26 旅立ちの日(全身全霊)
登場人物
グロウ:男主人公。剣の国ブライダの魔法戦士。
エレナ:女主人公。聖獣の国セレスの元公爵家令嬢。
エリュトロス:最強の聖獣らしき小さな飛竜。
オニクス:元魔王軍のダークエルフ。グロウに敗れて従者となる。
旅費も作り、後は準備を終えるのみ。
その日――グロウとエレナは村の上空にいた。
地上から60メートル。この高度ならば大概の城塞を越えている。ビルにして20階ほどになるか。
強い風の吹く空で、エレナはグロウに必死で抱き着き……というよりしがみつきながら悲鳴をあげていた。
「ひいぃぃ! 無理ムリむり! こんなのダメよ!」
「いや、ちゃんと安定しているが」
落ち着いて言いきかせるグロウ。その側を飛竜のエリュトロスがパタパタと翼を羽ばたかせて呑気に飛んでいる。
グロウの言う通り、二人の体は風に負けず空中の一点に固定されていた。
飛行の魔法である。それを使っているのは、実はエレナだ。
セレス国の都は遠い。しかし空路なら短時間で行けるのではないか……そう考えたエレナは飛行の魔法を「試運転」してみたのだ。
この世界には魔法を使った飛行船もあるが、首都クラスの大都市間しか運航していない。この田舎からブライダ国の首都へ行っていてはかえって時間がかかる。
それで自前の魔法を試しているのだが――
足の下に何も無い高所の恐怖は地上で予想した以上だった。遠い目的地までの制御など到底できない。
仕方がない事だ……本当ならエレナは飛行の魔法など使えなかったのである。グロウの魔剣が能力を底上げしているので可能となっただけで、実践するのは今が初めてなのだ。
グロウの首にしがみつきながら、彼にエレナは食ってかかる。
「な、なに? 本当? 怖さを感じないの?」
グロウの方は平気な顔だ。中堅冒険者になる程の経験があれば、高所に登る事など何度もある。
彼はエレナの腰に手を回し、しかと抱きしめた。
「柔らかさといい匂いなら感じますがよ」
「こんな時にそんな事言う!」
冗談めかした態度が気に障り、エレナが文句を言って体を離そうとする。
しかし互いの体に隙間があき、そこから遠い地面が見えると、また悲鳴をあげてしがみついた。
「ひいぃぃ! 降りるから! ゆっくり降りるから!」
「ああ、ゆっくりじっくりとな」
二人の体が徐々に高度を下げる。
目をつぶって震えるエレナは、グロウの腕の中にいる事で大きな安心を感じていた。
そしてそれがちょっぴり悔しい。
(くうっ……グロウは余裕あるのね。実家でぬくぬく暮らしてた私と、自分の甲斐性で食べてたこの人とじゃ、やっぱり差があるなぁ)
そんなエレナの震える体を抱きしめるグロウ。彼がこの時考えていた事は――
(ちょいとならず、離れがたくて未練があるか? 同居とはいえ長く一緒だったわけでもねぇのに……思っていたより助兵衛な野郎だな、俺は)
地上に足が着いた。
しかしエレナはまだ離れない――恐怖で足が震えているからだ。
「いきなり能力ばかり急激に上がってもダメね……ステータス100倍チートで初めての戦闘を楽勝冷笑とか、あんなの大ウソだわ」
そう言うエレナを、グロウはひょいと抱えあげる。
驚いて目を丸くする彼女を、いわゆる「お姫様だっこ」の状態で、グロウは家に運んで行った。
「まぁ普通に馬車で行こうや。早いに越した事は無いが、無理矢理時短を狙う事も無い」
エレナにできるのは真っ赤になって何度も頷く事だけだ。
上から二人を見下ろして、エリュトロスが「ンゲッゲッゲ」と笑っていた。
――出発の日――
