないかと考えた。
精神世界のティーカップを弄くり回し、どうにかして変形させられないか画策する。
しかし叩き付けようと、ものすごい勢いで衝突させようと、ひびすら入らず、茜が諦めかけていた所で、アーシェが口を出す。
――魔力を通してみたら?
――! なるほど。
――貴女は変なところで抜けているのね。
精神世界の体を削って魔力を集める。削るといっても雀の涙程度の量で、茜とアーシェの体調には何の影響も与えなかった。
カップを宙に浮かせ、周囲を魔力で覆う。淡く青い光を放つ魔力の球体はとても幻想的で、茜の一言がなければアーシェはずっと見とれていただろう。
――青い浅漬けみたいだね。
――幻想とは儚いものね。
浅漬けの原液に手を突っ込み、中でカップに力を加える。すると、みるみるうちにカップの輪郭が歪み、原液の中で液体のように漂った。
茜は透かさず小瓶を想像して、液体化したモノを隔離する。そのまま小瓶を万年筆に変え、空想上の紙の上に模様を書き記した。
しかし液体は紙に定着することなく、紙の上でも液体のままだ。
――魔力を抜きなさい。
言われた通りに作業をすると、液体カップがただの固体に戻る。青白く光っていたものも、元の白いカップの色に変わっていた。
――これは……魔法陣?
――うん。《光源》っていう魔法の陣。
紙の上にある魔法陣を、現実世界に顕現させる。案の定、精神世界の紙は現実に持ち出せなかったが、魔法陣はカップの素材でしっかり現れている。万年筆もどきの中に、まだ物質が残っていると言うことは、精神世界で物質を分離・変化させられると言うことだ。
カップ魔法陣に手を置いて魔力を流す。
しかし魔法陣に魔力は通らず、魔法は発動しなかった。魔法陣の構成が間違っているのではなく、魔法陣がアーシェの魔力を拒んでいるような感覚だった。
――何かうまくいかないね。あーちゃん、助言ちょうだい。
――そんな簡単に出ないわよ。……ん。
アーシェはぽんと手を打ち、思ったことを呟いた。
――魔法抵抗が高いだけなのではないかしら。
魔法陣を描くときの材料は、魔力誘導率の高い物質でなければならない。そんな根本的なことを失念していたことに、茜自身が驚いた。やはりどうしても魔法の法則に脳が慣れていないのだ。
――これじゃあ意味ないね。
――この魔法陣もどき、どうしましょうか。
処理に困っていたところで保護者たちが入室する。
普段は最後にアーシェが来るので、保護者の入室現場を目撃することはないのだが、普段からこうして三人一緒に行動しているのだろうか。
どうしてわたくしがあの場にいないのだろう。どうしてわたくしにあの場にいる資格がないのだろう。
寂しさと無力さが唐突にアーシェを襲う。
その心に茜も引っ張られて、年甲斐もなく哀愁を覚えるが、悟られまいと完璧な無表情を装った。
――大丈夫?
――……少し、悔しいだけよ。
「其方、それは……」
アーシェの前に置かれた小さな魔法陣を見て、ミリアシルが問う。
しまったとアーシェは思う。
何せこの魔法陣は城のカップで作った魔法陣である。つまりミリアシルの私物を勝手に壊して作ったものであり、そんなことをしてしまうのはアーシェの本望ではなかった。
――どうしましょう。どうしましょう……。
――落ち着きなさい。あーちゃん。
「まあ、きれいな魔法陣ですこと」
「光源魔法でしょうか。しかし何故食卓に?」
「申し訳ございません。……これは、ティーカップです」
アーシェは全てを話した。
《異嚢》で作ったこと。
魔法の応用についてのこと。
そして――。
――……茜。
――何かな?
