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1 ジンの読んでた本


 私は一人砂漠でしばらく茫然と立ち尽くしていた。


(帰らなきゃ……)


 帰るって、どこに? 風に煽られて髪の毛が舞う。砂ぼこりが目に入る。


(そう、これは砂が目にはいったから……)


 ぐいと袖口で目頭をこすった。

 出会ったときはジンのことを振り切りたくて振り切りたくて仕方がなかった。

 なんて重い人なんだろうって。そう思っていたはずなのに……。


(なんでこんなに胸がくるしいんだろう)


 広い広い砂漠でひとりぼっちだ。


 いつまでもぼんやりしていても仕方がない。ジンはもういないのだ。私は風魔術で身体をふわりと浮かばせる。そのまま北へもと来た道を辿っていった。


 空は夕暮れになり、ほの昏く藍色に染まり、満点の星が出た。砂漠を抜け、密林を抜け、星の示すしるべで迷いなく進むことができる。


 思いのほか冷える夜に炎魔術で炎球を浮かべ暖をとった。感傷的な夜風が身体を切るように流れていく。


 次第に近づいていくハルファスの夜の王都は港がオレンジの灯で照らされていた。


 ハルファスについて小さな宿をとると、久しぶりのシングルは随分と味気なかった。いつのまにかあたりまえのように二人でいたのだ。


 ベッドに倒れこむと疲労でそのまま泥のように眠りにつく。




…………



「ああ! まさかあの「ランプの魔神」を踏破してみせるとはさすがですね!」


 翌日ギルドに向かうとハルファスのギルド長は満面の笑みだった。机の上にうずたかく積まれた金貨はもはや持ち運べそうにもない。小切手に替えてくれるそうなのでお願いした。


 なんだろう、昨日よりも大金のはずなのに心は弾まなかった。ギルド長は私が一人で来たことにも特に反応もなかった。


 ギルドを出て、私はぼんやりと思った。

(そういえば)

 ジンは最後に言っていた気がする。彼の読んだ本がきっかけだと。


 私は図書館でジンの手に取っていた本を探した。「魔神と人間」。その本は意外にも童話の本だった。シンプルな青の表紙だったから全く気がつかなかった。てっきり小難しい歴史書かなにかだと思っていた。ジンはあんなに真剣な顔をして真面目に童話を読んでいたのか。


…………


 むかし、むかし。まずしい青年がおりました。


「洞窟の中にあるランプはねがいごとを叶えてくれる」


 そうきいて、青年は洞窟の中にとびこみました。


 洞窟のなかは宝石であふれています。


 青年は目もくらむ宝石にもまどわされず、ランプを手に取りました。


「ご主人様、なにをお望みで」


 ランプから出た魔神は青年の願いを叶えました。めでたしめでたし。


…………


(これって)


 おとぎ話とはいえ、ほぼ昨日の出来事だった。ジンはランプを手に入れて何か願いを叶えるつもりだったのだろうか。しかしながらジンは願いを叶えてもらえるほうではなくて人間の願いを叶える魔神の方だったのだろう。なんとも悲しい。


 問題はこの洞窟だ。この洞窟さえ場所がわかればジンを探しにいけそうなものだが、これは童話。そんな詳細な情報などない。ハルファスは港の有名な国、近くに洞窟などない。


(これからどうしよう……)


 衝動的に家を飛び出してからほぼ一週間たっていた。もうすっかり頭も冷えた。もしかしたら家に置いてきたあの書置きでベンジャミン王太子が勘違いしたように、お兄さまも勘違いして心配しているかもしれない。幸いお金も時間も余裕がある。ジンがいないのにハルファス王国に残る意味などもはやなかった。


 ハルファスの港からイシュラルド王国行きの船に乗り込む。甲板にて次第に小さく遠くなっていくハルファス王国を眺めて物思いにふけっていたらふいに声を掛けられた。


「ひとり旅ですか?」

 見れば、薄藤色の髪に、アメジストの濃い紫の瞳を持った優男がすぐ隣の手すりにもたれかかってこちらを見つめていた。線の細い体つきに甘い顔立ちだ。


「ええと、そうですね。もう帰るところですけれど」


「そうなのですね。私は冒険者なんですけれど、ハルファスのギルドでの用事が終わったんでイシュラルドに向かうところなんです。よかったらイシュラルドにつくまでお話しませんか。イシュラルドについていろいろ教えてほしいです」


 にこりと人の好さそうな笑顔で話しかけてくる。物腰も低くて紳士的だ。悪い人ではなさそうだ。


「ええ、私のわかる範囲でよろしければ」


 船はゆっくりと進み、眼下の広大な海では波のうねりが見える。海鳥が横切り、潮風が髪の毛を乱す。


「イシュラルド王国には国の建国の成り立ちとして神話が関係しているのだとか。じつに神秘的で、興味深いですね。天から降りてきた神がイシュラルド王国の王城の地下に眠っているのだとか」


 彼は一息でまくしたてたあと、ふと恥ずかしそうに目を伏した。


「すみません。いきなりで自己紹介もまだでした。私はクラリスといいます。あなたの名前をお伺いしても?」


「私はユリアです。クラリスさん、はじめまして」


 クラリスは簡潔に身の上をかたった。冒険者としてダンジョンに潜り、ある品を探しているのだと。ハルファスにもその目的で訪れたが、彼の探していた品は見つからなかったらしい。


「なので、イシュラルドにこそあればいいなと思っているのです」


 クラリスはどこか遠くを見る目で水平線を見つめていた。一面の海だ。まだまだイシュラルド王国の影も形も見えない。


「ユリアさんは、どうでした? ハルファスは。何か楽しいことでもありましたか?」


 楽しいことか……。ジンがジャイアントタートルを得意げに抱えてたこととか、バザールでおそろいのピアスを買って、ジンの腰元につかまって二人で砂漠を駆けたこととか、塔ではジンに姫抱きにされて高上げされたっけ……。


 考え込んでいると、ついとクラリスの細い指が私の目じりを撫でた。そのままぬれた頬をぬぐうように滑る。私はそこで初めて気がついた。涙がにじんでいたのだ

「ごめんなさい。なにかつらいことがあったんですね」

 その濃い紫の瞳がこちらを気づかわしげに見ていた。


 無意識の生理現象なみだに私は愕然とした。

 そうか、私、ジンのこといつのまにかこんなにも好きになっていたんだ。


「ごめんなさい、なんでもないんです」

「いいんですよ。泣きたいときは、泣いたほうがいいんです」


クラリスは海のほうを向きながら言った。優しさに胸が打たれる。

私の涙は覗き込んだ海の中に溶けて消えた。


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