家の戸に鍵をかけ、大きな旅行鞄を置いて、よそ行きに仕立てたドレスを纏い、エレナは頑丈な馬車の前に仁王立ちする。
「よーし、今度こそ」
意気込む彼女の肩でエリュトロスが「ンゲー」と鳴いた。
共にいるのは軍服で正装のグロウと、魔法でエルフに変装したオニクス。
グロウは半ば呆れ、オニクスは期待と不安の混じった顔で見守る。
高まった己の魔力で一線を画した旅路を! その想いをエレナはまだ捨てていなかった。空路に失敗したのでちょっと意地になっているのかもしれない。
「先ずは……【軽量化】!」
船にも使った重量軽減の呪文を馬車にかけた。馬車は紙のごとく軽くなった。
「次は……【浮遊】!」
飛行の下位呪文、浮遊。地面から少し浮かせるだけで、高度はとれないし移動速度は歩く程度。元は落とし穴や劣悪な足場を避けるための呪文だ。
馬車がふわりと浮いた……地面からほんの数センチほど。
「そして……【能力全開】!」
最後の呪文は馬車を牽く馬へかけた。しかも魔法をかけながらさらに力をこめて魔力を注ぎ込む。
「ええぇぇいぃっ……!」
魔法の威力は注ぎ込む魔力によっても変わる。エレナは大量の汗をかきながらひたすらに魔力をこめた。
能力増強の高位呪文を受け、馬の全身に力が漲る。筋肉が膨れ上がり、鼻息が荒くなり、目が血走り、鬣が逆立った。
「奥方様? 馬は大丈夫なのですか?」
オニクスが心配するが、エレナはフンフン唸りながらさらに魔力を注ぎ込んだ。やがて限界が来てフラッと後ろによろめく……それをグロウが素早く受け止めた。
エレナは汗まみれの顔でグロウを見上げる。
「はは……これでよし、よ」
「まぁエレナがそう言うならそうなんだろうが……」
口ではそう言うものの、グロウは猛獣のごとき力を発散する馬を前に不安を覚えた。
エレナを抱え、エリュトロスを連れ、グロウは馬車に乗り込む。
オニクスは馬にまたがり、手綱を握って慎重に走らせた。
馬は「BAOOOOOON!」と竜のごとく嘶くと、村の外へ猛然と走りだす。土煙をあげ、突風のように、城壁から撃たれる大型弩の矢のように。
「うおぉぉっ!」
驚きと気合の声をあげてオニクスは馬にしがみついた。全力全神経をもってせねばこの馬を御する事はできない。
馬は地響きを立て、路上の石を踏み砕きながらどこまでも走る。
――国境――
関所の兵士達は振動を感じて思わず武器を構えた。
山道の向こうから大きな土煙が迫って来る。魔物の軍か天変地異かと青くなる兵士達へ、狂える巨馬が突っ込んできた。
「おわーっ!」
勢いと恐怖に兵士達は弾かれるように道の脇へ逃げ、馬は関所の門をブチ破って全く速度を落とさず走る。
乾いた音を立てて通行手形が転がっていた。器物の破損以外は合法だ。
――セレス国街道――
岩山を根城にする山賊達は見張りの叫ぶ声を聞いた。
「馬車が来ましたぜ!」
「ほう、今日の獲物か」
どやどやと道に出て来て木製のバリケードで塞ぐ山賊達。
しかしそこへ巨馬が砲弾のごとく突っ込み、バリケードと山賊どもを粉砕した。
全く速度を落とさず馬と馬車が走ってゆく。
「馬車では……あったけどよ……」
山賊の大将はそう呻き、全身粉砕骨折により息絶えた。
山賊は全滅した。
馬車の中で目まぐるしく流れてゆく景色を見ながら頻繁に起こる激振に翻弄され、疲れ果てて朦朧とするエレナを抱いて、グロウは一人思っていた。
(速いは速いが、快適かどうかは微妙だな)
世紀末バギーみたいな車を魔法を利用して造る話にしようかとも思ったが、今回はボツにしておいた。




