3 帰省そして登城
船はゆるやかにイシュラルド王国に到着した。まるで問題なく、クジラに襲われるなんてこともなかった。
「では、またご縁があれば」
クラリスは甘く微笑んで手を振った。私も振り返した。
彼が冒険者だというのならまたいつかギルドでばったりあうかもしれない。
私は船を降りると実家方面の長距離乗合馬車にのりこんだ。風が頬を撫でて気持ちがいい。馬車の横を流れていく景色は徐々に見慣れた風景にかわり、なつかしさがこみ上げた。
銀貨を支払って馬車を降りると、イシュラルド辺境伯爵邸はすぐ目と鼻の先だ。風魔術で身体を浮かし、滑るように牧歌的な高山地帯を進む。
尖った山々を背景に広大な敷地にそびえ立つイシュラルド伯爵邸の大きな正門前に到着すると執事長のリチャードがその白髪と白髭を震わせて泣きついてきた。
「ユリア様……! よくぞご無事で!」
とめどなくあふれるじいやの涙にやはり情報の行き違いがあったのだと悟る。本当に申し訳ない。リチャードが鐘をならすと屋敷中の使用人が我も我もと飛び出してきた。
「ああ、ユリア様! もう二度と会えないものかと!」
「幽閉されていたというのは噓だったのですね!」
「人さらいに遭って他国に連れ去られたわけではなかったのですね!」
「監禁されていたという噂は違ったのですね!」
約一名ほぼ正解をたたき出している。おそろしいことだ。
「心配かけてごめんなさい。私は大丈夫だから」
すがりつく使用人たちをなだめつつ、玄関口に辿り着くと、上の階からおりてきたのだろう息を切らせたお兄さまが大扉を開けたのとかち合った。お兄さまの銀の長髪が揺れる。
「ユリア!」
ぎゅう!と力いっぱい抱きしめられる。普段温厚なお兄さまらしからぬ激しい抱擁だ。本当に誤解されていたらしい。
「心配したよ。君が、異国の男に船に連れ込まれているときいて」
耳元でささやかれる。誤解ではなくて……客観的な事実だった。
「なんとか君を連れ戻そうと船に追っ手も放ったというのにすべて退けられてしまってね。途方にくれていたんだ」
お兄さまは私を抱きしめたまま身体を震わしていた。そこまで心をくだいていただいて申し訳ない。たぶんその方々は行きでクジラに襲撃された船に乗り合わせた方々だろう。そういえば随分とおびえていたような……。
「シェリアだが、まだ王家の怒りは晴れないらしい。地下に幽閉されているようだ。君宛の手紙も来ている。あれから君がかぶった冤罪はすべて晴らされたよ。いじめの詐称も含めてシェリアは囚われている。君が登城すれば刑期を軽くするとも書いてある。こんなこと君に頼めるはずもないが」
ん? いじめの詐称? そういえばそんなこともあったような。死線を何度もくぐりぬけた今となっては些細なことだ。もうすっかりわすれていた。そういえば妹のことをすっかり放置していた。なんて薄情なのかしら私。
「大丈夫ですよ、お兄さま。嘆願にいきます」
私が身体をひいて顔をあげると、お兄さまは白銀の瞳を揺らめかせた。
「ああ、なんて優しい姉なのだユリア! 私は心が痛むよ」
「いいえ、妹が一週間も牢暮らしをしているというのに気がつかなくて申し訳ないですわ」
ここのところ毎日命の危機が続いていたのですっかり心が麻痺していた。伯爵令嬢が地下牢の中だなんて……シェリアが発狂していてもおかしくない。怖い思いをしただろうにかわいそうだ。
…………
ああ、まさか王城には二度と足を踏み入れないという誓いを二度もやぶってしまうなんて。
質のいい戦闘服……もといドレスを身にまとった私は背筋をピンと伸ばした。侍女のサリアを連れて王城の門をくぐり、城内の階段を上る。
王の間にて、イシュラルド王国のカーテシーを披露した。岩に見立てたこぶしを顔の前で合わせ、腰を低く落とし片足を交差させるこれは最上位の礼だ。
「おもてをあげよ」
ゆっくりと顔をあげると玉座に座っているのは第二王子ララピア・フォンモントーレ・イシュラルドだ。輝く金髪は兄と同じ色だが、くせがなくさらさらのショートだった。兄はくせ毛だが、弟は直毛のようだ。紫色の瞳は妖しい色気が滲んでいる。このすらりとした体躯では、さきのゾレア帝国戦を獣のように喰い荒らしたという噂はとうてい信じられない。もっと獰猛な人物かと思っていた。交流もなく、引きこもっていたときいていたからほぼ初対面だ。
「僕の顔になにかついているかい?」
「いいえ。失礼いたしました」
両腕を顔の前で組み、イシュラルドの礼のしぐさを維持する。礼を解いてもいいとは言われていない。
「君にはいわれなき冤罪をかぶせたときいて大変申し訳ないと思っているよ。ああ、君がやったといわれていたいじめの数々はすでに裏も取れているし、彼女に直接事実確認もしたから晴れて無罪放免だ。君が城に入ってももうなんの問題もないよ。うれしいかい?」
「……アリガタキシアワセ」
ララピア王子の視線は蛇のようだった。蛇に睨まれた蛙のように身がすくむ。そうだ、妹の嘆願に来たのだった。目的を果たさなくては。
「どうか情状酌量の余地をお願いしたく」
私の言葉にララピア王子は目を丸くした。大粒のアメジストの宝石のようだ。
「君からそんな言葉が出るなんて、意外だね」
むしろ妹が幽閉されてずっと出てこれないほうが私にとっては意外だ。
「君も知っての通り、王家の血を煮詰めなくてはいけないんだ。君を自由にさせてあげようかと思っていたのだけれど、そうなると君がかわりに僕と結婚することになるけれどいいのかい?」
思いもがけない言葉に思わず目が丸くなる。
「ほら、君も王家の血を濃くするってきいているだろう?」
交差させている立膝がぷるぷるしてきた。足がしびれてきている。耐えるのよ自分。
「この国の王太子との結婚は避けられないよ。どのみち君か君の妹が犠牲になる」
なんということだ。すっかり忘れていた。
第二王子ララピアは微笑みを浮かべながらなめるように私の全身を見回していた。依然立膝を解くことを許すそぶりもない。もしかしなくても相当性格がお悪いのでは。我慢を重ねている私の立膝が耐えきれず小さく震える。
「ああ、そういえば君も妹の様子を見に行くかい? 僕もそろそろ見に行こうかと思っていたんだ」
プルプルする私の膝をみながらにやにやしている。まちがいない。性格が悪い。




