32 ささやかな約束(危機の予兆)
登場人物
グロウ:男主人公。剣の国ブライダの魔法戦士。
エレナ:女主人公。聖獣の国セレスの元公爵家令嬢。
エリュトロス:最強の聖獣らしき小さな飛竜。
フィリス:エレナの妹。聖獣フェアリーパピヨンを召喚できる聖女。
リュカ:元エレナの婚約者、ルヴェル侯爵家の跡取り。
――セレス国首都・ファディスのホテル――
都に到着してから4,5日たった日の夕方。
ホテルに戻り、エレナはグロウへ訊いた。
「どうかしら? 早足だけど色々回ってみた感想は」
博物館と公園の後も、美術館や劇場、名の有るレストラン等、2人はいくつかの名所を巡った。
思い出しながら満足げに頷くグロウ。
「悪くない。ブライダ国と違って上品な感じだな。ウチはすぐに強いか弱いかで価値を決めようとするから、観光名所といえば城や砦で、記録自慢もいつの戦でどこと戦ったとか、そんなのばっかだからよ」
「そういうのはセレス国にもあるけど、都自体は高所にある関係で、あまり戦いの舞台にはならないのよねぇ……」
歴史で習った事を思い出しながらエレナが言う。
セレス国にも平野はあるので経済や流通、農業、大きな戦の舞台になるのはその平野だ。そこから登った山地に首都が位置するのは、聖獣召喚発祥の地の近くだからである。
もし仮に聖獣が皆消滅すれば、ファディスの都はすぐに一地方都市になってしまうだろう。
だがグロウはホテルの窓から外を見た。
大通りの反対側は、雄大な山の連なりが見渡す限り広がっている。緑の森から天に昇る断崖、それらを照らす太陽の光は、世界というものの広さと力を間近に感じさせる絶景だ。
グロウは満足して頷き、側の妻へ笑いかける。
「景色の良さなら、ウチの都に勝ってると思うぜ」
「こらこら、自分も勝ち負けで考えてるわよ」
くすくす笑いながら嗜めるエレナ。
「おおっと、確かに」
グロウは頭を掻いた。
そんな夫を見上げてエレナが訊く。
「村に帰ったら、グロウがブライダ国を案内してくれる? ここへ戻ってきたのは事件の報告のためで、新婚旅行じゃないし」
「そう……だな。ああ、そうしよう。新婚旅行、行き先も段取りも俺に任せてもらおうか」
ニヤリと笑って請け合うグロウ。
エレナの表情が弾んだ。
「楽しみ! 約束よ」
「期待を裏切ったらお仕置きしてくれ。優しくな」
「もう、どんなお仕置きよ、それは」
ふざけ半分に言うグロウへ、エレナはおかしそうに微笑んでいた。
そんな妻を前に、実は内心悩むグロウ。
(……旅行の費用、どうしよ)
村から税収をとれるのはまだ先の話。
そして金のなる木は無いのだ……今の所。
後年には少し話が変わり、ここに来る前にエレナが掘り当てた温泉によって村人達も湯に浸かって体を癒す習慣がそこそこ根付く。
そこで入浴の場として便宜を図るため、雨避けの屋根や脱衣所を設けると、利便性から利用頻度が増える。
そこでまた源泉を探して温泉を増やしたところ、村に訪れる行商人達も利用するようになり、彼らのために宿を隣接させる事になるが、そうなると温泉自体を目的に客が来るようになり、それに合わせて飲食店や土産物、遊技場等も建ち出して……と、やがて観光地化して行く。
村の産業の一つにして金のなる木として立派に成長してゆくわけだが――この時点では森の中へわざわざ体を洗いに行く村人もまだほとんど無く、遠い先の話であった。
――エルシオ公爵邸の談話室――
その日もエレナの妹・フィリスは、婚約者のリュカや友人達を集めていた。
その中にはグロウ達に公園で絡んで来た巨漢と小太りの2人もいた。小太りの方が小馬鹿にした調子で、エレナとグロウが屋台で働いていた事を話す。
「公園で屋台か。エルフの留学生を手伝ってるのはエレナが嫁ぐ前から時々見かけたな」
「貴族が汗かいて平民から小銭をもらうなんて、よくやるよ」
他の者達も概ね小太りに同意して嘲笑するような反応だ。
貴族とて仕事はする。だが領地の経営が主であり、軍事や宗教関係、たまに学問があれど、売店の労働なぞする者はいない。
しないからと言って見下すかどうかはまた別の話だが、ここに集まる物達は「卑しく論外」だと考えていた。
仲間達と談笑しながら、小太りが巨漢に訊く。
「あの生意気な夫の方、なんで見逃してやったんだい?」
「……」
巨漢は黙っていた。この話題になってから、彼は一言も発していない。
彼は思い出していたのだ……グロウに明確な実力差を見せつけられた事を、それに怖くなって事実上逃げた事を。羞恥や怒りとともに。
不快感を察したか、女子の一人がほんの少し気まずそうな笑顔で言った。
「ブライダの貴族はいつも魔剣を持ち歩いている危ない連中だもの。街中で流血沙汰になりでもしたら大変だし、ね?」
「……まぁな」
巨漢は一言そう呟く。
フォローを入れた女子はほっとしたようだ。
そこでフィリスの婚約者・リュカがせせら笑った。
「剣なんて自慢になるのは格の低い連中の間だけ……戦士や兵士ふぜいの話さ。そんな雑兵どもを数百数千と操る将軍や軍師に比べればてんでくだらない」
「あら、セレス国でそれを言うの? 将軍や軍師が頼る切り札が聖獣なのに」
女子の一人がそう言うと、フィリスを見て媚びるような笑みを浮かべた。
フィリスは軽く頷き、側のテーブルに置いてあった空のグラスを手にする。
そのグラスを、無造作に宙へ放り投げた。
グラスは談話室の中央へ放物線を描いて飛ぶ――その側に虹色の蝶が現れ、輝く鱗粉を舞わせながら羽ばたいた。
グラスが光の粒子となって消滅する。
文字通り、跡形もなく。
友人一同が感嘆の声をあげる中、優越感に浸りながらフィリスは微笑んだ。
「数千数万の兵でもくだらないわ。剣や鎧に頼らなければいけない人達は可哀想ね……どうせ聖獣の足元にも及ばないのに」
部屋の若き貴族達は概ねフィリスを賞賛していた。
だが中には、内心で苛々と反発を覚えている者もいる。巨漢もその一人だ。
彼らは武家の青年達で、将兵を軽んじるフィリスやその取り巻きを本心では好いていなかった。だがセレス国の軍事は聖獣と切り離す事ができない――現時点で最強の聖獣を召喚できる者と友好を築いておくのは彼ら自身と家のためである。
その中の一人、隅の目立たない青年は、数日前に一通の密書をある所へ送っていた。
お貴族社会なんて打算と裏切りに満ちているに決まっとる(身分無き者の偏見)。