――わたくし、やはり隠し事はしたくないわ。
――そうだね。良いと思うよ。
――良くなんてないわよ。……おばか。
「セリア、メリッサ、レオノーラ」
「はい」
三人が一糸乱れぬ反応をする。
「席を外しなさい」
「……畏まりました」
その言葉には普段見せないアーシェの気迫が含まれていた。
その有無を言わせない威圧感に、三人は息をのんで従い退室する。それを見た保護者は驚き、何かを悟ったように目を伏せる。そしてこの中で最も権力のあるミリアシルが従者を廃した。
「其方らも下がれ」
「閣下」
「二度は言わん」
「……御心のままに」
ミリアシルの言葉で、食堂には公爵家関係者のみが残る。三人は無意識に扇を取り出し、普段とは違う場所、アーシェの目の前に座した。
ミリアシルがアーシェの正面に、その左座にはエルミニク、右座にはロベルティーネが位置する。アーシェは三人の迫力に己が扇子で顔を隠すが、その行為にロベルティーネが叱責をした。
「わたくしは貴女に、恥を隠すために扇を教えたのではありません」
「も、申し訳ございません……」
――あーちゃん。押されちゃだめだよ。
――分かっているわ。大丈夫。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせ、深呼吸する。
呼吸を整え、父をしっかり見据えたアーシェの目が覚悟と期待に光り輝いた。それを、貴族社会を先導してきた化け物たちは、一切の感情を見せずにただ冷たい瞳で観察する。
「お父様……いえ、閣下。お話があります」
「差し許す」
先日アーシェと会話したときよりも、ずっと低く重たい声が放たれる。内に潜む茜すら畏怖させる声には、明らかな異常性があり、茜は魔力が絡んでいるのだと直感的に察することができた。
それを自覚できるせいもあり、幾分かは気が楽になるが、根本的なものは解決していない。
怒鳴りでもなく、嫌みでもない。前世とは全く違った口撃に、茜は対策なく挑むことになるのだ。心の芯から屈服させられる声に抗うために、彼女は必死に脳を回転させた。
――あーちゃん。身体全体から魔力を放って。このままだと流されちゃう。
――こ、こうかしら。
手を力ませ内なる魔力をかき立てる。
茜の見立て通り、その手法は効果があったようで、まるで数倍にも膨れ上がったような重圧感から一気に解放された身体は、普段の調子を取り戻した。
「お父様方は四七の賢者をご存じでしょうか」
「愚問」
やはりと思って、ロベルティーネが瞼を閉じた。そしてアーシェは彼女の秘めた思惑を知らないまま、話し続ける。
「今、わたくしの中に加藤茜、旧名久我梅子なる賢者がおります」
今度こそアーシェは全ての事情を説明する。
昨日ティーカップを落として割ったときに、茜が降臨したこと。彼女が何の目的でこの世界に来て、今後どうするのか話したこと。魔法について大いに興味を持っていること。アーシェが魔法を覚えられたのは彼女の助言があったからだということ。
「そして今、彼女と話し合い、お父様方に打ち明けることを決めました。今まで口を噤んでいたこと、申し開きもございません」
「不問とする。報告が遅れたにしても一日と少しだ」
「それに情報を整理し、こうして会談の機会を与えて下さったのは、こちらとしても願っていたこと」
茜の懸念である第一の関門は突破である。
正直なところ茜は命を賭してこの会談に臨んでいる。
もしも、茜の娘に前世の見知らぬ他人が憑依しているなどあったのなら、正気でいられなかっただろう。この世界には魔法というものがあるのだから、幽霊程度軽く吹き飛ばせることくらい簡単に予想できる。
今のうちに茜という異物を排除すれば、まだアーシェへの影響力は少ない。
時が経つにつれその記憶は朧気になっていき、やがてはなかったことになる。以前の生活に戻るのもそう難しいことではないだろう。
「良く決断してくれましたね。して、アーシェ。彼女とお話はできるのでしょうか」
アーシェに関して、セリアたちから日常の報告を毎日聞いているはずのミリアシルが、茜が表に出られることを知らないはずがない。ここは嘘偽りなく、誠意を見せるべきだろうと判断し、茜はアーシェに了承を得て表層に現れる。
その瞬間、部屋の空気が一変した。




